【北から南から】中国・吉林便り(5)

吉林で触れる現実と歴史と豊かさ

今村 隆一


 今年5月に始まった中国大陸南部の豪雨で、6月に入ってからも毎日至る所で被害が発生していることがTV報道されています。吉林では2010年の夏に市南部の永吉県が豪雨による河川氾濫で中心市街地が水浸しになって以来、洪水は発生していません。私が中国に来て以来、揚子江の南部で、洪水は毎年のように様々な所で発生しています。特に今年は長期に亘っていて、被災地域も11省に及んでいます。確実に言えることは中国は世界の中では一番の災害大国ではないか、ということです。その損失もさることながら救済復興にかける労力は並大抵ではないことが最近になって解ってきたことです。

 中国の自然災害については、水害、干害、地震、台風、雹害、雪害、山崩れ、土石流、黄砂等、災害が多種で頻繁に恒常的に発生していることに、私はこれまで無頓着でした。災害対応だけでも相当なエネルギーを必要とする国が中国だと私は実感しています。災害発生地から遠い吉林にいることから気づかなかったのです。日本の東アジア関係のニュースは、沖縄の接続水域に中国の船が入ったとか北朝鮮がミサイル発射とかが、ことさらに大げさ且つヒステリックに報道されているように感じていますが、人工災害にしろ自然災害にしろ生活者が現実として危機に瀕していることに関心を持って欲しいと思います。

 私事ですが、漢語学習の一方、日本語学習を指導し、週末は戸外活動に参加する生活が日常化するにつれて、ゆっくり休むことが珍しくなりました。今学期(3月から7月までが春学期)が始って以降、ゆっくり休んだ日が無かったのでしたが、大学の運動会が6月2・3日に行われたので、今学期初めての連休となりました。運動会の様子は微信ネットで即日動画配信され、開会式や団体演技の様子を見ることができました。吉林に初めて来た2008年の秋に、学生から運動会を見に来るよう誘われたことがあり、その時は1時間ほど見ましたが、それ以降、運動会の日は私の貴重な休日になっています。

 北華大学では1年生に軍訓(ジュンシュン:軍事訓練)が3週間義務付けられていて、軍訓終了後、間を置かずに運動会が開催されるのです。中国ではどこでも行進や団体遊戯には力が入っていて、特に多人数の整然とした演技には迫力があり、美しくはありますが、中国雑技は別として私は見てもあまり楽しく感じません。韓国の男性は18歳から28歳の間に2年の兵役があり、その体験談を留学生から聞くことがありますが、私はなぜか興味が湧きませんし、中国の軍訓もその国の置かれた状況(近現代の歴史)から、その必要が生まれたことは理解できますが、関心は湧かず、1年生には「陽焼けに注意を」と言うだけです。

 漢語のクラスでは今学期の授業は中国人教師の他、留学生は韓国人と蒙古人と私の少数(出席者は2人の時が最も多く、多くても4人)でしたので、お互いの考えやお国の事情を紹介することや、世界情勢から自殺や死刑制度の話題にも及ぶことが度々あります。自殺は、概して韓国では若者に、日本では中高年に多く、蒙古では極端に少なく、死刑は韓国と蒙古(2015年12月に廃止)には無く、中国と日本では頑迷として堅持されております。国家が死刑を制度化していることは、私にとって民主主義に矛盾する制度として頑迷と表現せざるを得ない、殺人の過ちを国家が敢然と行うことに理解出来ないからです。

 また冤罪は警察によって仕組まれ生まれるものと思っております。私は中国にいて死刑制度について議論を求めたことはありませんが、教科書にテーマとしてあり、内容は「死刑には問題あり」とする一方、結果として制度の正当性に及ぶと私には理解困難で、説得力が乏しいと言わざるを得ません。漢語授業と違って日本語授業では、教科書の課題から外れ参考図書として日本語の新聞と雑誌記事を題材に使うことがあり、5月には「生命」、天寿を全うすることと理不尽な死で命を断つことを学生と共に考える時間を持ったこともありました。

 今年の5月は、前半まで最高気温が20度に達した日が3日しかなかったのに17日にいきなり27度に上がって、以降、陽が当たる所にいるとジリジリと照り付けられ日陰を求めてしまいます。若者も薄手の半袖と女性のへそ出しと短パンが目立つようになり、夏が来た感じです。
 千m級の山では5月初めまで北斜面や渓谷に残雪が見られたものの、4月から山草が新芽を吹き、驴友(ルュゥヨウ:戸外活動に参加する仲間達)が一斉に山菜を摘みはじめ、それは6月初めまで続きます。山中は雪解け水や浸出水で大小の川筋が増え、地面の中からも流水音が聞こえたり、蒲公英、石楠花、つつじ、おだまき、いわかがみ、姫百合等が咲き誇り、蝶が舞い、鳥のさえずりが増し、牛と馬(稀に豚と山羊も)の放牧も始まります。山を登る肉体の苦痛は吉林の自然のこのような豊かな光景が癒やしてくれるのです。

