フランスの格差問題雑感

鈴木 宏昌


 今年の初め、日本に帰り、書店をのぞくと、ピケティ・コーナーが設けられ、日本語版の『21世紀の資本』や怪しげな解説書が並んでいてびっくりしたのを憶えている。多分、アメリカ経由のピケティ旋風が日本にも上陸したのだろう。ところで、その本家のフランスでは、ピケティは有名人になったが、格差問題が大きく取り上げられることはなかった。もともと、社会階層間の格差は、政治的に保守と革新を分ける重要なイデオロギーの基準なので、少なくともここ50年間絶えず議論され、世論を二つに分けてきた。ピケティの問題提起にいまさらという感じを持つ人が多かったのだろう。

 また、不人気であえぐオランド・ヴァルスの社会党政権には、議論が熱しやすい格差問題を取り上げる余裕はなかったともいえる。今の政権の頭の中は、来週、再来週に行われる地方選挙(県議会選挙)で、いかに社会党の後退幅を最小限に食い止めるかで一杯である。どうも、最近の世論調査では、極右のルペン女史の率いるFNが、現状に不満を持つ貧しい階層(地方の年金生活者、農民、低賃金労働者、若年失業者)の支持を得て、かなりの選挙区で票を大幅に伸ばし、社会党候補を圧倒しそうな形勢である。このような政治情勢なので、ピケティ氏の問題提起には、フランスの政治家やマスコミの反応は鈍いが、根が深い問題なので、日ごろ私が考えている日仏の格差問題の違いを簡単にまとめてみたい。

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◆ Gini 係数の不思議
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 所得分配の国際的指標としてよく使われる所得の Gini 係数(0に近いほど所得分配が平等)を見ると、フランスは、EUの中では平均的であり、日本よりも平等な国となっている(2010年ごろ:イギリス 0.341、フランス 0.303、日本 0.322、アメリカ 0.380 活用労働統計2015年版)。EUの中では、北欧諸国の Gini 係数の値が低く、スペインなどの地中海諸国とイギリスが高い数字を示す。貧富の格差が増大するアメリカは、先進国の中では、断然高い水準である。

 ところで、私は、この指標に少なからず疑問を持っている。というのは、この数字は、私が生活体験で感じているフランスの貧富の差と随分異なっているからである。率直なところ、私には、フランスの方が日本よりも所得が平等な国とはとても思われない。もっとも、私の感覚の中には、単にフローの所得のみではなく、資産の違いも入っているのかも知れない。

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◆昔から大きかったフランスの貧富の格差
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 パリやカンヌ・ニースといった都会には、富裕層が利用するパラス(宮廷)と呼ばれる格の高い超高級ホテルが数多く存在する。ミシュランガイドを見ると、一晩1000ユーロ(13万円)からが相場らしい(もちろん、私は泊まったことなし!)。ホテル・リッツ(現在改修中)、ジョルジュVなどが世界的に有名である(ちなみに、現在では、パリの超高級ホテルは、ほとんどアラブ系資本の経営となっている)。日本の帝国ホテルやホテル・オークラとは、レベルが一つ異なる。ところで、このような高級ホテルの多くは、戦前から存在し、フランスの上流階級が使っていた。

 この頃の上流階級の人たちは、自宅以外に各地にいくつもの城や別荘を持っているのが一般的であった。これらの資産は、相続により子供や孫の世代に残されていく。私の周囲にも、親から相続した家や別荘を持つ人は多い。この一方で、パリの郊外には、貧しい人が住む汚れた集合住宅が数多く存在する。また、年金生活者の月あたりの平均収入が1300ユーロなので、パリの超高級ホテルの一晩の宿泊費に過ぎない。最低賃金を稼ぐ労働者にとっても1ヶ月の収入にほぼ該当する。現在では、超高級ホテルを利用するフランスの富豪は減っていると思われるが、それでもフォーブス誌の世界の長者番付に顔を出すフランス人は多い。このように、富の偏在は、日本とは比べ物にならないと感じているので、Gini 係数をそのまま受け入れる気持にならない。

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◆相続税、所得税
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 フローの概念である所得は、資産形成の基になるが、資産の忠実な指標ではない。相続による資産、あるいは長期貯蓄や金融資産は、毎年の所得の形では現れない。フランスにおいては、この所得に現れない資産が大きいのではないかと思っている。まず、相続税に関しては、20世紀の初めまで税率はわずかに1%だった。1920年代から資産の額に応じた累進性の税率になるが、最高税率は1982年に、40%、そして現在でも 45%である(約2億円以上の財産相続に適応される)。最近まで、控除や生前譲渡などもが相当認められていたので、相続に伴い土地や不動産を切り売りすることはフランスではあまり見られない。

 日本と比べると、もともと フランスは豊かな国で、資産の集中が激しかった。格差が一番大きかった20世紀初めには、上位10%の階層がフランスの全体の資産の45−50%を占めたとピケティ氏は書いている。その後、2つの大戦を経験するが、相続や税制に関して、日本のような大変革は経験していない。日本は、第2次大戦後、財閥解体、悪性インフレ、農地改革、そしてシャウプ税制改革があり、資産や所得の再分配の制度変革が短い期間に実現した。それに比べると、フランスの税制改革は遅く、規模も小さい。わずかに、1982年以降、社会党政権の下で、一定の税制改革や社会保障の充実、最低賃金の引き上げなどが行われるが、いずれも制度の根幹を変えるものではない。

