■ 海外論潮短評(49)  「崩壊国家」再考  初岡 昌一郎   

  ― 9/11テロ後に注目されたが、本当に理解されたのか ―
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 アメリカの国際外交問題専門誌『フォーリン・ポリシー』7/8月号が、崩壊
国家(Failed States)を取り上げている。同誌編集者のブレーク・ホーンシェ
ルが、同誌お得意の一問一答方式で解説的な論説を展開しているので、要約して
紹介する。


◆“崩壊国家はアメリカの安全にとって脅威か” ― 一部の国家だけが


  「アメリカは国家を征服したことではなく、国家を崩壊させたことによって脅
かされている」とブッシュ大統領が2002年に述べたことが、9.11テロ攻撃以
後のアメリカ外交政策にとって自明の理とされてきた。オバマ大統領もこの主張
を繰り返し、国家崩壊阻止に向けて政策を再設定した。

 実際には、一部の崩壊国家がアメリカにとって真に危険となっているものの、
その他のものはそうでもない。現代における国家崩壊の最も悲惨な例であるコン
ゴ共和国では、1990年代央以後の内戦で500万人以上の人が死んでいる。
携帯電話用コンゴ産稀少金属の価格が変動的になったものの、それ以外の危険は
なかった。
 
  グローバルなテロリズムの原因として崩壊国家の危険が誇張されている。テロ
リズムが問題となっているのは、ムスレム住民の多い崩壊国家においてだけであ
る。これは崩壊国家度上位20の中、13カ国に該当する。だが、それらでも国
家崩壊とグローバルな脅威との相関関係は考えられているよりも弱い。

 ムスレム過激派がソマリア国家を崩壊させ、チャドなどを弱体化させたことは
明白だが、その脅威はほとんど自国の社会にたいするものであった。より大きな
危険をわれわれに与えているパキスタンやイェーメンは崩壊国家ではなく、むし
ろ国家機関とそのイデオロギーがテロリストを助けている。

 9.11テロはアフガニスタンから指示が出されたが、ヨーロッパと安定的なアラ
ブ諸国で資金集めと連絡調整が行なわれ、サウジアラビア国民によって実行され
た。国際犯罪の世界でも同じパターンが見られる。麻薬犯罪においては、コカイ
ン栽培者はラテンアメリカ、密輸人は西アフリカ、利用者はヨーロッパという三
角関係市場がある。アフガニスタンの荒野がタリバンに作戦の場を提供したが、
アメリカが多額な軍事支援してきた同盟国、パキスタンの無法都市が彼らに本拠
を提供している。


◆“崩壊国家は統治されないスペースである”  ― 必ずしもそうではない


 万人が万人に対して闘う、永続的な戦争の地であるソマリアは崩壊国家の典型
で、毎年連続的にリストのナンバーワンに上げられている。無政府状態でソマリ
アに匹敵するところはない。何十年にわたって無法な暴力を振るってきた軍隊と
準軍隊的私兵団を国家が養成しているスーダンがこれに次ぐ。

 ソマリアの暴力が崩壊国家の兆候であるとすれば、スーダンの暴力は国家政策
の結果である。ほとんどゼノサイド(人種絶滅を目的とする戦争)といってもよ
いスーダンと同じ考察が、1990年代のブルンジにも当てはまる。フツ族政権
はツチ族を大量虐殺し、その後ツチ族がフツ族に対して同じことを行なった。崩
壊国家では、大量虐殺が政治の公認された形態となっている。

 ソマリアのような国では国家政策を作成、実行することが不可能であるが、ス
ーダンのような国では国家が少数派部族に対する暴力を組織し、国家政策自体が
危険を醸成してきた。インドへの対抗策としてパキスタン軍部と情報機関がムス
レム過激派を育成してきたことは、この国をテロリスト暴力のパイロット役に転
化させた。

 アフガニスタン国境沿いのプシュトン人居住地帯を彼らの自治に任せるほうが
好都合だという選択は、パキスタンの軍事指導者が行なった政治的な判断であっ
た。結論として、崩壊国家よりも、無謀な国家のほうが世界の平和にとってはる
かに危険である。


◆“崩壊国家は西側の失敗によるもの” ― 一定の責任はあり


  多くの植民地権力が、独立前に新国家形成のために準備をほとんどせずに投げ
出したことは明白である。ベルギー国王所有民間企業に支配されたコンゴを例に
とれば、この会社が地下資源の搾取のために住民を事実上奴隷化していたので、
1960年の独立時、大学卒業者は皆無であった。植民地化されなかったアフガ
ニスタンなどの諸国は、冷戦時に散々な目にあった。

