【映画評】

『望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』

子ども達に伝えたい歴史の真実

井上 定彦


 1945年5月、つまり終戦もほどないとき、長野県の阿智村からから新たに村ぐるみの開拓団が日本軍の実質支配下の中国東北部黒竜江省に向けて旅立った。そんなことがあった。

 今はかなり知られるようになった満蒙開拓団の悲劇である。それは中国残留孤児がもっとも多かった地域のひとつでもある。わずか3か月あまりで、ソ連軍の侵攻をうけて、保護にまわるべき日本軍はいちはやく撤退。開拓団は子ども、高齢者、婦人を含めて、交通手段を失い、省都ハルビンまで約200キロの原野をひたすら徒歩で避難するしかなかった。
 手に持てるだけの荷物、食料、医薬品だけだったから多くのものが落伍。小さい子どもを置き去りにするのにしのびない親は、中国人農民にひたすら頼んであずけるしかなかった。もともと中国人のいた地域の土地を多くは政治的に安い値段で買上げられたうえ、早期に撤退中の日本軍のなかには秘密保持のためかゆきあった農民を殺すこともかなりあったという、さなかのことである。この悲劇や惨劇は、さきに亡くなった山崎豊子さんの『大地の子』もこれを題材にしたことで有名である。

 それから戦後27年後、途絶していた日中関係が回復するやいなや、運よく帰郷できていたこの村のお寺の住職、山本慈照氏を先頭に、残留孤児さがしと日中人民民交流の動きが全国にも広がっていった。

 本映画は、『はだしのゲン』をはじめ、孤児、障がい者や受刑者の更生支援など、陽のあたらないひとびとにスポットライトをあてつづけてきた現代ぷろだくしょんの山田火砂子監督のもとで、山本さんが残した記録をもとに、史実を描いたものである。
 暗い題材なのに、大陸の美しい日暮れや原野の描写をふくめ、できるかぎり明るくたんたんと映している。山田監督のお話しだと、この悲劇と史実についてより多くのものに伝えてゆくために、できるかぎり家族ぐるみで見にゆけるよう抑制された映像として撮ったという。

 大きなスポンンサーのいない独立プロダクションの映画ではあるが、各分野で活躍する俳優・内藤剛志をはじめ顔なじみのキャスト、スタッフがそろい、最初の試写会が開かれた「なかのZEROホール」は1200名の観客がつめかけ、大変に好評であった。この1月以降、「シネマート新宿」をはじめ、長野はむろん、大阪、福岡など全国のいくつかの地域で上映される。

 このような良い映画には膨大な資金と労力を要する。当初は制作が危ぶまれたなか、長野県阿智村や満蒙開拓平和記念館、日中友好をめざすさまざまの市民団体が事前に上映券の配付による資金調達、多くのキャスト、スタッフのボランティア型の協力、村のひとびとの撮影参加により、上映にこぎつけることができたそうだ。小中学生にも勧めたい内容なので、学校教材にも適しており、上映活動の全国的広がりを期待したいところだ。

 中国語のふきかえや字幕版が実現すれば、中国の方にもみてもらいたい映画だ。国家や軍という垣根を越えて、普通の人々の交流の大切さを訴え、心にしみる映画となっていると感じた。

 (評者は島根県立大学名誉教授)


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