■国有化と「棚上げ」は均衡するか?   岡田 充

 ―領土は空洞化する国のシンボル―
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 日本と中国の対立と緊張を狙って放たれた矢は、尖閣諸島(中国名 釣魚島)
の「国有化」(9月11日)という「的」に命中した。中国は6隻もの漁業監視
船を日本領海内に「侵入」させて、国有化に抗議する意思を鮮明にし、中国各地
では40年前の日中国交正常化以来、最大規模の抗議デモが発生。暴徒化した群
衆が、日系スーパーやレストランを襲撃・略奪した。

 新たな展開を論じる前に明確にしておきたいことがある。それはゲームの発端
が、石原慎太郎・東京都知事の購入計画と、野田政権による国有化方針にあった
点である。

 知事の思惑通り、事態は双方の領土ナショナリズムを刺激し、歯止めの効かな
い悪循環に陥り「危険水域」に入った。領土問題という絶対的な性格をもつテー
マでは、勇ましい議論が必ず勢いを持つ。「領土を盗られてもいいのか」という
幼稚な問いに答えるのは簡単ではない。論理というより情緒だからだが、これこ
そが領土ナショナリズムのやっかいなところである。

 事態がこれほど悪化しても、リベラルを任じる識者や政治家の声は小さく、か
すみがちだ。ここで我々が声を上げねば悪循環は断てない。
 
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◆可視化される国家
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 ここでは「国有化」という新たな展開を踏まえた上で、「オルタ7月号」では
書ききれなかった別の視点から論じたい。第1は、国境を越えた経済グローバル
化が進み、国家・政府の役割が減衰する中での領土問題の意味を問い返すことで
ある。第2に「実効支配」という文脈から考えれば、問題の所在はより鮮明化す
る。

 ここから結論的に言えることは(1)実効支配している側は強い立場にあるこ
とを自覚し、いたずらに実効支配を強化してはならない(2)争いは棚上げする
ほかはなく、関係者が共に利益を享有できる共同開発・共同利用など「ウィン・
ウィン」関係を模索するのが究極の解決策―である。

 台湾の馬英九総統は8月5日、この結論とほぼ同様の「東シナ海平和提案」を
発表。さらに9月には共同開発・利用に向けて台湾、日本、中国との「3者協議」
を呼び掛けた。中国からは肯定的反応を得たものの、事前に説明した日本側から
は「反応がなかった」という。傾聴に値するこの提案を無視してはならない。

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◆8月以降の経過をおさらいする。
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 真っ青な空の下に浮かぶ緑の島が、テレビ画面いっぱいに広がった。魚釣島だ。
白い巡視船がひとまわり小さい船の行く手を阻もうとする。美しい島で繰り広げ
られた騒ぎは、まるでゲームの中の「戦争ごっこ」だ。彼らが争っているものは
一体何なのだろう。

 尖閣をめぐる領有権争いは8月15日、香港の「保釣行動委員会」の抗議船が
魚釣島に到着。上陸した7人を含む14人が入管難民法違反容疑で逮捕される事
態になった。14人は2日後の17日強制送還されたが、日本側も19日には地
方議員ら10人が当局の許可を得ずに島に上陸、中国各地で抗議デモが起きるな
ど、双方の対応はエスカレートした。
  
 香港活動家の船が魚釣島に接近するまでの様子をみると、海上保安庁の巡視船
はまず行く手を遮って体当たりするなど上陸阻止の構えをみせた。しかしその後
は「深追い」せず上陸へと「誘い込んだ」ように見えた。事前に上陸していた約
30名の沖縄県警の捜査員が、「待ってました」とばかり逮捕したこともその印
象を深める原因だ。

 島に上陸したメンバーは、中国と台湾の国旗を掲げて「自国領」であることを
誇示。普段はみえない「国家」が、このときばかりは旗と逮捕という光景に凝縮
されていく。見えにくい国家の「可視化」こそが、尖閣を含む領土問題の本質で
ある。石原ら国権主義者の狙いもここにある。

 領土問題になると人は「思考停止」状態に陥る。頭の中にある「国土」とは、
まるで自分の身体そのもののように視覚化され、領土と主権が「侵害された」と
いう意識を持った途端、自分の身体が傷つけられたように感じる。これは「思考」
の結果ではなく、領土と自分を一体化させた視覚的感覚から引き起こされる意識
である。

