政局を「6年間体制」で考えよう          羽原 清雅

 2012年末の衆院選、2013年7月の参院選で、自公政権が両議院で過半数の議席をとり、安定した体制を確保した。政局は、これまで続いた不安定な民主党政権から、政権経験の長い自民党の安倍政権の再起に期待をかけた、といえる。また、ほぼ一年交代だった政権が、ことと次第によってはかなりの長期にわたる可能性も出てきた。

 そこで、今後の政治の流れを読むに当っては、「6年間の持続的強力体制」の可能性のあることを想定しておいた方がいいだろう。
 もちろん、政治は「一寸先は闇」であるから、汚職や腐敗の摘発、スキャンダルの表面化、失言や非常識発言の乱発、あるいは政策処理の停滞や失政など、つまずきのタネは尽きなかろうが、それらは想定外としておこう。 

≪なぜ「6年間体制」か≫

 次の参院選は2016年夏に、衆院選は解散がなければ同年12月にそれぞれ任期を迎える。ということは、この年に衆参同時の選挙が行われることが強く予想できる。とすれば、自民党政権はこのダブル選に勝てれば、さらに次の参院選(2019年夏)までの政権を担当できることになる。

 安倍自民党総裁は、2012年9月に就任したので最大6年間、2018年9月まで在任できる。安倍総裁が順調に国政を担当できていれば、中曽根首相のような「プラスα」の期間が付いたり、後継者に同じ方向性の人物を据えたりすることもできよう。
 政治環境を点検しつつ、「6年間」という長期的な想定でなにが変わりそうで、今後必要なことはなにか、そうした点に触れてみたい。

■【ねじれ国会の解消】


 現政権の強さの一因は、どのような法案を提出しても、基本的には衆参両院で可決できることだ。このところ続いた衆院と参院の与野党勢力数がねじれて、首相の短期交代、些細な理由によるものも含んだ 相次ぐ閣僚辞任、重要法案審議の停滞などの事態を招き、政治が国民の意思に反するイメージを強めてきた。

 先の参院選前の国会でも、首相問責決議案の扱いと、発送電分離などを進める電気事業法改正案、生活保護引き締めとのセットで出された自立支援法案などで対立、結局これらの法案は流れてしまった。問責決議も大切だが、国民生活を左右する法律なら、まず成立を図ることが大切だろう。だが、あまり説得力のない衝突のために具体化しなかった。

 しかし、「ねじれ」にはメリットもある。本来、二院制は衆参各院の決定を相互にチェックできるための制度なのだが、衆院には政党議員による、参院には識者議員による、それぞれの機能が期待されながらも、政党自体が支配体制を強めて両院の機能を同一化してしまったのだ。

 そこに昨今、「一院制」の主張が出てくる理由がある。ここではあれこれ書くゆとりはないが、一院制はよくない。一例だけいえば、一院制になると、とかく「風」「ムード」で議席数が大きく揺れる日本の投票風景では、時に妙な、また偏りのある政権が生まれ、国会を左右し、国のあり方を揺るがす危険があるからだ。

 話を「ねじれ」に戻すが、衆参のねじれを、与野党の政略や法案成立の阻止のために使うべきではない。民意の選択の結果としての「ねじれ」を当然として、ねじれ国会となったら法案を修正することで折り合うなど、ねじれ克服の柔軟なルールを生み出し、政党はそれに習熟しなければ、民意を生かす役割を果たすことはできない。

 しかし、現実はねじれ解消の状況になったのだから、そうしたマイナス面は見られなくなる。だが、新たな問題として、多数党の横暴が予想される。

 自民・民主という大政党の攻防に代わって、「一強多弱」の政局になると、自公勢力が数を頼んで世論の動向を見ない政治改革をしたり、都合のいい法案などを強引に成立させたりする可能性がある。「6年間」という長期にわたる多数体制は、常にその危険を孕むことになる。仮に、その長い期間に、自公権力がしたいように政治を動かすことになれば、いったんできたシステムを変えることはむずかしく、将来的に固定化した場合のマイナスも覚悟しなければならない。

■【一強多弱体制の課題】


 小選挙区制は、二大政党の政権交代を可能にし、瑕疵のある政権が登場したら、取って代わる第二党がよりマシな政治を行う、といううたい文句で採用された。たしかに、ダメな自民党政治が民主政権に代わり、民主党の失敗で自民勢力が復活、台頭した、という事実はある。

