【コラム】落穂拾記(43)

ゆるやかなカーブはどこに向かうか

羽原 清雅


 「歴史は繰り返す」という言葉は、年齢を重ねるにしたがって「ナルホド」と思わせる。一方で、「民意の行方だから、まあ仕方ないか」といった思いも走る。高齢化の正と負の部分だろうか。
 そんな思いのなかで、昨今の新聞を読み続けると、ゆるやかながらも大きなカーブを描きつつ、歴史のコーナーを曲がろうとしていることがよくわかる。
 そこで、自分の「歴史認識」を修正する必要があるかどうか、を考えつつ、極めてずさんに近況を整理してみた。結論は人さまざま。あくまでも自分本位、独断と偏見だが、意外にこだわっている自分に遭遇した。
 まずは、変わりつつある、あるいは変えられつつある社会状況を見る。そして、連想ゲーム的に戦前の同じジャンルで起きたり、起こされたりした事例を考えてみた。

◆教育◆ 今春から自治体首長の意向が反映しやすい「総合教育会議」が発足した。たった一つの滋賀・大津教委の無能ぶりが自民党政権に口実を与え、また橋下大阪維新の主の言動もあって、行政発言の強化が全国化した。「民」主導のはずの教育に、「政治」、とりわけ権力機構が口をはさむ機会を全国に拡大したものだ。当面は静かであるにしても、地域によっては独特の首長の登場によって、将来的に問題が生じることがあるに違いない。

 教科書への行政(政治権力のもとに)の発言も増しており、社会的国際的に意見の異なるような問題があっても「政府見解」を掲載して、その方向で教育を進めることになった。あれこれの材料を比較検討のうえ自分の意見をまとめることが望ましいのだが、これを不可能にする流れに向かっている。

 「道徳」を教育することは悪くはなかろう。個人の身勝手、相手への尊重、社会ルールの軽視など、民主主義・個人主義の前提が崩れかけている一面を補強することはいい。ただ、「社会とどう付き合うか」「相手の気持ちは」を考えるような視点が望ましい。
 教育はやりようによっては、ひとりの人間の思考を停止させ、洗脳的に固定した論理を押し付けかねない。本来、各人の幅のある思考のなかで、多様な見方、考え方を比較し選択すべきところ、限定的判断というか、押し付けに追随しかけない危険をはらむ。しかも、幼児から成長期を通じた教育は、社会人となったあとの社会形成を不健全にゆがめかねない怖さがある。教育は、世の中を思うように作りかえる最高の機能である。だからこそ、権力の一方的な介入は避けなければならない。 

* 戦前は国定教科書で、全国民を単一思考に追い込み、国家と天皇への忠誠を基軸として、戦争への道の地ならしをした。現行の方向とは異なる状況も多いが、「個人よりも国家」という方向に持っていこうとする傾向には、強い警戒が必要だ。

◆メディア◆ 新聞の二極化が進む。戦争から70年の歴史の歩みは、反省を生かす模索の方向と、自信と誇りの復元回復に取り組む方向とに分かれつつある。それは、護憲と改憲の動きに象徴的に表れている。
 また、テレビ界は自民党から呼び出され、報道姿勢に注文を付けられ、さらに見えないプレッシャーに襲われている。そのようなことは当然ありうることだが、反撃なり、抵抗なりの身構えが弱く、たとえば選挙報道の時間削減やコメンテイターらの人選などを操作することで消極的ながら忠誠を尽くす傾向にある。
 新聞には、戦前のような外的直接的な法的規制はないが、テレビには放送法、電波法などの保護と規制の法制度のもとに、政府等が介入できる余地がある。新聞はしたがって、自らの厳しい自己規律を求められて当然だが、後発のテレビは法令的な範疇での判断が強く、また権力機構への抵抗経験も乏しく、さらには視聴率とその影響力を勘案するスポンサー企業の意向など収益第一の影響もあり、まだ報道メディアとしての姿勢が確立されていない。そこに、権力機構などがつけ込むスキを与えている。そして、テレビ側の迎合も出てくる。ひいては、視聴率という「質」よりも「数」の発想が、笑いようもない低質なお笑い芸人への依存度を高めたりもする。

 加えて、朝日新聞の失態(「慰安婦問題」ではない)、NHKの「やらせ的」報道(本来追及すべきは経営陣の体質だが)、テレビ朝日でのコメンテイターのイレギュラー発言といった失態が、自民党などが手を出すチャンスを提供するといったメディア側のもろさもある。各紙とも、訂正欄を充実させたのはいいが、シュリンクして、歴史の曲がり角に妥協し、見落とすようなことのない大きな身構えで臨んでほしい。

