≪連載≫大原雄の「流儀」

エモーショナルものの力を権力者が知るということ

大原 雄

 歌舞伎座が新装再開場(リニューアルオープン)されて一周年。4月は、記念興行の「鳳凰祭」。坂田藤十郎(上方歌舞伎史上最高峰の役者名。因に、江戸歌舞伎史上最高峰の役者名は、市川團十郎)のお初、見納めの「曾根崎心中」と病気休演が続いた坂東三津五郎復帰の舞台「壽靭猿〜鳴滝八幡宮の場」を取り上げたい。

■藤十郎と翫雀の、珠玉の「曾根崎心中」

 歌舞伎の「曾根崎心中」の最初の上演は、外題はこのままだが、近松原作ではない。記録に拠ると、1703(元禄16)年4月7日に心中事件が起こると、15日には、早くも大坂の竹島座で「曾根崎心中」の外題で歌舞伎化された、という。次いで、京坂の各座で競演された。近松門左衛門原作は、事件から一ヶ月後の(それでも、当時の感覚では、決して遅くない)5月7日に人形浄瑠璃の竹本座で演じられた。

1)これが、特筆される第一の点は、人形浄瑠璃史上初めての「世話浄瑠璃」だったということ。人形浄瑠璃でも歌舞伎でも、300余年後までも歴史に残り、「古典」となった「世話狂言」の誕生であった。初演時は大当りとなったが、その後は、250年近く上演が途絶えてしまう。

2)さらに、今、上演される「曾根崎心中」は、戦後の「新作歌舞伎」という側面を持つということ。1953(昭和28)年8月新橋演舞場。21歳の二代目扇雀(現在の坂田藤十郎)が初演。この「曾根崎心中」は近松門左衛門の原作を宇野信夫が戦後になって、かなり脚色をした。好評で、扇雀から鴈治郎、そして、坂田藤十郎へ。今年の大晦日が来ると、83歳になる藤十郎は、60年以上もこの狂言を演じ続けてきたことになる。藤十郎以外がお初を演じたのは、息子の扇雀と、孫の壱太郎だけという、上方の成駒屋だけの完璧な家の芸。「復活から現在までお初を演じ続けた坂田藤十郎は世界の演劇史に偉大な貢献をした」という、ドナルド・キーンの言葉も頷けよう。

 1953年8月新橋演舞場の「天満屋の場」初演と同じ年12月京都南座の「生玉神社境内の場」再演の写真が、歌舞伎座の今月の筋書に載っているが、二代目扇雀は細面の女形顔で頗る別嬪である。父親の二代目鴈治郎も颯爽としている。当時、京都に滞在していたドナルド・キーンは、「お初の美しさに圧倒された」という。当時流行った言葉に「扇雀のように美しい」があったと書いている。この写真の藤十郎なら鋭いほどの美形だ。今の藤十郎は、ふっくらとして可愛らしい。

 「定式幕」(歌舞伎座は、江戸三座のうち、森田座の定式幕を継承)で幕が開きながら、「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」3つの場面への展開に向けて、死の道行では、スポットライトを使うほか、暗転、暗い(薄明るい程度で、ほとんど暗闇)中での、2回の廻り舞台、それでいて閉幕は「緞帳」(「定式幕」は、歌舞伎の象徴。「緞帳」は、緞帳芝居として、歌舞伎より一段低く見られる)が降りてくるという定式重視の「丸本もの」(人形浄瑠璃から歌舞伎化された演目)の古典歌舞伎らしからぬ「珍(ちぐはぐ)」な「新」演出で見せる。古典劇と新作歌舞伎の演出が二重構造になっているという異色の舞台が、定着している。基本は、宇野演出の、新作歌舞伎とも言うべき「近松劇」というジャンルに入るであろう。

 今年、藤十郎は、「曾根崎心中」の「一世一代」として、この演目は82歳で、打ち止め、今月の歌舞伎座千秋楽で見納めとなる。「一世一代」に到達した演目を千数百回演じてきたが、19年前、1995年1月には、大阪中座で上演千回記念興行中、関西を阪神淡路大震災が襲った。役者には、被災地でのボランティア活動をしても余り役立つとは思えないとして、当時三代目鴈治郎だった藤十郎は、中座の舞台を勤め続け、観客に藝を通じて、支援の思いを伝え続けたという。

 しかし、この演目は、いつも、客席が暗いので、舞台をウオッチングする私はメモがほとんど取れないのが、毎回遺憾。新聞記者の「夜回り」の要領で、舞台を思い出しながら、メモ無しで書いている。今回は、そのスタイルを変えて、メモを気にせず、兎に角、千秋楽で終演「一世一代」見納めのお初さんをひたすら凝視し続けることに努めた。

 藤十郎のお初は性愛の喜びを知ったばかりに、それさえ求められれば、なにもいらないという感じの若い女性で、怖いもの無し。節目節目には、メリハリを感じさせながら、ぐいぐいと徳兵衛を引っ張って行く。それでいて、若さの持つ華やぎと軽さを滲ませている。年上の徳兵衛はそういう若い女性に半ば、手を焼きながらも、魅かれて行く。若い女性の持つ蜜に狂った中年男の末路は、何時の時代も変わらない。

 生玉神社境内では、伯父の内儀の姪との縁談を断ったという徳兵衛(翫雀)の話を聴いて、お初(藤十郎)は無邪気に手を叩く。◯◯ギャルという、現代的な若い女性のような行動を取るお初。気持ちを素直に外に表すことができる女性なのだろう。藤十郎の「お初」は、今回も年齢を感じさせない初々しさだ。お初は永遠に「今」を生き続ける若い女性、時空を超えた普遍的なイメージの「永遠の娘」として見えて来る。

