【自由へのひろば】

わたしの出会った“明治女と江戸女”

佐々木 征夫(ゆきお)


 わたしはこれまでに、人生一筋に生き抜いた二人の明治の女性と直接出会い、また取材を通して静かな勇気を内に秘めた一人の江戸の女性に出会った。この三人に共通しているのは、日本女性として誇り得る見事なまでの潔さである。それは正しく損得一辺倒の現代社会が自ら切り捨てたもの、または享楽的時代の当然の結果として喪失したものである。
 ちなみにわたしは、江戸文化こそ、仏教と儒教と武士道が鎖国のもとで見事に融和し熟成した、わが国精神文化の一つの頂点だと考えている。

 1979年当時、日本テレビの政治記者だったわたしは、暇を見つけては社会党を離脱したばかりの加藤シヅエ先生宅を訪ね、先生特有の面白くてためになる時事放談を聞くのが何よりの楽しみだった。
 いつ伺っても、先生はお年がウソのようにお元気で、それに同じマンションに住むお嬢さんのタキさんが加わると、先生の話にはますます気合が入った。

 ところで先生の口癖は、
 「あなた、感動してますか? 一日十回、感動してますか?」
であった。ほとんど毎回言われるので、初めは“またか”と少々食傷気味ではあったが、それが次第に新鮮に聞こえ、思った以上に意味深であることも分かってきた。先生独特の明確な口調で、その時々の心情を精一杯ぶつけられるので、その都度新たなニュアンスが加わったのかも知れない。
 大分後になってから、その口癖の真意がようやく分かってきた。そもそも真理というものは知識として理解しただけではほとんど無意味で、体と精神が共に体験的に消化して、初めて自分のものになる。つまりお経のように毎日繰り返し唱え、それが生活の一部になることに意味があるのかも知れない。そしてそれ以上に大切なことは、勿論毎日どれほど深く感動できるかだ。

 そもそも感動するとは、感謝することと裏腹で、人間だけに与えられた特権的精神作用である。そしてそれは、人間の幸福感とは切っても切れない不思議な関係にあるのだ。つまり具体的には、どうせ同じ一日を生きるなら、小鳥のさえずりを聞いて感動し、一輪の花を見て美しいと思った方が、日々不平不満と愚痴で暮らすよりは疑いもなくトクであり、より豊かであるということだ。
 それが昨今では大人は元より、子どもたちまでが妙に老成化し、
 「そんなの、当たり前じゃん。バッカじゃねえの?」
と言った具合で、感動もしなければ、何事につけ不思議がりもしない。この現代社会に蔓延する“無感動さ”こそ、教育の原点、人の生き方から価値観に係わる大問題であり、実は現代社会の最も本質的な病根でもある。シヅエ先生は、最も大切なこの問題の核心をしつこい程に反復連打して、駆け出し記者に根気よく警鐘を鳴らしてくださったのである。

 一方、先生は意外にも大の相撲ファンであり、よく楽しそうに先生ならではの解説をなされた。その中でも特に印象に残ったのは、
 「わたしは力士の仕切りを見ただけで、ほとんどその勝敗が分かるんです。体の動き、肌の張りや色ツヤ、何と言ってもその表情ですね。取り分けその目は正直なんですよ。目を見ればどっちが勝つかすぐに分かるんです」
 そう言いながら先生にジッと見つめられると、わたしは胸の底まで見透かされたような気がして、太めの身がすくんだ。特に先生の人を見る状況判断の鋭さや奥の深さには、心底舌を巻いた。改めて“目は心の窓”という箴言の重みを新たにした次第であった。
 それからというもの、わたしは相撲観戦するたびに、このシヅエ式判定法に挑戦して来たが、未だにその半分も当てることができない。それにしてもわが眼力のなさはさて置き、先生の人を見る目の確かさには、今更ながら感服せざるを得ない。やはり欲のない人ほど、他人(ひと)の人品骨柄がよく見えるのだろう。

 昨今、全国的に増えた100歳の元気なお年寄りを見るたびに、わたしは改めて、日本婦人の人権解放運動の先駆者・加藤シヅエ先生を想う。あらゆる問題の解決策を熟慮し、ひとたびそれが世のため人のため、人道にかなうものと確信すれば、損得を顧みずに前進する…これぞ正にパイオニア精神的潔さである。そして先生が進まれた跡には、おのずと女性解放の確かな道が開かれて行った。

 ところで先生の言う“感動する”とは一体どういうことか?どうすれば心底感動できるのだろうか?
 ワーズワースに、“虹”という詩がある。
「子どもの頃、私は虹を見て心が踊った。
 大人になった今、虹を見るとやっぱり心が踊る。
 私が年を取っても、そうでありますように。
 さもなければ、私は死んだ方がましだ。
 子どもは、大人の父だ。
 私の一日一日が自然への深い敬意の心で結ばれますように」
 私はこの詩を、“大人は子どもの透明で真っ直ぐな目を忘れるな。そして敬虔な気持ち で大自然から学べ”との意だと解している。

 一方、東洋には古くから、
 「“少欲知足”即ち欲を少なくし、足るを知る」
との思想がある。これは人間の欲望こそが、あらゆる判断や人生を狂わせてしまう。つまり“中ぐらいなり、おらが春”で、質素に暮らすことこそ幸せの基(もとい)…との意味であろう。
 然り、実はこうした心眼を曇らせず、私利私欲を捨て切った人ほど、胸の底から深く感動できるのだと、わたしは信ずる。
 さらに、ひとたび決断すれば自らを顧みず直ちに実行するシヅエ先生も、この感動する心を通して“明治女の潔さ”を全うしたものと確信している。そんな時、ふと遠く一点を見つめたシヅエ先生の清々しい横顔が、懐かしく想い起こされるのである。