 フランスの税収入の特徴は間接税の比率が高いことにある。消費税に該当する付加価値税(TVA)が全税収入の約50%を占め、所得税は21%でしかない(そのほか、法人税が17%)。所得税は、貧しい家庭は非課税になるので、実際に課税対象になるのは、6割くらいの家庭である。そのうち、上位20%の人が所得税収の75%を負担し、1%の富裕層が全体の37%を払う計算となる。
 資産税は、物議をかもすことが多い税で、社会党政権ができた1982年に導入され、その後、大きな制度変更はない。現在では、資産が130万ユーロを超える家計を課税対象とし、最高税率は1.5%で、資産が1000万ユーロ(約13億円)を超えると適用される。対象となる家計は約30万世帯だが、上位10%が全体の約半分のの資産税を負担している。

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◆高所得者
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 ピケティ氏が再三指摘しているように、もっとも富裕な階層の収入と資産を把握することは難しい。この階層になると、国の壁を越えて資産の運用をしているので、スイスやルクセンブルグといった銀行に口座を持つことは少しも不思議ではない。株や金融資産になると、所得としての把握や資産査定も難しくなる。現在のフランスの資産家は、ほとんどが多国籍企業のオーナーか経営者である。したがって、所得税や資産税を増税すれば、富裕層が他国(ベルギーやスイス)に移住してしまう可能性が高くなる。
 アメリカと異なり、フランスには、高額所得を名誉の勲章と考える人は少ない。一昔前まで、階級闘争をイデオロギーとしていたCGTが労働界で最も力を持っていたこともあり、フランスでは、長者番付的なものはほとんど公表されていない(アメリカ経由で富裕階層の資産を知ることが多い)。フランスの金持ちは多いが、富を見せびらかすことはない。お金や富はプライバシーの範囲と認識しているのだろう。また、フランスでは、企業の社会的貢献とか、ビル・ゲイツのような、慈善活動への転進といった例は少ない。

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◆低所得者
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 フランス人の大半の人は質素な生活を強いられている。少々古くなるが、2004年の統計では、人口の半分の人たちの資産は10万ユーロ(1300万円)満たず、最下層の10%は900ユーロの資産しか持っていなかった。1982年以降、社会党政権は、数多くの格差縮小政策を打ち出した。最低賃金を引き上げ、無業者・失業者への最低生活補助(RSA)、失業手当の引き上げ、低所得者に対する医療費免除や住宅補助などの社会政策などが、その柱となっている。そして、その財源として、資産税が用意された。
 ただし、資産税の収入は高々40億ユーロ程度なので、大きな額ではない。高額所得者からの徴税は、富裕階層からの反発が強く、政権担当者が税制による所得の再分配を避けて来た印象がある。その代わり、社会保障の充実や住宅などの社会政策で、低所得者優遇を行った。多くの場合、その財源として、法人税やCGSと呼ばれる社会保障負担を企業に課した。

 この結果、租税負担と社会保障負担を合計した国民負担率は、近年上昇を続け、2009年には国民所得の60%を超えるまでになり、ドイツとの開きは6%ポイントと大きくなっている(2009年)。言い換えれば、政治力学上、税制改革が進まない中、歴代政権は社会保障支出の拡大などで格差解消を図ってきた。その結果、結局 国の収支が大幅に悪化した。日本も似たような状態ながら、租税負担、社会保障負担の割合が低く、フランスよりは余地を残している(20012年に国民負担率は40%)。

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◆日仏共通の問題:世代間の格差
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 日仏に共通する問題として、世代による格差が挙げられる。とくに、高度成長期に労働市場に入った人と2000年以降に労働市場に参加する人では、資産形成や年金の面で大きな差がある。フランスの年金制度は複雑だが、大体 年金の賃金に対する代替率は、6割以上という高い水準を維持していた。最近は、年金財政の逼迫から、次第に年金受給条件を厳格化し、年金水準も少ずつ目減りしている。日本の年金制度と同様に、賦課方式なので、現役の世代が退職者の年金を負担する。フランスも人口の高齢化が進み、現役の世代が少なくなるとともに10%前後の失業者をずっと抱えている。
 拠出する労働者が減り、年金受給者が増えるので、年金財政、とくに補完的な年金制度は危機的状況を迎えている。負担を絶えず先送りする政治が続いているので、世代間格差は次第に大きくなっている。現在年金をもらっている人はよいが、若い世代の働き手には、あまり豊かな将来像が描けないのではないだろうか? これは、日仏両国に共通する問題である。 (2015年3月17日パリ郊外にて)

 (筆者は早稲田大学名誉教授)

※ この原稿は【格差特集】の為、「フランス便り(17)」を【北から南から】欄から今号に限り移動しました。


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