【コラム】槿と桜(28)

カンガルー族とは

延 恩株
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 カンガルーなら誰でも知っている動物ですが、「カンガルー族」(캥거루족)になりますと日本の方は首をかしげられると思います。
 でも出産後、自分のお腹の袋の中に赤ちゃんを入れて、かなり大きくなるまで育てるカンガルーの姿を思い浮かべますと、なんとなくイメージが湧くかもしれません。

 いつまでも親の袋から抜け出さない子どもたち、それが韓国での「カンガルー族」です。もちろん親から離れない理由はあり、しかもかなり深刻な社会問題が根底にあります。
 この言葉が使われ始めたのが2004年頃からですから、すでに12年以上も前のことで、事態は改善するどころか、ますます「カンガルー族」が増えてきてしまっています。

 今回、朴槿恵(パク・クネ 박근혜)大統領が2018年2月の任期満了前の辞任表明に追い込まれましたが、直接的な要因は崔順実(チェ・スンシル 최순실)との関係だったことは周知の事実です。でも隠れた要因の一つとして、経済運営でめざましい成果が上がらず、国民の間に不満、不平がたまり続けていた点も見逃せないと思います。冷静に見れば、すべてを朴大統領の責任に転嫁するのはお気の毒と言うしかないのですが。

 経済的な停滞は、「カンガルー族」という言葉の出現時期をみても、朴大統領就任よりもかれこれ10年以上前であったことがわかります。特に最近では若者の失業率が10%を超え、「ヘル朝鮮」などという言葉が流行語となってしまう事態への不満が崔順実事件で一気に爆発したようです。

 このように「カンガルー族」とは、若者の雇用問題と直接結びついています。大学を卒業しても就職できなかったり、雇用されても親元から独立できるほどの収入が得られない若者の増加が、こうした言葉の出現につながったようです。韓国では「カンガルー族」とは経済的、精神的に親に頼ってしまう若い世代を指す言葉と言えるでしょう。

 ただこうした状況に追い込まれる若者たちのネーミングとして「カンガルー」を使ったのは韓国が最初ではなく、フランスだったようです。韓国よりも6~7年ほど早く、1998年にマスコミで取り上げられ、「カンガルー世代」と呼ばれたようです。ところがフランスでは2001年に、親元から独立しようとしないタンギーという息子と両親の葛藤を描いた映画『タンギー』が話題となり、その後は「カンガルー世代」に代わって「タンギー」が使われるようになっているようです。
 ついでに言えば、韓国の「カンガルー族」と似た社会現象は韓国の専売特許ではなく、アメリカでは「ツイクスター」、イギリスでは「マミーズボーイ」、ドイツでは「ホテルマンマ」と呼ばれ、若者の就業率低下、経済力不足によって親と同居する若者たちが存在しています。

 そして日本も例外ではありません。「パラサイトシングル」がそれです。
 〝パラサイト〟は〝寄生〟を意味しますから、「パラサイトシングル」とは、学業を終えて社会人となっても親と同居して生活を支援してもらう独身男女を意味します。

 総務省統計研修所研究官室の西文彦、菅まり「親と同居の未婚者の最近の状況 その5」(財団法人日本統計協会『統計』平成19年2月号)によれば、日本では1980年の20~34歳までの親と同居の未婚者の割合は29.5%でしたが、10年後の1990年では41.7%と急増しています。この中には大学生も含まれますし、生活費をきちんと親に渡している人もいるでしょうから、すべてが「パラサイトシングル」の範疇には入りません。でも、それを差し引いても「パラサイトシングル」は相当の数に上ると考えられます。

同じく西文彦「親と同居の未婚者の最近の状況 その10」(2013年4月9日/2015年11月17日訂正)では、親と同居の若年未婚者の実数は2003年の1211万人をピークに次第に減少しています。ところが割合では2003年→45.4%、2007年→46.7%、2012年→48.9%と増加しています。日本でも「パラサイトシングル」が相当の数に昇っていることがわかります。

