「酔生夢死」

そんなに似てる?

               
岡田 充


 「あなたはカフカス人に似ているから、外を歩く時は気を付けないと…」。自宅の掃除、洗濯をお願いしていたニーナが、思いもよらないことを口にした。いまから約20年前、第一次チェチェン紛争が燃え盛ったモスクワで特派員をしていたころの話。

 イスラム教スンニ派を中心とするチェチェン共和国のドダエフ大統領が、ロシアからの独立を宣言。当時のエリツィン・ロシア大統領は首都グローズヌイを空爆しながら、4万のロシア連邦軍をチェチェンに派遣し制圧した。これを「第一次チェチェン戦争」という。

 ニーナが「気を付けて」と言ったのは、モスクワでは紛争開始とともに、チェチェン人や北カフカス地方の人たちを標的にした暴行やリンチ事件が横行したからだった。ことし1月、パリの風刺新聞「シャルリ・エブド」が襲撃されたテロ事件発生後、フランスやドイツで、モスクや中東出身者が襲われる事件が起きたことと同じ構図だ。

 モスクワに赴任したのは、ソ連が崩壊した直後。通貨ルーブルの価値は、対米ドルレートで毎日10%から30%も下落する超インフレが進行し、ルーブルで生活するロシア人の暮らしを打撃した。それでもチェチェン戦争前のモスクワでは、出身や民族を超えて、弱者同士が共助の精神を発揮する社会がなんとか維持されていた。

 例えばある夏の夕暮れ。ターミナル駅前のパン屋の前で、男二人がベンチに座って酒を酌み交わしている。笑顔で通り過ぎようとすると、二人は手招きして仲間に入れという。そんなに物欲しげな顔に見えたのだろうか。せっかくのお招き、酒と肴のご相伴にあずかった。

 一人はロシア人のパン屋の主人、もう一人はその前で売店を出すチェチェン人。ウオツカを勧める二人に「ピーバ(ビール)はない?」と聞くと、チェチェン人は売り物のビールと缶詰を両手に抱えて戻ってきた。それから約2時間、酒もまわりお暇しようとすると、今度はパン屋が、抱えきれないほどのパンとキャンデーを土産に持たせてくれた。 日本のメディアはいま、日本人2人が「イスラム国」に殺害された事件で一色に染まっている。安倍ちゃんは「テロリストたちを絶対に許さん。罪を償わせる」と息巻く。いまや日本は「有志連合」の一員とみなされ、メディアはイスラム国への報復空爆に寛容だ。

 テロリストを生み出したのは、自由や民主主義をアフガニスタンやイラクに軍事力で押し付けたことが原因である。米国が目の敵にするタリバンは、ソ連のアフガン侵攻に対抗してできた組織で米CIAが育てた。タリバンの後のアルカイダ、そしてイスラム国と「彼らの土地を戦場にし続ける限り」テロ組織は生き残る。圧倒的な軍事力に対抗するにはテロしかないからだ。日本はまず「有志連合」から抜け、人道援助は民間主導で進めるべきだ。

 ニーナの忠告のおかげか、モスクワでは襲われず済んだが、そんなに似ているだろうか?

 (筆者は共同通信客員論説委員)


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