■ 「大国の虚妄」を捨て謙虚に賢明な小日本主義の道を選択すべき時

           初岡 昌一郎
───────────────────────────────────

============================================================
  1.「失われた20年」から学ぶべきこと
============================================================

 1980年代後半以後の日本経済の停滞を指して「失われた20年」という言
葉がしばしば使われてきた。しかし、低成長、財政赤字の増大、少子高齢化はほ
とんどの先進工業国に共通する傾向であり、特殊日本的とはいえない。とはいう
ものの、先進国の相対的低落傾向の中でも、日本の落ち込み方は目立っている。

これまで日本の輸出産業を牽引してきた電機電子産業は今や韓国、台湾、中国な
どに追いあげられてピンチにあるし、自動車の優位も確実ではなくなっている。
高度技術革新や情報技術ではアメリカに追いつけず、機械・機器の信頼性やブラ
ンド力ではドイツに譲り、金融新商品開発ではアメリカやイギリスに振り回され、
国際競争力に劣る。

 昨年、中国に追い越されてGDP世界第3位に下がったことが、日本の国際的
地位低下として話題となった。しかし、中国の人口規模は日本の10倍以上あり、
しかも200年前までは中国が世界でダントツの経済大国であり続けていた歴史
から見れば、中国の近年の経済的大躍進は特段驚くべきことでもない。もっと関
心を払うべき数字は他にある。

 1人当たりの国民所得から見ると、1989年に世界第4位であったものが、
2009年には24位に低下している。それよりも憂慮すべきことは、2010
年度OECD統計によれば、日本の労働生産性は24番目で先進工業7か国間の
最低となっている。この間、歴代政府は特殊権益擁護層に押され、取り巻き学者
やエコノミストが助言する「景気回復」「国際競争力向上」「内需拡大」のため
に、膨大な公的資金と補助金を注ぎ込んできた。

これらのほとんどは所期の効果を上げることなく、国民経済的にみると壮大な
無駄となった。そればかりか、一部のエリート・特権層と金融機関だけを利する
ような財政支出や減免税などの優遇措置もあいまって、巨額な公的債務を累積さ
せた。この悪政は財政危機を生み出しただけではなく、格差の拡大と貧困層の増
加をもたらした。

歴史的に見て今日ほど日本が豊かになった時代はないのにもかかわらず、貧困
率は1980年代の7%から、2009年の18%へと2.5倍に跳ねあがった。
蓄積されてきたはずの国民の富は何処へ消え、退蔵されたのであろうか。

 日本がバブル崩壊以後直面してきた経済的低成長は、これまでのような不況と
いう景気循環の局面としては最早説明がつかない構造的なものである。この20
年間、世界経済は近年数度の金融財政危機を経験しながらも、全体的には成長を
続けてきた。しかし、その成長は中国、インド、ブラジル、トルコなど、大規模
中進国の躍進によるところが大きい。

また、資源の豊富で労働力の低廉な多くの開発途上国においても高い成長が達
成された。資源大国オーストラリアを除き、在来先進工業諸国である欧米や日本
はこの間、押し並べて低成長にとどまっている。このトレンドが今後も少なくと
もしばらくは続くとみられる。最近では、最貧地域であったアフリカが成長軌道
に乗りつつある。

事実、アフリカ地域のここ数年の成長率はアジアを上回っている。開発援助の
減少が、逆にこの大陸の開発を促進した。欧米旧宗主国などからの援助を通じた
介入による攪乱要因が減り、中国、インド、トルコなどの比較的小規模で生産的
な投資が増えたことが発展に役立っている。

 グローバリゼーションは、期せずして国際地域間の経済格差を縮小させる方向
に作用している。これ自体は不可逆的かつ好ましい潮流である。しかしながら他
方において、国家の所得再分配機能が未発達ないし弱体化したために、個人間・
階層間の経済格差は、ほとんどすべての国と地域で拡大の一途をたどっている。

所得格差は危険水域をはるかに超えて、止まるところを知らない勢いである。
これこそが、先進国を含め、あらゆる地域で政治的・社会的不安定を生む最大の
原因となっている。この格差を効果的に抑制できなければ、調和のある成熟した
社会が望めないばかりか、グローバルに不安定化と紛争と暴力に脅かされる社会
が出現する。

