随想

「銀の匙」          高沢 英子

   「銀の匙」を読む―片隅で考える教育と福祉あれこれ    
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 中勘助の「銀の匙」を久しぶりに読み返し、ささやかな清福の時を持った。東
京の下町や山手の暮らし、子供の遊びの世界、祭りや縁日の様子、おっとりした
学校生活、など明治の子供のの世界の一端を色鮮やかに描き出してみせる。
 かれらを取り巻く町の暮らしのこまごました風景は、昭和生まれの私でも共有
できる思い出がいくらもある。祭りの見世物小屋、玩具のくさぐさ、駄菓子屋の
お菓子、虫取りの思い出、吹きぬける季節の風、懐かしく共感できることが少な
くない。繊細な感性から生れる筆致のみずみずしさ、一つ一つのディテェ-ルの
鮮やかさと嘘偽りのない描写にみられる作者の記憶力は驚くばかりで、ただただ
驚嘆した。鮮やかに、且つこれ以上ないほど詳細に描き出される細部、子供心を
これほど大人の作為や慮りを交えずに純粋に赤裸々に描いたものはほかに類が
ないかもしれない。漱石が「子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描き
うる人は実際ほかに見たことがない」絶賛したというのも頷ける。

 作者はこれを明治44年の夏から秋にかけて野尻湖畔で書いたと伝えられる。
詳しいことは知らないが、おそらく孤独な蟄居生活の凝縮された時間の中で、研
ぎ澄まされた感覚が、こうした稀有の作品を生み出すもとになったのであろう。
犀利な観察と描写の細やかさ、繊細でしかも高邁な批判の眼、か弱いながらしな
やかな感性を持った子供だった作者の魂は、なにものにも汚されることなく、純
粋に自己を貫いてたじろがない。教室に瀰漫している卑俗で雑駁な精神に対する
嫌悪の念がやがて怒りに高まり、ただひとり断固として怖じない姿勢を見せると
ころは中でも印象的だ。
 
 そもそもこの作品世界の入り口は小さな一本の銀の匙である。いわば日本版
「失われしときを求めて」の一篇.ついに大作を書かなかったのが惜しまれる。
作品は前編と後編にわかれている。後編は比叡山で書かれたらしい。前編と後編
ではからずも、あるひとつの事象について、二通りの描写を見つけた。それはい
わゆる戦前に教育を受けたものなら誰でも知っている「修身」という学課に関す
るものである。前編では第37章、後編では10章に登場する。前編はおそらく
小学2年生くらい、後編は作者11歳か12歳(数え年)と作品の中に、記され
ているから、4年生くらいだろう。いずれも日清戦争の前後の話である。

 戦争といえば、同じ後編第2章で、日清戦争の話題で沸き立つクラス全員と対
立して、「結局日本は支那に負けるだろう」と言い放ち、先生に言いつけられ「・・
さんは大和魂がない」といわれたくだりは、何度読んでも含蓄に富んでいる。文
芸書はどうかすると数万言を費やした歴史批判や、哲学書、社会時評を凌ぐ力を
発揮することがある、と思うのはこういう文学に接した時である。
 
さて現代の日本の子供たちをとりまく状況はどうであろうか。この春、総理と
その周辺で提案された、療育に関する何の専門的見解も持ち合わせていないくせ
に、やたら横丁のご隠居的押し付けがましい子育て提言は、どうやら撤回された
らしい。私はあれを読んで非常に不愉快だったが、それは同時に自分の子供時代、
子育て時代、さらに現在の苦労と喜びの相半ばする孫育ての3つの経験に照らし
て、殊更募る不愉快さだった。こうしたお粗末極まりない、そもそも人間がどう
いうものかもわきまえず、社会性もなければ、知性のかけらも見られない政治の
趨勢というものに、これまでも私たちはどれほど傷つけられてきたことだろう。
私はここで再び「銀の匙」の幾章かを思い起こした。少し長くなるが、後編の1
0章の一部をここに書き写してみよう。
 
「私のなにより嫌いな学課は修身だった。高等科からは掛け図をやめて教科書
を使うことになっていたがどういう訳か表紙は汚いし、挿画はまずいし,紙質も
活字も粗悪な手に取るさえ気もとがわるいやくざな本で、載せてある話といえば
どれもこれも孝行息子が殿様から褒美を貰ったの、正直者が金持ちになったのと
いう筋の、しかも味もそっけもないものばかりであった。おまけに先生ときたら
ただもう最も下等な意味での功利的な説明を加えるよりほか能がなかったので
折角の修身はただ啻に私をすこしも善良にしなかったのみならずかえってまっ
たく反対の結果をさえひき起こした。このわずかに11か12の子供のたかの知
れた見聞、自分ひとりの経験に照してみてもそんなことはとてもそのまま納得が
できない。私は修身書は人を瞞着するものだ、と思った。」

