【コラム】技術者の視点

イヌやネコにも

荒川 文生


 生活を便利で豊かにする営みの技(わざ)や術(すべ)を持っているのは、人間だけに限りません。よく知られているサルの技(わざ)のひとつは、口に入れた木の実をすべて食べて仕舞わずに、木の洞に蓄え、それが発酵してより美味しく為ってから食べると言うのが有ります。それを他の猿に見つからぬようにする術(すべ)も在るでしょうし、さらに、それを可愛がってくれるボスに「献上」する術(すべ)も、より恵まれた生活には有効でしょう。イヌやネコも、それらを持っています。マーキングは、今でこそ実効性が失われた単なる生活習慣かも知れませんが、かつては、自らの生活圏を確保するための重要な技(わざ)であったはずです。草花にも、より多くの恩恵を太陽や自然から得るために、根や葉の向きを変える術(すべ)を持っています。

 この様に大自然が活きとし生けるものに与えた「営みの技(わざ)や術(すべ)」は、本質的には全ての「命」が共有するものではありますが、生けるもの夫々に固有な技(わざ)であり、術(すべ)であると言い得ます。その固有性が、大自然を千変万化の興味尽きない存在にしているとともに、その多様性が、活きとし生けるものがお互いに深く関わりあって共存共栄する世界を豊かなものとしています。そのなかで、人間を人間で在らしめた「営みの技(わざ)や術(すべ)」が、他のそれらと違うところがあるとすると、それは何でしょうか? ご承知のように、自然界には「食物連鎖」と言って、他の生物の命を自らの命を存続させるために滅ぼすと言う事があります。ただ、満腹に為ったライオンは、それ以上、シマウマを追うことはしません。

 人間は、主義や主張のみならず生活習慣が異なる「異教徒・異人種」を「大義名分」を以って「殲滅」するという考えを持つ事が出来ます。古くは十字軍や魔女狩り、近くはホロコーストや広島と長崎への原爆投下など、歴史的にその例は枚挙に暇ありません。今や、巨大な富を有する少数者が多数の貧困者を犠牲として、自らの営みをより便利で豊かなものにする技(わざ)と術(すべ)を国際的な政治と経済、そして、社会におけるシステムとして駆使しつつあると言えます。例えば、国境の無い自由な国際交流を目的とすると言う「美名」の陰で、グローバリズムが、夫々の固有性を活かし多様性を尊重して共存共栄しようとするローカルな共同体を破壊し、巨大な資本の力でそれらを独占的に動かして行こうとする技(わざ)と術(すべ)が、法律、選挙、貨幣、商品、情報などといった道具建てを使って、地球上の人間をもはや人間とは言えない存在に堕落させてしまうのかも知れません。

 有難いことに、このような人間の持つ「悍ましさ」への警句は、長い歴史の中で度々発せられてきました。そして、それに応えて偉業を成し遂げてきた人も数知れず存在します。具体的には、14世紀にイタリアで始まったルネッサンスの巨匠たちです。Leonardo da Vinci は、政治と結託して堕落した宗教への批判をひそかに壁画に潜ませました。18世紀に「自然に還れ!」と叫んだ Jean-Jacques Rousseau の主張は、自然環境破壊の悲劇に直面する現代人にとっても、確りと噛みしめるべき、将に的確で有効な言葉と言えましょう。エネルギーを国際紛争の種にしない一つの方法は、地球上にあまねく、かつ、分け隔てなく恵まれる太陽エネルギーを地産地消で活用する事でしょう。それこそ21世紀に於ける「自然に還る」途だからです。

 涅槃会に自然の命よみ還る  (青史)

 (筆者は地球技術研究所代表)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