【オルタの視点】

アベ政治を許さない 

緊急対談:山崎 拓×阿部 知子(リベラルとの対話2)


 安倍政権が強行した安保法制は何が問題なのか。かつて自民党幹事長として辣腕を振るいYKK(山崎拓・小泉純一郎・加藤紘一)の一人として活躍した山崎拓氏と、小児科医で社民党政調会長を務めた民進党の論客阿部知子の緊急対談。

【阿部知子】(以下、阿部) 実は山崎先生が議員でいらっしゃる時期と、私が2000年に当選してからの期間は、重なり合ってはいるのですが、自民党の党務と政務を仕切る大物と思って、本当に遠くから拝見をしていました。この間、先生がいろいろご発言をされていて、「ああ、そうか!」と改めて学ぶところが多くあり、今の国会は必ずしも、国民から見て必要な政治の論議、あるいは政策の論議をしているかというと、ここがちょっと私も身を置いていながら言うのは申し訳ないのですが、非常に劣化している、政治とか国会が劣化している、と思っております。改めて、今は日本の重要な分岐点だと思いますので、山崎先生にお伺いをして、ご経験やご意見を賜れればと思います。

 まず何と言っても、いま国民の一番の関心事は、去年の9月19日に成立した新安保法制でしょう。強い反対や懸念もありましたが、数の上では一応成立しました。しかし、この安保法制はどう見ても、国民の理解や憲法のこれまでの考え方から逸脱しているのではないか、ということで、2月19日に5野党(民主党、維新の党、社民党、生活の党、共産党)で廃止法案を出しました。しかし、これが全く論議されず、もちろん法案を取り上げるかどうかは、与党のサイドがそれを了としないといけないわけですが、たなざらし状態になって、国会は今年度の予算や、「保育園落ちた日本死ね」などの待機児童問題が取り上げられ、今はTPPに舞台を移しているわけです。安保法制をめぐっては、参議院選挙が終わると、これが実施段階に入っていきますので、論議すべきは今だと思います。廃止法案も出ています。実際には施行は3月末ですけれども、参議院選挙を控えて、与党もちょっと様子見をしておられる。国民にわかりやすく、「安保法制ってどうよ」ということを、今もう一度論議すべき時期にあります。

 参議院選挙の選択のためでもあると思うのですが、山崎先生から見て、この安保法制の問題点、あるいは、論議すべきこと、実は先生は、約1年ほど前、2015年5月21日に、日本記者クラブで、海外の記者も含めてお話をされていて、ちょうど審議が始まる少し前の段階で、こういったことを論議すべきだとお話であったかと思うのですが、いま成立を見て、廃止法案も出て、さて、この段階で論議すべきことは何であるとお考えでしょうか。

【山崎拓】(以下山崎) 私は多年、国政に携わってまいりましたので、経験上申し上げると、すでに3月29日に安保法制は施行されておりまして、実施段階に入っています。この安保法制を無効にするということは、今おっしゃった廃止法案を成立させること以外にありませんが、事実上、そのことは私の経験則から申し上げると無理です。与党が賛成多数で成立させたものを、今度、廃止法案に関して、与党が賛成に回るということは、まだ施行して幾ばくもない状況下の国会において、実際にそういう対応が取られることはないと思います。いいことか悪いことかは別として、国政運営に私も長く関わってきましたので、国際的にも現政権下で発信されたことなので、現政権では、廃止法案を成立させることに組みしないことは明らかだと思います。

 今は廃止法案の中身についての議論はいたしませんが、この安保法制に関しまして、強い疑問を呈してまいりました立場から、この法案の含んでいる基本的問題点を2つ申し上げたいと思います。

 ひとつは解釈改憲が行われたということ。憲法議論からいたしまして、問題があるということです。もうひとつは、法案の中身の中で、いわゆる日本の防衛政策を大きく転換していることです。最大のものは専守防衛政策、それから自衛隊の海外派兵を行わないということ、この2つに関しまして、完全にその禁を破っておりますので、重大な疑義を呈してきたわけです。われわれの議論、そうした問題点の指摘に対して、国民世論的に、多数をもって支持してくださるとすれば、選挙以外にありません。現時点で元に戻すことを国会でこれをやるということは、事実上無理なので、私は自民党に所属する立場ですけれども、この廃止法案を出されたサイドが政権をお取りになって、そして廃止法案を改めて成立させること以外に、事実上、対策はないと思っています。

