■【書評】

「ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く」上下

   ナオミ・クライン著  幾島幸子・村上由見子訳      岡田 一郎
    岩波書店刊、2011年、各2500円+税
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  本書はカナダ出身のジャーナリスト、ナオミ・クラインが2007年に刊行し
た同名の書を日本語に翻訳したものである。本書の内容は刊行直後から、原書を
読んだ日本人によって、その概要がインターネット上で紹介されており、私自身
も大変興味を持っていたが、今回、日本語に翻訳されたことで、ようやくその全
貌を知ることが出来た。長大な原書をわかりやすい日本語に翻訳してくださった、
翻訳者の方々に心より感謝申し上げる。

 さて、本書の題名になっているショック・ドクトリンというのは、クーデター・
戦争・災害・テロなどの発生によって、国民が茫然自失の状態にあるのに乗じて、
一部の人間が自分たちが信奉するイデオロギーに基づくシステムを一国に無理矢
理導入し、ある国のシステムを根底から作り変えてしまうことをいう。

この概念自体は様々な歴史的事件を説明するのに便利である。たとえば、第2
次世界大戦後、大戦のショックで世界中の人々が茫然自失の状態にあった時期に
米ソ両国が自分たちの勢力圏に自分たちのイデオロギーに基づく国づくりを強要
したのも、一種のショック・ドクトリンと言えなくもない。

 だが、著者のナオミ・クラインがショック・ドクトリンとして、本書の中で糾
弾しているのは、シカゴ大学のミルトン・フリードマンとその弟子たち(いわゆ
るシカゴ学派)による新自由主義的な国家改造の手口とそれによってもたらされ
た害悪である。

シカゴ学派たちの卑劣な手口と厚顔無恥な言い逃れの数々は、それだけで興味
深く、かつ腹立たしい限りだが、本書の意義はシカゴ学派の悪行を表にさらしだ
したことだけではなく、シカゴ学派による新自由主義的国家改造の企てが常にア
メリカの対外政策と結び付いていたことを明らかにしたことである。

 私たちは、チリにおけるピノチェト将軍のクーデターとその後の人権弾圧、東
欧革命とソ連崩壊後のソ連・東欧圏の混乱、アフガニスタン・イラク戦争とその
後の両国の混乱などをバラバラに理解している。しかし、こうした出来事の背後
に常に存在したシカゴ学派の姿を浮かび上がらせることで、これらのすべての出
来事がシカゴ学派による新自由主義的国家改造の所産であることを著者は暴いた
のである。

 それでは、シカゴ学派による新自由主義的国家改造とはどういうものであった
のだろうか。それを読者にわかりやすく理解させるために、著者は1950年代
にカナダのマギル大学でおこなわれたおそろしい人体実験を紹介する。1人の人
間の人格を完全に破壊してまっさらな状態にし、その後に望ましい人格を注入し
て人格を改造しようという実験である。当然のことながらそんな実験はうまくい
くはずはなく、実験台にされた多くの人々は生まれ持った人格を破壊され、廃人
となった。

 だが、この実験の成果は、密かにアメリカ軍に導入され、新自由主義的国家改
造に反対する人々を洗脳・拷問する手段として利用された。さらにシカゴ学派は
マギル大学でおこなわれた実験と同じことを国家規模でおこなおうとした。ある
国家の歴史、文化、社会・経済システムを抹消し、望ましい新自由主義的なシス
テムを導入して、彼らにとって望ましい国家を作り上げようとしたのである。

 このようなシカゴ学派の執拗かつ貪欲なまでの改造欲の記録を読み進めるうち
に、私はジョージ・オーウェルの『1984年』を思い出さずにはいられなかっ
た。共産主義化され、エアストリップ・ワンと名を改められた近未来のイギリス
では、歴史は改ざんされ、主人公のウィンストン・スミスは真実の歴史を求めて
街をさまようが、街で出会った老人も断片的に個人的な経験を覚えているだけで、
誰も正しい歴史を再構築することは出来ない。