 しかし、こんどの衆参両選挙は、交代すべき中核野党がつぶれた。まさに、怖いものなしの自民党天下である。しかも、惨敗民主党には立ち直りの気配が乏しい。海江田体制に対して、前原、野田、枝野ら、いわゆる6人衆の旧幹部はそっぽを向く。

 寄り合い状態でスタートした民主党は、追い詰められても組織政党人としての自覚に欠け、政党要件である結束統一性が身につかない。政権の経験からどう反省し、教訓を得るべきか、の姿が見えてこない。政党人としての「理」と「技」が伴われなければ、再起不能の印象を与える。そうなると、ますます自民党政権は強まってくることになる。この事態に、大きなリスクが長く続きかねないと感じないだろうか。

 また、少数党が乱立する「多弱」となり、議席数において太刀打ちできない状況だ。せめて野党の協力で、とはいってみても、維新の会、みんなの党の右路線に対して、共産、社民両党の左路線の共闘は難しく、あいだに立って調整すべき民主党はむしろその党内において足並みが揃わず、左右に引っ張られかねない状況にある。自民党のマイペースを可能にする余地は、そこにもある。

■【安倍優位の自民党内の事情】


 自民党内に目を向けると、安倍体制の強さがうかがえる。まず、党内派閥はかつての強さは失ったものの、安倍首相は旧福田系の大派閥を軸に安倍チルドレンを加えた土台にのり、強力な反主流派が生まれそうな気配がほとんどないのだ。総理総裁の座を狙うための派閥の機能だが、当面はそのような反旗を翻す集団は見えない。

 また、そうしたリーダーも見えてこない。麻生副総理はその一人だが、自滅的な失言は国際的に受け入れられそうになく、年齢的にも再挑戦の機会がありそうにない。総裁選で地方党員に人気を博した石破幹事長か。野党時代の谷垣幹事長か。弁舌の石原ジュニアなのか。あるいは、あちこち渡り歩いた女性の小池元総務会長か。

 安倍首相に万一のことでもあれば、これらの人材がリリーフとして登場することはあろうが、党内の期待を担う状況にはないし、当分はアンチに燃えるような行動は起こせない力量、雰囲気、環境である。寄り添っての禅譲を考える状況もまだ早い。

 いいかえると、党内と野党の関係だけで言えば、安倍体制は少なくとも、今後3年程度は安定的、といえるだろう。ただし、政策、政治姿勢での世論の受け止め方は別であるが・・・・。
  
■【安倍的手法をどう見るか】


 前回安倍政権のころの未熟さや、刺激的な物言いが消えて、落ち着き、自信、目配りを見せることができるようになっている。これは見事なほどの変身、といえよう。加えて、前の民主政権の、言動とは裏腹だった失政と、見捨てられるほどの不人気が、安倍政権にプラス効果を与えた。敵失の効果、である。また、経済の長い不調からの脱出を求める世論に対して、金融・財政・成長戦略の三本の矢から成るアベノミクスは大きな期待を生んだ。その成否はともあれ、少なくとも期待を膨らませて、衆参選挙での票を伸ばし、得票数に比例しない有利な議席を手にした。

 だが、この安倍人気の落とし穴を直視していかないといけない。

 ひとつは、多数議席を押えたことで、自民党政権の進めることのすべてが国民の支持のもとで行われるのだ、というオゴリである。国会での多数決を握ることで、少数意見を排除する際の格好の言い訳になりうる。問答無用的な強行採決という手段もある。少数転落の民主党あたりの批判など問題外、ということだろう。また、都合の悪い問題を国会論議などの場に持ち出させない「多数」をフルに活用する。これはすでに、麻生失言に対する国会での追及を、自民党が回避したことにも現れている。

 もう一点は、集団的自衛権の行使を抑えてきた憲法解釈を変えるために、内閣法制局長官の首をすげかえたことに見られるように、思い通りの官僚を据え、自民党政府寄りの意見を述べる審議会委員を選ぶといった人事をテコに、従来の自民党的主張を採用しやすく、世論に対して客観的、論理的に見せていく手法である。これはどの政権も、多かれ少なかれ取り入れてきた手口だが、安倍政権はすでにかなり露骨である。論理にかなえばかまわない、進め進め、の感である。これからも、出てくる手法と思っていいだろう。

