【コラム】
海外論潮短評(114)

ポピュリズムはファシズムではない
― でも、前触れとなる可能性 ―

初岡 昌一郎


 昨年末の米国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』(2016年11/12月号)が「パワー・オブ・ポピュリズム」を特集している。その中から、表題の論文を取り上げ、紹介する。筆者のシェリ・バーマンはニューヨークのコロンビア大学政治学教授。彼女は近現代ヨーロッパ政治の研究を専門としており、欧州社会民主主義についての著作もある。

◆◆ 右翼ポピュリズムの目覚ましい台頭が意味するもの

 ヨーロッパとアメリカにおける右翼政治運動の伸長が既成政治に対するますます大きな挑戦となってきた。多くの論評は、1920年代と30年代のファシズム勃興とこれを対比している。2015年にフランスの地方裁判所は、マリー・ルペンの国民戦線を“ファシスト”と呼ぶ権利を認める判決を下しており、この権利はしばしば行使されている。

 今年(2016)5月には、オーストリア国民党ノルベルト・ホッファー党首が大統領選挙ですんでのところ当選しそうであった。英ガーデアン紙は「どうして多くのオーストリア人がファシズムまがいを許容するのか」と不思議がった。同月、アメリカの保守的評論家ロバート・ケーガンがトランプの登場を「こうしてアメリカにファシズムが到来する」と警告していた。ファシズムという言葉は、これまでも政治的レッテルとして使われてきたが、今やメインストリームの論客が現在の政治現象を真剣に論評する際の用語となった。

 ファシズムは両次世界大戦間のヨーロッパで生まれたもので、この名称を冠された運動がドイツとイタリアで政権を奪取し、多くの欧州諸国をパニックに陥れた。ファシストは、国によって相違があったものの、民主主義とリベラリズムに暴力的に反対し、資本主義に疑問を投げかけた。彼らはまた、人種的宗教的な意味で定義された人種が国民的アイデンティティにとって最も重要な基準と見做した。彼らの公約は、強力な指導者の下に結集する統一的民族を興隆させるための新政治秩序によって、リベラルな民主主義を廃止することであった。

 今日の右翼ポピュリストは戦前のファシストと類似しているところもあるが、大きな相違がある。比較論が看過している点は、戦前もそうであったように、取るに足らない政治家と政党が、民主主義を根本的に脅かしうる革命的な運動に成長した理由はなぜかという説明だ。これを解明するには、極右政党の綱領やアッピール、政治家たちの人物論、支持者たちの傾向を分析するだけでは十分でない。

 問題を広い政治的な背景で把握する必要がある。多くの国においてファシストを政治の片隅における極端派から支配的な位置に押し上げたのは、両次大戦間の欧州における社会的な危機に対処することに民主主義的エリートと既成制度が失敗したからである。リアルな問題は山積しているものの、今日の先進国は1930年代と同じタイプの挫折に直面しているのではない。ルペン、トランプその他の右翼ポピュリスト政治家たちは、諸問題を究明するよりというよりも、むしろもっと曖昧なものとしている。

◆◆ ファシズムの誕生 ― グローバリゼーションに起源

 今日の右翼の多くと同じく、ファシズムはグローバリゼーションの高揚期において胚胎した。19世紀末から20世紀初頭にかけて、資本主義が伝統的な共同体、職業、文化を破壊し、西欧社会を劇的に変容させた。この時期は移住が激化した。新農業技術と安価な農産物の輸入によって窮境に陥った地方農民が都市に流出し、貧困国から良い暮らしを求めて先進国に移民が増加した。

 当時も今と同じように、こうした変化が多くの人々を脅かし、激怒させた。これが、回答を持つと自称する新種の政治家にとって肥沃な土壌を提供した。なかんずく目立ったのが、外国と市場の危険から国民を保護すると公約する右翼ナショナリスト政治家の台頭であった。アルゼンチンからオーストリア、フランスからフィンランドにいたるほとんどすべての西洋諸国で、ファシスト運動が勃興した。だが、1914年以前は既存政治秩序に対する根本的な挑戦となってはいなかった。

 第一次世界大戦が何百万人ものヨーロッパ人を抹殺、それ以上の人を傷病者とし、深いトラウマを残した。大陸の大部分が物理的経済的に荒廃した。終戦時には、これまでの生活様式全体が消滅していた。1918年に戦争は終わったが、困窮と苦悩は終らなかった。

