【書評】

『「働くこと」を問い直す』

山崎憲/著  岩波書店/刊  定価780円

松永 優紀


 いま「働くこと」をめぐる問題が様々な形でクローズアップされている。いわゆる「ブラック企業」問題、正規と非正規の格差、女性・高齢者や独立労働者(個人請負)の働き方、働き過ぎ(過労死)など。これらの問題は、様々な形で「働くこと」に関わっている“全ての人”にとって決して「他人事」ではない問題である。本書は、これまで私たちが「働くこと」にどのように関わってきたのかということを、大筋は労使関係の歴史によりながら、多様な切り口からあぶり出し、そして全体を通して「なぜ働くのか」「どのように生きるべきか」ということを読者に問いかけていく。

 まず、第1話では「なぜ働くのか」ということは「どのように生きるべきか」ということにつながっていることを、現代の働き方の起源である産業革命から紐解いていく。産業革命の前は、「働くこと」の意味は製品の完成など仕事の成果と直結していた。ところが、工場で働くようになると、作業の範囲が狭まり、労働者は働く意味(働いている実感)を見出すことが困難になった。一方、労働者のもう一つの「働くこと」に関わる願いは“拠り所”をつくることでもあった。
 それらの折り合いをつけてきたのは労使関係であるので、第2話では労使関係の歴史にフォーカスする。とりわけ、第2次大戦後、日本では高度経済成長と春闘の成功によって、「日本的労使関係システム」が完成したかに見えた。しかし、このシステムは生産性運動、高度経済成長、春闘の3つの要素を必要とし、いずれかが欠けた場合には機能不全を起こしてしまうことが明らかになった。そして、日本は一つの転機を迎える。

 「転機」と題する第3話では、1980年代以降、日本の海外進出によって起こった変化が、経済のグローバル化によって世界、そして巡り巡って再び日本自身にも影響を与えていったことを明らかにする。その変化とは、国際市場競争の中で企業が労働組合を障害物とみなすようになったことである。すなわち、労使関係のバランスが崩れ始めたのである。
 そして、労使の力関係が経営側に傾いたことで、様々なほころびが見えてきたことを第4話で取り上げている。すべてにおいて経営協力を優先することで、非正規雇用や独立労働者が増加し、正社員の“働きすぎ”という状況を生み出す。「日本企業が国際競争力を高めれば高めるほど、国内の労働者を苦しめることにつながった(p.173)」のである。

 それでは、これからどうすればよいのか、著者の処方箋(ヒント)が第5話で示される。処方箋は大きく分けて、「従来型の労働組合と使用者の関係」の可能性、「労働と生活の接合点」の可能性の2つがあるという。1つめに関しては、労働組合がより経営にコミットすること(=「参加」)だ。2つめが労働と生活をつなぐ手法としての“コミュニティ・オーガナイジング”に学ぶ(=「抵抗」「要求」に立ち返る)ことである。

 本書の大変興味深い点は、この“コミュニティ・オーガナイジング”を取り上げていることである。この手法の意義は、多様な利害関係者を話し合いのテーブルに乗せ、お互いが助け合う仕組みをつくること、つなぎ合わされた力を使って社会を変えていくことにあるのだという。実例については割愛するが、いずれにしても、この手法は直接参加型の民主主義を実現しようとする試みである。バラバラの個人では、より良い民主主義は成り立たない。(地域に限定されない)コミュニティを組織し、様々な問題に多様なメンバーと共に向き合うことが、私たち一人一人が「どのように生きるべきか」という問いに答えるヒントを与えてくれるのではないだろうか。ただし、著者が指摘するように、「大切なことは、組織や社会がどうあるべきなのか、ということだけではない。個人の側にたって、組織や社会にどのように関わって「居場所」をつくりなおしていくべきかということ、この両輪がそろうこと(p.213)」を忘れてはならない。

 最後に本書の特徴に触れておきたい。本書は、(特に第2〜4話だが)歴史的な流れ、ストーリーの筋を理解しやすくするために、細かい年号や固有名詞を出来るだけ使用しないように配慮されている(一方で、重要なものは明記されている)。さらに各話の導入部には、前話の簡単な要約が付けてある。そのため、本書は大変読みやすく、同時に考えさせられることが多くあった。
 もう一度「働くこと」を考え直したい方、「働くこと」をめぐる問題の解決策を模索している方には、是非ご一読をお勧めしたい一冊である。

 (評者は公共哲学研究者)


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