【北から南から】中国・深セン便り

『SARSの時のこと(4)— 世界への広がり —』

佐藤 美和子


 さて、当初こそ広東省内に収まっていたSARS感染症ですが、2003年2月下旬、いよいよ省外にも広がりを見せ始めます。中国国内から世界へと広まったきっかけは、広東省の感染者の一人が、よりによって世界各国からの訪問者が交錯する香港へ行ったことが発端でした。

 香港にSARSをもたらした広東人感染者は、なんと医師でした。広東省の病院で謎の肺炎患者の治療にあたっていて、自身もすでに体調不良を感じていたにも関わらず、親族の結婚式に出席するために夫婦で香港を訪れます。その香港では、メトロポールホテルに宿泊。結局は体調悪化で結婚式には出られなかったものの、同じホテルに宿泊していて、たまたま医師とエレベーターに乗り合わせただけの16人に感染させてしまいました。この広東人医師のように、体内でウイルスを増殖させやすく、一人で10人以上の人に感染させてしまう体質の人を、スーパースプレッダーというそうです。のちにこの16人のうち数人がベトナム、カナダ、シンガポールへと移動後に各地で発症、感染を拡大させる事になりました。

 その頃はまだこの謎の肺炎が、どういう経路で感染するのかは分かっていませんでした。当初はあまりの感染力に、空気感染まで疑われていたほどです。だからこそ、白酢による空気殺菌法なんてものが広東省で流行ったのでしょう。

 私の記憶が確かならばその年の3月末か4月初旬ごろ、私の広東人の知人が、地元衛生局から健康状態についての問い合わせの電話を受けています。2月某日に香港のメトロポールホテルに宿泊したかという確認、その後の出国暦、そして本人および同居家族など周囲の人間の健康状態を問われたそうです。

 その衛生局からの電話で、彼は自分が件の広東人医師と同日、しかも医師の一階下のフロアに宿泊していたことを知りました。そんな電話を受けた本人は、かかってきた電話が勤務先のものだった点にまず驚き、メトロポールホテルの宿帳には勤務先情報など記載した記憶もないのに、なぜこの電話番号が分かったのかと問い返したそうです。衛生局の相手は、そんなものは調べればすぐ分かる、とつっけんどんな態度だったとか。

 私は後年、ネット情報で、ベトナムで勤務していたWHO職員のイタリア人医師、カルロ・ウルバニ氏のことを知りました。ウルバニ氏は、香港からベトナムにやってきた中国系ビジネスマン感染者(上記16人のうちの一人)の症状から、広東省で発生しているという謎の肺炎との関連性を疑います。その後、患者と接触のあった病院スタッフ数人にも感染したことから、氏はこの感染病に関する情報とその危険性を、WHOを通じて発信します。広東省の肺炎について、WHOの再三にわたる情報提供の要求を「すでに制圧済み」という嘘で拒否し続けてSARSを世界に広め、結果的に800人近い死者を出した中国政府とは対照的に、氏は感染拡大の阻止に尽力します。彼の尽力によってベトナムでは病院関係者以外の感染者は出さずに済み、また彼の功績がなければ、SARSによる死者は全世界で4桁を超えただろうといわれているそうです。残念ながら氏はSARS拡大阻止に奮闘中、自身もSARSに感染、そして亡くなっています。ウルバニ氏の功績については、皆さんぜひネット検索してみて下さい。

 私の知人が、広東人医師と同じ香港のホテルに宿泊したのは2月21日。ウルバニ氏の功績により、WHOが初めて『SARS』という病名で世界に警告を発したのが3月12日。中国政府がWHOの求める情報提供要求をやっとのことで受け入れ、調査団が中国入りしたのが3月23日。そして、メトロポールホテルに宿泊した私の知人が衛生局からの電話を受けたのが、3月下旬か4月初旬のこと。つまり、中国当局がWHOの要求を受け入れるまで、衛生局は感染拡大を防ぐための、基本的な調査もしていなかったということなのです。

 ウルバニ氏が世界に発信してくれたお陰で、それまで人から人への噂話程度の情報しかなかった広東省でも、少しずつ情報が出てくるようになりました。中国国外に感染が広がってしまったため、ついに当局による情報統制では抑えきれなくなった、とも言えるでしょう。
 とはいえ、中国にいる人間が得られる情報は、他国発信のネットニュースサイトが頼りでした。外国語が読めない中国人は、海外が発する情報に触れる機会はありませんでした。

