【オルタ150号に寄せて】

一人ひとりが声をあげて平和を創る

荒木 重雄


 私が畏友の紹介で『オルタ』編集発行者・加藤宣幸氏の知遇を得たのは2007年のことであった。加藤氏を含めた仲間内の懇談では、私たちの世代のつねとして、えてして、懐古譚に傾いたり、政治や社会の現状批判でも主体性を欠いた世間話に終わってしまいがちなのだが、そのなかで最年長の加藤氏だけが、ひとり、現状批判をいかに運動に結びつけられるのか、そのために『オルタ』をどう活用できるのか、そのためには『オルタ』がどうあらねばならないかを、真剣に自らに問い、他にも語りかけていた。最高齢者でありながらのその際立って前向きな姿勢に感銘を受けたのが、私が『オルタ』に関心を寄せつづけてきた理由である。

 私がコラムを連載するようになったのは2008年の第49号からだが、私の関心は、自身の拙い文章よりは『オルタ』の歩みそのものにある。2004年3月にイラク戦争の不条理に反対する思いからはじまり、市民「一人ひとりが声をあげて平和を創る」ことをモットーに掲げるメールマガジンの歩みである。

 私がかかわりを持ちはじめた頃の『オルタ』は、社会的・政治的テーマの論文を巻頭に掲げながらも、格調の高い、あるいは滋味豊かな言葉が並ぶ、内省的・文学的な要素の強い、同人誌的な風情であった。いわば、人生の達人が一歩引いた高みから世相に提言するふうである。

 それがしだいに変化してきたのは、社会の変化と軌を一にしている。すなわち、2011年の福島第1原発事故、12年の第2次安倍政権発足以来の「戦後レジームからの脱却」政策の現実化(「戦後レジームからの脱却」は06年の第1次安倍政権で掲げられたスローガンだが、第2次政権以降に加速)、そして、これらの社会変化に対する加藤氏の熱い抵抗・改革の意志である。

 とりわけ14年衆院選以降の第3次安倍政権の独走ぶりは目に余る。労働法制改悪や税制改悪を含め「世界一、企業が立地しやすい(多国籍株主が儲かる)」社会をめざすアベノミクスによる格差の拡大。一旦ことが起これば人智による制御不能が明らかになったにもかかわらぬ原発再稼働と原発輸出の推進。さらに安全保障面が顕著で、秘密保護法の制定や、辺野古米軍新基地建設の強行、武器輸出の推進、集団的自衛権の容認などが、メディアへの介入・恫喝と併せて、国民の懸念・反対や専門家による憲法違反、立憲主義にもとるとの批判を振り切って進められている。

 こうした状況に対応して『オルタ』は、掲載論文を、アップ・トゥ・デートなテーマを中心に今日的な社会・政治課題に直に向き合う論考に大幅にシフトするとともに、状況やそれに対する見解をより多くの人々に伝えるために、複合的なジャーナリズム・メディアへの転換を図った。

 すでに以前から白井聡(思想史・政治学者)、鳩山由紀夫(元首相)、大河原雅子(前参院議員)、有田芳生(前参院議員)ら各氏の講演・インタビューを動画収録し YouTube に載せることはしていたのだが、15年8月からは新たに「オルタ・オープンセミナー」を開設し、辺野古基地反対闘争と砂川基地反対闘争の連帯、原発輸出問題、ヘイトスピーチ問題、靖国問題、朝鮮・中国・台湾の侵略・占領と現対日関係、SEALDs の挑戦、市民サイドからの日米外交の模索、などをめぐっての講演・シンポジウム、また、丹羽宇一郎氏(元駐中国大使)や河野洋平氏(元衆院議長)の講演などを実施してきた。

 さらに YouTube 動画も拡充し、16年4月からは阿部知子・衆院議員をホステスに小林節氏(憲法学者)や、山崎拓、亀井静香、藤井裕久の各氏ら、保守系リベラル政治家諸氏との対談シリーズを発足させ、また、近藤昭一、篠原孝、阿部知子の衆院議員三氏による鼎談で、民進党内のリベラル派の奮起を期待した。

 いうまでもないことだが、安倍政権の、権力一元化を志向し合議を欠いた独走を止めるには、野党リベラル派の奮起と併せ、本来の保守からのブレーキが必要だからだ。

 上記のオープンセミナーでの講演・議論、YouTube 動画用の対談・鼎談とも、メールマガジン『オルタ』誌上に内容を掲載している。

 『オルタ』が本来、得意とする、人生の達人が含蓄深い言葉で綴る文学的・哲学的思索の世界も、損なってはならない大切なものだ。しかし、平和憲法の存亡がかかる参院選を目前にした現在只今、無謀な戦争で失われた300万の尊い生命(アジア全体では3000万の尊い生命)の犠牲によって償われ、71年に亙る国民の営みで維持してきた戦争のない戦後日本の社会が、一政権の恣意によって無惨にも毀されかねない、後戻りできない岐路に立つ2016年6月の時点では、すべての力を、戦後日本の崩壊を堰き止めるために傾注すべきだろう。

 もちろん、このたびの選挙の結果如何にかかわらず、闘わなければならない課題は増大しつづけることになろうが。

 思うに近年、「民主主義に基づく独裁」が懸念されている。逆説的な言辞だが、議会で多数を取れば、数の力ですべてを決し、制することができるというリアルである。ナチスの例を引くまでもなく、安倍政権然り、海の向こうではトランプやルペンがその機を窺がっている。

 一方、真の民主主義や社会正義を求める運動は、街頭での大衆行動に傾いている。現在、野党を共闘に動かしているのも国会前を埋める大衆行動が大きな背景である。60年代末・70年代初に世界を揺るがせたベトナム反戦にはじまる大衆行動からは遥かに隔たったが、新たに、2010年の「アラブの春」を皮切りに、11年の米ウォール街占拠(オキュパイ)運動、14年の台湾の「ひまわり革命」、香港の「雨傘革命」と続いてきた。その流れが SEALDs や T-nsSOWL にも繋がっていよう。しかし、街頭の大衆運動だけでは政治が動かないことも見てきた通りである。

 大衆運動に寄り添いながら、真の民主主義や社会正義を求める切実で真摯なその思いを言葉にして、広く世の人々に伝え、世論を造り政治を動かす、僅かであってもその希望をもって接続環の役割を果たす。それが本来のジャーナリズムの姿であり、そして、本来のジャーナリズムをめざし「一人ひとりが声をあげて平和を創る」ことを願う『オルタ』の立ち位置ではないのだろうか。

 (筆者は元桜美林大学教授・オルタ編集委員)


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