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◆李明博上陸に連鎖
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 さて上陸した14人の活動家は、入管難民法の「不法上陸」と「不法入国」で
逮捕された。船に積んだレンガを巡視船に投げつけ抵抗したものの、「公務執行
妨害」の適用など、刑法上の司法手続きは見送った。都知事は「日本の弱腰外交。
シナにへつらう情けない姿」(「朝日」8月18日朝刊)といつものように罵倒
した。東京都は8月末、購入に向けた上陸許可を予定通り申請したが、国は拒否
し事態は沈静化するかにみえた。

 メディアの反応を振りかえる。長野県の「信濃毎日新聞」は、上陸当日(8月
16日付朝刊)の社会面で、石垣市の中山義隆市長が「ふざけるなよ」と独り言
を漏らしたことや、「国はしっかり守って」という地元漁民の反応を大見出しで
伝えた。さらに東京都幹部の話として「今回のようなことがあればあるほど、都
が購入して実効支配を強化すべきだとの声が高まる」というコメントも伝えた。

 政府の応援団と化したマス・メディアの姿がここにある。ことの発端は頭の片
隅に追いやり、「魚釣島の攻防」という近視眼的な図式の中で「日本を守れ」と
いう被害者意識を駆り立てるのである。ある民放テレビはニュースでわざわざ
「日本の固有の領土である、尖閣諸島へ上陸しましたと」アナウンサーが叫んで
いた。戦争動員に協力した戦前の体質とほとんど違いはないのだ。

 騒ぎ直前の8月10日、韓国の李明博大統領が竹島(韓国名・独島)に上陸し
た。この時も大手メディアは「禁じ手に出た」と大合唱で非難したのだが、彼の
上陸を冷静に考えれば、領土問題がもつある種の幼児性と、彼我の関係を相対化
することに役立ったのではないか。市民にとって領土問題は今、自分たちの生活
が直接関わる喫緊のテーマではない。

 それは韓国も中国も同じであろう。日本では、消費増税法案が国会を通過し、
生活防衛こそ最大のテーマ。デフレ下で消費が落ち込めば、消費税の「逆進効果」
が、ワーキングプアーの生活を直撃する。原発の再稼働も見過ごせない。行き詰
まった2大政党政治と間接民主主義への失望は、政治アパシーを拡大再生産し、
グロテスクな「第3極」への期待が高まる。

 ここで東京都の上陸許可申請から、国有化までの動きを箇条書きにする。
 8/24 首相が尖閣や竹島問題で「毅然とした態度で冷静沈着に不退転の覚
     悟で臨む」と決意表明
 8/27 政府が東京都の上陸申請を不許可。丹羽宇一郎駐中国大使の公用車
     が北京市で襲われ、日本国旗が奪われた
 9/2  東京都が尖閣購入のため洋上調査
 9/3  政府が尖閣3島を約20億5千万円で購入することで地権者と合意
 9/4  大使公用車襲撃事件で北京市公安局が「治安管理処罰法」違反で男
     ら2人を行政拘留処分
 9/9  中国の胡錦濤国家主席が野田首相との非公式会談で国有化に「断固
     反対」を表明
 9/11 政府が尖閣3島の売買契約を地権者と交わし国有化

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◆グローバル化時代の「領土」
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 政府間の表面的な対立をよそに、日本と中国、韓国との経済相互依存は深まり、
年内にはFTA交渉がスタートする。ただ、領土問題と日本の政局で雲行きはあ
やしくなった。国境を越えるグローバル経済は、主権国家と政府の力を否応なく
減衰させている。成長を左右する為替相場や金融政策は、一国政府が自由に決定
することはできない時代になった。

 国家が産業政策から個人の生死まで管理できたのはとっくに過ぎ去った昔話で
ある。このように国家と政府の力が弱り空洞化が進んでも、領土は国家のシンボ
ルであり続ける。戦前のような強力な国家再興を夢見るひとたちが、領土という
抗いがたいテーマを争点化させようとする理由もここにある。

 李明博の竹島訪問は「石原効果」である。一見強気にみえるこの2人だが、よ
くみればその勇ましさは「強さ」の象徴ではなく「弱さ」の表れであることがわ
かる。李の場合、政権末期でレームダック化したことに加え、実兄の逮捕で一層
苦しい立場に追い込まれている。石原は、政治、経済、社会のあらゆる領域で目
立つ日本の「停滞と弱さ」をバネにナショナリズムを煽り、体制批判を強める。
「弱さ」「内部矛盾」を外部に転嫁するという意味で李と同様と言ってよい。