 この大戦中とその直後に、オーストローハンガリア帝国、ドイツ帝国、オットマン帝国、ロシア帝国という、すべての欧州帝国が崩壊した。その結果、民主主義の経験がなく、共生共存に関心のない諸民族をかかえた国家が多く誕生した。他方、ドイツやスペインなどの長い歴史を持つ国でも旧体制が倒れ、民主的な過渡期が始まった。これらの国も新興国と同じく、民主主義のルールと制度を運営する大衆政治の経験を欠いていた。

 事態をさらに悪化させたのが、終戦が平和と復興を導き出すよりも、とどまることのない社会経済問題を深刻化させたことであった。新しい民主主義国は何百万人の復員兵を社会に再統合し、戦争によって荒廃した経済の復興のために苦脳した。特に、ドイツとオーストリアでは敗戦の屈辱に対する反発が広がり、高額な賠償金よってハイパーインフレが猖獗を極めた。欧州大陸全域で無法と暴力が横行し、民主政府は次第に統御力を失った。

◆◆ 危機に陥った民主主義 ― 大恐慌で両極化した反体制運動

 1920年代末期の大恐慌は、その惹起した経済的苦境だけでなく、それに対応できなかった民主主義制度の失敗によって破滅的な結果を招来した。大恐慌で最も厳しい打撃を受けたドイツとアメリカの運命を比較すれば、その相違が対照的だ。両国とも失業率、倒産件数、生産減少が非常に高い水準にあった。しかし、ワイマール共和国のドイツがナチスの総攻撃に屈したのに対し、ファシストまがいの政治家の台頭にも拘わらず、アメリカ民主主義は生き残った。

 その相違の原因は、両国政府の経済危機への対処方法にあった。ドイツの指導者は社会的な苦境を和らげる対策をとらず、緊縮政策を追求した。これが経済全般の下降を加速化させ、特に失業率の上昇を招いた。驚くべきことに、主要野党の社会民主党は傍観者的で、魅力的な対案をほとんど提起できなかった。他方、アメリカでは民主主義制度が長年にわたって存在しており、活力があった。しかし、ファシズムを排撃する上で決定的だったのは、ルーズベルト大統領が近代的福祉国家の基礎をつくることで政府が市民を助ける政治を貫徹したことである。

 ヨーロッパにとって不幸だったのは、ほとんどの政府が危機に積極的な対策をとれなかった、あるいはその意欲がなかったことだ。ほとんどの主要政党は有効な政策を持っていなかった。1930年代初頭には欧州大陸全体でリベラル政党が信用を失っていた。スカンジナビアを除き、ほとんどの社会主義政党は事態に当惑し、資本主義が完全に崩壊すれば生活が改善するが、当面はほとんど打つ手がないと説くだけであった。共産党は革命という現状維持に対するオルタナティブを持っていたが、そのアピールは労働者階級とナショナリズムに反対するものの一部に限られていた。

 ほとんどすべての欧州諸国において、大恐慌に伴う民主主義への信頼低下を利用することができたのはファシストだけであった。ファシストは既成秩序にたいし厳しい批判と強力な対案を提供した。その新システムは国家によって資本主義の破壊的な力を抑制し、雇用を創出、福祉国家を真の市民(外国籍のものを除く)に対して拡大することを約束するものであった。ナショナルインタレストを擁護し、社会における発言力を長い間失っていたと感じている人たちにプライドを回復するように訴えた。

 ファシスト政党は中産階級下層や兵士・復員兵などから極めて高い支持を集めたが、まだ単独で政権を握る実力に欠けていた。彼らは伝統的保守勢力のご都合主義に助けられた。大衆的支持基盤を欠いていた保守エリートはその長期的な目的のためにファシストを利用できると考えていたので、背後でヒットラーやムソリーニを操ろうとした。しかし、ファシストは政権を一旦奪取すると、保守エリートを尊重することはなかった。

◆◆ 今日にとっての教訓

 トランプやルペンなど現代の右翼は、既成の政治家を無責任で無能と弾劾する点でファシストと類似性を持っている。しかし相違点は、民主主義を葬るのではなく、改善すると主張している点だ。彼らは、腐敗し、時世に乖離し、根無し草となっているエリートと体制を糾弾し、一般大衆のために頑張っていると自称している。反リベラルではあるが、反民主主義は唱えていない。