【阿部】 本当にそのとおりで、(廃止法案の)審議なんてするわけがない。その通りであると思います。私がなぜこのようなことを聞いたかというと、昨年の5月から行われた国会の審議も、約4カ月ですけれども、新安保法制がどんなものであるのか、何を目指したものであるのか、十分国民に伝わっていない。先生がおっしゃった1点目の解釈改憲であるという点、憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を行使できるようにしてしまったということは、実は憲法学者のみなさんが、こぞって、どんなお立場であれ、憲法という体系を学び守るという立場から、「これはおかしいですよ」と言っている。憲法学者が国会の憲法調査会に来られて、小林節先生や長谷部先生が指摘されて、国民は「そうだ、目から鱗だった。憲法を解釈で変えてるんだ」と気がついて、ひとつ伝わっていると思うんですね。

 私はむしろ、日本にとって大変危機的な事態だと思うのは、そもそも国際情勢の大きな変化の中にあって、「日本が国際的な平和主義をもっと進めていかなければいけない」「自国のことだけにかまけるのではなく、世界のあらゆる『平和への危機』に対して、アメリカと協力しながら、他の同盟関係にある国とも協力しながら、打って出よう」という法案であることにも関わらず、国際的な情勢の変化とは何なのか、そのことが日本にどう影響するのか、国会でほとんど話されなかったのではないか、と感じています。「日本の存立のためには、自衛隊の海外派兵もやるんだ」「専守防衛も、もう実際には、守るだけではなくて、攻撃こそ、出て行くことこそ、最大の守りだ」となっているこの中身、国際情勢認識については、残念ながら国会でほとんど話されなかったのではないか、と思うんです。例えば、イスラム国が出てきてどうするか、北朝鮮が核・ミサイルでどうか、といったことは言われましたが、それがどのようにして、日本にとって解決されるべき問題なのか、ということが飛ばされて、専守防衛も捨てられてしまって、海外派兵に向かっていく。このことが、大きな禍根、過ちを、日本にも世界にも作っていくと思います。

 山崎先生は外交経験も深くていらっしゃいますし、私は従来の自民党政治であれば、こういう近視眼的な、目前のやりとりで物事を決めずに、日本の外交の骨やビジョンに関わって、論議したんじゃないかなと思うのです。たしかに攻める野党にも問題があるとは思いますが、この論戦の底が浅くて、それでいて、だから国民に伝わらないうちに、どんどん進んでしまう実態の方が強く懸念されます。今という時代をどう考えるべきか、日本のこれまでが築いてきたものを、どう発展させ、継承、あるいは必要によっては変化もあるでしょうが、そのあたりの先生のお話を教えていただければと思います。

【山崎】 大変重要なご指摘ですが、順を追って私の考えを述べますと、まず国際軍事情勢の変化というのは何かと言うことですが、国際軍事情勢というのは、変転きわまりなく、絶えず大きく変化しているわけです。大きく言うと、冷戦構造時代は、一応、ベルリンの壁の崩壊以来、解消されたという一般的な認識があるわけですが、冷戦構造は依然として、その痕跡をとどめていて、米ソ間は軍事上の衝突こそまだ発生しておりませんけれども、外交戦上は衝突をくり返していると思います。

 そういう大きな変化というものがあって、ではどう変わったのかというと、中国の進出がとりわけ声高に、この間の背景説明として行われたわけです。これは事実だと思いますが、中国は北東アジアの近隣大国ですし、北朝鮮の核開発の進行の問題も取り上げられましたが、これも隣の国の話でございますので、本来、個別的自衛権で対応すべき、地政学上はそうなるわけです。これを集団的自衛権で対処しようという考え方になっているわけですが、これは考え方としては、ある程度、説得性のある点があると思います。日米間には安保条約がありまして、条約遵守に関しては、日米両国双方とも、完全な責任を負っているわけです。従って、わざわざもう一度、限定的であっても、日本が集団的自衛権を行使することによって、日米安保体制が強化されるという考え方が強調されましたが、ややこれは押し売り的な考え方ではないかと思います。アメリカは当然、集団的自衛権の行使は日本が憲法の制約上できないことを踏まえて、その身代わりとしてというか、日本から基地の提供を得ているわけです。これは安保条約6条に規定されていますが、そこで双務性を担保しているわけです。そういう点を完全に議論上、捨象して、この安保法制を説明することは、私は無理があると思っていたわけです。

