【コラム】風と土のカルテ(14)

プロポフォール死亡事故と「患者の意志」

色平 哲郎


 報道によれば、東京女子医科大学病院で昨年2月、2歳の男の子が死亡した医療事故で、遺族が2月19日、傷害致死の疑いで警視庁に刑事告訴したという。
 小児に対する集中治療で人工呼吸中の鎮静に用いることが禁忌とされているプロポフォールが基準量を超えて投与されたことに対し、遺族側は会見で「実際には術前の説明が不十分だったのに、(病院側の報告書は)説明に問題はなかったと結論されている。そもそもカルテには増量の理由など、大事なことが書かれていない」とコメントしている。
 事実関係の解明が待たれるところだが、遺族側が言う通り術前に十分に説明がなされずに、禁忌の薬が大量に投与されたとしたら、患者の意志をないがしろにする治療が行われたことになる。

 だいぶ以前、友人のジャーナリストから「なんで、病院は『患者さま』などと急に患者を持ちあげ出したの? ばかっ丁寧に表記すれば心がこもっているかのように錯覚してるんじゃない。悪しきマニュアル文化に病院まで侵食されてるなぁ」と指摘された。
 近年、多くの病院で「患者さま」といい、「患者の権利宣言」なども掲げられるようになった。必ずしもマニュアル文化に毒されているわけでなく、病院もまた「患者本位の医療」に転換したいという思いが、そんな表現になっているのだと信じたい。

 しかしながら、今回遺族側が主張しているような形で医療行為が行われたのだとしたら、「患者本位の医療」は根底から崩れる。「医療の質」が担保されていない限り、「患者本位の医療」は成り立たないからだ。

 1980年代に医療技術の最先端は第三次技術革新の段階に入ったといわれる。臓器移植や人工授精、再生医療、遺伝子操作、医療のIT化などを指す。医師で医事評論家の故・川上武先生は、「日本医療の明日を拓く道」(社会保険旬報 2004年9月1日号)と題した論文の中で、第三次技術革新について、こう記している。

 「この技術は、第一次、第二次医療技術革新のときとちがい、医療技術自体の中に社会の倫理感・価値観が入ってきたことである。先駆的医師が開発したこれらの技術は、その適用に際しては患者の意志が重大な意味をもってくる。既存の技術レベルに比べ、患者の主体性が問われるからである。この点を医師と患者の双方が理解しないかぎり、『患者本位の医療』の典型である二一世紀の先端医療は、日本ではその普及に限界があり医療の歪みを発生させるおそれが大きい」

 ともすれば大学病院や大病院では、先端医療が日常化し、こうした問題意識が稀薄になっているのではなかろうか。常に「社会の倫理感・価値観」とのすり合わせが問われていることに無自覚になっている気がする。

 今回問題となった鎮静薬の投与は、先端医療の領域には入らないかもしれないが、「患者の意志」が大きな意味を持つのは変わらない。2歳の子どもにそれを求めるのは無理だからこそ、両親にはきちんと説明がなされる必要がある。そこの基本的な「インフォームド・コンセント」が成立し得なかったことが、今回の医療事故の入り口となったのかもしれない。

 (筆者は佐久総合病院・医師)

※ この記事は著者の承諾を得て日経メディカル2015年2月25日号から転載したものです。


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