【北から南から】吉林だより(3)

万里の長城

今村 隆一


 4月で中国吉林市生活が9年目を迎えました。登山の開始は50年前の18歳の時で、大学に入学したその前年に「農大ワンゲル部死のしごき事件」がニュースになったものの、何故だかワンダーフォーゲル部に参加したのでした。その後、結婚・子育ての一時期に山に行くのが激減しましたが、吉林生活で、去年の10ヶ月で戸外活動が61回を数えたことは自分でも予想しなかった多さでした。

 それができたことは、第一に病気にならなかったこと。第二に戸外活動の大半が吉林周辺の日帰りだったこと。第三に戸外活動の参加費用が安価だったことです。
 今年になってからの戸外活動費を例に取ると、1月元旦初日の出の東山が乗り合いバス往復6元(110円)、1月2日蛟河市西土山40元(720円)、3月12日舒蘭市大禿頂子45元(810円)、3月19日蛟河市楊木大頂子25元(450円)、3月26日蛟河市朝陽山25元、3月27日蛟河市樺樹頂子35元(630円)、4月9日蛟河市馬鞍山25元、10日吉林市永吉県禿蚕山(25元)という結果です。参加費用は戸外群(活動クラブ)がバスを借り上げ、その時の参加者で負担しあいます。バスの費用は走行距離によって左右するので当然遠距離程高くなります。

 戸外活動の中には現地の店での昼食付きの活動もあり、円卓を9〜11人で囲み一人25〜30元(450〜620円)の負担で、その地域の田舎料理を楽しみます。こちらの人は普通割り勘をしませんが戸外活動の時は特別です。私には食事は何処も似たような感じがし、これまでの参加は多くありませんでしたが、すこぶる美味に感じた店もありました。
 酒はその店で買うこともできますが持参する人が多く、私は良くおすそ分けされます。飲む酒は大体がコーリャンで作った白酒(ばいじゅう;酒度45度から60度)で、慣れると美味しく感じますが、慣れない日本の人にはきつく感じるでしょう。もちろんビールもあります。最近はワイン(吉林でもワイン生産しています)もありますが飲む人は未だ多くありません。

 日帰り戸外活動の他、東北3省の遼寧省や黒竜江省、更に活動日数も1週間以上かけて遠路の四川省や雲南省などの山に行く活動も最近は増えてきました。
 私もこれまで連休を利用した吉林省外の戸外活動に参加したことが何回もあります。この場合、バスの走行距離のほか、食事や宿泊が伴い、ホテルや民宿の利用で参加費は異なりますが、これまでバス代込みの1泊2日で260元(4,680円)から300元(5,400円)位、2泊3日で430元(7,740円)から550元(9,900円)位、昨年、内モンゴル自治区の草原での活動(5泊6日)に参加したときは1680元(30,240円)でした。

 今年初の宿泊を要する活動は清明節休暇(4月2日から4日まで)の「箭扣(ジエンコウ)長城」穿越「慕田峪(ムゥティエンユ)長城」でした。穿越とは歩きぬける、いわゆる縦走のことです。箭扣長城付近では、2008年に地元の登山者が2人落雷で、2012年11月に日本人3人が吹雪に見舞われ長城ののろし台で死亡しています。何より箭扣の名が示すように峰が切り立っていて長城の中では最も急峻で険しい最大標高1141mの長城として有名です。「慕田峪長城」は日本のガイドブックでも紹介されていて、北京十六景にもなっている眺望の美しさを誇っている長城で入山料(私たちは通り抜けのため免除)45元(810円)が必要です。
 私は2007年夏に北京郊外の最も有名な「八達嶺長城」に行っており、観光地化された長城に関心が無かったのですが、その後2013年5月に、はじめて観光地化されていない「五家口野長城(修復されていない長城を野長城と呼んでいます)」と「董家口野長城」等に行き、野長城に魅せられました。その年の秋「箭扣長城」活動申込みを打診したところ、危険だから高齢者は駄目だとリーダーに断られてしまいました。その翌年も同様に断られました。

 これまで何度もそのリーダーのもと吉林での戸外活動に参加しており、今年も駄目でも仕方ないと思いながらメール打診したところ根負けしたのか状況が変わったのか、3年越で参加が認められました。彼は歌と酒が好きな明るい性格の人で、今回返事に「やっぱり私は心配なのです。大兄は外国の友人なんですから」と一言恨み節。
 この間私は去年4月に「小河口長城」穿越「董家口野長城」、10月に「錐子山野長城」穿越「婁家溝長城」と「九門口水上長城」と幾つかの長城に行きましたが、断られた影響もあって「箭扣長城」への思いが強くなっていました。中国の成語で“百聞不如一見(百聞一見に如かず)”、高齢者の私にとって長城歩きの険しさは不安ではありましたが、実際に行ってみると他の長城よりはるかに急峻で危険な箇所が幾つもありました。

 私は今回全コースを自力で崖を登り無事歩き通せましたが、ザイルを使用した参加者もあったようです。訪れた子供たちはヘルメットを着用していました。英語とロシア語の欧米の若者も多くいました。当日の天気は良く、桃の花が至る所に咲いて、遠く連なる長城など景色も良かったのですが、なぜか楽しくは感じませんでした。中国建国時、毛沢東は「不到長城非好漢」(長城に行かにゃ、男じゃねえ:私の翻訳)と長城に懸けて中国人民を鼓舞する言葉を残しています。戸外活動中参加者と色んな話をしますが、今回は50歳位の男性から日本の山と自然環境に話が及びました。
 中国人の日本旅行熱が高い昨今、今回も「日本は景色もきれいで空気もきれいなようですね」と言われ、「はい、きれいに見えますが空気は福島の原発事故以来、放射能汚染がまだ続いているので、中国よりも危険だと思います。特に子供の健康が心配」と答えました。

 「箭扣長城」の尾根から「慕田峪長城」に向かい4時間ほどした所の2か所で直壁の崖があり、そこでは何と60歳位の小父さんがいて梯子の使用料一人5元(90円)を徴収していました。2か所とも私は5人一緒に進んでいましたが、なかの男性が交渉して一人2元(36円)に負けさせました。「こんなところで銭儲けなど」と腹が立ちましたが、すぐに「原発は安全」と吹聴して騙してきたうえ、再稼働を企む奴等の罪深さとは比較にならないと思うと、梯子の小父さんは愛嬌だと思えました。
 今回の戸外活動は、86名の参加、バス2台、吉林市から800キロの遠距離なことから、バスの乗車時間は長く、行きは朝4時半に吉林を出発し長城登山口の西柵子五村の民宿に着いたのが午後9時、帰りは昼前11時半に現地を出て吉林到着は夜中の2時でしたので、バスの中では忍耐以外ありませんでした。
 今回の参加費は昼食無、2朝食2夕食付、民宿(4人一部屋・水洗トイレ付き・シャワー有/湯は出ず)で580元(6240円)でした。万里の長城「箭扣長城」は、確かに急峻で危険ではありましたが、私にスリルを楽しむ趣味がないうえ、景色もこれまでの野長城と同様に映ったためか、美しい森林に覆われ四季折々の植物と景色を楽しめる吉林周辺の山での戸外活動の方がはるかに素晴らしいと思わせてくれたものでした。

 (筆者は中国吉林市・日本語教師)


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