海洋退化の進行 - とり返し困難な汚染の深刻な結果             

                    初岡 昌一郎


アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌2013年11/12月号が、「デボルーション・オブ・シーズ」(海洋の退化)という、論文を掲載している。筆者は、米環境保護庁国際活動局次長だったアラン・シーレン。彼は、現在、スクリップス海洋研究所海洋バイオ多様性保存センターの国際環境政策担当上級研究員である。

存続が脅かされる海の生き物たち

今日の地球に忍び寄っているすべての脅威の中で、もっとも心配なものに世界の海洋が容赦なく退化していることがある。ここ数十年間、人間活動が海洋の基本的な性質を変化させ、数百万年にわたる進化から太古の不毛な海に向けて逆行させている。

太古の海には生命が存在していなかった。約35億年前に海底の汚泥から基礎的な生命体が発生した。藻類やバクテリアなど、酸素をほとんど必要としない微生物がまず現れた。海を支配したのは、虫類、クラゲ、毒性海藻などであった。時とともに、これらの単純な生命体がより高度な生物に進化して、多様な魚、サンゴ、クジラ、その他今日の海洋に生息する多様な見事な海洋生物たちが育まれた。

しかしながら、その海洋の生命が今日脅かされている。地質学的には一瞬にすぎない過去50年間に、豊かなで多様な生命を育んできた海を古代に向けて退行させる危険が人間によって生み出された。人間の活動に起因する汚染、行き過ぎた漁獲、生物環境の破壊、気候変動が海洋を空洞化させ、低度の生命体が海において再び支配力を獲得するのを許している。

人間中心の経済活動が、大型動物を支える複雑な植物連鎖を特徴とする海洋エコシステムを破壊し、微生物、クラゲ、細菌が支配する単純なシステムに変容させ始めている。あたかも、陸上で人間がライオンやトラを絶滅させ、ゴキブリやネズミが支配する世界を生み出している様なものである。

クジラ、ホッキョクグマ、クロマグロ、ウミガメ、そして自然海岸の消滅はそれ自体懸念すべきものである。しかし、地上の生命を支えているのはこれらの多様なシステムの健全な機能であり、エコシステム全体の破壊が我々の存在自体を脅かす。現在レベルの破壊でも、食糧、雇用、健康、生活の質の面で人間に危機が重くのしかかっている。そして、次世代により良い未来を引き継ぐという歴史的な使命を自ら踏みにじっている。

積み重なるゴミの山

海洋問題はまず汚染から始まる。これが一番可視的であり、沿岸採油事故や、タンカー事故がその最たるものである。これらの事件に劣らず悲惨なのがカン、ビン、プラスティック製品など廃棄物の海洋投棄である。これらは、河川、パイプ、雨水などを通じて海に流れ込むし、大小の船舶が様々なゴミを海に投棄している。その一部は海岸に打ち上げられており、またプラスティック類が何マイルも続く巨大な帯状をなして海面を漂流している。

最も危険なゴミは化学物質だ。有毒物質が広範に拡散し、海洋生物に蓄積され、食物連鎖に入り込んでいる。最悪なのは水銀などの重金属物質である。化石燃料を燃やすとこれが発生し、雨水に混じって湖沼、河川、そして究極的には海洋に流入する。水銀は大量に投棄されている医療ゴミにも含まれている。

多用な新しい化学物質が毎年市場に登場しているが、それらの多くは検査を経ていない。特に憂慮すべきは、持続性のある有機汚染物質で、それらは河川や沿岸部だけでなく、今や海洋中にもみられる。それらは貝類や魚類の体内に蓄積され、それを食する大型生物に移転する。これが魚や野生動物の死、病気、奇形の原因となっている。これらの浸透性化学物質は人間の頭脳の発達、神経システム、生殖機能に悪影響を与える。

内陸部の農地で使用される化学肥料として用いられた後に、海に流入している栄養素がますます増加している。すべての生物は栄養素を必要とするが、過剰な量は自然環境を攪乱する。水中に流入する肥料は藻の爆発的な繁茂をもたらしている。これらの藻類が死んで海床に沈むと、その死骸が海洋生命に必要な酸素を奪う。その腐敗が有害物質を発生させて魚を殺し、海産物を食する人間に害を及ぼす。 

その結果、人間にとって最も貴重な海洋生物が絶滅した“デッドゾーン”(死海域)が出現している。ミッシピ川に集中して流入している肥料・栄養素が、メキシコ湾沿岸にニュージャージー州よりも大きな無生物海域を季節的に生み出している。黄河と揚子江という大河の沿岸海域でも同様に海洋生物が失われている。2004年以降、このような荒廃海域は146ヵ所から600以上へと四倍以上になっている。