* 戦前は新聞紙法などの縛りや、内閣情報局、大本営発表などの報道統制が徹底していたし、「戦争は新聞部数を伸ばす」という経験則が新聞側にもあり、国家とメディアが一体化して戦争への鼓舞、高揚にまい進した。反対する者には、精神的のみならず、肉体的拘束や抑圧が加えられた。新聞側の初期の抵抗は、予想以上にもろく、いったん崩れたあとは、人間の生命を重んじ、国家をチェックし、多様な意見を生かすといったメディアの本来の機能はごく簡単に失われた。
 戦後に一斉に示された戦争をめぐる報道責任の反省は、70年後の昨今、新聞、雑誌、出版界などの一部では忘れ去られ、歴史の「過去」と「未来」が、現時点で繋がらなくなろうとしている。文藝春秋の池島信平(のち社長)は終戦直後、「もし将来、再び暗い時代が来た時、敵は外にあると同時に、もっと強く内部にあると覚悟してもらいたい」と述べたが、現役の後輩たちはもう一度かみしめたほうがいい。

◆学識者◆ 世論のものの捉え方に影響をもたらすのは、新聞やテレビ本体もさることながら、そこに登場する学識経験者や学者たちの見方や意見、その言論活動が大きい。行動し、発言する学識経験者はかなり増えてきており、このことは望ましいことでもある。
 ただ、なかには、状況に合わせて変化する者、権力におもねる者、客観性を失い一方のプロパガンダに走る者もいる。改憲、護憲など足場をきちんとさせた主張者は必要だが、時流に乗ろうとするだけの、声高で攻撃的な人物の台頭は世の中を欺くことになりかねない。

 かつての首相が、リベラルな学者を「曲学阿世の徒」と罵ったことがある。いま、この言葉に感じるのは、たとえば以前に小選挙区制を推進する旗振り役を果し、いま衆院選挙区制などの再検討に当たる政治学者、あるいは集団的安全保障の推進を周囲の納得を得るよりも、自己的論理中心に説いて政権周辺を徘徊する人物などの事例で、いつの時代にも御用学者は輩(排)出されるものだと改めて思うのだ。
 一部の出版物にもそうした常連が増えつつある。言論が乱暴で、汚い言葉を吐く点で共通することも多い。学識、とはその程度のものではないと思うのだが。

* 戦前は、京都大学の滝川幸辰教授への「赤化教官」としての弾圧(1933)、憲法学者美濃部達吉の天皇機関説弾圧(1935)を機に、戦争遂行につながる国体明徴決議を生み、大内兵衛、津田左右吉らも排除の対象になる。このあと国策の基準(1936)、国民精神総動員計画(1937)、国家総動員法(1938)、大政翼賛会(1940)など戦争態勢が整っていく。
 美濃部追及は蓑田胸喜らの言論派、上杉慎吉ら学者、菊地武夫らの政治家たちが攻撃の論陣を張った。一部の論者が理論面で、一部は議会で取り上げ、その動きが言論や運動で広がるのだが、論争や内容の吟味は次第に遠のき、「流れ」だけが進んでいく。進むときにはもっともらしく、見えにくいが、振り返ってみると、明らかな負のカーブが描かれている。
 昨今とは、要件がさまざまに違う。同様の懸念はあるまい。ただ、権力構造が動き、それを求める傾向が強まると、追従するメディアや論者、運動などが勃興していくという点では、変わらない。

◆市民運動◆ 大きな社会的アイテムが出てくると、かつては60年安保の学生らの運動、反基地や公害立法などの被害者や環境汚染を恐れる団体活動、雇用面にとどまらない生活闘争的な意味での労働運動、そしてナショナルセンターとしての各種の市民運動があって、政治に対して異議を申し立てる機能が存在した。そこには問題もあったが、一定の役割は果たしてきた。
 そして、いまは、あさま山荘、赤軍派内部テロのあった70年代に決定的となった学生運動に対する否定感情や、物的な豊かさをもたらした好景気の影響もあって、学生運動がまずその火を消した。また、総評解体の音頭が労組自身のなかから生まれたことで、いまや連合組織はあっても、非正規や中小企業の労働者をほとんど対象にしなくなり、政治批判や生活要求などの活動もすっかり沈滞した。

