「鳥瞰的」朝日論。新聞が、皆、ダメになる日。
〜朝日誤報事件の対応と右派ジャーナリズムの跋扈〜

大原 雄


 朝日新聞の記者ばかりではないが、新聞各紙の記者とは、NHK記者の現役時代、取材現場で、長年抜いた抜かれたとライバルとして競争してきた。その朝日が長年の特ダネに胡座をかいて、真実を見失うという大失敗をしでかしてしまった。慚愧に耐えない。

 NHKを含めて、新聞、週刊誌など、朝日新聞の誤報事件をめぐるマスコミの喧しさは、まるで、マッカーシズム(所謂「赤狩り」)のような騒ぎではないか。

 マッカーシズム(英:McCarthyism)とは、1950年代にアメリカ合衆国で発生した反共産主義に基づく社会的、並びに政治的運動。アメリカ合衆国ウィスコンシン州の、ひとりの上院議員「ジョセフ・レイモンド・マッカーシー」による「反共告発」をきっかけとして、共産主義者とのレッテルを貼られた政府職員、マスメディアの関係者などが「魔女狩り」のように攻撃され、職場から追放された。

 朝日の誤報事件については、いろいろな議論はあるだろうが、細かな報道は、そちらに任せて、今回の誤報事件を大所高所から見ると、どう見えるか。私が青空を飛ぶ鳥の目になって、見てみたい。

 なにせ、「鳥目」なので夜目は効かない。「新たな戦前」のような、暗黒の日本など闇の社会を見る前に死にたいと思っている身には鳥目でも不自由はしないだろうと思いながら、翔び上がってみよう。

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★まず、朝日新聞のふたつの誤報事件とは、何か。
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 今年の8月5日、6日と、朝日新聞の紙面で、自社の誤報事件(「慰安婦強制連行」)を検証する特集記事が掲載された。誤報事件もさることながら、この一連の検証・訂正・陳謝がお粗末だったので、二次被害をもたらしたと思う。編集担当の責任者が、かなり無能だったのではないか、と推測する。その結果、朝日新聞は、8月下旬から9月にかけて大幅に部数が激減したと見られる。まあ、当然だろう。

 いまや、きちんと区別されていないような感があるが、誤報のポイントは、以下のようなことだと思う。

1)朝日が取り消したのは、「吉田証言」という「済州島の慰安婦強制連行」を目撃したという証言の虚偽の部分。しかし、これは、その後の研究・調査の結果も踏まえて蓄積されてきた慰安婦報道一般とは区別すべきだろう。

2)福島第一原発事故対応について入手した「吉田調書」のうちの、「所長の命令に違反して、第二原発まで撤退」という過剰な見出しや記事の部分。「命令」、「違反」、「撤退」という表現についての精査(取材と判断)が足りなかった、と思うが、それだけを見て「吉田調書」記事の意義を見失ってはいけない。原稿を書く社会部などの出稿部と見出しや記事のレイアウトなど紙面の編集をする編集センター(かつての整理部)との間で、表現を巡っての確執はなかったのだろうか。9月11日の木村社長会見の「記事全面取り消し」という判断は、二次被害、ダメージ・コントロールのミスだろう。

 新聞は、一面トップで見出しをとった記事は、大げさに言えば、社運をかけると、昔、新聞他社の記者仲間から聞いたことがある。大きな見出しで踏み込んだ以上、言い訳は効かない。だから、朝日新聞だって、担当者は辞表を懐に大見出しを決めたことだろう。その言い訳を朝日新聞は木村社長が記者会見をして、「後講釈」のように釈明している。社長とはいえ、元は一記者。新聞記者の気概はどこに行ったのだろうか。

 しかし、朝日は特ダネとしてすっぱ抜いた吉田調書全体と「過剰」な見出しとそれに関わる記事は区別すべきだろう。その後、政府が公表した吉田調書は、朝日が書かなければ、いまだに国民に知らされず権力者の金庫に眠っていたかもしれない。

