【コラム】槿と桜(11)

七夕は旧暦で

延 恩株

 今年も日本の関東地方の七夕当日は雨でした。
 韓国では七夕を「チルォルチルソック(七月七夕)」、あるいは「チルソック」(七夕)と言います。日本と同じように、この日、天の川を渡って牽牛と織女が1年ぶりに会えることになっています。そして韓国人である私は、七夕に雨が降って良かったと思っています。
 なぜでしょう。
 それは牽牛と織女がようやく会えて、嬉しさのあまり涙を流すからだと韓国では信じられているからです。7月7日の晩だけでなく、翌日も雨だと、二人が別れを惜しむ涙だと言われています。ですから七夕は雨で当然と考える韓国人は多く、七夕当日の雨については、雨になると織姫と彦星が会えなくなると考える日本よりロマンチックだと私は思っています。
 ところでこの七夕ですが、日本では「7月7日」に家でこの日のために、特別の行事をするということはあまりないようです。ですからデパートやスーパーマーケット、商店街などが「七夕」を集客のために大いに利用して、大ぶりの竹に5色の短冊やその他のきれいな七夕飾りを出しているのを見て、ようやく気がつくという方も多いのではないでしょうか。

 日本の七夕は、一般家庭での年中行事としては軽い存在になってしまったようです。もともとは五節句(本来は節供(せっく)と書くのが正しいようです)の一つとして、江戸時代には一年の暮らしの中にあった重要な行事で、神祭を執り行う日とされていたようです。
 ちなみに五節句(節供)とは、人日(じんじつ、正月7日)、上巳(じょうし、3月3日)、端午(たんご、5月5日)、七夕(しちせき、7月7日)、重陽(ちょうよう、9月9日)で、いずれも旧暦での行事でした。
 すべて中国から伝えられたものですが、韓国ではこのうち「端午」(旧暦5月5日)、「七夕」(旧暦7月7日)、「重陽」(旧暦9月9日)が「名節」として、現在でも行事が行われていて、日本の節句と重なっています。ちなみに韓国では奇数が重なる日は生気が満ち溢れる縁起の良い日と考えられています。韓国には日本とは異なる「名節」もありますが、それは別の機会に譲ることにします。

 日本の七夕伝説では、わし座のアルタイルは彦星、こと座のベガは織姫として知られていますが、韓国では中国から伝えられたまま、牽牛星(キョヌビョル)と織女星(ジンニョビョル)、あるいは牽牛(キョヌ)、織女(ジンニョ)と呼ばれています。
 韓国の「七夕」では、特に女性は織女星に向かって“織女のように手先が器用になって手芸や裁縫が上手になりますように”と願います。これはもちろん、織女が機織りの上手な働き者の娘として語り伝えられているからです。

 ちょっと横道にそれますが、日本に来た当初、「七夕」という漢字がまったく読めませんでした。また「たなばた」と読むと教えられても、なぜこのように読むのかやはりわかりませんでした。その謎解きは日本独特の「棚機女(たなばたつめ)」信仰と関わりがあることを、私自身の研究領域を進めている過程でようやく知ることになりました。
 この言葉は『古事記』に記されていて、「棚機女」とは機織り機械を操る女性を指しています。この当時、天から降りてくる水の神のために女性が水辺に作られた「機屋(はたや)」に入って布を織るという習慣があったそうです。
 こうした習慣と中国から伝えられた「織女」の伝説が似ていたため、この二つが合わさり、「棚機女(たなばたつめ)」と繋がって、「七夕」を「たなばた」と読むようになったようです。

 七夕の日には、韓国の家庭では「ミルジョンビョン(小麦粉の薄焼き餅)」と季節の果物、それに水を供えて、家内の安全、平穏を祈願します。また女性だけでなく、男の子たちは頭が良くなりますようにと、夜空に向かって星の形を描いて、祈願します。
 七夕の日の料理は「ミルジョンビョン」のほかに、「ミルクッス(小麦粉で作った麺)」を作ります。またいろいろな果物を混ぜたジュースを飲みます。でもこうした習慣がだんだん韓国の家庭から減ってきているのは確かなようです。実を言うと、我が家でも七夕を盛大に行っているとは言えないのです。

 ところで日本の七夕にあって韓国の七夕にないものがあります。
 それは竹です。日本では七夕と竹は切っても切れない関係で、「七夕竹」には願い事などを短冊に書いて竹の枝に結んで下げます。なんでも近世になって生まれた風習だということです。
 私も初めて目にしたときは驚いたのと、きれいだなと思わず見とれてしまったことがあります。風などに竹や短冊が揺れている様子は涼しげで、気持ちが休まるような気がします。

 でも日本の七夕は明治時代になって、旧暦廃止、太陽暦採用となってしまったために、それまで旧暦で行われてきた七夕を始めとする行事が、日付はそのままですから、実際の気候や農作業、収穫物とにズレが生じるようになってしまいました。
 韓国では年中行事などの風習や習慣は旧暦で行われていて、私もそれが当然だと思っていますので、太陽暦での日本の七夕にもなんだか違和感があります。
 星や月や太陽と私たちの自然との関わりで言えば、今回、取り上げている七夕は旧暦の7月7日の頃こそ、牽牛、織女、天の川それぞれがいちばんきれいに見える位置に来るはずです。しかも雨になる確率も梅雨が終わっているのですからずっと減るはずです。
 七夕(だけではありませんが)を旧暦で馴染んできた私からすれば、日本の生活サイクルに大きな障害とはならない七夕ぐらいは、せめて全国的に旧暦で行ったらどうかと、つい思ってしまいます。実際、旧暦で行っている地域もあるのですから。

 普段はあまり空の星を眺めることなどしない私も、七夕の頃は夜空を見上げることが増えます。でもその時、目指す星がよく見えないのです。私たちは生活上の便利さを手にしたのと引き換えに、失ってしまったものがあることに気づかされ、悲しくなります。
 夜に夜の暗さが奪われてしまった都会の悲しさと言っていいかもしれません。それは日本はもちろん、韓国でも同様のことが起きています。
 天空から降ってくるように輝く星たち、天の川と名づけられるにふさわしい帯状の薄白く見える星群、そして牽牛、織女が都会でもはっきり見えるようになることなど、もうありえないのでしょうか。
 七夕に地上に降らす雨は牽牛と織女が1年ぶりに会えた喜びの涙ではなく、自然を破壊していく人間たちを悲しんだ二人の涙なのかもしれません。

 (筆者は大妻女子大学・助教授)


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