 それよりもはるかに重要な相違は、過去のファシストと今日の極右の主張の背後にある歴史的時代背景である。過去に劣らず多くの市民が同じように怒っているとしても、今日の状況は両次世界大戦間の恐慌や政治的大変動とは大きく異なっている。少なくともアメリカと西欧では民主主義が根付いており、民主的手続きと権利が存在し、政党と市民社会がその声をあげ、政治的結果に影響を与えることができる。したがって、今日の極右はかつてのファシストよりもオプションとチャンスがはるかに限られている。他方で、民主主義が若く、根をおろしていない南欧と東欧では、ギリシャの「ゴールデン・ドーン」やハンガリアの「ヨビック」などの極右運動は戦前のファシズムにもっと似通っている。

 危機は革命によって作り出されるのではないが、革命は危機を利用する。換言すれば、民主主義自体がその直面する挑戦に対処するのを怠った時に、民主主義に対する危機が生まれる。西欧社会は極右ポピュリストの言動そのものよりも、民主主義を揺るがしている問題の根源を憂慮すべきだ。

 ルペンやトランプを真の脅威とさせず、疑似ファシストを歴史の屑箱に投げ入れるためには、彼らの言動に振り回されるのではなく、民主的諸制度、政党、政治家がすべての市民のニーズに応えるように行動してゆくことである。たとえばアメリカにおいては、不平等の拡大、賃金の停滞、コミュニティの崩壊、議会の手詰まり状態、巨額な費用の掛かる選挙運動などが、カリスマ性や強い指導者を求める大衆によるトランプ支持を盛り上げる原因となった。

 アメリカやヨーロッパ諸国が直面する深刻な社会経済問題の解決に対して政府が真剣に取り組まなければ、主要な主流派政党と政治家が市民ともっと緊密に連携しないならば、そして保守派が極右の危険に眼を瞑り続けるならば、今日の極右ポピュリズムはファシズムへの道を進むことになろう。

◆ コメント ◆

 歴史とは「過去と未来の対話」という、イギリスの歴史家E・H・カーの有名な言葉を思い出す。歴史家は現在の価値観を過去に照射して歴史を書き、評論家は過去の教訓から現在を論ずる。確かに、過去とのアナロジーは現在を把握するための貴重な視座となる。

 だが、E・H・カーは「歴史とは過去と未来の対話である」と言っている。未来とは、どのような将来を望むかという価値観であるといってよいだろう。願望する未来社会の視点から、現在と過去をみることが現実に向き合う上でのカギとなる。現在のポピュリズム批判にはこの観点が欠けているようにみえる。現在の政治経済秩序から疎外され、根深い幻滅と将来への絶望感を持っている人たちに対して、空洞化していると見られている民主主義の擁護や格差拡大をもたらしている経済の成長を説いても、アピールする力は乏しい。

 日本の場合には、確かに戦前に右翼的な政治は、体制外からの右翼的な運動が存在し、それが体制内右派と軍部によって利用されることはあった。しかし、西欧との相違は体制内保守派本流が軍部と手を組んで軍国主義に移行したことだ。つまり、体制自体がその内部的な力学によって軍国主義に継ぎ目なく移行した。 今日でも、保守本流に支持された安倍政権が危険なポピュリズムの道を歩むトランプ政権との蜜月関係を誇示し、これを軍事力拡大と復古的憲法改正につなげようとしているのを見ると、ポピュリスト運動に揺れる西欧とは異なる道筋により、体制自体のシームレスな極右化傾向による民主主義の危機が感知される。

 これに対する野党第一党の民進党は受け身の姿勢が目立ち、危機に対抗する積極的なビジョンが鮮明ではない。政策実現よりも自己実現を優先する政治家が多く、この党がどのような将来社会を実現しようとしているのかあまりはっきりしない。小池ブームが生まれると、すっかり存在が霞んでしまい、首都東京では関西に次いで党崩壊寸前の状態にある。環境擁護、社会的公正、特権の排除、隣国との協調と平和、軽軍備、そして生活の質的な改善を求め、政治社会経済の構造的改革の理想主義的旗印のもとで踏み出して闘う姿勢をとることが起死回生につながると思うのだが。

 (姫路獨協大学名誉教授・オルタ編集委員)


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