 しかし、2003年以前のイラク、コートジボアール、ケニア、ジンバブウェ
など、西欧植民地権力から脱した最初の数十年間、相対的な繁栄を享受した諸国
の現状に対して、西欧の責任を問うことができるのだろうか。そして、ナポレオ
ン時代にフランス植民地主義を追い出したハイチが、200年以上たった今日、
国家の体をなしていないことに責任を問えるか。

 崩壊国家リストの上位20のうち、西欧旧宗主国にある程度責任があるとみな
しうるものは半数以下である。12位にランクされるパキスタンは、崩壊度で7
6位にあるインドと同じ歴史を共有している。フランスの同じ統治下にあったコ
ートジボアールが10位で、セネガルが85位なのは何故か。同じ植民地的出自
を持ちながら、非常に異なる結果が生まれている。


◆“幾つかの国家は当初より崩壊の運命にあった” ― 不幸にして事実


  一部の崩壊国家では、その野蛮かつ腐敗した政治エリート以外にその責めを負
うべきものはいない。「崩壊」という言葉は、その前は実態があったことを含意
しているのだが、もとから国家の実態の存在しなかったところも多い。崩壊国家
度上位20ヶ国のうち、14がアフリカ諸国である。ナイジェリア、ギニア、コ
ンゴなどは部族や人種の寄せ集めで、共通の一体感がほとんどなく、近代的な統
治の経験は全くなかった。ヨーロッパの宗主国は無責任に国境を定めた点で、限
定的な責任を問われる。

 こうした未熟国家に世界はどのように対処すればよいのか。例えば、ギニアか
ら麻薬が持ち出されるのを極力阻止する事や、スーダン、チャド、中央アフリカ
等での内戦・暴力行為を停止させる国連軍派遣が回答の一部分であろう。より広
い意味では、アフリカの統一を促進するように支援することである。これらの国
が世界の平和にたいする脅威でなくとも、その苦難を克服するよう支援するのは
道義的な義務である。


◆“アメリカは対崩壊国家政策を必要とする” ― 見当違い


  オバマ政権の対外政策に対する批判の一つは、大統領が国家崩壊からくる危険
を再三指摘しながら、それを阻止ないし救済するのに無策であるという。政権は
この批判を気にしているが、アフガニスタンにまともな統治を確立するために大
規模な努力を推進してきたものは、またハイチの復興を大々的におこなってきた
関係者も、無力感に覆われている。問題は、崩壊国家を無差別に理解しているこ
とにある。アフガニスタンとハイチの両方をカバーできる政策などありえない。
保守派は崩壊国家など気にかけておらず、中国、イラン、ロシアなど、国際的パ
ワー・ポリティックのプレヤーにしか関心がない。必要なのは、個別的な分析と
評価、そして長期的な視野に立つ人道的な援助政策である。


◆“軍事介入は決してうまく行かない” ― ところによりけり


  毎年ランキングが発表される「崩壊国家度」上位の顔ぶれが固定化される傾向
にあるのは、これらの国の病弊が多重的であり、国内的国際的救済努力に慣性的
抵抗力が強い事を示している。アフガニスタンやハイチの例には希望を持ち得な
い。だが、幾つかの改善の光も射している。リベリアとシエラレオネは、破局の
淵から引き戻された。それは、平和維持軍の介入のおかげであった。しかし、軍
事介入の必要自体が失敗の兆候である。崩壊国家に対する将来の政策は、結果に
対する対策にではなく、崩壊防止におかれるべきである。


◆“崩壊国家は救済不能である” ― 一部は救済可能


  ケニアにおける部族間対立の和解に、パキスタンにおける民政強化に、イェー
メンで枯渇する石油資源に代わる経済基盤創出のために、外部の国がなしうる事
があるのだろうか。これらは非常に異なる性質の難問であるが、共通する答はあ
る。それは、彼らに自らの問題に取り組む意思があるかどうかにかかっている点
だ。ジンバブウェは自分自身の権力維持のためにはいかなる手段も辞さないロバ
ート・ムガベが政権にある限り、外部からなしうることはほとんどない。