 領土紛争の解決策は①譲渡②棚上げ③戦争―の3つしかない。だが戦争という
高いリスクとコストを払ってだれが無人の島を争うだろうか。領有権争いで強い
のは「実効支配」している側である。尖閣問題をめぐる日本側の目標は実効支配
の「維持」だろう。今回の騒ぎでも14人を国内法に基づき司法・行政処理をし、
日本の実効支配を内外に示した。

 中国も台湾も「固有の領土」と主張しているが、実効支配に挑戦しているわけ
ではない。竹島、北方領土の実効支配にわれわれが挑戦しているわけではないの
と同じである。挑戦すれば、戦争を覚悟しなければならない。

 一方、実効支配を「強化」すると、係争の相手側の強い反発を招く。幾つか過
去の例を挙げる。

 ▽1978年4月、100隻を超す中国漁船が尖閣に押し寄せた。この年8月
に調印された日中平和友好条約をめぐり、数ヶ月前から自民党内で条約反対論が
噴出。自民党総務会では、魚釣島でのヘリポート建設など「実効支配の強化策」
が決議され、これに対する抗議の意思表明とみられた。

 ▽1996年9月、香港抗議船が尖閣周辺領海に入り、活動家数人が海に飛び
込み1名が水死した。2ヶ月前の7月、日本の右翼団体「日本青年社」が、北小
島に灯台を設置(石原氏が支援)したことへの抗議だった。

 ▽2010年9月、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突。海保は中国人船長
を公務執行妨害で逮捕。中国政府が、拘留延長に強く反発し両国関係が険悪化し
た。これは、04年3月、今回同様島に上陸して入管難民法違反容疑で現行犯逮
捕された中国人活動家7人が2日後に釈放されたのに、日本側が起訴に持ち込も
うとしたことが、「実効支配の強化」ととらえられた。

 尖閣購入は、係争国からすれば実効支配の「維持」ではなく「強化」に映るこ
とを意識すべきである。繰り返すが、領土問題で立場が強いのは実効支配してい
る側である。「強化」の作為に出たという印象を与えれば、係争の相手側から反
発を買い鎮静化していた問題を再燃させるだけである。実効支配の「強化」は慎
まねばならない。

 21世紀初頭の国民国家では、領土とは空洞化する国家のシンボルにすぎず、
領土をめぐり国際関係を緊張させるのは、歴史の教訓に学ばない愚である。逆に
武力で「実効支配」に挑戦するのはもっとハードルが高い。かりに一時的に領土
を奪ったとしても、多くの国から非難を浴び、制裁を覚悟しなければならない。

 中国のように共産党の一党支配が揺らぎ、安定に黄信号が灯っている国であれ
ば、制裁は鈍る経済成長の足を引っ張り、統治の危機に拍車をかける。10月に
も開かれる予定の共産党第18回大会での指導者交代を控え、安定こそが何より
優先する課題であろう。

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◆評価される馬英九提案
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 冒頭で紹介したように、台湾の馬英九は8月5日台北で「東シナ海平和イニシ
アチブ(提案)」(東海和平倡議)を発表した。提案は5項目からなるが、簡単
にまとめれば「領土争いの棚上げと共同利益の追求」であり、そのために東シナ
海「行動規範」の策定を提唱している。

 もちろん「釣魚台(尖閣諸島)は歴史的、地理的、国際法的にも中華民国の固
有の領土である」とした上での提案であることは言うまでもない。台湾は197
1年春、中国政府より半年も早く領有権を主張した「兄貴分」である。日中間の
争いばかりが目立ち影が薄いが、中国の領有権解釈も「台湾本島に付属する島嶼」
(「中国共産党新聞網」8月16日)である。日本の台湾統治時代、行政区画は
「台北州」であった。

 さて馬提案は(1)自らを抑制して対立をエスカレートしない (2)争いを
棚上げして、対話のチャンネルを放棄しない (3)国際法を順守し争いを平和
的に処理 (4)コンセンサスを求め、東シナ海における行動基準を定める (5)
東シナ海の資源を共同開発するメカニズムを構築―の5項目。

 中国は公式コメントは出していないが、台湾政策の実務上の責任者である王毅・
国務院台湾辨公室主任は「その内容は大陸と接近している」(「中国時報」8月
9日)と述べた。2010年9月の漁船衝突以来、日本では「中国がとろうとし
ている」とする見方が一定の説得力を持ち始めているが、中国の基本政策は「棚
上げと現状維持」にあった。

