【北から南から】

ミャンマー通信(20)

中嶋 滋


●未だ解放されない政治犯

 ミャンマーの民主化の促進の重要な象徴とされるのは、政治犯の解放です。テインセイン大統領による民主化政策の推進は、アウンサンスーチー氏率いるNLD(国民民主同盟)が補欠選挙に参加・圧勝した2012年4月以降に、速度を速めました。政治犯の解放も軌を一にするかのように進展してきたと思われています。しかし、恩赦による釈放者の内の政治犯解放の実態を見ると必ずしもそうは言えないことが分かります。
 2012年9月から14年10月までに11回の恩赦による受刑者の釈放がありました。12年9月17日の恩赦では総数514人の内政治犯88人が含まれていて、「希望」を抱かせました。しかし、同年11月15日の恩赦では釈放者総数452人の内政治犯は0でした。引き続いて実施された翌16日の恩赦でも66人の釈放者に政治犯は含まれていませんでしたが、同19日に51人の政治犯が解放されています。2013年4月23日実施の恩赦では著名なジャーナリストを含む93人が釈放されましたが他の政治犯の数は不明でした。同年5月17日実施の恩赦では23人の政治犯が、同年7月23日実施では73人の政治犯が、それぞれ解放されました。さらに、同年10月8日実施では56人の政治犯が、同年12月11日実施では41人の政治犯が、同年12月31日実施では16人の政治犯が、それぞれ解放されています。
 そして、2014年の恩赦は10月7日までなく、同日に実施された恩赦では58人の外国人を含む実に3,073人もの多くの釈放者がありましたが、たった1人の確かな政治犯が含まれてはいるが何人が政治犯であるかは明らかにされていません。その中で注目されたのが、MI(軍情報局)元オフィサーたちの釈放でした。彼らはMIを権力基盤にした元首相のキムニュン氏失脚(2004年10月)に伴って逮捕・投獄された18人の元MI中枢幹部の一部ですが、今回の恩赦でその内の8人が釈放されたのです。未だ10人の元MI中枢幹部が収監されているわけですが、今回の彼ら8人の釈放がいかなる政治的な意味をもつのか、注視しておかねばならないと思います。地元紙も、釈放された元MI中枢幹部テインスエ准将(146年収監の判決を受け10年収監されていた)へのインタビュー記事を大きく取り上げているのも、その故かと思います。

●政治犯解放は外交取引材料?

 先ほど触れた恩赦の実施は、ミャンマー政府がかかわる外交的なイベントと関係していると思われます。「符合」が感じられるのです。2012年9月17日実施の恩赦はテインセイン大統領が国連総会で演説を行なう10日前のことでした。民主化政策推進の一つの証拠として示されたと考えられるのです。同年11月の3回の連続した恩赦実施は、明らかにオバマ米国大統領のミャンマー訪問(11月19日)に向けたパフォーマンスだったでしょう。2013年4月実施の恩赦は、EUによる経済制裁の軍需品を除く解除(4月22日)とテインセイン大統領のASEAN首脳会議出席(4月24日)に「符合」します。
 同年5月実施の恩赦は、テインセイン大統領の米国訪問・オバマ大統領とのワシントンでの会談(5月20日)と、7月実施はテインセイン大統領の初のイギリス公式訪問後に発表した「全ての政治犯解放」声明と、それぞれ見事に「符合」しています。同年10月実施の恩赦はASEAN首脳会議(10月8日)と、12月実施はSEA・Games(12月11日東南アジア・オリンピック開会)と、12月31日実施は、2014年1月1日からのASEAN議長国就任と、それぞれ「符合」しているわけです。そして、今回の恩赦は外務大臣の国連総会での人権議題からミャンマーを除外することを求めた発言に対応するものです。
 こうして外交的イベントと恩赦の関係を見ますと、ミャンマー政府の「意図」を窺い知ることができます。国内の人権団体は、外交交渉のチップとして使っていると批判しています。アムネスティ・インターナショナルも今回の恩赦に対して「中身のないジェスチャーだ」と評しています。

●元MI中枢幹部は政治犯?

 今回の恩赦に対する批判・評価は、元MI中枢幹部が「政治犯」であるのかという論議と関連します。彼らは政治的な失脚によって逮捕・投獄されましたが、民主化運動の故に逮捕・投獄された政治犯とは明らかに異なるわけです。彼らは、民主化を求めて活動した人々を弾圧し、逮捕し、拷問し、投獄したことに深くかかわった者たちであることは、まぎれもない事実です。
 私の周りにも長く投獄された経験を持つ人が何人もいます。肉体的にも精神的にも深い傷を負わされ、未だ癒されないまま生活している人もいます。10数年ぶりに家族と一緒に暮らせるようになったのに、数ヶ月後に離婚し家族から離れてしまった悲しい例もあります。精神的に負った傷の故に、時として自己コントロールが不能になり、家族にも暴力を振るってしまうことが度重なった結果だと聞きました。私は、彼が「Family reunification だから祝ってくれ」と家族が待つアメリカに旅立った日のこと、彼の嬉しさに満ちた顔を、忘れることができません。「民主化運動から逃げるわけではない。落ち着いたら必ず帰って来るから、その時は一緒にやろうな」と言った彼に、「帰ってこなくていいから、家族との生活を楽しんでくれ」と応えたのだが。

 こうした例は「悲しいことにたくさんある」とミャンマー人の同僚は言う。彼からすれば元MI中枢幹部は「政治犯」ではありません。「一緒にされてたまるか」なのです。146年の刑を言い渡され10年で釈放された准将は、「人々が求めるならば、また働く意思がある」とインタビューで答えていました。私には、彼が10年の収監生活で何を失い何を得たかを、知るよしもありません。しかし、インタビューへの答えから推察するかぎり、彼がつくり出した政治犯への謝罪と反省の気持ちは感じ取れません。
 民主化のプロセスは、こうした現実をも含みながら進んでいくのでしょう。ミャンマーの人々が進展の深層までを見据え的確な対応をしていくよう期待し、少しでも役立てればと思っています。

 (筆者はヤンゴン在住・ITCU代表)


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