 九条の会、反原発のデモや集会、沖縄の反基地闘争など、いまも様々な活動があり、一応の成果もあるようだが、かつての全国規模で、網羅的な問題提起の運動はその母体を欠いており、いまひとつ物足りない。国会包囲・各地でのミニ決起集会といった横断的な機能はできないものだろうか。
 護憲・改憲の可否は日本の将来の姿を決めることにもなるので、どちらの立場にせよ、国民的な行動の場があった方がいい。運動の取り組み方の是非は別として、学生は将来に向けて立ち上がることなく、また世論を先読みするようなナショナルセンターの育たない現状は惜しまれる。

* 戦前は非合法政党などの地下運動は一部に存在したが、ほとんどはヨコの隣組組織、タテの業態や産業別の組織が翼賛体制のなかで整備され、これが戦争遂行の下支えの基盤になった。組織の決定に弱い日本人にとって、支配を下支えする決定的なフレームでもあった。今日の社会でこのような再現はムリではあろうが、かといって、アンチの強い組織が生まれることもない。そうなると、多数党の権力による国会での決定が静かに、だがドラスティックに進められるだろう。ある意味では、「民主的」なプロセスを踏むことにもなる。
 抵抗勢力、反対運動といった少数に始まる活動というものは、そう簡単には生まれないし、広がらない。リーダー、そのブレーン、さらにネットワークが、広く市民の共感を引き出さなければ、時の権力の、一応は法的に合理性を得た進め方に反抗することはまず不可能だろう。ゲリラ戦に待つという手もあろうが、これは逆作用の危険がある。本来は、政党の活動が意味を持つところだが、現状では永田町を出て街や身近に動こうという発想も、行動力もまったく期待はできない。

◆世論◆ では、一般的な民意はどうか。現状を見ると、政治的無関心の度合いが高い。先の地方選挙のみならず、国政選挙も含めて、投票率は下がる一方だ。有権者の半分前後の意思しか表明されず、あとはオマカセ状態にある。世論調査が問えば、一応の数字は出るが、これは「知っている」程度のことで、身近に迫りうる事態の急変を懸念する、といった積極的なものとは言えない。
 「戦争の悲惨」「人命の軽いあしらい」といった経験を持つ高齢層は減る一方で、「えッ、アメリカと戦争したの!」「戦争、カッコいいじゃん」「攻める国と戦うの、当り前さ」といった若者が増えても不思議はない。戦争を知らなくてもいい。ただ、近現代の日本がなにをしたか、という事実はごく一般的に知っておかなければいけない。そのようなことから遠い世代が増え、戦後70年の今、曲がり角を迎える。
 そして、「侵略かどうか、歴史家の間に意見が分かれる」との逃げ口上が案外、「戦争」の本質を実感できない若い人々の間では共感があり、過去の日本の責任をさりげなく忘れていくことに効果があるようでもある。それは、日本人の誇り・愛国心・長年の国際的な経済支援といった「自己完結型」のオブラートに包まれることで強められていく。

* 戦前は、天皇・軍部・官僚などの「国家」に対する信頼感と忠誠心が強く、明治以来の国家的な教育の結果として自己意見のないままに追随する風潮が根強く、またそれが国民としてのありようでもあった。
 いまはそんなことはない。戦前は権力依存の体質が蔓延、多くは無自覚・無関心のままに流れに身を任せたものだが、おおざっぱにいえば、いまは関心が自分中心、趣味や興味本位に集中し、自分の関わりそうにない社会の動向や政治の流れは別世界のことになっている。この状況は戦前とは別の意味で、権力機構にとって思い通りの方向に舵が取りやすくなっている、といってもいい。現に、そのように大きく動き出している。

◆政党政治◆ 舵を切る重要な機能を握るのは法的な背景を持つ権力機構だが、政党は本来、それをチェックし、危うさがあれば国民に向けて発信すべきだ。だが、その点が弱まり、多様な意見を吸収して判断を重ねるような努力や力量、機能を弱めつつある。
 例えば、「戦争法案」という国会内での野党発言を、数の論理で封じ込めようとする。発言も単に挑発するだけの用語で中身自体もつたないが、それすら議席数の強大さをもって取り消しを迫る風潮だ。このような圧迫は、政党を超えて、議会人として跳ね返すのが当然だろうが、そうはなっていない。