漁業の将来は何処に向かうのか

海の劣化のもう一つの要因は、人間があまりにも多くの海洋生物を殺し、魚を過食していることだ。マグロ、カジキなどの大洋性魚類と大陸棚のタラやカレイなどの大型魚類が、1950年以後、90%も減少した。数字については異論もあるが、ドラマティックに大幅減少したことに疑問はない。人間の食欲が多くの魚類を絶滅、ないしその寸前に追い込んでいる。

その結果、魚価が高騰し、飛行機やヘリコプターを使って魚類を探索することまで横行している。このようなやり方に、海洋生物はとても太刀打ちできず、急減したのは大型魚だけではない。イワシやニシンなどの大衆魚も過剰捕獲され、減少を続けている。これらの魚に依存してきたミサゴ(オスプレイ)、鷲などの鳥たちも飢えている。この植物連鎖の波及も深刻な影響を受けざるを得ない。

問題は魚を食べすぎているだけではなく、漁獲の方法にもある。最新型漁船は船尾に何千もの針を付けた釣り糸を何キロにもわたり垂らして魚群を狙い撃ちし、トロール船は海面1000メートル以下までも漁網を下して操業している。そのプロセスで目的外の生物、例えばウミガメ、イルカ、クジラ、それにアホウドリなどの海鳥が捕獲され、犠牲になっている。

何百万トンもの“外道”魚その他の生物が、漁船の操業により毎年無意味に殺害ないし負傷させられている。実際に、水揚げの3分の一以上が目的外のものである。もっとも破壊的な高級魚専門漁猟では、水揚げの80-90%を破棄されている。例えば、メキシコ湾のエビ漁では、トローラーが捕獲するエビ1トン当たり、3トンの他の魚類が破棄されている。

海洋が衰退し、海産物に対する需要が拡大するにつれて、養殖漁業が魅力ある解決法とみられている。養殖漁業は他の畜産食品業よりも急成長しており、世界で売られている魚の大半とアメリカ市場で販売されている魚の半分が養殖魚である。

養殖漁業にも問題は多い。餌に他の小魚を用いるのでは資源保護にならないし、人工飼料は水質の汚染し、病気の蔓延につながる。殺虫剤や抗生物質の多用が食の安全を脅かしている。

地球最後のフロンティアを破壊

海洋を衰退に追い込んでいるもう一つのファクターは、何世紀にもわたり海洋生物が繁栄するのを可能にしてきた生態系の破壊である。住居や産業の開発が自然沿岸に廃棄物を蓄積させてきた。特に、魚や他の生き物の棲家であり、浄水機能を果たし 嵐や浸食から海岸を守ってきた沿岸部湿地帯を人間がほぼ絶滅させてしまった。

目にはつかないものの、それに劣らず心配なのが深海生態系の根こそぎ破壊である。これまで捕獲困難だった獲物を狙う漁業にとって、深海が最後のフロンティアになっている。今日の漁船は鉄板とローラーを付けた巨大な漁網で海床を荒らし、それに引っかかるすべてのものを破壊している。深海サンゴなども粉々となり、未知の海洋生物多様性が失われている。

軍艦や他の船舶が用いるソナーからの騒音が、クジラ、イルカなどの海洋生物に攪乱的な悪影響を与えている。さらに、極洋氷山の溶解が新しい環境破壊を生み出し、生態系が消滅している一方、地下資源の採掘が容易になり、極洋航路が拡大している。

上昇する海水温度の中で

これらに拍車をかけるように、人為的な気候変動が今世紀中に地球上の温度を2,3度押し上げると科学者は想定している。海洋も温暖化し、海面が上昇、嵐が強まり、植物や動物のライフサイクルが逆行しつつある。

地球温暖化がすでにサンゴ礁を荒廃させており、海洋科学者は向こう二、三十年間に珊瑚海礁が全滅すると予想している。海水温上昇が珊瑚を養っている零細植物を絶滅させ、サンゴを餓死させる。同時に、海温の上昇は珊瑚だけではなく、他の海洋生物にも病気を蔓延させる。

大気中に放出された二酸化炭素が世界中の水に溶け込むので、海洋の酸化が進んでいる。これが、サンゴ、プランクトン、貝類など、多くの海洋有機体の甲殻を形成する炭酸カルシュームを減少させている。