 ここで論じなければならないのは、この安保法制のもうひとつの大きな柱は集団安全保障なんですね。集団的自衛権のことばかり議論されているのですが、今度の法制で、集団安全保障について、日本は取り組むべきであるし、取り組めると。そのためには、武力行使もできるということを、この法案は実は大きな眼目にしているわけで、その武力行使は後方支援というかたちで行うということになっています。これは日本の外務省の古くからの非常に強い願望でして、大げさに言えば、身に寸鉄を帯びず喧嘩することはできないということです。やはり外交交渉をやるのに、軍事力を背景としないでやるということは、非常に難しい、立場が弱い、というのが日本の外交官のコンプレックスだったわけです。諸外国がそうであるように、特に米ロが典型的な例ですけれども、軍事力を背景として外交を進めていく、それをやりたいと言う。つまり、自衛隊を日本の軍事力として、国際外交の場でちらつかせながら交渉をやりたいということが、基本的な願望としてあり、これが反映されていると思うんですね。

 約2年前の7月1日に閣議決定で集団的自衛権の行使ができるようにしたときに、安倍総理の談話というのが出されまして、これは8ページに及ぶものでありますが、その中を読むと、それがはっきり出ているわけです。集団的自衛権の行使にかかる部分はわずかに1ページで、あとの7ページは集団安全保障なんですよ。そこに気がついてもらわなければなりません。集団安全保障というのは、いわゆる積極的平和主義という美名の下に、日本が世界平和の構築のために、軍事力を行使しますよという意味合いなんですね。それは外務省の悲願でもあったと思うんです。湾岸危機の時に、日本は軍事力の貢献をせず、お金だけ出した。1兆3,000億円も出したんですが、湾岸戦争に関わるクウェートからの感謝広告の中に、日本の国名がなかったと言うことで、非常に日本政府は面目を失した。国民にもその気分は反映されたと思います。やっぱりお金だけ出したんじゃだめだと。軍事力を出さなければいかんと。あのときは戦争が終わった後に、軍事力を用いた形で、機雷の掃海作業をやったわけですが、そのときのトラウマが今でも残っていたということです。

 今度から、そういう国際紛争の際に、アメリカからの要請があれば、日本の自衛隊を出して、いっしょに軍事力を行使しようと。行使の形態は後方支援ですが、後方支援は今までは認められておらず、今度の安保法制で認められたわけです。これまでの周辺事態法というのは、私はその特別委員長を務めたので、生みの親のひとりでありますが、その審議において周辺事態法のときは、後方支援をやるかやらないかという議論の時に、後方支援は武力行使と一体化するのでできないという判断で、弾薬の提供も認めなかったわけです。用語としても、「後方地域支援」という後方支援ではない一種の造語を作って、武器弾薬以外の様々な「後方支援活動」を行うことにしました。それはあくまで後方支援ではないという定義だった。今度は、武器は入れておりませんが、弾薬の輸送も含めて提供することになりましたので、明らかにこれは武力行使と一体化するものであることは間違いない。

 国連決議があれば、ということで、特別立法で今までやってきましたが、今度は一般法を作ったので、国連の決議があれば、いちいち特別立法をする必要もなく、一般法としていつでも自衛隊を出せるというかたちにしたのみならず、重要影響事態法案というものも出して成立させて、いついかなる時でも、国連の決議と関係なく、国際社会の要請があれば、つまりアメリカの要請があればと言うことですが、自衛隊を出して後方支援しますよ、ということを、この法案で決めたのです。いわゆる集団安全保障活動として、自衛隊を外に出して、後方支援という形で武力行使をやりますよという、今までの伝統的な防衛政策、専守防衛に徹する、自衛隊を海外に兵力としては出さない、つまり海外派遣にとどめる、海外派兵はしないという方針を180度転換しています。重大な転換ですが、そういった意味での議論というのは、どうも徹底されなかったと思います。