 そして、深く静かに潜行して、いつしか結果を手にする手口である。なし崩しに、議論を避け、多数有利の流れのなかで定着、諦観させていく。従来の学校教育を思う方向に切り換えて、若いころから右傾路線を身につけさせることも可能だ。確かに、時間かかる。しかし、長期型政権には、それが可能である。

 これについて思うのは、麻生副総理のナチス発言である。「ある日気付いたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていた。誰も気付かないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」。新聞の批判はこの点に集中するが、ここではむしろ、麻生副総理のいう「狂騒、狂乱、喧騒のなかで決めてほしくない」のひと言にこだわりたい。

 改憲論議や靖国参拝の強硬姿勢について論議なく、静かに進める。その姿勢がむしろ問題で、おおいに知って、考えて、発言をして、という民主主義のプロセスを避けて、多数を占めた国会で物事を進めたい、との発想を感じるのだ。安倍体制を支え、息の合う要人としての麻生的思考は今後、あちこちで見られるようになるのではあるまいか。

 ついでに触れると、麻生発言では続いて「ワーワー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね」(8月1日付朝日新聞)と述べている。この発言は、ナチス憲法はみんなが良いと思い、納得しての改憲、と言っているのではないか。文脈では、そうとって不思議はない。

≪改憲への取り組み≫

 安倍政権の最大の狙いは、自民党結党以来の課題である憲法の改定だろう。そこでまず、自民党は、野党としての身軽い立場の時期に改憲草案を示して形を整え、ついで改憲容認の国会議決を3分の2から過半数に削減する立法化を試みている。だが、これを争点にするリスクを避けて、時間をかけての対応に切り換えている。

 しかし、憲法自体の改定は今後の世論の動向を見ながら、政権の安定と支持の状況を踏まえながら取り組む方向にある。「6年間体制」のなかで、この点がもっとも肝心なところだろう。

 改憲の方向として、天皇の元首化、自衛隊の国防軍化、9条の改定などが見込まれるが、最大の点は「個人」の尊重から「国家なり世間、公共」の重視、への転換だと考えたい。個人としての自由が、ときに行き過ぎるという反省もあるが、社会とか公共というもっともな名のもとに「個」の抑制につなげようとする魂胆が透けて見える。

 「個人型社会」、つまり国家の上位に個人を据えるという民主主義の形態を、国家が個々人を束ねやすい社会に切り換えたい、つまり個人を同じ鋳型にはめ込める仕組みを憲法面、教育面から規定化、固定化していこう、という意図を感じさせる。たしかに、自己主張が強く、周囲を顧みない風潮の広がりは改めるべきところも多く、教育面のあり方について改革を求める声の高まりも分からないではない。しかし、これを制度の枠にはめて変えていく、というリスクには眼をつぶるわけにもいかない。

 人間を国家体制の枠で縛り、個々人の意思による方向性を否定することは戦前の国家のあり方につながるものがある。自由とか個性とかの問題は、あくまでも自覚・自立・自尊の精神を教育的に育てるべきもので、外部からの強制であってはならない。
 そこに、安倍政権の行く手を見誤ってはならない大きな岐路を感じさせる。そこに「6年体制」の不安が付きまとう。

 集団的自衛権の発動についても、国際社会への貢献のため、として拡大解釈を進めるあたりもその一環のように思える。新たな憲法で、国防軍などの国家機能を強化し、天皇の中軸に据えた新体制下の日本をイメージしているのではないか。これが「6年間体制」による、安直な統治機構作りが目標ではないのか、と思わせる点である。

 国会での多数支配、野党の弱体化、メディアの二分化、ナショナルセンター機能を失った労組の弱まり、戦争体験の希薄化、若者の政治離れ・・・これまでに、これだけの好環境があっただろうか。もちろん、トントンと行くようなことではないが、「6年間」というスパンで考えることがこれまで以上に大切だ、と思えてならない。

≪当面の課題が安倍政権体制を決める≫

 安倍政権の前には多くの難題が待ち構えている。どちらか一方、という単純な二者択一の手法が通用しない課題が多く、その利害関係は両極に分かれてもいる。ただ、各課題のついての賛成、反対の立場が交錯して、A問題での反対派が、B問題では賛成、C問題は留保、といったように全体を通じて反対派がすべて結束して反対、といったようなことはなく、賛否がモザイク模様のように入り組んでいるのだ。

