【エッセー】

ジェンダー、いま、女性の役割の再構築を目指してできること

                        高沢 英子
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■はじめに

 「若い男の人生への出発点を比較的容易にするのは、人間としての使命と男と
しての使命が矛盾しないからである」と云ったのは1949年、『第二の性』で大胆
な告発をこころみ、50年代の世界に大きなセンセーションをまき起こしたフラン
スの女性作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールである。彼女は「ひとは女に生まれ
ない。女になるのだ」という有名な言葉を残し、膨大な資料を駆使してこの課題
への先駆的な道を切り開いた。

 もちろん、それまでもこれに関して、さまざまな告発や提言は無かったわけで
はない。わが国でも明治以来、平塚雷鳥らの青鞜運動や、高群逸枝の女性史の掘
り起こし、その他もろもろの勇気ある仕事がある程度評価されはしたが、残念な
がら、それが日本社会に正当に受け入れられ、女性の社会的立場の変革に大きく
寄与した、とはとうてい言い難い状況で推移してきたというのが実情である。

 ともあれ、欧米を中心として、二十世紀後半、社会はこの点で目覚しく変革さ
れ、男の生きようも女の生きようも、徐々にではあるが大きく変わってきたかに
みえる。日本でも多くの研究者や識者がこの課題に真面目に取り組んでおられる
し、法的、政策的にも着目できる変革が、現になされてきている。

 しかし、表むきの変革はともかく、社会全体の内面意識に関しては、実際は、
特に日本では、どうであろうか。今日でも女性たちは、この人間としての使命と
か、男の使命、女の使命などという、人類始まって以来形成されてきた分かった
ようで分かりにくい暗黙の社会的規範の呪縛に縛られ、生理的な差異という現実
は受け入れざるをえないとしても、女を二次的存在とみなす男社会が公然と押し
付ける女の使命観をなかば受け入れ、喧伝される自由平等という麗しい理念との
超えがたい乖離に戸惑いつつ、はざまで悶々と暮していると思われてならない。

 日本の場合は、そもそもはじめから民主主義自体が内発的なものでは決して無
く、民衆が自らの力でかちとったものではない、という弱い基盤のもとに、近代
国家らしい形を整えてきたために、現実に人間存在に関するはっきりした哲学も
理念も希薄でいい加減、多分に情緒的な論説が主体で、新聞雑誌の論説も百家争
鳴の観を呈し、それが自由というものと受取られているようで、雨後の筍のよう
に次々刊行されて書店に並ぶハウツウものやそれに類した解説本が手軽に受けて
いる現状で、正直言って何を信じていいか分からずまごまごしているか、ひたす
らおのれの感性をたよりに出鱈目なことを口走ってお茶を濁しているというのが
実情ではあるまいか。

 さて、ひとくちにジェンダーといっても、その定義は諸説あり、包括的な意味
は広範である。日本では主として男女の差別問題を探る用語として使われている
ようで、誤訳ではないかと指摘されもするが、ここではひとまず、単に男女の社
会的文化的ありようを捉える用語として使うことにしたい。

 1990年代に始まった「男女雇用機会均等法」また1999年成立の「男女共同参画
社会基本法」など、さらに安倍内閣が提言している、女性活用というスローガン、
などか麗々しく並んではいるが、実際には、女性の能力を生かしての社会参画、
さらに管理職等の重要ポストの比率に至っては、先進国と比較してもお話になら
ないほど遅れている。