 グローバルな経済成長をますます制約するファクターの顕在化は今日すでに明
々白々である。その第1が環境上、第2に資源上、第3は人口上の制約だ。現在
世界の人口は約70億人となり、増加のスピードが減速しつつあるとはいえ、ま
だ毎年7-8千万人の増勢が続いている。ところが、日本人が今消費している資
源と環境のレベルから測ると、20億人程度の人口しか地球の潜在能力は持続的
に支えきれないと推定される。
地球資源の公正な利用の見地に立つと、低成長と消費の抑制こそが好ましく、
少子化は歓迎されることなのだ。有限の資源と環境を無視して経済成長や消費の
拡大を追求することは、将来世代の可能性を奪う犯罪行為に他ならない。こうし
た意識は世界的に徐々に芽生えてはいるが、現在の世代が遅滞なく根本的な方向
転換に踏み切らなければ、状況改善は次第に手遅れとなってしまう。

 日本はこうした世界的な基本的な流れに意図せずしてすでに棹さしている。少
子化、低成長、若い世代の意識の変化はその証明である。日本の歴史を振り返っ
てみれば、明治以後の富国強兵、高度経済成長、海外進出を旗印とした時代は短
いものにすぎず、常軌を逸した時代であった。それを常態と思い込むのは、むし
ろ錯覚にすぎない。

経済成長と工業化のために「離陸」が論じられたように、ポスト工業化の日本
社会に向けての「着陸」の形と道筋に、いまやわれわれは関心と知恵を絞らなけ
ればならない。そのためには、成長幻想と大国の虚栄が邪魔となる。幻想と虚栄
は、「着陸」ではなく、「墜落」につながる。

 江戸時代は低成長の典型的な時代であったが、250年の平和と鎖国による軽
武装のお蔭で、社会は徐々に成熟に向かい、正規の教育を受けていなくともほと
んどの庶民が読み書きと計数の能力を身に着けるようになっていた。この時代に
日本のように長期の平和を享受した国はなく、この平和は庶民が世界最高の知的
水準に達するのを可能にした。

この時代に形成された知的能力はその後も継承され続けた。しかし近年、この
知的能力の劣化が指摘され始めた。一例をあげれば、最近のOECD調査で、
20世紀中はコンスタントに最上位にあった日本の小学生の学力ランキングが下
がっており、この10年はベストテンに入ったことがない。

ちなみに、最上位にあるのが、非競争型非差別化型システムでできる子もで
きない子も一緒に教育するフィンランドと、その対極にあり、日本型競争主義を
徹底的に追及した韓国なのが興味を惹く。詰めこみ教育は追い上げ途上国には有
効であったとしても、新時代の成熟型社会のニーズやグローバル時代の要請に合
致しなくなる。

 ポスト工業社会は、一部に云われるようなサービス業中心の社会というよりも、
農林水産業、工業(大企業中心でない)、サービス業、知識産業などがバランス
のとれた社会を指すものとして構想されるべきである。日本人の優れた適応力と
DNAは、つつましく、知的かつ美的な社会を地球環境・資源上で持続的に創造、
発展させる能力を持っていると信ずる。競争よりも連帯と協調、成果主義よりも
公平・公正を重視し、床と天井のある、風通しの良い社会こそが、ポスト工業化
社会にふさわしい。そのような社会を展望し、国民のエネルギーと資源の集中を
目指す小日本主義は、決して悲観論ではなく、人間が時代を見抜く理性的判断力
を信ずる楽観主義に立っている

 小日本主義はナショナリズムを真正面から否定するものではなく、ナショナリ
ズムよりも上位の価値があることを強調する。小日本主義は国際関係における平
和主義と善隣主義に立脚する。日本と近隣諸国との正常な友好関係を妨げている
“島”問題も、より大きな協力の枠組みを作る対話の中で合意を追求すべきで、
相手を挑発するような「国益」論では袋小路に自らを追い込むばかりだ。東アジ
ア共同体の形成を促進する観点から、共通の東アジア史を持つことが必要かつ可
能であり、それにより「歴史問題」を克服できる。

============================================================
  2.小日本主義の思想的系譜から
============================================================

 内村鑑三と石橋湛山: 近代的な小日本主義的思想のルーツを辿ると、内村鑑
三に至ると私は思う。かれは小日本主義という言葉は用いていないものの、物質
的な強欲に駆られた対外進出とそのための侵略戦争に反対した。日露戦争以後の
内村鑑三とその門下生、南原繁、矢内原忠雄、森本慶三などは、軍事的対外膨張
と植民地支配を批判し、平和による国際協調を説いた。

小日本主義という言葉を用い、軍国主義的対外膨張に警鐘を乱打したのは、石
橋湛山であった。彼は重武装により海外での植民地獲得に走る日本の前途に危機
感を抱いていた。戦前の軍国的大国主義が最盛期にあり、富国強兵による海外進
出が展開されている時代に、このような勇気と先見性を持った政治家がいたこと
を再評価しなければならない。

