【コラム】フォーカス:インド・南アジア(5)

ダッカ・レストラン襲撃人質事件

福永 正明


<一>

 2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカにおいて発生した「レストラン襲撃人質事件(以下、事件)」での死者は、人質20人、襲撃実行犯6人、警察官2人の総計28人を記録した。容疑者7人は、いずれもバングラデシュ国籍者とされ、人質死亡者はレストラン顧客の外国人18人(イタリア人9名、邦人7名、アメリカとインド各1人)と2人のバングラデシュ人であった。

 事件発生直後から「イラク・レバントのイスラーム国(以下、ISIL)」として、犯行関与を示唆する写真・ビデオを含む情報がインターネットで流布した。そして実際に、ISILメディア部門『アマク通信』が3日までに犯行声明を公表した。

 本事件における邦人7名死亡は、2013年1月にアルジェリア発生の人質10人死亡事件に次ぐ犠牲者数であり、国内に大きな衝撃を与えた。そして、メディアでは一斉に「テロの恐怖」、「日本人が標的」、「親日国バングラデシュでの事件」など、大きく報道した。

 また、ISILが人質邦人の2人殺害を公表した事件が発生した2015年1月24日当時、その直前(1月17日)の安倍総理がエジプトの首都カイロで発表した「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」との発言が誘因したとの批判も再燃した。さらに今回の事件後は、「外国在住の邦人を守るための自衛隊が必要である」との論も大きく論じられた。

 バングラデシュ政府は、事件調査の実施と公表を約束しており、また国内専門家による解説も行われており、ここでは事件の細部については論じない。しかし筆者は、バングラデシュ国内政治情勢と、国際的なISILの活動展開が重なり合い発生した事件であり、綿密な事件分析が必要と考えている。

 こうしたなか、小稿では「邦人は標的となったのか?」」との疑問に答えることとしたい。それにより、海外駐在、特に2-3週間の中長期出張者たちの「危機対応・安全意識向上」と結びつくからである。

<二>

 バングラデシュは、面積14万7千平方キロメートル(日本の約4割)、人口1億5,940万人(2015年10月、バングラデシュ統計局)という、人口過密の巨大なイスラーム国である。国民の宗教分布は、2001年国勢調査によればムスリム(イスラーム教徒)89.7%、ヒンドゥー教徒9.2%、仏教徒0.7%、キリスト教徒0.3%である。国名に「イスラーム」は付いていないが、ムスリム主体の国といえる。

 さて、イスラーム教の重要な教え(宗教的義務)の一つとして、イスラーム教暦であるヒジュラ暦の第9月(月名はラマダーン)、この月内は全日にわたり日の出から日没まで、飲食を絶つこと、すなわち「サウム(断食)」が行われる。

 ムスリムの最重要の義務である断食は、アッラーが命じたことを行うだけでなく、各人が自らを律することにより多くの罪から助けられる。すなわちイスラーム教における断食とは、食べ物や飲み物を口にしないという単純なことではなく、「神に近づき、清い姿となる」、それは嘘をつく、人を騙す、下品なことや口論、けんか、みだらなことを「考えない」ことも含まれている。すると断食中は、すべてのムスリムたちが、「良い行い、振る舞い」をすることに心を集中させる。また、断食の間はみなが「空腹感」を持つことでの忍耐、さらに連帯感もあり、それが日没後に共に食する大宴会となる。

 イスラーム社会においてラマダーン月には、仕事や学校に集中することよりも、身体を休めることが大切になる。さらに、日没後は家族や親族が集まり、日没後の最初の食事(イフタール)を皆が家で一緒にとる。このため、ラマダーン月の夕方には、親族訪問などでの外出者以外は、街を歩くような外出者は少なく閑散とする。もちろん、レストランではなく、家での食事が重要である。

 さてイスラーム教では、クルアーンに飲酒を禁じる記述があり、一般に禁止(ハラーム)とされる。ここで「一般に」とは、イスラーム教国にも相違があり、飲酒を厳格に禁止する国から、インドネシアのように酒の販売が法律で認められている国もある。また自国民は禁止、外国人・観光客などは「人目につかないことを条件に容認」、あるいは、「外国人は容認」などの国もある。

 バングラデシュでは、「飲酒を認めない」社会である。法律的なことよりも、バングラデシュの人たちには、「飲酒は忌避するべきもの」と理解されており、「自らが飲酒しない」だけでなく、「社会に飲酒行為が社会に存在すること」にも敏感である。つまりムスリムが、そのような場に遭遇したり、目にすることは「良くないこと」と考える。そのような意識は、「反イスラームの行い」として理解され、「より良いムスリムとして生きたいと考える」人たちには、嫌悪だけでなく敵対の対象となろう。