 政治記者だったわたしはその後、突然ドキュメンタリー担当を命ぜられた。そこで間もなく不思議な偶然で出会ったのが、山形県の山奥にある基督教独立学園高校の書道教師・桝本うめ子先生である。うめ子先生は、明治の思想家・内村鑑三の愛弟子で、1892年(明治25年)生まれだから、1897年(明治30年)生まれのシヅエ先生より五歳年上になる。いずれにせよ、ご両人ともれっきとした明治の女であり、ともども筋金入りの精神を秘めておられることに違いはない。
 その後わたしはうめ子先生の取材を十年間続けさせて頂き、十数本の番組を制作。さらには取材の詳細やプロセスを記録した「うめ子先生・一〇〇歳の高校教師」(日本テレビ・出版部)を上梓した。
 番組は事件も事故も何もない、ただうめ子先生と生徒たちの心温まる交流を淡々と描いたものだが、反響は回を重ねるたびに広がって行った。しかし番組の展開は全く予測すらできないので、わたしが担当部長に“これ以上、企画書は書けない”と直訴すると、部長は“この件については企画書不要。どうでもいいから続けろ!”と叫んだのだから、何とも不思議な番組であった。それ程うめ子先生の“明治の女”の人間味を視聴者が郷愁の如く求めていた、と今わたしは理解している。

 要するに、シヅエ先生は日本婦人の人権解放のリーダーとして、政治の檜舞台で大局的に活躍したのに対し、片やうめ子先生は山の中で人間の生き方そのものを若者たち一人ひとりに、静かに身を持って指し示したということだ。もともと横浜の大財閥の令嬢だったうめ子先生が何もかも捨て切って、生涯山形の山奥に移り住んだ決断と潔さだけでも、わたしはただただ脱帽するばかりである。
 明治という“古き良き時代”の痕跡すら失った味気ない昨今、このご両人の凛とした姿に直接触れさせて頂いた幸運は、わたしにとっては文字通り光栄の至りである。

 ところでこの四月半ばにも、わたしはドキュメンタリー小説「おも代の舞(おもよのまい)」(遊人工房)を出版する予定だ。これは江戸後期の歴史著述家・神沢杜口(かんざわとこう)の「翁草(おきなぐさ)」に記録された実話を土台にしたもので、譜代大名である土浦藩主とその正室、並びにその側室との三人の心中事件である。
 主人公であるこの事件の側室“おも代”は、正室・正子の父である掛川藩主に仕える家臣の娘で、正子の輿入れに侍女として付き添って来た女だった。
 掛川藩主・土屋能登守泰直は、おも代の美貌と無垢な人柄にたちまち魅せられ側室としたが、おも代は「わがお仕えする正室を超え、殿の寵愛を受けるは本意に非ず」と、命がけで暇乞いを申し出た。結局、泰直はおも代を手討ちにした後、自殺。正子もまた、二人を追って自決した…という凄惨な事件である。
 わたしはもともと心中そのものを忌諱していたし、近松門左衛門の心中物などにも取り分け興味はなかった。そんなわたしが翁草に記録されたこの短い一文に出会った時、「これは違う、単なる心中事件ではない!」と直感したのである。そして資料を収集し、取材を続ければ続けるほどに、これは単なる男女の問題を超えた、“人間の生き方”、ひいては“人は何のために生きるか?”といった哲学的命題が問われていることに気づいた。

 事件の取材中わたしは幸運にも、江戸中期から代々、掛川藩の筆頭家老を務めた“古屋一族”の末裔を探し当てた。しかも彼は古谷家にまつわるあらゆる経緯(いきさつ)を詳細に調べ、記録していた。その上、正子と全く同時期に、美貌と才気を兼ねた一人の際立った女性が古屋家にいたことを明らかにしたのである。
 当時の世の常としても、もし一介の侍女や側室が殿の寵愛を一身に集めたとすれば、誰しもが己が幸運と幸せに酔い痴れるべきところ、おも代は衷心より正室の立場を慮り、敢然としてその身を引いた。さらには死をも恐れず、己の生き方を通し切った女はただ者ではない。その潔さからしても、わたしはこのおも代の精神性が、そのまま次代を担う明治女への系譜として引き継がれたような気がしてならない。

 思うにこの事件は、経済成長に酔い、あらゆる分野で歯止めを失った現代社会に、“人の生きるべき道とは? 真の豊かさとは何か?”といった根本問題を実は強烈に問いかけているのだ。ところが今の日本人は、江戸文化の残り香すら失った精神性欠落の現状にも、露ほどさえ気にもかけない! しかしこんな時代だからこそ敢えてわたしは、江戸の片隅にかくも清新な女性が潔く生き抜いた事実を一人でも多くの方々に知って頂きたく、誠心誠意微力を尽くしたいのである。
 ただ不思議なことに、長期間やるせない心中事件に取り組んだにも拘らず、今わたしの胸中に暗いイメージは全く残らない。それどころか逆に“前向きに生きる希望”が沸々と湧いて来るのは一体どうしたことだろう? この感動と感謝の気持ちを、わたしは命の続く限り守り抜きたいと思う。

 これら三人の“明治女と江戸女”こそ、日本本来の誇りであり、今も世の片隅にきらめく高貴な真珠である。

 (筆者はドキュメンタリー作家・元日本TV記者)


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