 先ごろある学者がそれに着目した論考を読んだが、管理職になるには体育系の
女子がより有利であるとのご意見であった。今回オルタの編集部でもこの問題を
積極的に取り上げてみようという企画が持ち上がり、この方面では十歩も二十歩
も先んじている(もしかしたら百歩、あるいは無限かも、と悲観的にもなりつつ
も)アメリカの実情について、武田尚子さんがホットなリポートを送ってくださ
ることになり、心待ちにしながら、日本の事情を踏まえ、武田さんの「たがいに
論議が重ならないようやりましょう」というお励ましもあり、不慣れで試行錯誤
も多いかも、と思いつつも、長年専業主婦として、文字通り「女になって」雌伏
するしかなかったひそかな怒りや恨みつらみを、この際よきエネルギーに変える
ことができれば、とから頼みし、すすんで参画することにし、日本で試みられて
いるこの方面の著作などを集めてぼつぼつ読み、手近の新聞などを注目し、たま
たま耳に入った体験談なども通して見えてきたことをもとに、焦らず同じ志を持
つ方々と協力し合って考察を進めることができたら、と考えている。

 これについて、身近な話題を一つ二つ紹介してみたい。先日久しぶりに都内に
住む親戚の娘に会う機会があった。志望校だった都内でも最難関とされる私大の
法学部に合格、在学中は我が家のピンチの時など、時間をやりくりして手伝いに
も来てくれたりし、孫もなついていた。

 卒業後、大手の損害保険会社に無事入社。暫く無音に過ごしたが、きっと忙し
い充実した日々を送っているのだろうと思っていた。ある日、「申し込んでいた
ミュージカルの切符が余ったので、ご一緒にどうでしょう」という招待の手紙が
届いた。いい番組だったし、久々に元気な顔も見られる、と、楽しみにして出か
けた。

 その日、とくに以前と変わった様子も無く、いつもの静かな微笑で迎えた彼女
から、思いがけないことを聞いた。
 「どう、会社の仕事にも慣れたことでしょうね?」
 「それが、実は去年の十一月から、ずっと休んでいるんです」
 「え、病気でも? なにがあったんですか」

 彼女の身内からは何も聞いていなかたので、びっくりして聞くと、そもそも彼
女の勤めた企業では、入社当初から同期の男性社員と大きく待遇に格差がつけら
れていて、初任給も男子社員の約半分の額であったとか。上司による苛めも経験、
それも女性上司のほうがより陰湿で、一口にはいえないことが多多積み重なり、
段々人に会うのが怖くなり、人ごみにでることも出来なくなり、やがて電車に乗
ることもできなくなった。

 自宅が都心に近いので、マスクなどをして、歩いてゆくことにしたが、それは
それで目立って、人に見られると思うだけで恐怖心が募る。すらりとした長身な
のだが、ひとの視線がひたすら怖く、ついに外出もできなくなり食欲も無くなっ
た。たまたま長年家で飼って来た16歳の老犬が老衰で弱り、亡くなったが、その
間かれの看病を引き受けて看取ったことで、なんとなく救われたという。会社は
今も休職中だが、9月には復帰することにしたと聞き、危惧と将来の希望の見ら
れない状況に胸が痛み、単純によかったね、とも言えず、気が滅入ってしまった。

 それで思い当たったのが、やはり同期で出身大学も家庭環境も似ている別の系
列の親戚の娘のことである。志望した民間放送の政治記者として、張り切ってス
タートし、がんばっている、と聞いていたが、二年足らずで退社することになっ
た。もちろん結婚という事情ではなく、周囲の大人から理由らしいものは聞いた
ものの、はっきりしたことは今も分からない。間もなく大手不動産会社に再就職、
結婚し、こどもも生まれ、こんどは満足していると聞いていたが、夫の海外勤務
で、別居生活を近親者から猛反対され、退社したという。

 出来れば一度じっくりその間の事情や心境を詳しく聞いてみることにしたいと
思っている。

 いずれにしても、この問題にとりくむに当たっていちばん力を入れたいのは、
やはり、日本社会の根強い意識改革である。それが、根源的に社会システムの変
革に繋がらない限り、光りは見えてこない。一歩でも二歩でも本質的なものの見
方を学ぶ方向に進めたら、と願っている。意識の遅れはあながち男性ばかりでは
ないことを念頭に置きつつ、より効果を挙げる取り組みを工夫したいと思う。

 (筆者は東京都在住・エッセーイスト)

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