 その状態が、党内にしても、利害関係の団体にしても、対応を慎重にさせており、その状況が一見、安倍政権への大きな期待になることや、あるいは反対の表明を控えさせて、事態を穏やかなように見させているようにも思われる。

 しかし、やがて結論が出るようになると、政権の取り組みもそう簡単ではない。強い反発が政権に向けられ、絡みあった反政権運動にもなりかねまい。ここが、今後の安倍政権の思案のしどころだろう。
 以下、簡単に当面する問題について見て行きたい。

■【経済政策】


 アベノミクスは不景気からの最大の脱出方法、として期待を集めている。たしかに、株価は上がり、円の価値も上がった。今後は、どのような成長戦略が実施されるのか。1000兆円を超えた財政面の借金はどうするのか。大きく膨らんだ期待にはまだ、裏付けが出ていない。ボーナスは多少上向くところも出たが、肝心の給与はまだ生活実感をもたらしていない。期待はずれ、という事態になると、安倍政権にとってイエローカードになることは間違いない。

■【消費税】


 来年4月からの消費税8%の増税はどうなるか。新年度予算案の編成上、9月には結論を出さなければならないが、まずは予定通り増税に踏み切るだろう。若干の緩和措置を講じるなどの説得材料を付加するかもしれない。しかし、生活への影響の大きい税なので、物価上昇、家計の抑制などで景気に水をさす可能性がある。経済政策全般にどのような影響をもたらすのか、決して予断を許さない。

■【集団的自衛権】


 国際的な貢献を果たし、日米関係強化に寄与するために集団的自衛権の行使を可能にするのが、安倍首相の持論だ。さっそく、従来の政府の解釈を変えるための布石として、異例の内閣法制局長人事を行った。今後、論議を呼ぶことは間違いないが、本格的な論議は来年以降になりそうだ。果たして、安倍首相の説得は国民にどのように受け止められるだろうか。

■【原発再稼動】


 安倍政権は再稼動推進の強い方針を掲げる。だが、復興や賠償の対応、汚染水処理、汚染廃棄物の終末処理、諸コストの電力料金への安易な転嫁など、安心安全の確保は滞っている。各種の世論調査では、再稼動反対が過半数、賛成が3割前後、という数字を示している。この矛盾をどうするか。

 南海トラフ巨大地震が予想されるなかで、またの安全安心神話を信じていいものだろうか。個別の問題が山積するこの課題への取り組みは容易ではなく、政権の足をすくうことにもなりかねない。

■【TPP】


 この問題も、農業関係をはじめとして強い反対があるが、その行方は外交交渉に待つことになる。たしかに、不利な立場に追い込まれる分野が出てくるだろうが、政権はその不利を想定しつつ補てん救済策を考えておくべきではないか。小泉政権の荒っぽい政策推進は、のちに雇用問題、教育格差などのひずみを生んだが、細やかな政策展開を、少なくとも構想としては作成しておく必要があるだろう。

■【沖縄の基地問題】


 米軍のヘリ墜落事故は、あらためて日米地位協定の不平等性をあらわにした。このような不当な日米関係に、戦時、戦後の長い差別に苦しんだ現地沖縄は、知事はじめ県民は納得しない。局部的手直しや口先の是正約束では済まされず、オスプレイ配備問題とともに、戦前戦後の全島的な不信が今またよみがえる。政府が、こうした根本問題の打開に乗り出さない限り、日米政府の基地問題の解決には至らず、沖縄を説得することなどできないだろう。

■【その他】


 問題はほかにも少なくない。生活保護費は一部の不正受領を締め出す一方、多くの救済を必要とする人々の生活に不具合はないのか。富裕者に目が向きがちの自民党の体質が懸念される。原発再稼動の一方で、電力会社の嫌う発送電分離についても、自民党は必ずしも乗り気ではない。この二法案の成立は先の国会で見送られており、このような打算付きの姿勢はいずれ見抜かれよう。

 教育委員会の改革もある。首長に委員や教育長の人事権を握らせる方向は、国家としての文科省の思うままの教育制度の実施、とつながってくる。4年ごとに変わる首長が教育行政を左右することは、教育の継続性を損ない、教育を民意から遠のかせることにもなりかねない。