 いま、朝日がやるべきこと。きちんとした訂正・取り消し・陳謝までは当然のことだが、社説から、記事、読者の声の欄まで、金太郎飴ではあるまいし、どこの紙面を見ても陳謝陳謝というのは、敗戦直後の「総懺悔」みたいで、甚だよろしくない。事件後さしかえられた新たな編集幹部は、頭を下げていれば「社難」は避られるとでも思っているのか。「オール、オア、ナッシング」という思考方法は、オールもナッシングもどちらもかなり危険である。「総懺悔(オール否定)」とは、古い古い。いつか来た道みたいではないか。努力は、日々のひとつひとつの積み重ね。地道なものだ。情報を積み重ねて記事を書いてきた記者たちは、どれほど悔しい思いをしていることだろうか。こういう記者たちを萎縮させてはならない。萎縮の連鎖は、防止しなければならない。

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★真実は細部にこそ宿る。神のように。
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 庶民はそれを知っていて、一攫千金ならぬ「特ダネ」などは胡散臭いと思いながら生きているものだ。特定秘密保護法がいよいよ施行される。朝日の誤報事件への権力の恫喝は、安倍政権にとって、この施行の良いデモンストレーションになったことだろう。

 いま、朝日新聞にとって何よりも大事なのは、後講釈のような言い訳ではなく、勿論、現場記者まで及ぶような社内的な処分などというものはすべきではなく、権力監視というマスコミの大義を忘れずに、紙面の記事刷新で汚名挽回をすべきということだろう。

 長年、朝日新聞で虚偽の記事を読まされて迷惑をした読者の信頼回復をどう図るのか。木村伊量社長は、同じ大学同じ学部学科、同じ指導教授担当(政治思想史)の、つまりは我がゼミのことだが、アカデミズムやジャーナリズムに進んだ人間が多い後輩の中でも、いわば、出世頭のひとりだった。ゼミのOB会で逢ったことがあり、名刺ぐらいは交換したが、顔を知っているという程度の知り合いだ。じっくり話をしたことはなかった。人となりも人生観も知らない。朝日社内の評判も知らないが、この人は危機管理(クライシス・マネジメント)が十全にできない人なのかもしれない。

 それでも、その知り合いの顔が、毎週のように週刊誌の広告に欠かせない状態というのは、何とも気色が悪い。第一に、苦渋の表情の写真ばかり載ることだ。第二に、右派ジャーナリズムの記事は見出しがどぎつ過ぎて買う気が起こらない。逆効果だろう。

 右派ジャーナリズムとは、新聞、雑誌、書籍出版、電波などのメディアを使って、大政翼賛的な「意見」報道を繰り返すマスメディア。個人が発信するインターネットのツイッター(短い言葉は、ヘイトスピーチ向きかもしれない)なども、衆を頼めば、マスメディア同様の効果を現すような時代になってきた。

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★朝日購読者は、他紙の草狩り場になるのか?
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 新聞他紙は、○○万部(各社の発表は、いい加減らしい)と言われる朝日の読者を草刈り場にしようと、読売も産経も毎日も、朝日の済州島の慰安婦強制連行目撃証言の約30年ぶりの取り消し記事を、部数拡大のチャンスとばかりに、販売が攻勢を仕掛けていて、自社の新聞への購読を勧誘するチラシを大量に配布しているという。報道機関といえども私企業だから、商売でこけた同業他社に対して、ライバル企業がネガティブ・キャンペーンを仕掛けるのは当り前だろう。

 敵失を受けて、販売陣が攻勢をかけるのも判るが、それだけでは寂しい。新聞社なんだから、新聞の大義という原点を忘れずに紙面の編集で勝負して欲しい。朝日は朝日で販売陣を奮い立たせるような汚名挽回の頑張りを編集陣が見せるべきだろう。それが期待できないなら、販売店もやってられないだろうな。

 朝日新聞が「不始末」をしでかして、よその新聞に読者が流れていると思いきや、どうもそうではないらしいという情報が流れてきた。読者は、朝日も朝日なら、読売も読売だ、産経も産経だ、毎日も毎日だ。各社とも誤報をしていなかったか、新聞を読んでも本当のことがわからないではないか、などと、一気に「新聞不信」、「新聞離れ」を強めているようだという。本当だろうか。

 若年層は、とっくに、新聞離れ、テレビ離れをしている。中高年層にも朝日新聞の誤報事件をきっかけに、新聞そのものが信用出来ず、という若年層同様の現象が顕在化したということなのだろうか。こうしたデータはまだ新聞各社から出てきてはいないが、いわば、サンプル調査で予兆が感じられる、という。いずれ、朝日を叩いている新聞も、読者減少という数字が一斉に発表されるかもしれない。その結果、どうなるのか。新聞社は皆、経営悪化、倒産し、新聞というメディアは、消滅する。