 たとえば、メトロポールホテルに宿泊した例の知人は、仕事で東莞市内を車で通過中、道路封鎖しているところに出くわしています。東莞市の厚街鎮というところで、一般道路にバリケードが築かれ、城管(都市管理局職員のこと。警察の下働きのような存在)が見張りに立っていたので理由を尋ねてみたところ、この先の工場でSARS感染者が出たとのことでした。東莞の工場勤務者の多くは地方出身者なので、4〜10人部屋の社員寮に住むのが一般的です。こういった大部屋暮らしは感染病が広がりやすく、管理がとても難しいので、その工場は一時的に閉鎖されたのです。また全社員は工場近くにある社員寮に待機措置、さらに内緒で出入りする人間が出ないよう、工場や寮の周囲をぐるっとまとめて封鎖していたということです。

 しかし、私が連日のように注意してチェックしていたにも関わらず、中国のテレビニュースや新聞には、その封鎖の事は一切報道されなかったし、いまだにネット検索しても情報は全く出てきません。それどころか、ニュース番組では、新型肺炎は既に制圧しているので安心するように、というばかり。なのに海外のニュースサイトでは、香港から世界に広がった感染者数と死亡者数が刻々と増え続けているという、恐ろしい状況でした。

 白酢や板藍根漢方薬の買占め騒動では少々パニック状態に陥ったものの、本来、中国人はあきれるほど楽天的です。いったいその自信はどこから来るの!?と小一時間は問い詰めたいほどに、みんなが「自分だけは大丈夫!」という、根拠の無い自信を持っているのです。なんたって、私がこの20数年の間に知り合った数え切れないほどの友人知人のうち、心配性タイプの中国人はたったの4人ですからね(笑)。

 ある日、東莞人の友人にことづけ物があって待ち合わせすると、私のマスク姿に大層驚かれてしまいました。私は逆に、小さな子供がいるあなたが、SARS流行中の広東省でマスクなしで出歩いていることが驚愕なんですけど……。

 こちらは在外邦人感染者第一号としてニュースに登場したくないから、常にマスクをしていると説明すると、彼は彼で、広東省ではマスクとは、低所得労働の道路清掃従事者が付けるものであるからして、一般人は他人に見下されたくないからそんなものは使わない、実際に今も東莞でマスクを付けて歩いているのは香港人とか台湾人とか、とにかく中国人以外だしね、とのことでした。えーっ、感染のリスクより、メンツの方が大事なの?と重ねて問うと、自分は大丈夫だよ〜とっても健康だし!と、ニッコリされてしまいました。うわーでたー、中国人の「自分だけは大丈夫」論!

 別の知り合いが勤める日系企業では、早々に会社から大量のマスクが社員に配られたそうですが、みんな数日で使わなくなってしまったそうです。「だって息苦しいし、しゃべりづらいし、暑いし、面倒くさいし」———はぁ……。

 そんな中国人とは真逆な対応を見せたのが、日本人です。せっかく会社が配布してくれたマスクを使わずにいた中国人の友人、ある日香港空港へ、日本人ハンドキャリー出張者を迎えに行きました。ハンドキャリーとは、通常の輸出入手続きをしていては間に合わない場合、その緊急の貨物を手荷物として、飛行機で人が運ぶ事を指します。

 マスクを面倒臭がる中国人の友人が空港到着ロビーで待っていると、相手の日本人はなんとマスク3枚重ねに手袋といういでたちで出てきたそうです。日本人出張者の帰国とんぼ返り便の時間まで数時間あったので、友人は空港内か空港近くのショッピングモールへ食事や買い物に案内する心積もりをしていました。けれど、相手の日本人にはその申し出をキッパリと断られたそう(笑)。ハンドキャリー荷物の授受を済ませるやいなや、周囲のものに体が触れないよう緊張感をバリバリに漂わせた日本人は、そそくさと香港出国手続きに向かっていってしまいました。即刻香港出国手続きを済ませ、保税区内の人が少なそうなところで帰国便までの数時間を過ごすと言うのです。うん、もし私がその頃日本に住んでいて、香港や中国ハンドキャリーを命じられてしまったら、やっぱりその人と同じようにしていたと思います(笑)。 ※次号に続きます。

 (筆者は中国・深セン在住・日本語教師)


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