 さらに大きな課題は、衆参議員定数の削減、一票の格差是正、さらには得票数と議席数とのアンバランスを生み、政治にゆがみを持ち込んでいる小選挙区制そのものをどうするのか。定数と一票の格差問題は本来、急務なのだが、国政選挙のなくてもいい3年間を念頭に置くと、この与野党協議はなかなか進まないことも考えられえる。政治の枠組みと土台になる選挙制度は、国民の眼を意識する姿勢が必要だが、利害の当事者による協議はあまり期待できそうにない。

 このように、先の見えない課題が多いので、安定的な時間を持つ安倍政権ではあるが、道は険しく、つまずきはつまずきを生む可能性がないわけでもない。 

≪展望を失った外交関係≫

 安倍内閣は外交関係ですでに失速している。打開の糸口もつかめていないし、展望もこのままでは開けそうにない。

 中国、韓国との交流が閉ざされ、経済関係にも課題が及ぶ。安倍首相らはアメリカをはじめ、東南アジア、中東、ロシアなどには出かけるが、近隣の中韓両国には行けず、関係は悪化する一方だ。かつては、アジアの先導国たらんとした時期もあったが、その姿勢はない。尖閣列島は全民主党内閣からの重い荷物、また竹島問題は長年の課題であり、また両国の経済的台頭の自信が対日姿勢を勢いづかせることにもなって、外交の環境はもともとよくはない。

 ただ、とくにいま根底から悪化させているのは広い意味での「歴史認識」問題である。安倍首相は「侵略について、学者の間にもいろいろな見解があり、まだ定義ができていない」といったことで、論点をそらし、また村山談話、河野談話への批判を漏らす。安倍発言に対して「政治姿勢として、戦前の侵略、植民地統治の行われた事実を認めないのか」という疑問、批判は重い。

 安倍首相は8月15日の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が述べてきたアジア諸国への加害責任に触れなかった。これは、あえての除外だったとすれば、「侵略」を認めないような文脈につながり、中韓以外の各国にとっても気持ちのいいものではない。早くも、中国では怒りの声に火をつけた。このような内向き、独りよがり、史実黙殺の姿勢で、外交ができるのだろうか。さらなる紛糾の種は提供すべきではない。

 さらに、閣僚の靖国参拝を許容している。自らは当面はとにかくとしても、靖国参拝を考慮のうちからはずさないような発言をする。自民党政権はこれまで東京裁判の結果を受け入れてきたにもかかわらず、靖国参拝を認めてきた。このままでは、「一般兵士の霊を祀る名目で、戦争を引き起こした政治家や軍人を咎めず、慰霊の名目で許容するのか」という国際的反発が続くばかりか、悪化の続く中韓関係をさらに悪化させる。

 慰安婦問題にしても、触れたくない歴史的事実だろうが、このような歴史の認識を疑わせるような政治姿勢は説得力を欠き、国家関係のみならず、国民感情を長くゆがめることになる。さらには、不当な攻撃ムードを助長しかねないだろう。自虐的史観だというが、国際的な事実認識はわきまえなければならない。

 さらに、この姿勢で、国際関係を保てるのか。

 アメリカ・オバマ政権も、中国の軍事的脅威を認識しながらも、日中関係のこじれが広がることには警戒的だ。韓国についても、北朝鮮の動向をにらむなかで、日韓関係の悪化がもたらすひずみを懸念している。このことは当然、日米関係に跳ね返る。アメリカのユダヤ人団体が麻生発言に敏感に反応したように、在米韓国人たちは慰安婦像を各地に建てて、誤った事実さえ喧伝して戦前の日本の軍事的行動を批判し、反日感情を煽り、持続する素地を再生産するだろう。

 国内での議論や、国際的な学者研究者の論戦はあっていい。しかし、政治家は歴史的事実を忘れたり、変更したりすべきではない。政権としての原則を継続的に保持しなければならない。また、意識を長くとどめることになる教育面でも、自国有利の事実を偏重して教え、歴史的悪行を隠すようなことがあってはならない。非は非とする客観性が必要だ。

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 衆参選挙を乗り切って、年来のわが道を進みたい安倍政権。右傾路線の構えを取りつつ、まずは経済面の期待を追い風に進み出したが、多くの課題をどのようにこなすか。国会乗り切りの状況は確保されはしたが、国民・世論をどのように納得させるか。その論理とともに、多数党の手口をふくめて、しばらく眼を凝らしていくしかない。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)
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