【書評】

中国台頭の文明史的意義—待望の本格的中国論—

『中国が世界をリードするとき』(上・下) 各3,672円(税込)
 マーティン・ジェイクス/著  松下幸子/訳  NTT出版/刊

久保 孝雄

 安倍首相は5月6日のOECD理事会で基調講演を行い、「日本経済はよみがえった」とアベノミクスの成果を誇示したが、その一週間前(4月30日)、世界銀行は中国が今年中に購買力平価(PPP)によるGDPでアメリカを抜き世界一になること、日本はインドに抜かれて3位から4位に落ちるとの予測を発表していた。安倍演説が上滑りの印象を与えてしまったのも、やむを得ないタイミングだった。

 それはともかく、為替レートによるGDPランキングでも中国が世界一になることは、もはや時間の問題になっている。2019年なのか、2023年なのか、といった数年間の予測のずれがみられる程度だ。盛んに行われている「中国崩壊論」(これは日本にだけ見られる特異な現象のようだ)や「中国はアメリカを抜けない論」に、もはや決着がついた感じである。

 人口や国土面積から見ても中国が世界一の経済大国になること自体は極めて自然なことだ。事実、人類の歴史20世紀のうち19世紀初頭まで中国は世界一の経済大国だった(1820年の中国のGDPは世界の32%)。200年ぶりにその地位を回復したに過ぎないとも言える。

 したがって、これからの基本的な問題は中国がいかなる意味で世界一の大国になるのか、また、中国が世界一の大国になった時、世界秩序や地球環境などにどれだけ巨大で、深遠なインパクトがもたらされるのかということである。例えば中国の一人当たりGDPはいま7000ドル程度だが、数十年後、果たして今の先進国並みの4〜5万ドルにまで拡大できるのか。拡大したとき、世界の資源・エネルギー、環境問題はどのような変貌を遂げるのか。

 さらに、中国台頭のインパクトは、広く地球社会の価値観や文化、文明の問題にも波及するはずだ。この300年、近代社会は欧米主導で、欧米の価値観で創られ、ヨーロッパ文明が世界を覆ってきたが、中国を先頭とするアジアの台頭、新興国、途上国の発展によって欧米主導の近代文明は転換を迫られるはずだ。中国主導、アジア主導でいかなる文明が形成されるのか。人類が経験したことのない中国台頭の巨大なグローバル・インパクトを予測し、地球社会がどう変貌するのかを洞察していかなければならない時が来ている。恐らくそれは中国人だけでなく、人類の英知が試される大型の課題になるはずだ。

 そんなことを考え始めたとき、素晴らしい本に出会った。イギリスの学者マーティン・ジェイクスの『中国が世界をリードするとき』上下2冊、松下幸子訳(NTT出版)という本である。書店の国際問題コーナーで、所狭しと並ぶ「反中憎韓」本に反吐が出そうになっていたとき、書棚に本書を発見し、救われる思いがした。そして扉の次の文章を見たとき「わが意を得たり」と心のときめきを感じた。

 「大国化する中国は、西洋的な近代社会に向かっているのではない。巨大な人口と国土をもち、屈辱の時代を経て、いま中国は西洋近代や日本とはちがう形で急速な発展を遂げている。とくに国際的な金融危機以降の西洋の国々の衰退は、中国の台頭を加速させている。西洋近代の国民国家ではなく、古来からの文明国家としての中国が世界に君臨するとき、世界秩序は従来の歴史にはなかった姿で再編される」

 しかし、中国台頭の世界史的、文明史的意義を理解している人はまだ少ない。とくに西洋文明の既得権勢力(欧米と日本)にとってはかなり高い精神的ハードルである。本書11章「中国が世界を支配するとき」の冒頭で著者は次のように言う。

 「中国の大国化によってもっともひどく精神的ダメージを受けるのは西洋である。中国が今まさに超えようとしているものこそ、西洋の歴史的地位なのだから。中国が西洋を超えるという事態が意味するものはきわめて大きい。2世紀以上にわたって西洋は・・・世界に君臨した。しかし1945年以降は、もはや世界政治の主役ではないのだという事実をヨーロッパは受け入れざるを得なかった。・・・(この)喪失感は、ヨーロッパ諸国に多くの精神的衝撃を与え(た)。・・・それでもいまだに、世界的地位の低下という事実を受け入れるどころか、理解さえできず、それに合わせて視野を変えることもできていない」

 著者は西洋が中国を理解するのがいかに困難かを、次のように指摘する。「中国を西洋の経験に基づいて・・・解釈・評価することのそもそもの問題点は、そうすることで中国固有のあらゆる事象、すなわち中国を中国たらしめているすべてを排除してしまう点にある。(彼らの)注目に値するのは、西洋と何らかの共通性をもつ部分だけになってしまうのだ。・・・西洋はいやが応でも中国ならではの特殊な点とそれが持つ意味とに直面せざるを得ない。中国を理解することは21世紀が抱える最大の難題のひとつとなるだろう」