 相変わらず安倍政権はひたすら盲進を繰り返し、一体どこに行くのか、政治に
は至って頭の働かない私なども、近頃はこの国の行方についてそぞろおそろしく
なるばかりである。
 老人ホームはいま建設ラッシュで毎日にように上質の紙で、まるで天国へのお
誘いのような文言と、うっとりした笑顔で、こぼれんばかりの笑みをたたえた介
護者に囲まれ、車椅子でお散歩中の高齢者の写真入りや、背後にお菓子の家のよ
うな建物や花と緑の庭園風景が刷り込まれた折込みチラシが入っている。虫眼鏡
で見なければ読めない字で書かれた諸費用その他の説明を熟読し、その価格に愕
然とする。地獄の沙汰も金次第どころかこの世のパラダイスも金次第、格差は広
がるばかり、いったいこの国はどうなっているのか、と思っていたら、コムスン
のような事件が明るみになった。
 
 しかしこんなケースはたまたま杜撰を絵に描いたような悪人がぼろを出した
と言う話に過ぎず、実際はもっと巧妙に合法的に、法にも理財にも明るい業者が、
甘い汁を吸い放題と言うケースのほうが多いのではないかと思う。それにしても
馬事公苑の広告はスクラップにして保存しておくべきだった。と悔やんでいる。
そもそも政府の介護保険制度自体がスタートしたときのばら色の計画とはうっ
てかわって、今や大ぼろを出し、至るところで破綻をきたしている。

 「事業所が立ち行かないといってばたばた潰れていっているよ」。とはヘルパ
ーさんからしょっちゅう聞かされる。介護事業所の主な仕事は老人や病人対象と
した居宅派遣介護の仕事だが、これまでも制度の規約そのものに、杓子定規な制
約が多かった。このところその締め付けがいっそう厳しくなっている。現状では、
利用者側でも制約が多いためキャンセルしなければならないことも間々あり、時
間給の場合、収入が安定しないから、正社員を雇用するのは危険を伴う。職員の
7割くらいが有資格者にもかかわらず。パートか派遣社員というのもやむをえな
いかもしれない。一方働く側ではパートや派遣では収入が安定しないから、生活
を支える仕事として続けることに不安が付きまとう。介護福祉士の資格を取る人
は仕事の性質上中高年の就労者が大半を占め、シングルマザーも多いため、こん
な状況では生活が成り立たないと、やめていくケースも多いのだ。。

 以前私がひとり暮らしをしていた時は、介護認定1で、要支援者と認められ、
介護ヘルパーに来てもらっていた。脳梗塞の後遺症で手足に麻痺があり、緑内障
のため視野は健康な眼の三分の一程度である。しかし二年前、娘(障害者)夫婦
と同居を始めたとたん、うちきりになった。理由は娘の夫が健常者だからという
のだが、それについては以前書いたことがある。健常者であり一家の経済の担い
手でもある彼は、当然毎日朝早くから夜遅くまで外で働いている。日本はただで
さえサラリーマンの就労時間が長く、まとまった休暇が取れないことで、世界で
も有名な国である。いっぽう娘は、自力で歩くことも、しゃがむことも出来ず、
階段の上り下りも出来ず、首の骨がずれているために、四,六時中頭痛に悩まさ
れ、指先まで変形の重症の関節リュウマチだが、40歳を過ぎていると言う理由
で障害支援を打ち切られ、介護保険制度による支援に切り替えられた。そして健
常者の夫(サラリーマン)が居るという理由で介護も本来なら無理だが、特別の
例外を認める、と言うことで週二回1時間半だけ来てもらっていることも以前述
べた。

 関節リュウマチというのも厄介な病気で、いったん取り付いたら最後、多少の
寛解期はあっても、ほぼ常時じわじわと炎症に伴う疼痛に悩まされ、完治の望み
は今のところ無いので、強力な免疫抑制剤で辛うじて痛みと炎症を耐えられる程
度に抑えて暮らしている現状である。したがってウイルス感染に弱く、常に肺炎
その他の罹病の危険にさらされている。なぜ危険な免疫抑制剤を大量につかうの
かというと、病気そのものが、体の機能がどうかしたはずみで自己防衛過剰のシ
ステムに組み替えられてしまい、常に自己破壊の行動に出るためという。なった
以上、留める手立ては、以前は殆どなかった。病気はどんどん進行し現在障害2
級である。そんな状態で、3年前子供を出産した。
 当時は京都に住んでいたが、障害2級ながら、介護認定2の枠内での行政の支
援はお粗末そのもので、殆ど最低限のまともな援助も望めず、母親になった娘本
人はもとより、その夫も娘の母親の私も、新生児を育てるという嬉しい仕事のた
めに、まさに倒れる寸前の状態で日々すごしていた。福祉優先だの、・・・・に
やさしい行政だの、という言葉がいつも頭の上を通り過ぎていた。

