【自由へのひろば】

世界平和の会綱領について

三上 隆

 私たち世界平和の会は、この二十一世紀にこそ、有史以来の人類の愚かしい殺し合い、戦争を地上から根絶するために、結成されたものである。
 なぜなら、二十世紀と比べても比べようもないほど、人類を何回殺し尽くしてもなおあり余る核兵器が蓄積された、この二十一世紀の地球上において、一たび大戦の火の手が上がれば、それは人類の終わりを意味するものだからである。
 この二十一世紀は、真に世界平和を実現することが、人類一人一人に課せられた神聖なる使命と責任であることを、私たちは宣言する。
 また、二百国近くに及ぶ世界各国には、武器を捨て軍備を廃止して、真に平和共存を実現すべき厳粛なる責務がある。
 そのためには、忍耐深い努力によって、世界各地域に各国の共同体を結成し、この共同体が地球上あまねく手を結び合わなければならない。
 なお、そのためには、私たちの日本国に、そのような世界平和をリードする使命と責務とがある。日本こそが、世界でただ一つ、原爆の洗礼を受けた国である。
 その日本が、世界平和をリードしなければ、どの国が率先して平和に貢献することができるであろうか。
 そのために、私たちは、三つの針路を日本のために示したいと思う。

◆ 日本は世界一の経済大国を目指すべきである

 二十一世紀に、真に国を守るべき力は、軍事力ではなく経済力にある。
 今や日本は建国以来の危機に遭遇している。これは、未だかつて経験したことのない、少子高齢化と言われる人口減少社会である。
 一昨年の二○一五年を境にして、日本は確実に人口減少社会に転じた。
 言うまでもなくこれは、国内市場の縮小という、日本の社会経済にとって、暗い将来を予告するものである。
 既にその予兆に基づき、大企業の海外進出と言えば耳に快いが、日本からの脱出が行われ、国内への設備投資が減少に向かっている。
 今こそ大胆な発想転換が必要な秋である。

 まず、国にとって必要な資源は、物的資源よりも、人的資源であることを知らなければならない。
 つまりは、人間は無限な能力を持った生きた資源であり、人口はその国の資源力である。
 火山国で石灰岩程度しか自然資源を持たない日本が、何で今日の経済力を保持しているのか。
 一口に言えば、それは資源としての日本人の力であり、資源力としての日本の人口である。
 十八世紀のマルサス以来の誤った人口論を、今こそ見直さなければならない。
 世界一の経済大国のアメリカは、今日でも自然増二百万人、移民百万人、合計毎年三百万人の人口が増え続けている。
 アジアでも人口抑制策をとった大国と、そうでない大国との間でも、経済成長率の逆転が生じている。

 少子高齢化は、決して先進国の病弊ではない。それは、人間の意識の問題であり、国の政策の問題である。
 日本は自然資源の開発費用の全てを、人口資源開発に振り向けてでも、人口の増加に力を注がなければならない。
 一九八〇年代、日本が一億の人口に達した時に、三十五億だった世界の人口は、今や七十億に達している。
 日本も速やかに二億の人口目標を設定し、逆転されて世界第三位に後退した経済力を、直ちに世界第二位に戻し、優秀な日本の人口資源を活用して、世界一位の経済大国を目指すべきである。
 それなくしては、日本は自らの安全を守り、世界平和をリードすることは出来ない。

◆ 日本は世界に先駆けて武器を措くべきである

 日本は、世界平和をリードするために、世界に先駆けて武器を措かなければならない。
 しかし、これは決して容易なことではない。そのためには、次の三段階をその都度国民の世論に基づく国民投票などを通じて、日本国民の勇気ある決断を求めなければならない。

 第一段階は、今の集団的自衛権から、もう一度専守防衛に立ち戻ることである。
 第二段階は、アメリカの核の傘から脱することである。
 アメリカの核の傘の下にいて、世界平和をリードすることは出来ない。
 第三段階は、世界に先駆けて武器を措くことである。
 もちろん、今の自衛隊を直ちに解散するような早計な策ではなく、一例を挙げれば、おそらくは世界的な政府が樹立されたならば、自衛隊をそのための警察隊に組織変更すべきである。

◆ 日本は教育を根本的に改革して、世界に範を示すべきである

 教育という英訳はエデュケーションであり、その本来的語義は、内にあるものを引き出すことである。これは実に教育の本来の意義を表している。
 本来人間は、一人一人それぞれに適した、無限なる能力が備わっている。ただこの発揮を妨げているのは、人間の意識である。
 教育とは、このような各自に備わった、それぞれの無限なる能力を、自覚させ引き出すことである。
 そのためには、従来、人間の価値の優劣の評価を伴った、知識偏重の教育制度を根本的に見直さなければならない。

 人間は本来、まず必要なことは、東洋風に言えば徳であり、西洋風に言えば愛である。この愛なり徳なりを根本的に涵養する教育こそが、人間の持てる無限なる能力を、最大限に発揮する途である。
 現在の教育の価値序列において、最高位に置かれる知識なり知的能力なりが、人間能力の全てではない。
 あらゆる方面にそれぞれ開花した時の、人間の能力の素晴らしさを色々指摘するまでもない。
 そのため、寧ろ真になされるべき教育は、まず人間の心なり心身の陶冶である。
 私たちは、このような理念に基づいて、教育を制度化することを提唱したい。
 この教育の改革においても日本は世界に、先駆けるべきである。
 また、このこと無くしては、世界平和を先駆けることは出来ない。

 (京都在住・世界平和の会代表)


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