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★朝日よ。さらに過ちを犯すなかれ。
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 そうした中、「空気」を読み違えているらしい朝日新聞社からは、変な動きが伝わって来た。木村社長が、バッシングの「風圧」を逸らそうと、「誤報」事件の取材に関わった現場の記者を含めて厳正な処分をする動きが社内にあるということだ。木村社長、晩節を汚すな。朝日のために汚点を残すな。こんなことで萎縮していては、朝日も、毎日も、読売も、産経も、新聞社は皆ダメになる。

 民主主義社会にあって、新聞がやるべきことは、どこの社も、国民の視線に立った権力の監視だ。監視の結果を各社それぞれが報道すべきだろう。新聞の力が萎縮、脆弱化し、多極な情報を報道しなくなり、情報が一元化されたら、それは、ファッショ報道だ。「事実」を伝える報道では無くなる。その結果、国民は困ったことになる。真実を知る機会が減るということだ。知る権利が狭められてしまう。

 テレビは、とうに「一億総白痴」(差別的用語。古いな、当時の評論家・大宅壮一の造語)されている。でも、この用語が、いまだに、「使える(?)用語」だというところが怖い。今ならテレビを「リテラシー」しない大衆とでも言えば良いのか。表現は別としても、本質を見抜く大宅壮一の眼力の凄さ。国民の「知る権利」が狭められれば、為政者らの「知らせない権力」が強まることになる。権力の思う壺ではないか。

 言論の自由に関心のある弁護士や研究者に加えてジャーナリストたちも立ち上がり、朝日新聞社の「過剰防衛」である現場の記者処分の動きを警戒して、朝日新聞の責任者を牽制する動きが始まった(9月26日)。

 慰安婦問題に対する朝日新聞のその後の対応にも、私は新たな危惧感を抱く。それを裏付けるような動きとして、近現代史や人権問題に詳しい研究者や弁護士などが、朝日新聞と慰安婦報道を検証する第三者委員会に要望書を提出した(10月9日)。要望書では、慰安婦問題を巡る長年の研究の成果やこの問題が国際的な人権機関でも取り上げられていることなどを踏まえ、慰安婦問題全般に専門的な学識のある適切な研究者などを委員に加えるよう求めている。グループでは「慰安婦問題そのものが朝日新聞の捏造であるかのようなキャンペーンがメディアや権力者の間で繰り広げられている。専門家不在で慰安婦問題に対する十分な理解のないまま結論が出されるのではないかと、危惧を感じている」と訴えている。事後処理で迷走する朝日新聞のおかしさは、幹部らの「責任逃れ」に由来するような気がする。

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★「活気」づく右派ジャーナリズムと権力者。
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 そんなことをしている隙を縫って、右派ジャーナリズムが活気づき、跋扈している。「売国奴」「国賊」などの戦前の暗黒時代を思い出させる大見出しが踊っている紙面が、駅のホームの新聞売りのスタンドで溢れかえっている。普通の新聞、さようなら。ああいう新聞を買うサラリーマンが増えているのだろうか。マスコミ各社よ。朝日の足を引っ張っているようでいて、大義を忘れて自分たちの首を締めているのが判らないのか。

 そういう風潮を横目で見ながら、ニンマリとした権力者たちが、特定秘密保護法の先取りとばかりに、8月上旬には、連日のように悪乗りして朝日批判をしていた。マスコミを世間そのものと勘違いし、憲法で保障された言論の自由を蹂躙して、恬として恥じない。今の朝日なら何を言っても良いのだと、「国家の名誉が毀損された」「長年の国益が損失された」などと言いたい放題。言論機関への介入となるような発言を平気で連発している。権力者が秘匿する情報の一部だけすっぱ抜いても、「不備だ」として、特ダネにならない時代がくるかもしれない。権力が良しとする「完全な」情報しか出て来なくなる。そういう情報とは、「発表情報」、「官報」という、権力に都合の良い情報のことだ。

 慰安婦発言と言えば、私がかつて所属したNHKの籾井会長が、会長就任時の記者会見で不適切発言をして批判され、NHKOBが呼びかけ人・賛同人合わせて約1600人(9月13日現在)を集めて、NHK経営委員会に対して放送法に基づく籾井会長の罷免要求運動を繰り広げているが、朝日の誤報を受けて、慰安婦問題で我が意を得たりと籾井会長が得意がっているかもしれない、などと想像すると背筋が寒くなる。