 目をヘルパーさんのほうに移してみよう。今、介護の現場では何が起こってい
るのか、そういう広い視野での話は私などには分からないが、少なくとも現場で
ヘルパーさんたちに実際接していると、かれらが「わたし達は有償ボランティア、
善意を利用されている」というのも頷ける。
 福祉の仕事にやりがいを感じてスタートした若者たちが、まともに家族も養え
ない現状に悩んでいるというのはしばしば聞かれる。特に昨年から介護報酬切り
下げ、介護時間制限などで、事態は一段と厳しくなっている。さらに、居宅サー
ビスをうたいながら、移動費用も、時には移動時間も配慮されないシステムにみ
んな泣いていると言う。移動手段も自転車しか許されないから、雨の日などは大
変らしい。
 
想像力の欠けた政治家たちが、選挙戦の効果を腹の中で値踏みしながら練り上
げた極めて情緒的、且つ短絡的な擬似ユートピア企画に基づいて、役人や学識経
験者たちとかが、人間的配慮にも欠け、将来の見通しも甘いまま、どうやら実現
可能な形に捏ね上げたものの、出来たばかりでもう破綻に瀕している。抱負を持
ってスタートし、真面目に運営してきたはずの事業所が、ばたばた倒れていく。
一方では天下り官僚や、何をしているのかはっきりしない関連事業団体はますま
す花盛りで、これまでも、長年にわたってのうのうと甘い汁を吸っているケース
は、私の周辺にも少なくなかった。しかし、最近ますます目に余るのが、委託制
度というからくりである。もっともらしい横文字やいかめしい名称で、要するに
本来省庁がやるべき仕事を肩代わりする団体は最近目立って増えているように
思う。本庁は実際そんなに忙しいのだろうか。委託した結果生じてしまった摺り
あわせや監督に、走り回っているだけではないのか、と疑いたくなる。時間が余
れば、一人で済むところへ何人も名刺持参で立会いやら、監査とかでどやどや押
しかける。どこやらでさかんに行われている「ご公務」と同じで、結局何の必要
があるのかまるで曖昧模糊としている。 

 今朝の新聞で、年金問題の解決に、家計簿や振込み通帳も有効とあった。振込
みはまだしも、家計簿などを云々するにいたっては、お粗末というほかない。ど
うせなら家計簿記帳という主婦の仕事はいっそ年金局の委託事業の一端とみな
し、正確で真実な記帳を提示した場合、社会保険庁は手数料でも支払うことにし
たらどうだろう。この非常時に、国策に沿ったご褒美に、安倍総理から感謝状が
贈られるというのもいい。
 最終的には「人柄を信じ、・・・」ときた。この国はいつから性善説を採用し
たのか、と耳を疑った。中勘助ならずとも「ひょっとこめら!」と罵りたくなっ
たが、しかし短気はいけない。よく話の中身は調べる必要がある。今後の動きに
期待するしかない。

 病院の待合室で待っていると、杖にすがってひとりの婦人が這うようにしてや
っとのことで歩いて隣に坐った。パーキンソン病だという。5年以来の患いで介
護3の認定を受けている。段々悪くなっていくようです。と諦めの口調で淡々と
言う。長男夫婦と同居しているので、ヘルパーさんには来てもらえない、長男夫
婦は共稼ぎで朝早く出かけ、帰りも遅く、自分のことは自分でするようにしてい
るが、せめて、こうして昼間病院に来る日は、送り迎えだけでもヘルパーさんに
頼めたら、と思うが、自費だと一時間4000円と聞いているのでとても無理だ、
というのだった。一度区の福祉課に出向いて相談してみては、とすすめてみたが、
おそらくいい返事は得られないかもしれない。彼らは所詮、社会という庭の芝生
をいつも青々と美しく整えるために、常に気を配り、掃除人を使って、芝刈り機
で雑草をなぎ倒している管理人に過ぎないからである。たとえその掃除自体がお
粗末そのものであっても彼らの責任ではない。潰された蟲や刈り取られた雑草は
黙ってされるままになるしか「しょうがない」のである。
                         (筆者はエッセイスト) 
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