 他方、サリーフ大統領が国連の協力を要請しているリベリアの場合には事情が
異なる。国連職員が政府行政部門に常駐して専門知識を与え、職権乱用を戒める
ために活動する事になった。同じことは、少数の権力者が石油資源の利益を独占
しているスーダンから独立した、南スーダンの場合に言ええる。この新独立国で
は政治的正当性を持つ政府が生まれたものの、無力で裸のままに放置されている。
スーダンが国境問題を口実に暴力を挑発すれば、その政府はひとたまりもない。
国際社会の援助と保護が必要とされている好例だ。

 崩壊国家をグローバル市場に組み入れ、そのエネルギーを利用するべきだとい
うテクノクラート的な意見がある。しかし、ビルマの将軍たちはその利益を自分
たちとその取り巻きだけで吸収するだけだ。悪政から人々が逃れる術はない。ビ
ルマやスーダンなどの支配者は外部の援助を自分のために利用するだけだ。この
ような独裁者こそが、西欧とアメリカにとって大きな脅威となっている。新しい
崩壊国家対策が必要ならば、援助に値する国と、援助を最小限に減らすべき国を
区別しなければならない。


◆コメント


  『フォーリン・ポリシー』誌は、毎年「崩壊国家インデックス」を発表してい
る。フェイルド・ステイツという英語は、失敗国家と訳されているが、‘崩壊国
家’のほうがより実態を示している。同誌は、崩壊度順に60カ国をリストアッ
プしている。アフリカの32ヶ国が地域的には最多で、アジアではアフガニスタ
ンを筆頭に、パキスタン、ビルマ、ネパール、北朝鮮、スリランカ、パプアニュ
ーギニアなど、12ヶ国が上げられている。このリストは今春のアラブ革命前に
作成されたものだろうが、60の崩壊国家に、イェーメン、エジプト、シリア、
イラク、イランは入っているが、チュニジアとリビアは入っていない。

 本論が、崩壊国家よりも無謀国家のほうが世界の安全にとって脅威だと指摘し
ているのは正鵠を射ている。また、崩壊国家も一括して論ずるのではなく、援助
に値する国と、全く無駄になる国を区別すべきだというのも妥当である。

 英誌『エコノミスト』(5月28日号)が、アフリカ随一の大国、ナイジェリ
アについて詳しい解説記事を掲載していた。石油大国で莫大な資金が流入してい
るこの国も典型的な崩壊国家であるだけでなく、最も腐敗した国の一つである。
同誌の記事によるその腐敗度のスケールの大きさには驚愕した。国民の70%以
上の所得が一日2ドル以下の国で、政府高官は膨大な石油収入を私物化している。

 行政を監督する立法府も似たようなもので、国会議員は合法的な年俸だけで邦
貨換算約1億5千万円。国会議長による111億円の不正流用も報じられてい
る。この国は、日本を含め、先進国から過去に最も多額な援助を受けてきた国の
一つである。それらの援助はその国が必要としていたというより、供与国と被供
与国双方の少数エリートが援助を必要としたのであろう。

 最近話題になった本に、ダンビザ・モヨ『援助じゃアフリカは発展しない』
(東洋経済新報社、2010年)がある。原題“DEAD AID”で、「死に至る援
助」のほうが、論旨に合致している。著者はアメリカの大学で教育を受けたザン
ビア人女性で、世界銀行に勤務していた。彼女は、「援助があったのにアフリカ
が発展しないのではなく、援助のためにアフリカが貧しくなった」との結論を下
している。

 つまり、多額の援助が受け手と出し手の双方に巨大な腐敗を生み出し、これが
自立を阻害し、援助に群がる依存心と法外な私的な蓄財を生み出した。時の現地
支配者と結託した国際企業が援助を調達し、無駄で無用なプロジェクトが関係者
自身の利益のために実施された。その結果、国民のためには利用されなかった巨
額な債務を返済する義務だけが、その国の国民と国家に残されている。この巨額
債務も国家崩壊の主要因のひとつである。

 民主党政権も国際援助には全く改革のメスを入れようとしていない。無駄な開
発援助の垂れ流しが続いている。仕分けも国際協力事業団(JAICA)の海外出張
をその子会社が独占して行なっており、しかも全ての出張がビジネスクラス正規
料金で請求されていることを、暴露したことだけにとどまった。これは氷山の一
角どころか、一粒の砂のようなものである。自らが巨大な浪費機関で、官僚的か
つ非効率な援助機構である、JAICA自体が不要である。日本は、戦略援助を優先
するアメリカよりも、人道・草の根援助に特化する北欧を参考とすべきであろう。

          (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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