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★朝日に続いて、右派によるNHK批判。
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 右派ジャーナリズムの書き手が、朝日の次は、NHKとばかりに、攻撃を始めた。9月下旬、書店で見かけた本では、著者は、籾井会長の就任会見の慰安婦発言を含めて、彼の言辞を全て肯定する、と主張している。その上で、会長罷免を求めるNHKOBの運動を取り上げて批判していた。賛同人の肩書を「分析」して見せる件(くだり)では、部長職経験者8人、局長職経験者10人と、ことさらに強調し、運動に関わっている連中には、いかに管理職経験者が少ないか、と言いたいらしい。NHK内部にいた「反日左翼」が名を連ねているだけだ、という論調で批判しているので、笑ってしまった。

 というのは、賛同人の多くは、記者、ディレクター、アナウンサーなどの「職種」で登録をしていて、「職位」を明示するのに抵抗があったのだ。同じ職場で働いた仲間の声。職種は、まんべんなく。年齢も幅が広い。職種プラス職位を書いた人は、こういう職位の人も参加していることを示そうという世話人の途中からの意向変更で、追加的に明示したのであって、絶対的に少ないのだ。初期に呼びかけ人に加わった人たちは、職位明示を避けた。そういう事情も取材をせずに、運動の事務局が開設しているホームページ(8月20日現在を見たと本にはあった)を見ただけで、どうもこの著者はいろいろ「分析」したと称して本に書いているようだ。記者の基本である裏付け取材をしていないように見受けられる。

 さらに、憂うべき現象が起きている。従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者ふたりが勤めている大学に対して、卑劣にも正体不明の人物から異物入りの脅迫文が届いたことだ。警察が威力業務妨害容疑で調べている(ひとりは、既に辞職した)。インターネット上のヘイトスピーチでは、元記者の実名を挙げたり、右派ジャーナリズムが、好んで使う用語で憎悪を煽ったりして、個人攻撃が続いている。学問や言論表現の自由を暴力で封じ込めようというテロ行為とも言える卑劣なやり方で、国民の基本的人権を侵害する重大な問題だ。これについては、今回の元朝日新聞の誤報事件を批判してきたほかの新聞社も足並みを揃えるようにして社説などでこの問題を取り上げて、「言論には言論で対峙すべきだ」「言論封じのテロを許すな」などと批判している。

 マスコミ論調に対する政治家などの悪乗りは、改めて、右派ジャーナリズムの再活性化を促進する。右派ジャーナリズムは、こういう権力者に秋波を送りながら、自分たちは朝日のような「勇み足」はしませんよ、とばかりに、権力の監視という大義を忘れて、「萎縮」して見せる。萎縮=優等生。「愛(う)い奴や」と、殿様に猫のように喉でも撫でて貰うのかもしれない。マスコミの萎縮の先にあるのは、国民の知る権利が制限された社会だろう。それは、もう、民主主義社会とは呼ばれない。

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★狭められるのは、国民の知る権利。
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 大事なことなので、繰り返すが、言論の自由が保証されないということは、国民の知る権利が狭められるということだ。知らしむべからず、寄らしむべし。若い人には、分かりにくいかもしれないが、封建時代の殿様の政治術。都合の悪いことは領民に知らせずに、寄る、つまり、黙って従わせることだけに力を入れる。

 朝日の「社長会見」の引き金の一つぐらいにはなったのが、掲載中止になった朝日新聞連戴の池上彰コラム「新聞ななめ読み」。朝日の社内外の批判の声を受けてとりあえずは、復活掲載されたコラムを読んだ(継続連戴は休止中)。池上彰「くん」と呼ぼうか。実は、彼は東京のNHK報道局社会部時代の同僚。持ち場は一緒ではなかったが、部会などでは顔を合わせるという関係。当時は、池上くんと呼んでいた。後輩ながら、有能な記者であった。社会部時代というよりも、「週刊こどもニュース」というNHKの子供向けのニュース番組で、NHKニュース(新人時代には、耳で聞いても中学生に分かるような原稿を書けとデスクから言われた)よりもさらに判りやすいというコンセプトのニュース解説の手法を編み出して成功した。定年より早めに退職して、今や八面六臂の活躍ぶりである。朝日の従軍慰安婦特集の検証訂正記事に噛みついた。検証が遅い、間違いに気がついた後の訂正が遅い、訂正しても陳謝がない。いずれも、ごもっともな意見。