 宇野信夫は、また、近松原作では、平野屋の主人として名前だけ出て来る伯父の九右衛門を独自に創作をして登場させた。九右衛門(左團次)は徳兵衛を騙りに掛けた九平次(橋之助)を懲らしめる。徳兵衛(翫雀)の潔白を解明しながら、既に死の道行に出てしまい行方不明となっている徳兵衛とお初の心中を思いとどまらせることができなかったという挿話を入れた。この結果、名誉恢復を知らないで死に行くという、心中劇の無念さを強調して描いている。「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎のお初の眼が光る。新演出も歌舞伎味に不調和にならず、「新作歌舞伎の近松劇」という現代劇の不幸な恋愛劇がバランスを崩さないで成立している。

 暗転。暗い中、舞台は、幕を閉めずに、廻る(藤十郎襲名以降に新たな工夫された演出である)。心中の山場、「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。以下、竹本の糸に乗っての「死の舞踊劇」。科白より所作。この場面は、舞踊劇そのものだろう。所作の豊かさ巧みさでは、藤十郎は、歌舞伎界でも一、二を争う。

 「あーー」という美声が哀切さを観客の胸に沁み込ませる。お初の表情には、死の恐怖は、ひとかけらも無い。お初徳兵衛は、浄土へ向かう「死の官能」である。お初は、まるでセックスをしているような喜悦の表情になっている。そこにいるのは、お初その人であって、それを演じる坂田藤十郎もいなければ、米寿を超えた人間・林宏太郎(藤十郎の戸籍名)もいなければ、ひとりの男もいない。死ぬことで、時空を超えて、「永遠に生きる若い女性性」そのもののお初がいるばかりだ。死に行く悲劇が永遠の喜悦という、大人向けの、アダルトファンタジーこそ、「曾根崎心中」の真髄だろう、と思う。

 今月の歌舞伎座千秋楽で見納めとなる藤十郎定番の「曽根崎心中」は、さらなる完成を目指して、扇雀(藤十郎の次男)・翫雀(藤十郎の長男。15年1月、藤十郎の前名・鴈治郎の四代目襲名の予定)を軸に今後も演じられて行くだろう。死に行く悲劇が永遠の喜悦という、透き通るようなエロティシズムを残して、今、緞帳幕が下りて来る。

■エモーショナルなものの力を権力者が知るということ

 「壽靭猿〜鳴滝八幡宮の場」。1838(天保9)年、江戸の市村座で初演。狂言を素材にした演目。主役は猿曳の寿太夫。猿は子役が務めるが、「小道具」的な可愛らしさが魅力。元々の狂言では大名だったものを歌舞伎化に当って「女」大名に改められた。女形も演じるが、立ち役が女形を演じることでおかしみを出す工夫がある。女大名に従う奴は、「色奴」の役柄。色奴とは、従僕としての愛嬌に加えて、特別な色気を見せる役柄。

 開幕、浅黄幕が、舞台全面を覆っている。常磐津の置浄瑠璃(いわゆる、前奏)。幕の「振り落とし」(明りを使用せずに、スポット効果が出来る)で女大名三芳野(又五郎)と奴橘平(巳之助)登場。三芳野は、能面を付けている。鳴滝八幡宮の門前の場面。そこへ小猿が現れる。小猿を追って、猿曳の寿太夫(三津五郎)登場。大向うから声がかかる。「大和屋」「大和屋」に混じって、「おめでとう」。病気を克服して舞台復帰した三津五郎に対して、観客席の拍手も熱い。

 ことは、三芳野が主人の命(めい、命令)を思い出し、主人の傷んだ靱(うつぼ。弓を入れる道具)の猿革を取り替えるために、この小猿を射止めようとしたことから始まる。

 以下は、権力者の女大名に抵抗できない猿曳という遊芸者の対立の物語となる。言葉や行動で権力者に対抗することを諦めた遊芸者はせめて自らの手で小猿を殺そうとする。庶民の無言の抵抗。そういう人間たちのやり取り、それによって生み出される葛藤など理解する術もない小猿は、見せ物芸を生業とする飼い主の行動を常の対応と理解して、行動するだけだ。己を殺そうとする飼い主の所作を常の訓練の所作と理解し、師匠の「合図」(指示)に対応しようとする弟子の小猿。師匠の所作は、すべて、習い覚えた芸への指示という理解を小猿はする。戸惑う飼い主の寿太夫。感性のコミュニケーションは、反抗の言論や行動よりも効果的で、猿曳と猿の所作は権力者の胸にメッセージを送り届ける。

 その結果、動物に対する哀れを催した女大名は、小猿を射止めることを諦めてしまう。「命は助けた、連れて帰りや」。それを聞いて喜んだ寿太夫は、小猿に女大名の武運長久を祈念させる舞を舞わせて、舞い納めのタイミングを見て去って行く。痛んだ靱の猿革の張替えの対応を女大名が今後どうするのかは、示されない。

 この物語は、エモーショナルなものに力があることを示している。女大名は、その力を知り、今回は自らが身を引くという結論を見出したが、次の段階では相手にエモーショナルなもので働きかけをし、己の意図を通すようになるかもしれない。この演目が演じられた後、100年もすれば、ヨーロッパには、ヒトラーが出現をし、エモーショナルなプロパガンダという手段で、大衆をファシズムの世界へと誘導して行くようになる。

 (筆者は元NHK記者・元ペンクラブ理事)


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