 最大の危険は、衆院の3分の2を押さえる自民党が奇妙な一枚岩になり、かつてのようなタカとかハトとかの激論もなく、あるいは多少の良識をのぞかせる論議を展開することもなくなったことだ。小選挙区制は政党執行部の発言力を強めるための導入でもあったが、それが強大な首相を軸とする行政府を思うがままにさせるとともに、党内論議を抑圧する結果にも結びついている。大政党がイエスマンばかり、というのはいかにも不健全、不可解である。集団的自衛権の行使容認という戦後史でも最大の課題を前にしながら、やらせ、であるにせよ、その程度の異論すら出てこない。
 しかも、与党化した公明党は、本質の論議に迫れず、言葉の遊戯で追従する結果になっているとしか思えない。党員というか、創価学会員というか、これまたほとんど一枚岩のような強さである。

 では、野党はどうか。民主党は風やムードで選挙をしてきたツケがまわり、胡散臭い目で見られていることに気付かないのか、こと重大な論争に向けて不勉強だと思う。党議の一致を得にくいことは避ける、という及び腰が響いている。かつて、社会党が安保論争を挑んだときのような、個々の議員なりチームとしての努力と迫力がない。
 小党が乱立してもかまわないが、小党ならではの独創力を欠く。「自民と共産の対決」などのキャッチコピーが、党外にまで共感を呼ぶことになるのだろうか。ほかに新たな手法や工夫はないのか。保守系の小党にしても、自民党の応援団としてではなく、痛いところを突くくらいの知恵は出せないのか。

 若い人の選挙権を18歳に下げようとする一方で、彼らの投票率が2分の1、3分の1にまで落ちるという矛盾は、若い人たちの歴史に対する学習の場の乏しさ、全体のありようを考えない個々の民主主義意識の貧しさもあろうが、政治・政党自体が将来を形成する主力の世代に対して、政治への関心喚起や啓発することに意識が希薄すぎることも一因ではないか。

 戦争発生の背景、殺し殺されるおかしさ、戦争のもたらす個々人の悲惨・・・そんな状況を知る高齢層が消えて、歴史の教訓を身につけない若い世代が台頭することは、物理的にはやむを得ないことではある。そのようにして、歴史は愚を繰り返す側面もあるのだから、驚くようなことでもない。だがそれにしても、このまま論議のない多数党の思いのままでいいのか。

 例えば、首相が戦争を「反省」するのはいいし、当然だろう。だが、「おわび」はいやだ、という。「侵略ではなかった」のだから、と言いたいのだろう。しかし、戦争を仕掛けられ、多くの犠牲者の子や孫の世代が現に生きている以上、相手の足を踏んだ以上、詫びたほうが大人だろう。日本の国民感情が相手国への嫌悪感を増しているということは、その国にとっても対日感情の悪化を招く教育などが進められ、外交力をも崩す悪循環をもたらしている。
 近隣の国と何年もしっかりした会話もできない状態、つまり外交の土台が崩れたなかで、地球規模に軍事の手を広げる「積極的平和主義」を打ち出す。安全保障の美名のもとに、軍事力の強化と拡大を進め、本格的な和解の外交努力を怠り、その責任を相手国のみに帰する。
 おかしくないだろうか。

 繰り返して言いたい。かつては「軍事力に裏打ちされた強い外交」が欧米でも常識化していたが、いまの日本の手法は「外交より軍事力」「近隣諸国の加害性に対応できる軍事力優先」である。ひとつの大きな問題は、外交努力なく、相手国の脅威を宣伝し、嫌悪感をあおって世論誘導を図っていること。もうひとつは、自衛権にとどめる戦後日本の発想は、近隣国の「第9条」を理解されるよう外交努力を重ねることで摩擦を回避し、平和の維持に尽くすことで、それなりの国際的なポジションを得てきたが、この憲法の方向を「改憲」も諮ることなく従来の路線を変更することである。
 政党は、そんな基本について取り組むべきで、ただ軍事技術の論議ばかりに走ってほしくはない。

* 戦前は、政党がひたすらに政略をめぐらし、資金などの腐敗をさらし、さらに官僚、軍部、財閥など権力への阿諛追従に慣れきってくると、戦争の「正当性」の理由付けや勝ち負けのみの軍事・戦争談義に埋没、しかも政治への不信の表明を言論の規制や弾圧によって許さない状況を醸成、ついには自ら政党を解散するに至り、一元的な翼賛政治を招来し、戦争国家に堕ちていく。
 これは今とは違う。だが、政党自らが堕落しないまでも、政党が、理解に耐えうるだけの「あるべき姿」への強い方向性を持ち、「ムード」に流される風潮をチェックしうる才覚を磨き、努力しなければ、結果は戦前と同じようになりかねない。本質論がないと、多数党を率いる権力政治に追従することにもなる。
 「民主」とは、多様な責任ある相互の表明を闘わせ、より望ましい方向を探る、その訓練度にかかっている。多数意見の「流れ」に乗り、単なる議席数の多さと、投票率の低迷をいいことに、一方的な方向づけを許してはなるまい。