 さらに中国人民大学の時殷弘教授は「(提案は)建設的、合理的、時宜にかな
っている」と評価「いずれもが一方的に現状を変えない」ことが強調されれば、
危険を避け衝突を抑える上で、もっと効果的だと述べた(「中央社」8月5日)。

 台湾野党、民主進歩党の反応もめずらしく肯定的である。同党スポークスマン
の林俊憲は15日「この問題で両岸協力はすべきではない」とした上で、馬英九
提案について「これは民進党の主張であり、総統が(今になって)民進党の過去
の主張を採用したからといって、決して遅過ぎはしない」(「聯合晩報」8月1
5日)と評価した。

 台湾や日本では「親中派の馬が、尖閣で北京と合作しようとしている」という
疑念が絶えず、今回の騒ぎでも中華民国国旗が持ち込まれた。ただ今回は、台湾
当局は香港抗議船の台湾寄港を一切拒否したことを付け加えておく。

 台湾の尖閣基本政策ともいうべき馬提案は、ベスト・タイミングで発表された。
仮に上陸事件の発生後に発表されれば、「棚上げ論」に対しては、「軟弱」から
「両岸合作」までさまざまな批判を浴び弁解を強いられたに違いない。世論調査
では野田政権より低い支持しかない馬政権だが、彼は「親中派」ではない。「ど
ちらかと言えば親米で反共」(李登輝元総統)である。日本に対抗して両岸協力
を進め、自ら米国カードを失う愚は避けるであろう。

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◆沖縄から脱国家・境界の主張
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 提案は、対話と協調を理性的に呼び掛けるのだが、これは台湾が地域の権力の
「中心」ではなく「周辺」に位置するがゆえに提起できたと思う。「中心」にい
る東京と北京は、お互いを非難することに精力を集中し、理性的に問題を処理す
る知恵を絞る余裕はない。尖閣領有権を主張しながらも「周辺」に位置する台湾
は、問題の核心を適確に把握し、具体的対応策を提起できる位置にいるのだ。

 いずれ提案が「日の目」を見る時がくる。日本が「反応しなかった」のは、棚
上げが「領土問題は存在しない」という官僚の論理に抵触するからに他ならない。

 やはり「周辺」に位置する沖縄でも興味深い声が出始めている。上陸事件あっ
た8月19日、那覇では地元が主催する「尖閣を“平和の島”にする」シンポジ
ウムが開かれていた。シンポには中国の清華大学の劉江永教授も出席し、尖閣問
題に関する中国の立場を説明した。

 沖縄から出席した新崎盛暉・沖縄大名誉教授が「中国と日本が固有領土論を振
りかざすのは迷惑。土地は国家と国家の問題ではなく、そこを生活圏としている
住民のものだ。尖閣で言えば沖縄と台湾の漁民のものである」と、脱国家・境界
論から尖閣を論じたのが印象的だった。この主張もまさに「周辺」からの声であ
り、台湾の主張と通底している。

 尖閣問題は、国有化によって新たなステージに入った。本来、所有権の移転は
国内問題であり、主権とは直接の関係はない。日中間に相互信頼関係があれば、
今回の問題も紛争に発展しなかったであろう。山口壮外務副大臣は13日の記者
会見で、国有化について「なぜもっと事前に説明を重ねなかったのか、自戒の念
も込めて思っている」と述べ、日本政府による中国側への説明が不足していたこ
とを認めている。信頼関係の欠如に加え、説明不足では、相手側を怒らせるのは
自明であろう。

 中国は国有化後、これまで事実上容認してきた日本による同諸島の「実効支配」
の現状を打破する強硬政策に転じたという見方もある。ただ外務省声明(10日)
などを読むと、棚上げ路線への回帰(対話)を呼び掛ける一方、それに応じなけ
れば「重大な結果は日本側が責任を負う」との表現で、実効支配への挑戦をちら
つかせた。あらゆる資源を動員して日本を揺さぶり、日本の反応を見ながら「綱
渡り状態」で方針を定めようとしているようだ。

 つまり「棚上げ」と「国有化」を秤にかける神経戦に突入したと言ってよい。
「棚上げ」に戻るなら、相互の信頼関係が必要である。最大の問題は、その信頼
関係が欠如していることである。(了)

注)一部敬称略、本稿は21世紀中国総研のHPに連載中の「海峡両岸論32号」
http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/index.html)に加筆し差し替えた内容で
ある)。
 (筆者は共同通信客員論説委員)

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