これらすべての問題に加えて、気象変動と海洋酸性化がもたらす最悪のインパクトが予測不能である。地上の生命にとって海のサポートが不可欠である。この複雑かつ複合的なシステムは、地震や津波などの瞬発的な恐怖と中断が時折あったものの、文明の出現前から安定したものであった。

しかしながら、地球の気候に影響を与える複合的なプロセスにとって、破滅が近づいている兆候がいくつか見られる、と科学者たちは警告している。その一例は、熱帯魚がますます北方や南方の冷水域に移動していることである。このような変化は魚種の減滅につながり、特に熱帯地方の開発途上国における重要な食料源を脅威にさらす。

衛星データが示しているところによると、温暖な表層海水が寒冷な深層海水と融合する度合いが低下している。この合流障害により上層部に棲む生物が下層部の栄養素と切り離され、海洋食物連鎖の基礎であるプランクトンを減少させている。海洋の変容は、地上と海中の両方の生物を支えている複合的なプロセスと地上の気候に劇的な影響をもたらす。科学者はこれらのプロセスを十分に解明していないが、警告の兆候を軽視することは取り返しのつかない結果を招く。

未来を見据えて - 生き残る道はあるのか

各国政府と市民社会は海にあまり関心を寄せず、期待しないようになっている。これは、環境の質、良質な統治、市民個人の責任からみて、基礎的な認識の水準低下を示すものだ。海洋破滅の進行を受動的に容認することは、そのプロセスが回避し得ることから見て、まことに恥ずべき道義的態度である。

多くの解決法はすでに存在しており、そのいくつかは極めてシンプルなものである。政府は保護海域を設定、拡大し、公海における生物多様性を保存するために、より強力なルールを採択、施行し、そしてまた、太平洋クロマグロのように激減している魚の捕獲にモラトリアムを宣言すべきだ。

解決のためには、エネルギー、農業、天然資源の管理などに対して広範な変革が社会に求められている。グリーンハウスガスの大幅な削減、クリーンエネルギーへの転換、有害化学物質の根絶、大洋な汚染物の河川・海洋投棄の禁止を各国政府が行なわなければならない。

政府、国際機関、NGO, 科学者、企業は、海洋問題の解決に必要な経験と対応しうる能力を保有している。核廃棄物の国際的海洋投棄禁止のように、革新的イニシアティブによって、グローバルな成功を収めた経験を持っている。

汚染、過剰魚獲、海洋酸性化などが科学者だけの関心事に止まるならば、事態の好転は望めない。過熱化した世界的競争が潜在的に紛争を激化させることを理解している外交官や安全保障専門家は、気候変動が戦争と平和の問題となりうることを認識すべきだ。経済界のリーダーたちは、健全な海と健全な経済の直接的関係をよく理解すべきだ。国民の福祉を付託されている政治家と官僚は、クリーンな空気、土地、水の重要性を直視すべきだ。

世界は選択に直面している。海洋を石器時代以前に後戻りさせてはならない。手遅れにならない前に。海の健康回復を目指して我々が政治的な意思と道義的な勇気を奮い起こすことができるのか。その挑戦と機会に向き合うのが残された課題である。

コメント

環境問題への関心は年を追うにつれて全般的には高まっている。しかし、その高まりの度合は問題の巨大さと深刻さから見れば真に不十分だ。

これまで環境保護運動は具体的な環境被害や健康への脅威を契機に発展してきた。個別的な被害や利害をきっかけとして出発して、より高次の普遍的な目的の追求を触発し、世界的に発展するのが一般的なパターンである。

しかし、全般的な環境意識の高まりは、プレッシャーグループや企業集団の個別利害にも利用され、おかしな方向に誘導されることがある。例えば、地球温暖化が突出した国際的な課題として前面に押し出された背景には、二酸化炭素を排出しないエネルギー源として売り込んでいた原子力業界の国際的なロビー活動があった。

海洋の汚染は大気汚染に劣らず、むしろそれよりも構造的な危機を内包しているのに、海洋保護運動はあまり本格化していない。それは被害がより間接的にしか受け止められていないだけではなく、海洋保護によって直接的な利益(少なくとも短期的に見て)を享受する特定利益集団が不在なことも運動の物質的な基礎を欠くものにしてきた。

海洋環境保護の課題は個人や市民社会にとって、運動化するにはあまりにも巨大で、容易に足がかりが得られない。その意味では、本論が指摘するように、政治と市民社会の意識的道義的なベースラインを引き上げることによってはじめて、本格的な取り組みを可能とするのかもしれない。しかし、これは手遅れになる危険と隣り合わせだ。警鐘が乱打されるべき時は、“今でしょう”。
         (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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