彼は社会主義者ではなく、熱心な仏教徒であった。時代を透徹して見る大局観
は、形而上の宗教や哲学に根ざしており、人間観、歴史観、世界観という大思想
に基づくものであった。今日のように混迷して将来が見えない時代にこそ大思想
が求めらる。
  スモール・イズ・ビューティフル: 規模のメリットという大規模信仰を批判
した『スモール・イズ・ビューティフル』(シュマッハー)が世界的に話題とな
ったのは、経済高度成長最盛期の1970年代中頃であった。経済と技術が巨大
化することの弊害を正面から批判し、この有名なテーゼを提起した。巨大化とそ
れに伴う技術とシステムの複雑化がブラックホールを生み出し、多くの人はその
制御に自信と関心を失い、一部少数の専門家の判断に依存を深める事になる。

 そして、それら専門家の“専制”こそが、一般人の常識では決して犯すこのな
いような巨大な失敗と錯誤を生み出すと警告した。これは図らずも、昨年の福島
原発事故により悲劇的に立証されている。シュマッハーは、人間中心の経済学と
普通の人間が制御できる適正技術の採用を提言している。この考えは、世界と日
本の環境・開発NGOや、市民運動活動家に大きな思想的インパクトを与えた。

 『農的小日本主義の勧め』: 1985年に初出版されたこの論集は、篠原孝
(現民主党衆議院議員)が若き農林官僚であった当時に執筆したものである。彼
は、工業中心貿易国家としての日本は、資源にも市場にも遠くて有利な立地にな
く、歴史の仇花的な寄生国家に終わる危険を早くも指摘していた。四季の変化と
豊富な水に恵まれた日本は、循環型で持続的な農業に適地であるして、環境調和
型の自立国家を提唱した。

そして、経済活動を競争原理から共存の論理に切り替えること、リサイクル型
の持続的社会を創出することを提起していた。当時の経済大国主義的工業優先が
大手を振ってまかり通っていた風潮の中では、このような主張は異端視された。
しかし、農林業資源大国として日本将来の可能性を見直すべき今日、彼の所論を
再評価する必要がある。

 「大国主義の虚栄を捨てよ」: 戦後初期の日本に新風を吹き込んだ『思想の
科学』同人として積極的な発言を続けていた武田清子(国際基督教大学名誉教授)
が、講和によって占領期を脱して間もない1957年、表記の論説を信濃毎日新
聞に寄せていた。天皇制に焦点をあてた日本思想史を研究していた彼女は、朝鮮
戦争以後再軍備の道を歩み始めた日本の前途に早くも危惧の念を表明していた。
高度経済成長によって日本が経済大国として世界に登場するのは、1970年代
のことであった。

 1975年の世界サミットに初めて参加したことで、自他共に認める大国クラ
ブ・メンバーの地位を獲得した。軍事支出の面でも世界3、4位にランクされる
ようになり、国際援助額でも1980-90年代では世界第一位を誇るようにな
っていた。またそのころから、国連安全保障理事会常任国となる野心を外交面で
顕在化した。日本がナンバーワンになったと過信する論調も、言論界やエリート
の中で盛んに行われた。しかし、バブル崩壊後のこの20年、「大国の虚栄」は
事実上挫折している。特に、東日本大震災と原発事故が、経済成長優先主義、大
規模技術の過信、地域社会無視という、これまでの諸傾向を脚下照顧する機会を
与えた。

============================================================
  3.対外政策と国際活動の抜本的な転換を
============================================================

 “国益外交”の再検討: 民主国家における外交は国内政治や世論をかなりの
程度反映し、それに左右される。しかし日本では、「軍事と外交は天皇の大権」
に属し議会の監督をあまり受けなかった戦前の伝統が、未だに色濃く残っている。

この両分野における情報開示は遅々として進んでおらず、軍事と外交の基本問
題を国民の主要な関心事とするのを妨げている。「国益」という言葉が外交政策
の論議に乱発されているが、これほど曖昧な言葉はない。多くの場合には、領土、
特に隣国と係争中の諸島に関して強硬な主張を展開するために使われている。

 グローバル化が進展している現在、国が単一の利益共同体として行動できる範
囲と可能性は限定されている。また、国民が一致しうる国益が仮にあったとして
も、それが外交上で優先的に追求されるべきものかどうかは慎重な判断がいる。
曖昧でアプリオリな「国益」主義は、偏狭なナショナリズムを助長する。

日本の外交は、平和、互恵、平等の原則に明確に立脚して、まずアジア諸国と
の友好を深め、信頼関係を醸成しなければならない。そのためには国益論や日米
関係の枠から覗いて他国との関係を測定する事を止め、自主的協調的な政策を展
開すべきである。