【阿部】 本来は今回の法整備は、安保条約にもかかわります。すなわち従来の安保体制は、日本が武力を持たない、そして攻められた場合に、日本が基地を提供しているアメリカが守ってくれるということでした。いわゆる双務性は、基地の提供と、その代わりにアメリカは日本を守るという形であった。それが地域的にも、日本並びに極東、この極東の範囲がどんどん広がってきていたのは、事実でありますが、少なくとも全世界を俯瞰して、そして、日本の防衛ではなくて、世界の中で起きていることに対して、アメリカと協力しながら、自衛隊を配置していくというであれば、例えば安保条約を改正するとか、即ち日米安保にも本来は関わるんだろうと私も思いました。官房長官をされていた田中秀征さんもそうご指摘になっていましたが、日米安保条約のことは国会論戦の中ではほとんど浮かんでこず、先生のおっしゃった安保条約6条の持つ意味、従来片務性と言われるけれど、ある意味での双務性も持っていて、あるいは地域的限定はどうかということも、全く影に隠れてしまって、集団安全保障の枠組みに変わっていったと思うんですね。

 先生が自民党の立場で、イラクに自衛隊を派遣をされて、「後方地域支援」という概念であったとは思いますが、実際には兵隊を運んだ、ということもあったのではないか、と私どもは攻撃する側として、お尋ねもしましたけれども、このときと、今との違いとか、あるいは、すでにそのときから問題が発生していたのか、お伺いしたいと思います。

【山崎】 たしかにイラク戦争に自衛隊を派遣したことは、いろんな意味で、大きな禍根を残したと思います。ひとつは戦争の大義というものを考えた場合に、私は当時自民党の幹事長でしたが、小泉政権下において、アメリカから要請があったんですけれども、まずイラク戦争に賛成するか、賛成しないか、戦争というか武力侵攻に、賛成してくれるか、支持してくれるか、という要請がアメリカからありました。私は党側の責任者として、公明党や、いま自民党の総務会長になっている二階俊博さんが幹事長をしておりました保守新党と3党体制であったのですけれども、与党側といたしまして、当時のパウエル国務長官とアーミテージ副長官からの要請を直接受けて、小泉総理に進言するという立場にあったわけです。そのときの説明によると、大量破壊兵器をイラクは有していると。これが万一使われるようなことがあれば、この地域の平和と安全を大きく阻害するものであるし、かつそれは、世界の平和と安全をも、波及的に破壊するものである、という説明がなされました。具体的にどういうことであるかと聞いたときに、正直にアメリカが答えたことは、イスラエルが危ないということだったわけです。アメリカにおける政治的な意味で、経済的な面や文化的な面でもそうですが、ユダヤ人の勢力というのはすごく強いんですね。イスラエルロビイの活動については、ご案内の通りでありますが、そういうこともあるんだろうと思いました。このときにアメリカの政治勢力の中で、代表してそういう議論を引っ張っていたのは、ネオコン代表と言われたウォルフォウィッツという国防副長官で、この人は世界銀行の総裁にもなりましたが、ユダヤ人の出身です。そういう勢力がアメリカCIAの中にも入り込んでいて、大量破壊兵器を、いまのうちに除去しようという強い意見も言っており、アメリカの国務省も動かされた、大統領も動かされた、ということだと思います。それでどうしても、大量破壊兵器を持っていることは間違いないから、何回も査察をやったけれども、よく見せてくれないし、そういうところを疑えばきりがないという段階だったのでしょうけれども、疑いを持っているということを我々は確認したという言い方をしましたので、実際はなかったのですが、われわれはそのことを信じて、小泉総理に、「ブッシュ大統領から電話があったら、支持声明を出すべし」ということを、当時の与党3党の幹事長としては助言したわけです。3月20日に開戦しましたが、その前にブッシュ大統領から小泉総理に電話があったときに、小泉総理から支持することを明確にした。

 しかし実際には大量破壊兵器はなかったわけですから、誤った判断であったことは間違いないので、途中から戦争の目的を変えました。武力侵攻を開始した後、大量破壊兵器がないと確認して、大義名分を変えたわけです。大義名分はフセイン大統領の執政が、明らかに専制的、独裁的なものであって、民主主義を大きく破壊しているということをもって、民主主義、自由主義の世界の伝道者としての立場で、イラクを民主化するという大義名分に変えたわけです。もう一つはアルカイダがイラクに根拠を持っているのでこれも除去しなければならないと。実際はアフガニスタンに移っていたわけですが、そういうことももう一つの理由として挙げました。その副産物として、今のIS、イスラム国というとんでもないテロ集団が、発生してしまったと。この説明をすると長くなるので止めますが、そういう結果を招来したわけで、もともとイラク戦争には、大義名分がなかったと言うことは一つ申し上げておかなければならない。

