【オルタの視点】

預言者 故郷に容れられず
― むのたけじさんとの長い旅(1)

河邑 厚徳
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 むのたけじの死とドキュメンタリー映画『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』の制作の日々が重なった。むのさんは8月21日未明に息を引き取り、映画完成が9月だった。時間がたつにつれ、あらためて101歳まで生きたむのたけじのいのちがこの映像の中に残されたと感じている。託されたものは重い。三年間の取材の中で、むのさんは自らを映像でも残したいという気持ちが強くなったように思われる。ジャーナリストとして取材し、自分で本を執筆し、講演することが本業だが、自分自身が取材対象となることの可能性を感じる瞬間があった。

 結果的に最後となったふるさとへの講演旅行は2016年の1月だった。横手から山一つ越えた岩手県西和賀町へ向かっていた。東北新幹線の車中で語りだした。ちょうど一年前に、横手市立図書館が進めるたいまつ新聞のデジタル化の記念講演が行われ、その時に私も撮影していたので以下のような話になった。

 むのさんは「今日はふるさとから呼ばれたような気がしています」と語り始めた。
 「むのさん、故郷って何ですか?」と聞いてみた。
 「おふくろの袋じゃないですかね。10か月いたわけで母胎でしょ。ふるさとはうまれてからの母胎だな。生まれた土地でしょうね。これが合う、合わないがあると思うんですよ」
 「特にその点で問題なのは、キリストも言われた。預言者故郷に容れられず、ですな」

 東北へ向かうむのさんはこの日少しおしゃべりだった。
 「息子と話していたんだけど、河邑さんってすごいなー。前の横手講演でまわりの聴衆が感激しているように見えながら、そういうムードの中でも、河邑さんは冷たい目で『むのたけじ何者ぞ!』ということを見ていた。むのを批判する人間も相当いると感じたらしい・・」
 生まれ育ったふるさと横手への思いは強いが、愛はそのまま報いられるわけではない。
 「たいまつ新聞を出して、こうなればこうなると警告を出すわけですからな。ふるさとにおもねるものは受け入れられるが、ふるさとに批判を加えるものはだめなの。秋田県人はますますそうなんです。たぶん十割のうち好感を持っているのは三割ぐらいじゃないですか」

 むのさんの人生の歩みは、その都度に思わぬ出来事が立ち現れてくる。長く生きる醍醐味と不思議さを、一身に体現してきたようだ。敗戦の日に、翼賛記事を書いたことを個人で清算し、朝日新聞をやめ、生まれ故郷の横手に帰ってタブロイド判2ページの週刊たいまつを発行した。当初の意気込みは周りの無反応で空回りしたが、止めるわけにはいかない。機会あるごとに話す「やるなら死にもの狂い!」精神が支えた。苦労を重ねてたいまつを発行し続け、16年目に「たいまつ16年」という本を出版した。
 意外にも元市長、元市議会議長、金融業者の三人の有力者が連名で、あなたの出版祝賀会をやると知らせてきた。一流の料亭に宴席が設けられ座敷には、町の保守層を代表する面々が集まっていた。つまり、たいまつが矛先を向けてきた相手たちである。
 冒頭に三氏が顔を見合わせながら
 「本が出ておめでとう。お祝いは本を買ってよく読むことだな」と挨拶した。
 むのは「あなた方はどうしてこんな会を催して下さったのですか」と尋ねた。
 「たいまつはおらたちの敵だ。だからつぶすわけにはいかん」

 車中でむのさんは、敵だからこそ、敵に学ばなければならないと思ったのだろうかとその時を振り返った。たいまつは、地元ではちびっこ新聞などと呼ばれ無力をいつも感じていたが、休刊するまで30年間も発行された。

 以下は、一年前のたいまつデジタル化の記念講演前に、県立横手高校のすぐ裏手にあるかつてのたいまつ新聞社(自宅)で聞いた話である。

 「むのさん、心の中にまだたいまつの火は燃えていますか?」
 「燃えています、燃えています。死ぬまで、たいまつというのは今日の講演でも言うかも知れないけど、新聞出そうって思ったときに、真っ先に浮かんだのはたいまつだった。たいまつって言うのは我が身を燃やす。誰にもたいまつは作れるし、我が身をたいまつに出来ると思いついたときから、たいまつがひょーって、新聞出すか出さないかまだ決まらないうちにね」
 「文字が浮かんだんですか?」
 「ひらがなです。ひらがなで燃えいくものが見えて。」
 「火が見えたんですか?」
 「見えた!見えた!見えた。だって農村でなにかやるとたいまつ燃やしてやってたんだから、ろうそくなんかない時はね。まぁ身を燃やさんと駄目だと。やろうと思えば誰もがたいまつを作れると。自分の身体をね、全身をたいまつにして取り組めばいいわけだから、そんな思いですね。そういう風にしないとこの仕事はできないぞってことだ。たいまつの名が飛び出してきた。」

 むのさんはデジタル化を横手市が進めたことに感動していた。
 「非常に立場が明確なところで仕事したから、市役所とか公共のとことは必ずしも一致しない場合があるわけ、だからそういうものなのに、135万円もの税金を付けてね、永久に渡せるような仕組みを作ってくれるなんて本当にこういう地方自治体で珍しいですからなー。また反対派が相当でてくるなと思ったけど、それがとおったって言うんだからびっくりしてる。」

 炎は最後に赤々と燃え上がる。『笑う101歳×2』での取材は、いまわの炎を身近に感じながら記録するという特別の時間となった。のべにすると50時間ほどの映像が手元にある。それを未来に手渡す責任を感じている。

 (映画監督・大正大学教授・元NHKエグゼクテイブ・プロデューサー)


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