 しかしながらバングラディシュにおいても、外国人には「特例として飲酒が容認され、飲酒を提供するレストランやホテルバー」がある。
 そのような場は、ごく普通のバングラデシュ人たちが出入りできない「特別の場所」であり、本来的には「ムスリム社会で存在してはならない場」とみなされる。

<三>

 今回の事件が発生した7月1日は、ラマダーン月の最後の金曜日であった。イスラームの祝日である金曜日には、1日5回行われる礼拝のうち1回はモスク(イスラーム教礼拝堂)に集まり礼拝が行われることが推奨されている。現に金曜日のモスクの礼拝には、特に多くの人びとが集う。この聖なる金曜日、現地時間9時半頃は、1日最後の礼拝が日没後に行われていた頃であろう。こうした「ラマダーン月最後の聖なる金曜日の夜」は、ムスリムたちには非常に神聖かつ大切な時間として感じられている。

 さて事件の現場は、外国大使館などが並び、外交官や外国人が多く居住する、そして周囲には警備ガードもある特別地域のグルシャン地区にあるホーリー・アーティサン・ベーカリーというカフェで発生した。

 20人以上の外国人が集い、飲食を楽しんでいたのであろう。そこを、襲撃犯たちが狙い、凶行に及んだことになる。このカフェを訪れた邦人からは、「あそこは持ち込みで飲酒もできた」と話している。上記のイスラーム社会での事情からすると、「特別の飲酒が認められた場所」となっていた。

 死亡した外国人人質たちが飲酒していたという証拠はないが、バングラデシュ社会をよく知る者からするならば、当然のこととして「飲酒宴会」が行われていたのであろう。

<四>

 死亡した邦人たちは、国際援助機構(JICA)が実施するプロジェクト事業に関係する、いわゆるコンサル会社の人たちであった。かれらは、「援助ボランディア」ではなく、それなりの報酬により雇用された人たちである。事件発生後の報道において、7人の所属する会社が意外に小さく、そして、情報管理にも統制が行われていないことに気づかれた方もいるであろう。かれらの会社は、JICA事業の下請け、孫請けという小会社であり、「JICA関係の民間人」である。

 さてバングラデシュの国内政治情勢は、近年悪化しており、テロ事件や襲撃事件なども頻発していた。またイタリア人殺害事件、昨年10月には日本の農業指導者殺害事件が発生した。これらの状況において、日本政府外務省は「海外安全情報」を適時に発出して注意を呼びかけていた。
 例えば本事件前の5月30日には、海外安全情報(広域情報)として「イスラーム過激派組織によるラマダン期間中のテロを呼びかける声明の発出に伴う注意喚起」を出している。そこでは、「イスラーム教では、金曜日が集団礼拝の日であり、その際、モスク等宗教施設やデモ等を狙ったテロや襲撃が行われることもあります。なお、本年のラマダン月については、6月10日、17日、24日、7月1日が金曜日に当たります。」、「特にラマダン(特に金曜日)及びイード期間中やその前後に海外に渡航・滞在される方は、従来以上に安全に注意する必要があることを認識し、外務省が発出する海外安全情報及び報道等により、最新の治安情勢等、渡航・滞在先について最新の関連情報の入手に努めるとともに、改めて危機管理意識を持つよう努めてください。」と明記されている。

 また昨年の邦人殺害事件後、海外青年協力隊はバングラデシュから撤収している。JICA職員や日本企業駐在員などは、これら「外務省安全情報」に素早く対応して、首都ダッカから地方への出張停止、特に緊急ではないバングラデシュへの出張停止などの措置をとっていた。

 果たして小さなコンサル会社の社員であった7人は、いずれも中期出張者であり、これら十分な情報を得て、かつ「危機意識」を持ち行動していたのであろうか。
 多分にかれらは、「出張帰国者の歓送会」を名目として8人が1つのレストランに集い、飲食を楽しむ会合に集っていたということは推察できる。もちろん、飲酒は確実ではない。

 批判を受けるであろうが、最悪の状況のなかで、「最も安全」と誤解したといえる。イタリア人がより人数が多いことからすれば、邦人を標的としたとは言えないであろう。偶然であろうが、危険度の高いその日の夜に、無防備にレストランに集まり、楽しんでいた人たちである。それは、バングラデシュ社会からするならば、「忌避」されることであり、聖なる夜を冒瀆すると解される危険性がある。まさに、より良きムスリムとして生きたいと考える若者たちが、「標的としたレストラン」であり、「外国人」であった。

 武装襲撃や殺害行為は、強く非難されなければならない。だが、この事件に「遭遇しない可能性があった人たち」と考える時、自らの安全について、出張先の社会の実情や危険度など、十分な理解があればとの感想は残る。

 テロ事件とは別の観点から、異なる社会を知ることの重要性、そして、「親日国だから安全」というあいまいな考えではなく、世界どこでもテロの危険はあるとの認識を有することが必要であろう。

 (筆者は岐阜女子大学南アジア研究センター長補佐)


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