 いま世界のいたるところで激しい中国バッシングが起きているが、すべて中国台頭に伴う既得権勢力との摩擦と軋轢の結果である。とくに激しくバッシングを加えているのは最大の既得権勢力で、1945年以来70年にわたって「パックスアメリカーナ」と呼ばれた世界への覇権体制を築いてきたアメリカと、これにぴったり従属することで存在感を保ってきた日本である。「アジアで最も危険な政治家」(NYタイムス、5月8日)とされる安倍首相の常軌を逸した中国への敵対姿勢は、中国の急速な台頭に衝撃を受けている日本支配層(既得権層)右派のヒステリックな反応を象徴している。多くのメディアが臆面もなくこれに追随し、唱和している姿は、軍部に迎合して戦意高揚を煽った戦時中と変わらない。

 「なんでも世界一」でなければ気が済まないアメリカ国民も、GDPで中国に抜かれ、第2位に落ちることなど、ありえないし、あってはならないと信じているので、現実にGDPで中国に追い抜かれたとき、アメリカ支配層はもとより国民の間にもかなりのヒステリー現象が起きるのではないか、それが中国との間に深刻な紛争を生まないか、との懸念が強く存在している。現に、覇権衰退に危機感を持つアメリカ・タカ派(軍産複合体)は、東・南シナ海で日本、フィリピン、ベトナムなどと緊密に連携しつつ中国包囲・牽制に力を入れ、アジアでのプレゼンス維持に懸命である。

 かつてエズラ・ボーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書き(1975年)、日本に「世界のリーダとしての役割」を期待したことがあったが、ある国際会議でインドのザカリアは「日本は数十年間、世界で2番目の経済大国でした。ですが、あの国にはいかなる壮大な主導的構想もついに見られませんでした。(一国の国力や)政治力にはそんな構想力やその実行力が必要なのです」と述べ、今の中国にもまだ「壮大な主導的構想」がないから覇者にはなれないことを指摘していた(『中国は21世紀の覇者となるか』早川書房)。

 アメリカの世界覇権を支えたのも、軍事力や経済力だけでなく、「アメリカン・ドリーム」「アメリカン・デモクラシー」「自由と人権」「フロンティア・スピリット」といったアメリカのナショナル・イメージである。それが人類普遍の価値と謳われ、アメリカへの信頼感・好感度を広げてきたのだ。そして今、アメリカ覇権の衰退と「アメリカン・ドリーム」の破たんがパラレルに進んでいる。

 近年の中国の指導者たちの発言を見ていると、中国自身がこのことを自覚し、中国の世界認識やグローバル戦略について、意識的にメッセージを送ろうとしているように見受けられる。とくに注目されるのは、昨年6月の米中首脳会談、9月の上海協力機構(SCO)、10月のAPEC、ASEAN首脳会議、今年5月の中露首脳会談、アジア信頼協力醸成会議(CICA)などにおける習近平国家主席の発言である。

 これらの発言で強調されていることは「中国は平和的発展の道を堅持し、他国との互恵協力を進める」「中華民族には他国を侵略し、覇権を求める遺伝子はない。2000年前のシルクロード開拓、600年前の鄭和の大航海は平和的交流のためだ」「『強国必覇』(強国は必ず覇権を求める)の考えは受け入れない」「1極や2極による世界支配に反対し、世界の多極化を支持する」「アジアの問題はアジアで解決する能力と英知を我々は持っている」「アメリカとは<不衝突、不対抗、Win−Win の新しい大国間関係を目指す」などである。日本についても「われわれはライバルではなく、パートナーである」と述べたことがある。

 5月15日の中国人民対外友好協会結成60周年記念集会における演説でも「平和的発展の道を堅持して進む」ことを強調するとともに、「われわれは国境、時空、文明を乗り越え、互いを手本とする交流を通じて各国人民の相互理解、相互支持を推進し、心の中の平和理念がゆるがないほどの戦争を防ぐ強大な力を作り上げねばならない」(「日本と中国」6月1日)と述べている。

 もう一つ注目されるのは、最近、中国の理論家の間で、春秋戦国時代の思想家(孔子、孟子、老子、荀子など)の諸説と関連付けて政治、外交や国際秩序の在り方が論じられていることである。ある学者(閻学通)は、儒教思想にある「覇道」「王道」の概念を使って中国は「王道国家」を目指すべきだと説いている(本書下、287頁)。中国のユートピア思想と見られる大同思想の今日的意義をめぐる議論も活発に行われているようだ。これらの思想的、哲学的議論を通じて地球市民社会に普遍する魅力ある世界理念、世界ヴィジョンが形成されることを期待したい。

 欧米中心の時代が終わり、中国を中心とするアジアの時代—新興国、途上国の時代が幕を開けつつある今、習近平主席が提唱している「中国の夢」は、中国が「文明大国」としての姿を現すとき、はじめて「アジアの夢」「人類の夢」と重なることができるのではないか。

 なお、本書の訳文は的確、流麗で大変読みやすかった。訳者に感謝したい。それにしても、日本における中国研究の底の浅さを痛感させられた一冊である。

 (筆者はアジアサイエンスパーク協会名誉会長)


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