 なぜ、朝日はこういう程度の紙面批判(これは、有り難い助言だろう)のコラムを掲載拒否したのか。編集担当の重役の判断というが、全くおかしい。池上さんの言う通り。素直に載せれば、騒ぎにもならなかったような正論だ。池上さんは、この時のコラムでは触れていなかったが、その後の右派ジャーナリズムの跋扈についてもほかの週刊誌のコラムでキチンと批判し、新聞他社の販売攻勢という商法にも批判の舌鋒を向けていた。

 しかし、その反面、「池上彰」の名前は本人の意思と関係なく、右派ジャーナリズムに悪用されていはしなかったか。慰安婦問題だけでなく戦前戦中の史観、右派(NHKの経営委員の中にもいる。土井たか子氏の訃報に接し、「売国奴」とツイッターで書いていた)が攻撃する、いわゆる「自虐史観」なるものを右派ジャーナリズムは、いまや、勢いづいて、あれもこれも全否定している。アジアの近隣諸国との関係を悪化させるばかり。国益の損失や、いかばかりにと心配してしまう。「池上彰」氏も朝日を批判した仲間とばかりに、週刊誌は、大見出しを立て続けていた。池上さんの本意ではないことは、同じ釜の飯を食った立場から十分に判るのだが、客観的に見れば、そういう現象になっているのも、残念ながら事実のようにも思える。

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★鳥瞰こそ、必要。
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 この問題の対応については、後世からの視点こそが、大事と思いたい。ほぼ100年前、1918(大正7)年8月、朝日新聞は、権力の介入(言論弾圧)を招く「筆禍事件」を起こした。「白虹(はっこう)事件」である。米騒動に絡んで内閣の引責辞職を迫る関西記者大会の模様を伝えた記事が問題視された。記事の中の「白虹日を貫けり」という中国の故事を引用した表現が、権力の転覆を謀る疑いありと内務省などが弾圧の構えをみせてきたのだ。新聞他社は、朝日と共闘せず、孤立に追い込まれた朝日は、社長ら編集幹部が辞職した。時代は、第一次世界大戦から大正デモクラシーへ、そして、軍国主義・国家総動員体制へという時代の転換点(ターニングポイント)で、朝日は挫折した。

 10年後か、20年後、今回の朝日新聞の誤報事件と後処理は、「新たな戦前」の言論史のターニングポイントになっていたというようなことにはしたくない。せめて、同時代を生きて、死んだジャーナリストの一人として、警鐘を鳴らさないままでは死ぬに死ねない。これこそが、朝日問題を見極めるマスコミ人の大所高所からの視点だろう。

 新聞他社によるネガティブ・キャンペーンによる購読の草刈り場。木村社長ら編集幹部の「誤」判断で萎縮する取材現場。慰安婦問題を検証するという第三者委員会は適切な判断を下せるのか。新聞の大義からの各社の「撤退」。記事に信用を抱けなくなった読者の新聞全体からの離反。歌舞伎の大せりに乗って多くの役者が床下にせり下がるように、皆いっしょに地盤沈下。歌舞伎では、床下は「奈落」と呼ばれるのをご存知か。「奈落」とは、仏教用語の「地獄」のことだ。新聞各社は、朝日とともに、皆、地獄落ち。

落ち目の新聞を踏み敷いて言論機関に泥足で介入する政治家たち。これが軍人だったら、2・26事件だろう。その挙句、朝日は、倒産か。権力監視というマスコミの大義を忘れずに、「言論機関は複眼が大事」と朝日の再生にも繋がる運動をマスコミは構築ができるかどうか。自社だけが漁夫の利を狙って、結局、共倒れするくらいなら、インターネットを共同の「的」に見たてて、インターネットの情報とも読み競べされるような新聞紙面の工夫をしたらどうだろうか。今の日本人たちにはこういう再構築のやり方を歴史から学んでは、いないのだろうか。

 鳥の目を使って高みから見れば誤報事件による朝日の倒産か、あるいは、共倒れか、はたまた、権力の監視という大義をベースにしたマスコミの連携による再生か。どちらが、後世の日本言論史に記録を残しているのだろうか。

 (筆者はジャーナリスト、元NHK社会部記者)


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