 そして、体制に疑問を抱いたスミスは当局の執拗な拷問によって、心から党と
支配者であるビッグ・ブラザーを愛する人間へと改造されてしまう。『1984
年』に描かれる荒廃した社会と新自由主義的改造によって荒廃してしまった国々
の実態もそっくりである。本書と『1984年』を読み比べるうち、私は「新自
由主義というのはシカゴ学派が忌み嫌う共産主義と実態は全く同じものであり、
両者はただ近親憎悪をしているだけにすぎないのではないか」という考えにとら
われるようになった。

 本書はシカゴ学派に代表される新自由主義者たちの異常なまでの国家改造欲と
彼らの国家改造によってもたらされた悲劇を様々な例をあげながら強調している。
しかし、日本では本書は著者の意図とは異なる読み方がされているようである。

 日本で本書の内容を紹介する人物の話をうかがうと必ず出てくるのは、本書の
最後の方で取り上げられている2004年のスマトラ島沖地震に伴う津波や20
05年のハリケーン・カトリ―ナの被災地の政治家が、新自由主義者によって丸
めこまれ、旧来の住民が追い立てられ、新自由主義者たちが被災地を金儲けの場
として利用しているという話である。

 たとえば、社会民主党の福島瑞穂党首は本書の内容を次のように紹介している。
「ナオミ・クラインさんが書かれた『ショック・ドクトリン』という本を読みま
したが、これは惨事便乗型資本主義、つまりハリケーン・カトリ―ナ被害などか
らの復興を大型資本が入って、むしろ地元が壊れていくということを書いた本で
す」(福島みずほ「3・11以後の新しい社会を一緒に」『進歩と改革』721号(2012
年1月)、8頁)

 福島党首だけでなく他の日本の識者もなぜかショック・ドクトリンという言葉
を「災害に乗じて大型資本が被災地を食い物にしたり、自分たちに都合のよい政
策を通す」といった意味にしか使っていないと感じるのは私だけだろうか。

 東日本大震災直後に翻訳が発表され、その後、野田政権によって消費増税や
TPP参加といった大震災に便乗したとしか思われない政策が打ち出されたことで
日本の読者にはスマトラ島沖地震やハリケーン・カトリ―ナの話が印象に残って
しまったのかもしれない。

 しかし、津波の後に漁師を追い出してリゾートホテルを建てるといった悪事は、
新自由主義者がこれまで為してきた悪事の中ではささいなものに過ぎないことに、
日本の読者は留意すべきである(もちろん、東日本大震災の被災地が大型資本に
よって食い物にされることを我々は常に警戒しなければならない)。本書で紹介
されているように新自由主義者たちは1つの国家のシステムを破壊し、新自由主
義国家へと改造するということを複数の国でおこなってきた。

 日本で例えるならば、現在の日本のシステムが破壊され、日本人は日本人でな
くなり、日本と言う名前を冠した別の国へと改造されてしまうということである。
「民主主義国家の日本でそんなことがあるわけはない」と人は笑うかも知れない。
しかし、ピノチェトがクーデターを起こすまではチリは平和的に政権交代が繰り
返された民主主義国家だったのである。

 それでは、日本がチリやイラクのようにならないためにはどうすれば良いのか。
著者は、国民1人1人が自分たちの権利を守るために立ち上がることが新自由主
義に対抗する手段であることを示唆している。新自由主義的国家改造によって恩
恵を受けるのは、ごく一握りの人間である。

大多数が自分の権利を自覚し、自分たちが幸福に生活するためには何が必要な
のかを自覚すれば、自然と新自由主義は拒絶されるはずである。ピノチェトの
クーデターのように時に新自由主義者は暴力に訴えてくるこがある。そういう事
態に陥らないように我々は常に権力を監視し、自分たちの権と利が奪われよう不
断の努力を続けていく必要がある。
  最後に訳で気になった点について触れる。本書では「disaster capitalism」
を「惨事便乗型資本主義」と訳している。翻訳者によれば、この言葉は従来「災
害資本主義」と訳されることが多かったが、disaster には人為的な戦争やクー
デターも含む語であることを踏まえて「惨事便乗型資本主義」と訳したという
(本書、684頁)。
しかし、本書に登場する新自由主義者たちは惨事に便乗するだけでなく、自ら
惨事を引き起こして、クーデター的に国家改造を成し遂げる場合もある。
「便乗」という言葉は使わない方が良かったのではないだろうか。

     (評者は小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)

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