【投稿】

「あなたより知識がある」と思い込んでいるジャーナリストという危機

— 長谷川豊「安保法案を違憲とするのは勉強不足です」に対する反論 —

高橋 孝治


 報道に携わる者には様々な責務がある。その責務の中で最も大きいものは、「民主主義を完成させるために常に政府を批判的に見ること」と「分かりにくい政治状況をなるべく多くの人に理解できるように解説すること」の2点であることに疑いはないだろう。
 しかし、報道に携わっていても、これが全くできていないジャーナリストもいる。ここでは、その例として長谷川豊というアナウンサーの「安保法案を『違憲だ!違憲だ!』と叫ぶ全ての方へ『勉強不足です。勉強してください』」という記事を見ていきたい(http://blogos.com/article/123751/)。

 この長谷川豊氏の記事によれば、安保法案(現在は国会を通過しているので「安保法制」)を違憲だとする者は勉強不足であるらしい。その根拠としては以下の2点を述べている。

・日本国憲法は第9条のみではない。憲法前文には「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国際協調について規定がされている。国際協調で重要となる国連憲章では第51条で、集団的自衛権が認められているため、憲法9条2項が違憲(国連憲章違反)である。
・安保法が違憲と言っても、それなら自衛隊も違憲であるため、自衛隊から批判しなければならない。

 しかし、残念ながら、この2点の意見から、長谷川豊氏の方が勉強する必要があるように思われる。以下、これについて論じていきたい。

 まず、国際法の地位であるが、これは各国によって捉え方が異なる。しかし、少なくとも日本の場合、明文の規定は存在しないが、「国際法に、憲法より下位、法律より上位の地位」を認めるのが通説である(註1)。冷静に考えてみれば当然のことである。もし、国際法が憲法よりも優先されたら、国民投票という手続を経ていないにも関わらず、条約を締結するたびに事実上の改憲を行うことができてしまい、法的安定性と立憲主義を著しく損なうことになる。つまり、国際法はあっても日本国内では、国際法も日本国憲法に従わなければならないのである。この点から長谷川豊氏の主張する「憲法9条2項が国連憲章という国際法に反するため違憲である」との主張は残念ながら国際法の基礎知識を無視した発言ということになる(また、「憲法が違憲」という表現が筆者には理解不能である)。

 さらに日本国憲法の前文には、法的性質は認められるが、「裁判規範としての性格はない」と考えられている(註2)。つまり、憲法前文は「法」ではあるが、「裁判の根拠」としては使えないルールであるということである。法ではあっても、裁判の根拠となりえないルールが「国際協調」を謳っているからといって国連憲章を引っ張ってくることについてはいささか論理に無理がある。この点からどうやら長谷川豊氏は憲法の基礎知識も欠落しているようだ。また、「国際協調」は確かに重要だが、「国際協調」がなぜ即「軍事」による協調になるのかも謎である。

 また、安保法が違憲なら自衛隊も違憲であるとの論は、見かけることが多いが、単なる論点のすり替えである。筆者もかつては述べたが、自衛隊はギリギリ合憲と考えることも可能である(註3)。ところが、安保法制に至っては、筆者の見る限り以下の3点で明らかに違憲である(以下の3点は筆者の見解であるため、他の点でも違憲の指摘ができる点があるかもしれない)。

・政府の総合的判断で集団的自衛権を行使する→ 憲法9条1項の「国権の発動たる」に違反する。憲法上、政府が「攻撃するか否か」を決定してはいけないのである。その点、個別的自衛権発動の場合は、外国からの武力行使に対して自動的に(政府の判断を待たず)発動されるものなので、これには該当しない。
・抑止力が強まるとの論→ 憲法9条1項で禁止した「武力による威嚇」に該当し、これに違反する。
・他国に対して銃弾などの供給を行う→ 銃弾の供給は、国際法上「武力の行使」に該当すると考えられるので、憲法9条1項の「武力の行使」の禁止規定に違反する。また、銃弾を供給した相手が他国を攻撃している場合、憲法9条2項の「国の交戦権はこれを認めない」に反する。

 総括すると、以下のように言える。
・自衛隊 → 違憲の可能性がある
・安保法制 → 明らかに違憲

 残念ながらこの2つを同等に扱って論じようとすることが誤りなのである。それでも自衛隊違憲論を推すのなら、自衛隊の廃止について議論すべきであり、それが「安保法制は認められる」という論になることはない。結局、「安保法が違憲なら自衛隊も違憲」との論は、「自衛のための手段すら失ったらまずい」と考えている人たちに、無理やり安保法制を納得させるための脅迫に近い論法なのである。

 長谷川豊氏の記事の基本的認識の誤りは以上だが、集団的自衛権の問題を語るならば、以下の点に触れていないのも問題であろう。国連憲章上の集団的自衛権の規定は、国連安全保障理事会の決議のないままに他国と相互援助することを目的として、アメリカの強い要望で国連憲章に規定されたこと(註4)。一般的な国際法の認識では「結局、集団的自衛権は、各国家とりわけ常任理事国たる大国が、同盟国や友好国を支援するため、 自らは武力攻撃を受けていないにもかかわらず、しかも安保理事会の統制を受けることもなく、武力を行使することを可能にするものであって、このような権利を認めることは、個別国家による武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行するもの」、「実際に、集団的自衛権は、冷戦期に米国とソ連がそれぞれ軍事ブロックを形成したり、地域紛争に介入するための法的根拠として大いに利用された」と評されていること(註5)。

 結局、長谷川豊氏の「安保法案を『違憲だ!違憲だ!』と叫ぶ全ての方へ『勉強不足です。勉強してください』」という記事は、長谷川豊氏自身の憲法および国際法に対する知識のなさを露呈しているだけのものとなっている。しかし、専門的知識は誰もが持っているわけではない。そのため、「一般人」の場合、このようなことをブログなどに書いたとしても、必ずしも強い批判を受けるべきものではない。しかし、長谷川豊氏のように、情報を発信する側の人間が、「勉強不足です」とまで言い切った上でここまで知識不足を露呈した記事を発表するのはやはり問題であろう。
 長谷川豊氏のこの記事は、「私はあなたより知識がある」、「教えてやってるんだ」と思い込み、実は自分自身もよく分かっていない(勘違いしている)ジャーナリストもいるという点を浮き彫りにした、現在の日本の報道の危うさを如実に表しているのではないだろうか(さらに、政権批判という報道の務めも忘れている点も表している)。

 筆者は長谷川豊氏に声を高らかにして言いたい。「他者に情報を伝えることを仕事にしているのなら、知識を入れてから語るのは職業上の義務です。しっかり勉強してください」。

(註1)松井芳郎=佐分晴夫[ほか]『国際法』(第5版)有斐閣、2007年、21頁。島田征夫『国際法』(第3版)弘文堂、2002年、34頁。
(註2)芦部信喜、高橋和之(補訂)『憲法』(第5版)岩波書店、2011年、37頁。佐藤幸治『日本国憲法論』成文堂、2011年、31頁。
(註3)高橋孝治「憲法9条を憲法の理念に則って解釈してみよう」http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E6%86%B2%E6%B3%959%E6%9D%A1%E3%82%92%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E7%90%86%E5%BF%B5%E3%81%AB%E5%89%87%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%88%E3%81%86
(註4)島田征夫・前掲註(1)309頁。
(註5)松井芳郎=佐分晴夫[ほか]・前掲(註1)296頁。

 (筆者は中国・北京在住・中国法ライター)


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