それから、「Show the Flag」とか「Boots on the ground」ということばを使われて、自衛隊を出さざるを得なかった。それほど、アメリカの日本に対する圧力、影響力は非常に大きかったということです。今の安倍政権もそうですが、非常に(圧力が)強いので、典型的な用語として先の2つがあり、自衛隊を「Boots on the ground」で出すけれども、それは憲法の制約があるから、人道復興支援にとどめるということにしたんですね。それでサマワというところに、自衛隊の宿営地を作って、人道復興支援をいたしました。道路を作ったり、学校を建てたり、いろんなことをしましたが、武力行使は一切行わずに、危険なときには宿営地を取り囲まれたり、攻撃も受けましたけれども、死傷者を出さずに終わったと。「戦闘区域じゃないのか。本当にサマワは非戦闘区域か」という質問を国会で受けたときに、小泉総理は「自衛隊が行っているところは非戦闘区域だ」と言ったことで有名になりましたが、そんなことで、よく国会答弁が認められたなと話になりました。実は数日前に、小泉さんと酒飲んでその話を聞いたら、「いや、それは誤解されてる」と。「自衛隊が行っているところも非戦闘区域で、自衛隊が行っているところだけが非戦闘区域と言ったわけではない」と弁解していましたが、「そうだったかな?」と。審議の時にいなかったのでわかりませんけれども、「自衛隊が行っているところも非戦闘区域で、他にも非戦闘区域はいっぱいあるんだ」と彼は説明しました。

 このことに象徴されるように、戦闘区域と非戦闘区域を分けたわけですが、今度は実際に戦闘が行われていないところには行ける、となっているわけで、実際に戦闘が行われているところは移動するわけですから、そういう意味において、完全な非戦闘区域に自衛隊を安定的に持っていくという考え方ではありません。危ないところから移動させるという考え方です。移動させて何やっているかというと後方支援ですから、(後方支援は)正面と連結して、いわゆる継戦能力を担保する行動でありますから、敵はまず、後方支援基地をたたくということになります。日本の戦国時代だってそうですけれども、要するに相手に戦闘力が残っている間は、負けてしまうので、まず後方支援基地をおそいますよ。だから危なくてしょうがない話でありまして、そんな議論を平気で国会でやっているわけで、一種の詭弁ですけれども、その詭弁を十分に指摘できなかった当時の民主党側にも、私は議論に脆弱性があったと思います。

【阿部】 小泉総理が言うと、何となく巻き込まれてしまう、取り込まれてしまうところがあって、そういう意味で、臨機応変な答弁であったんだろうと思うのですが、今はそれが、「後方地域支援」の「地域」が抜けて、後方支援になって、即軍事行動と一連になってしまっている。

【山崎】 弾薬を提供するからですね。

【阿部】 そうですね。安保法制になって、正直言って、これでは自衛隊の人たちも、本当に身もふたもない。要は自衛隊員は命令されていくわけで、そのことで、いのちもかかる。ただ日本国の防衛のために、と思って、自分が傷つくことも覚悟して、任務に就かれているけれども、すごく比喩的に言えば、イスラム国の問題で、自衛隊員に戦ってこいと、これは極論ですけれども、そう言っているのに等しいところがあると思います。自衛隊法に「自衛隊は国民の付託に負う」となっていますが、いくらなんでも、国民はそこまで、そんなことをしてほしいと自衛隊に望んでいないのではないか。先ほど先生もおっしゃったけど、選挙で勝つと言うことが(安保法制の)廃止の近道で、せめて自衛隊員の実際の派遣に際して、衆参の賛否が問われるときに、参議院で否決できるだけの勢力を、この夏の参議院選挙で確保しなければ、自衛隊員に対しても、申し訳ないと思います。本当にひとりひとりの国民が、何を自衛隊に求めるか考えて、夏の参議院選挙の投票はしてほしいなと思います。

 もうひとつ、今日はぜひ先生に東アジア情勢について、中国の海洋進出、北朝鮮は最近では核武装して、核ミサイルだって辞さないんだと言って、どんどんエスカレーションしていっていると思います。それに対して、日本は個別的自衛権ではなくて、集団的自衛権で、いつでもアメリカの言うこと聞く代わりに、アメリカと一緒に対処していこうとなりますが、しかし、それは北東アジアにおける緊張を高めているのではないか。対中国もそうですし、北朝鮮にもそうですし、間に挟まった韓国も、核武装したくなるのではないか。今日本がやっているプルトニウム再処理を、日本が許されているなら、自分たちもやりたいと言い出して、みんなで核を持つ、核武装の準備をするという事態につながるのではないか。日本だって、「憲法上、核兵器の使用は排除されない」と言って、どんどんどんどんエスカレーションしていると思うんです。