 ただ韓国の「カンガルー族」と日本の「パラサイトシングル」には、若年層の貧困化、就業困難化が同様にありますが、捉え方に違いがないわけではありません。
 1997年に「パラサイトシングル」と命名した名付け親の山田昌弘によりますと、「学卒後も親に基本的生活を依存しながらリッチに生活を送る未婚者」で、「親に家事を任せ、収入の大半を小遣いに充てることができ、時間的・経済的に豊かな生活を送っている」という枠組みもあるからです。要するに家賃無料、光熱費無料、家での食費無料、さらに洗濯・掃除も親頼みというわけです。

 一方、韓国の「カンガルー族」の一部には、日本の「パラサイトシングル」と同様の若者もいると考えられますが、大半は独立したくてもできない若者たちです。2015年8月13日に韓国職業能力開発院が公表した「カンガルー族の実態と課題」によりますと、親から何らかの経済的支援を受けている大卒者のうち、51.1%が「カンガルー族」であることが明らかになったというのです。職業能力開発院が2010年8月と2011年2月に卒業した2年制・4年制大学卒業者17,000人を対象に、彼らの大学卒業後、1年6ヵ月過ぎた2012年9月時点で調査した数字ですので、現在はさらに増えていると思われます。
 このうち
  親と同居、小遣い受け取り→10.5%
  親と同居、小遣い無し→35.2%
  親と別居、小遣い受け取り→5.4%
となっていて、こうした「カンガルー族」の47.6%が正規職就業者、34.6%が非就業者、14.7%が臨時就業者、3.1%が自営業だったということです。「カンガルー族」のうち、約35%が働く場を持っていないことがわかります。さらに半数近くがきちんと就職しているにもかかわらず、賃金が低く、自活できない雇用状況だということを示しています。
 なんとか就職できても、自分の望む職場に正社員として就職できたと回答した人が19.5%に過ぎず、しかもそのような人でも「カンガルー族」にならざるを得ないところに、韓国の雇用問題が潜んでいるように思います。

 韓国からの留学生が「日本ではアルバイトであってもしっかりやれば生活できるのに、韓国では絶対に無理です」と私に言ったことでもわかるように、雇用の機会を増やし、雇用の質を上げない限り「カンガルー族」は韓国から消えていかないでしょう。そればかりか最近では、結婚してからも親と同居する「新カンガルー族」(신캥거루족)が増え始めています。
 韓国保健社会研究院が2016年2月16日に発表した報告書「家族の変化に伴う結婚・出産行動の変化と政策課題」によりますと、既婚の子どもが親と同居する世帯数は、1985年~2010年の25年間に4.2倍に増加したそうです。その大きな理由は、家賃が高過ぎて結婚しても独立できない、共働きの夫婦が両親に子どもの面倒を頼むためなど、「カンガルー族」とは異なる要因も加わってきているようです。

 このような「カンガルー族」や「新カンガルー族」を減少させる政策が是非とも打ち出されなければならないのは当然ですが、私が国外にいるためか、気になる問題点が韓国社会に隠されているように思います。「カンガルー族」となる若者が韓国に多いのは、高学歴社会であり過ぎるために、小さいときから有名大学、有名企業を目指す意識が強くなり、その実現だけを目指しているからではないでしょうか。

 日本では大学進学率がようやく50%を超えたばかりです。自分の好きな勉強をし、自分の好きな職業に就く人も少なくありません。なにがなんでも有名大学に入り、有名企業に入社しようと考える人はむしろ少数だと思います。ですからどのような職業であろうと他人の目など気にせず、自分なりの考えで行動する人が多いように思います。

 でも韓国では、高学歴であるためにアルバイトなどできないと思ってしまう人や、親からすれば高学歴の我が子がアルバイトをするなど情けないと思ってしまう傾向があります。子どもは親に恩返しをしようとの思いが強く、親はそれを期待しているからこそ、子どもがきちんと就職するまで面倒を見ようとする意識が強まってしまうように思います。もし他人の目がなかったらどうでしょうか。おそらく自分の考え、価値観でもっと自由に行動するし、親も子どもの自由に任せるのではないでしょうか。

 私から韓国の若者たちに伝えたいこと。それは「肩の力を抜いて、他人の目を気にせず、自分の価値観を大切にして、自分の好きな事に取り組むようにしてください」ということになるでしょうか。

 (大妻女子大学准教授)


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