 5月21日は「松之旅戸外群」の活動参加を予定していたのですが、参加人数不足により前日夕刻に活動取消のメールを受けたので、急遽これまで私が最も多く参加している「穿越戸外群」による蛟河(ジャオハ)市の西圡山(シィトーシャン:1189.6m)戸外活動に参加しました。山頂からの景色が好評の西圡山は7回目の登山になりました。吉林から高速道路を使って登山口まで約2時間半を要します。この日途中のトイレ休憩に使用した場所は蛟河(ジャオハ)市、新站(シンジャン)鎮にある鉄道駅「新站」の旧駅舎前にある共同トイレでした。トイレから30m位の所に建っていたのは旧駅舎。戸外活動参加者の男性に旧駅舎の前に行って見たらと勧められて行くと、蛟河市行政当局がその駅舎を歴史遺産として保存しているのでした。「文化遺跡」(2013年蛟河市人民政府公布)と刻まれた石碑があり、その駅舎は昔日本人が建てたのだと知らされました。駅舎前は広場風で一帯は平屋建ての古い長屋住居が整然と10棟ほど並んでいましたが住んでいる人はいる筈なのに周りには商店はなく、通りの車数も少なく、人の姿もなくシンと静まり返っていました。

 駅の位置を若干移動し出入りを昔の東側から現在の西側にしたから、旧駅舎周辺はさびれたのでしょうか、それとも保存しているのでしょうか。駅舎の外観は屋根に小さなとんがり帽子を乗せたような特徴があり普通の駅舎とはちょっと違う趣を感じる建物でありました。吉林から蛟河市中心の蛟河、新站を経て舒蘭(シユウラン)、哈爾濱(ハルビン)と鉄道で結ばれ、この一帯は今から80年以上前、満蒙開拓で多くの日本人が入植していた所でもあったようで、そのことは舒蘭出身の友人から聞いていたことですが、私にとっては「新站」の旧駅舎が満蒙開拓と関連があるのを知ったのはそこに来てのことでした。

 これまで「9・18歴史記念館(瀋陽)」、「731細菌部隊跡(哈爾濱)」や「豊満万人坑(吉林市)」(万人坑:満洲建国侵略犯罪の一環として石炭採掘やダム建設工事などで使用・連行された人の死体の捨て場)など前もって知識を得て行った所もありましたが、吉林周辺で戸外活動をしていて偶然過去の歴史に触れることがあります。至近では6月10日端午節休暇で吉林市の南に隣接する磐石(パンシ)市の蓮花山の一座に位置する鷹爪頂子(インジャオディンズ:1049m)で下山して舗装道路に出たばかりの道路脇に石碑「東北坑聯活動遺跡」がありました。そこには1932年10月楊靖宇(ヤン・ジンユウ)がこの地で抗日武装会議を行い、その冬「中国工農紅軍32軍」が改名により生まれたと書かれていました。楊靖宇は1940年日本軍の攻撃によりこの地の南約80キロの今は楊靖宇の名を冠した白山市靖宇県で死亡しております。当然「楊靖宇将軍殉国地」遺跡の他、抗日戦争関連遺跡が周辺地域一帯にあり、吉林の人で彼の名を知らない人はいないと思われます。

 私は戸外活動中でも驴友と雑談しているとき尖閣列島(こちらでは釣魚島と呼びます)問題で「あんたはどう思う?」と切り出されることがあります。そんな時の私は(1)「あの島は私のものではない」(2)「あの問題は日本政府の錯誤だと思っている」(3)「あの問題は国の指導者に責任がある」と回答します。すると周りの驴友が「そうだ、老百姓(ラオバイシン:一般国民のこと)の問題ではない」と私に助け船を出してくれて、その話は直ぐに終わるのがこれまでの常です。私にとって日本政府の錯誤とは民主党野田政権の時の国有化国会決議を指します。あの時、日本共産党はじめ自民党も含め全ての政党が国有化に賛成しています。政府や御用学者、忖度に長けた人は疑問を感じていないようですが、あれは私から言うと“日本政府の錯誤”です。百歩譲るとしたら、我が国のものだと言う外交手段上の意思表示、つまり主張が選択肢としては認められると言うだけです。しかしその主張は何ら力を持たないと思うのですが、…。

 吉林に住んでいて満洲国建国という名の侵略をどう考えるかということは私に取って決して難しい問題ではありません。ただ残念ながら知らないことが多くあることは事実であり、知らないという現実を学習により克服したいと思っていますが簡単ではありません。また難しいことはこちらの人とどのようにかかわるか、言うことが相手に正しく伝わるかどうか、侵略は日本国政治の錯誤であり、侵略は正当化できないという反省をどう率直に伝えるかに回わらない頭をひねります。私は態度も大切だが考えていることを如何により正確に伝えるか、そのために苦手な語学学習を克服しなくてはならない、と自分に言い聞かせています。中国で生まれ育った人と見方や感じ方には違いがあるのは仕方がないことですが、そのような違いを認めあえるように誠意を尽くしたいと。

 昨年10月に実施された内閣府の「外交に関する世論調査」では中国に対し「親しみを感じない」と「どちらかというと親しみを感じない」の割合が83.2%に達したそうです。1975年から続く調査で、かつては「親しみを感じる」が8割近くあったのに、全く逆になったと報告されていますが、それが事実なら、それは日清戦争以降の、中国、韓国を軽蔑することから抜け出せないで今日に至った、レイシストに支持された安倍晋三氏を政治のリーダーに戴き、彼自身のヘイトスピーチまがいの発言に、まさに歪んだ人達の影響をまともに受けてきた大衆の感情、と言わざるを得ません。軍事報道突出のこちらのTVに対しても、私は違和感を感じざるを得ませんが、その元凶は日本国政府の歴史認識とアメリカの中国包囲網加担に影響を受けてのことではないかとさえ見えてならないのです。

 (筆者は中国・吉林市在住・日本語教師)


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