 このことに、今回できた新安保法制は何ら役立たないし、むしろ火に油を注ぐようなことになりかねない。外交的に、政治家が本当に真剣に準備しなければならないものが、私はあると思っています。山崎先生はずっとこの東アジアの非核化の問題も、あるいは中国、北朝鮮の問題も、自民党の中枢におられて、実践もしてこられましたから、いま政治に必要とされているものについて、お伺いをしたいと思います。

【山崎】 安保法制に関する国民の反応については、反対意見が2対1ぐらい、3分の2対3分の1ぐらいあったのに、あまり変わらなくなってきた。反対の方がまだ多いと思いますけれど、非常に接近してきたのはなぜであるかというと、喉元過ぎれば熱さを忘れるということもあると思いますが、それよりも北朝鮮が核実験をやったり、ミサイルを飛ばしたりするから、これに対してかなり大げさに対応措置をとっていることにあるのではないか。特に、北朝鮮が飛ばしたミサイルを撃ち落とす取り組みを、日米両国でイージス艦と連携して防ぐという行動をとっているために、結果として、北朝鮮が日米両国に対して届くようなミサイルを撃たなかった、核弾頭も装着しなかった、という説明になったわけです。だけれども、そういうことはたぶん北朝鮮もしなかったと思うし、日米両国で対処するのは、安保法制がなくたって、当然、日米安保体制でやるわけでありますし、また個別的自衛権の範囲でできる。アメリカは集団的自衛権を行使する、日本は行使しないと言うことで、十分対応できる範囲でありますが、安保法制があったから、北朝鮮は撃たなかった、という説明になってしまった。

【阿部】 我田引水ですね。

【山崎】 そうですね。政権側の説明は不適当であったと思いますが、国民はそれに惑わされてしまっている。

 もうひとつは中国の南シナ海進出の問題なんですね。これにどう対処するかということは、国民の非常に大きな関心事で、中国の海洋進出、特に東シナ海に関しては、尖閣諸島がありますから、当然日本としては、強く中国の出方をたしなめるべきであるし、自制を求めるべきであるんです。南シナ海に関しても、航行の自由の原則もありますし、シーレーンでもありますから、そういう意味において、中国の現在のやり方については、警鐘を乱打するということは、日本として当然行うべき立場であると思います。アメリカも重い腰を上げて、航行の自由作戦ということで、イージス艦を派遣しているわけです。これについて、国際社会も支持しているし、日本も支持しています。

 しかし問題は、この安保法制で米艦防護ができるようになっていることです。航行の自由作戦において、米艦が急造の埋め立て島しょの周辺を、12海里の中に入り込んでやっているわけですが、それに平時の米艦防護というかたちで、日本の海上自衛艦を同行させるということが、法制上可能になってきたわけです。果たしてそれをやるかやらないか、ということなんですね。阿部先生も今度中国行かれて、お聞きになったらわかると思いますが、中国側は日本の米艦防護に対しては、猛烈なアレルギー反応を起こします。そういうことで、日中問題を険悪にしてしまうので、日本が元来主張しているように、国連海洋法条約等の国際条約に基づいて、この問題を解決しようではないか。それこそ積極的平和主義の名の下に、国連その他の場で、いろんな場がありますけれども、今度のG7外相会談でも取り上げられましたけれども、そういう形で、徹底的にやるべきであって、米艦防護に乗り出すってことは、この行動の中で乗り出すことは、日中関係をのっぴきならないところに持っていくのではないか、ということを心配しています。

【阿部】 私はいま民進党という新しい政党になったところに所属していますが、前身の民主党が尖閣列島を国有化したときから、やはり中国との関係で、中国も国家が前面に出てくるようになって、尖閣の緊張も高まっています。山崎先生も他のところでご発言ですが、尖閣は日本が施政権を持っている地域なので、もしそこで、何らかの侵略や侵入があれば、日本は個別的自衛権の中で、アメリカは日本との集団的自衛権の中で、当然、行動に出るということなんだから、逆に、これ以上、エスカレーションする必要がないし、現在の日米安保条約で十分です。中国との関係はことほどさように、やはり非常に微妙な関係の積み重ねの中で、どうやったら、これまでの長い信頼とか、一線を越えない実績を重ねていけるかというところが、いまとても重要になっていると思っています。