 軍事費の削減: アメリカやヨーロッパ諸国で、現下の財政赤字と巨額債務を
削減する政策の一環として、軍備と軍隊の縮小が徐々に日程に上るようになって
きた。国際的な大規模全面戦争の危険がなくなった現在、まず軍事費削減の対象
となるのが、高額な新鋭兵器、特に核兵器と新型航空機、そして軍隊の規模であ
る。特に、軍事産業は兵器の価格をコスト・プラス・利益方式で政府と契約して
おり、初期の見積もりと契約上の価格は、実際の支払い時には大幅に膨張するの
が常態化している。また、多くの青年を無為に軍隊に留め置くことは財政上の負
担であるだけでなく、社会的経済的な損失である。民主党政権は公共部門の無駄
を省く事を公約としたが、軍事には手を付けることなく、ほとんど聖域として残
している。

今次の災害で自衛隊の活躍が評価されたが、本来は、災害救助をも主任務の1
つとして消防職員(地方公務員)をより効果的に活用すべきものである。そのた
めに、専門的な訓練や全国的な連携のある動員体制を構築することがより効果的
かつ実際的であり、コスト面からもはるかに効率的である。

 開発援助の全廃: 人道援助や草の根援助は継続、拡充すべきであるが、外交
政策の便宜的かつ補助的な手段として利用され、政治腐敗の温床となってきた2
国間開発援助は全廃すべきである。日本の援助は、要請主義という疑わしい“方
式”を採っている。商社や付属的なコンサルタント業などを介在させた日本側が
自分に都合のよい案を作り、それを要請とするように相手国政府や政治家に働き
かけ、お膳立てすることが広く行なわれてきた。

この慣行が、受入国と日本における腐敗を助長し、安易な借款供与が開発の阻
害要因である債務過重化を招いている。このような援助ははじめから返済が想定
されていないので、受入国において巨額な債務が次第に累積され、債務不履行と
なる国が続出している。援助国では公的な資金で損失が最終的にはカバーされる。
このような仕組みがモラルハザードを蔓延させている。借款ではなく渡し切りの
贈与を主体とし、NGOなど草の根を通じた人道支援に集中する、北欧諸国の経
験と教訓に学ぶべきである。

 東アジア市民社会の形成: 国際関係はもはや国家間関係中心ではない。安全
保障、経済及び社会の3つの側面を国際関係は持っているが、それらは外交官や
一部の国際協力エリートに任せて済む問題ではない。環境、労働、教育、貧困、
人権などのすべての課題はますます国際化しており、問題解決には国家と国際機
関だけではなく、職業的専門的なNPO・NGOなど、非政府の市民的諸団体や
ボランティア、すなわち市民社会の参加がますます重要となっている。

この面で東アジアの国際関係は、急速に発展した経済関係に比較して大きく立
ち遅れており、いまだに未成熟である。東アジアにおける市民社会の形成と発展
が、この地域における協力関係のカギとなる。国家や領土の安全保障と異なり、
人間安全保障は強力な市民社会の広範な参加なくしては達成できない。

 ささやかな経験だが、私たち有志は中国、台湾、韓国の友人たちと共に、共通
の社会・労働問題について議論と経験交流を行う「ソシアル・アジア・フォーラ
ム」を毎年開催してきた。この対話はすでに20年以上にわたって続いており、
参加者の多くは継続的にコッミトしている人々であるが、毎回必ず若い世代の仲
間が新しく加わっている。

参加者は国や団体を代表するものではなく、個人の資格で参加し、自由に発言
することを通じ、問題と問題意識がこの地域で非常に共通していることを確認し
てきた。こうした非公式で自由な対話を継続が、貴重なインフォーマルな協力と
情報交換のネットワークを域内で形成するのに寄与してきた。

こういう市民社会レベルでの協力の水脈が他の分野でもこのところ多く生まれ
ており、これらが合流して東アジア市民社会の形成を促す奔流となることを期待
している。アジア地域的規模による市民社会の形成が地域的協力と安全保障、ひ
いては将来の経済的政治的共同体の重要な礎石となる。

(あとがき)
  社会環境学会『社会環境論究』第4号(2012年1月)所載の拙論「グロー
バル・ガバナンスの基礎としての法による統治と市民社会」の一部をもとにして、
若干補筆しました。小論の第2章と第3章は、学会紀要論文第5章の前半部分を
わずかな手直しの上、転載したものです。第1章及び第3章「アジア市民社会」
の項は小論のために加筆しました。

(筆者は姫路獨協大学名誉教授・ソシアル・アジア研究会代表)
          
目次へ