◆見えにくい将来像と不安と◆ 政治は将来のありようの大きなカギを握るものだが、政治談議や投票率は高まることがない。なんとか食べて、日々の暮らしはほどほど、といった豊かさが確保され、自己中心の思考にくるまれる楽しさもあり・・・といったところか。とはいえ、10年後、20年後、を考えなければなるまい。
 問題は、アベノミックスの成否不明のまま期待が持続するのはいいとしても、一方で地方との格差の増大、非正規労働の激化、収入による教育や就業の格差拡大、年金や福祉面での高齢化に伴う不安などが進んでいる。実際は、「前」が見据えられないような厳しさに直面している。
 将来的なロマンが描けるような状況ではないにしろ、見えにくく、複雑に絡み合う現実から、若者たちは逃避しかかっているのではないか。政権に不安は尽きないが、いつの時代でも、社会は常に大きな課題を抱えているわけで、むしろその打開に燃えるように取り組む風潮がないことの方が残念に思える。
 そのような燃えにくい社会の風潮が、強大化した現政権の自由自在な権力行使を許すことになり、そこに新たな障害や課題を生んで、さらに混迷を招いているのではなかろうか。まさに、悪循環に陥っている。そして、この無抵抗、無関心が、社会的な沈滞から世相の退廃につながりかねないことも怖い。

* 戦前にも、このような空気がなかったわけではない。ただ、国家の振る旗のもと、海外への雄飛・八紘一宇のロマン・五族協和・挙国一致といったキャッチコピーに躍って、失業、過重労働、不作、小作の苛斂誅求など、足元の生活苦に耐えようとする空気があった。その一方で、視野を狭められるままに、「侵略」される相手の苦しみや、戦火のもたらす不幸などには思いが及ばない、という問題もあった。
 こうした点は、明らかに現状とは違う。教育水準も上がり、判断材料になる情報も増え、自己主張のチャンスが与えられた。まさに「民主」は実現している。
 だが、ほんとうにそうか。あえて、もういちど踏みとどまって、戦前と今との相違点と類似点を考えてみたい。実態も、向かう方向も、確かに違うのだが、「カーブ」の切られ方が似てきている。この70年間に、「民主」は現実に成長して、各個人になかに浸透、定着してきているのだろうか。そんな疑問が払しょくできない。なにか、不安が残る。

◆そして、これから◆ 「カーブ」は切られつつあり、これからさらに加速されようとしている。
 不和のままの中韓関係、軍事的拡大、軍事面での対米依存偏重、アジアとの関係の希薄化、内政問題では打開できない沖縄の基地問題、さらには改憲という戦後築いてきたフレームの解体と、不安を招く国家先行型のシステム構築・・・。
 中韓脅威をアピールし、「嫌中非韓」ムードの醸成とこれをテコとした軍事膨張と外交欠落の姿勢は、明らかな間違いだろう。
 大企業の優遇や増強の政策は、低所得層を含めて社会全体を潤わせることになるのだろうか。
 教育面では、教科書検定、教員採用などで国家管理を強める方向にあり、狭義の愛国心・道徳教育が将来の日本のあり方にまでマイナスを植え付けないか。改憲は、この風潮を一層強めていくことは間違いない。
 道徳についても、社会生活の重要な基準であり、ルールやマナーのありようなどで問題点も露出している「個人」主義に攻勢をかけ、その修正と国家重視の道に誘うような手法でいいのか。
 メディアに生じる弱点・敵失を突くことで、法的規制や自己規制に誘導するような環境作りは、言論の本源的な自由を侵すことにならないか。
 まだまだ各方面に不安はある。

 何度もいうが、安倍政権は多数党の一枚岩で、経済への期待を不確かながら維持している。その支えのもと、来年の参院選に勝って3分の2の議席を占める。それまで、国民の失望を誘わなければ、反対の出にくい課題での「改憲」の第一歩を踏み出し、さらに本丸の第9条改定に進む。与えられた任期は長く、長期政権を可能にする、めったにない好機にある。
 すでに切られつつあるカーブは、さらに進められる。そして、5年、10年後の日本はどうなっているのか。どうにも落ち着かない日々である。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


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