 先生から今度、超党派の議員団による訪中にお誘いいただいて、民進党からは、私も辻元さんも参加させていただくので、大変ありがたいと思っていますし、実は以前、野中先生がお元気だった頃にも、超党派でお誘いをいただきました。中国とは、もちろん国家の形態や社会の形態も違う国でありますが、隣にあって、歴史的にも関係も古く、安全保障上も、ボタンの掛け違いを起こしてはいけない国と、議員がどう関係を積み重ねていくかって言うことも、非常に重要だと思います。しかし残念なことに、いまの安倍政権になってから、中国側の問題もあるとは思いますが、そういう交流が非常になくなってしまっている。今度先生からお誘いいただいたのは、与野党越えてのものですから、非常に期待もしているし、学んでこようと思っています。今度の訪中団をお考えになった背景はどのようなことか、教えていただければと思います。

【山崎】 若い人を中心に、超党派で中国に行くようにしましたのは、今まで我々の世代までに築いてきた、日中間の政治的人脈というものが途絶えつつあるので、新しい人脈を作らなくてはいけないと考えたからです。中国側も、政権が変わりましたし、私は江沢民政権及び胡錦濤政権の20年間の時代に、しばしば訪中しまして、江沢民さんとも胡錦濤さんとも幾度となく会談する機会を持ったわけですが、習近平政権になって、各党のトップクラスのリーダークラスの人たちが、訪中して政権中枢と話し合うことも少ないし、それ以外の人脈も、かなり細ってしまいました。私の盟友の加藤紘一さんも、まさにチャイナロビーというか、彼は中国語専門で外務省の中国課にいた人ですが、日中友好協会の会長を務め、今は名誉会長ですが、そういうパイプが、ほとんど実働しなくなりましたよね。そういう意味で、新しい人脈を作りたいということ。それも、若い人を中心に作りたいと。ポスト習近平までにらんだ布石で、いろいろと話し合いをさせてもらいたいと思っています。

【阿部】 私は若くないですが、これからの政治を、日本という地理的状況も含めて、善隣外交をしていくために必要なきっかけというか、人脈は大変大事と思いますが、与えていただいてありがたいと思いますし、4月の連休を楽しみに行かせていただこうと思います。

 最後ですが、いま加藤紘一先生のお話も出ましたし、小泉純一郎元総理のお話も出ましたけれど、「YKK」についてお伺いしたいと思います。私が当選したての頃は、本当にYKK花盛りの頃で、みなさんそれぞれご活躍でありましたし、このお三方の、個人的な絆というか、先生たちはみんな自民党で派閥とかそれぞれおありだけれども、そうしたものを越えて、いろいろまたご意見も違うこともあっても、お互いにある意味で信頼関係を築いておられたと。これは大変に不思議というか、興味あることなのでありますが、せっかくですから最後にひとこと、YKKとは何であったか、私は役割もたくさんあったと思っておりますし、そこをお話をいただけたらと思います。

【山崎】 7月には『YKK物語』を出版予定でありますけれども、その中で説明しておりますことは、われわれは1972年暮れの第33回総選挙の当選同期で、当時は田中角栄政権だったわけです。その後も田中支配がしばらく続いたわけですが、われわれ3議員は、それぞれ派閥が違いまして、小泉さんは清和会、加藤さんは宏池会、私は政科研、政策科学研究所、中曽根派ですが、それぞれ事務総長になったわけです。そういう立場で、いわゆる田中派経世会に対して、反発したわれわれの結束だったわけです。何とかして田中支配を終わらせよう、金権政治を打破しようと。このごろ、『天才』という本を石原慎太郎さんが出して、この中では、田中金権政治を礼賛しているので、これには非常に驚いて、しかもベストセラーになったということで、非常に憮然としているのですが、今度「YKK物語」の中で、いかにしてわれわれが田中支配を打倒したかということを書いておりますから、ご覧いただきたいと思います。

【阿部】 ありがとうございます。『YKK物語』の発売を楽しみに、今日のインタビューを終わらせていただきます。本当にありがとうございました。

【山崎】 ありがとうございました。


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