奴らを通すな!ー日本版レイシストと闘うためにー

                               有田 芳生

 「ある人びとから憎悪を取り除いてみたまえ。彼らは信念なき人間になるだろう」(エリック・ホッファー)。

  ヘイトスピーチ(差別扇動)への関心の度合いは人によってそれぞれだ。問題が視野に入っている人もいれば、知識として知っているだけの人もいる。あるいは ニュースで見たこと、聞いたことがあっても、自分がかかわることではないという人ももちろんいるだろう。しかし日本人がこの課題からどんな距離にあろうと も、聞くに堪えない差別言辞は当事者の生身の身体を深く傷つける。精神の内面は外から見えないが、「言葉の暴力」は文字通りナイフと同じ機能を持っている。差別に反対し根絶を求める立場に立てば、たとえ酷い内容であろうともまずは現実から眼を背けるわけにはいかない。
 
 ヘイトスピーチが吹き荒れるデモに対して、東京・新大久保や大阪・鶴橋でカウンター勢力の果敢な行動が大きく広がっていった。そのため差別主義者たちの動きにも多少のためらいが見られるようになった。しかし人間としてもっとも醜悪なデモはいまだ全国で行われている。たとえば北海道。反対勢力がいない状況の下で、ヘイトスピーチはこれほどまでに腐臭を放っている。気色悪い猫なで声の女性がマイクの大音量で自己陶酔の気配濃厚にこう口にした。
 
「まいどお騒がせいたしております。こちらは不用品の回収車です。ご近所でご不要な南朝鮮人、腐れ朝鮮人などございましたら、車までご合図願います。どん な状態でも、ご処分いたします。泥棒、売春婦、ストーカー、どんな朝鮮人でも結構です。生きたままでも結構です。お気軽にご合図願います」
 
 反吐が出るとはこういう輩たちのことをいう。言葉はここまで下品かつ差別的な表現にまで堕ちるのである。私はそこにいたならば声が枯れるまで「奴ら」を罵倒するだろう。「言論には言論で」などと賢しらな評論を続ける者たちは、こうした現場でいったいどのような言論で対抗するというのだろうか。私は深い嫌悪を感じている。ヘイトスピーチはさらに続く。
「皆さん、左手ご注目ください。日本を攻撃する悪の組織、在札幌韓国総領事館が見えてまいりました。皆さん、いきますよー(ここまで猫なで声)。排泄物をトイレに流すと教えた恩を仇でかえしやがって。恩知らず、恥知らずな朝鮮人どもを糞尿まみれにしろ(罵声で)」
 眼で読む文字ではこの街宣の異常さはなかなか伝わらない。ネットで公開された映像を見ても現場の 異様さはどこまで視聴者に届くだろうか。新大久保で、鶴橋で繰り返されてきた異質な空間に身を曝さなければ、差別デモのおぞましさは、実感として認識できないもどかしさがある。
ある評論家は言った。「そんな集団は放っておけばいい。対抗する者たちもパフォーマンスだ」。差別はいけない、沖縄の差別は許さない、と公言している者が、ことヘイトスピーチについては「法的規制はするべきではない」「しばき隊(注、カウンター勢力のひとつ)だけでいい」などと平然と語っている。現場を知らないという次元ではなく、差別され、苦渋に堪える人たちの心情がまったくわかっていない。これが日本の哀しい現状である。この現 実を変えていかなければならない。私は本気でそう思っている。                                             「ノー パサラン!ノーパサラン!」(奴らを通すな)。東京・新宿の街中で高らかに、力強くこだまするこのシュプレヒコールを聴くとは思わなかった。1930年代 のスペイン市民戦争でドロレス・イバルリが行った力強い演説の言葉である。かつてはファシストに向かった鋭い言霊が、いま日本で醜悪な差別主義者=レイシストたちに鋭く突き刺さる。日本版レイシストとは何か。それは「在特会」(在日特権を許さない市民の会)を中心として、いま日本で差別的言辞を街中で叫び続ける集団のことをいう。
 「在特会」が発足したのが第一次安倍晋三政権時の2006年であることにまず注目したい。日本の右旋回と機を一にしていたのである。彼らによる差別・排外デモがエスカレートしたのは、自民党に政権が戻り、第2次 安倍晋三政権が発足した2013年12月からである。戦前に流通した「非国民」「売国奴」というレッテルが、ネット上だけでなく、「奴ら」の反対者に対して肉声で浴びせられる。

 一国の最高責任者である首相が、匿名で罵言を連ねる「2ちゃんねる」で多用される言葉を自身のフェイスブックに疑問なく使用する。 私は「奴ら」が集団的自衛権の行使、秘密保全法案=かつての国家秘密法の制定、憲法「改正」へと続く国家形成への先兵だと思えてならない。その「兆し」を私は実感している。
 
 東京・神保町で知人と立ち話をしているときだった。白いマスクで顔を隠した男が近づいてきて私に向かって叫んだ。「売国奴!」。足早にするすると逃げていくと、再び同じ言葉を繰り返した。あるいは竹橋駅の近くでも中年男性が「この野郎!」と低く叫んで去っていった。何かを語ろう、説明しようというのではない。単なるレッテル張り、罵倒だ。戦前でも戦中でもない。政治集会での出来事でもない。日常生活のごくありふれた一日の白昼のことである。
 
 「売国奴」……。日本国語大辞典をひくと「売国の行為をするものをののしっていう語」とある。用例には木下尚江の作品が紹介されている。「日露戦争に反対するのだから、即ち売国奴と言うべきものではないか」と。ヘイトスピーチに強く反対し、拉致問題に熱心に取り組んでいる私が「売国奴」なら、ののしり言葉 を吐き散らす者たちはいったい何者なのだろうか。おそらく自身を「愛国者」と信じているのだろう。「愛国心は際限もなく妄想を生む」(ボルヘス)。いま日本の一部で猖獗を極めている差別集団は、まさしく妄想の世界に遊び、他者を深く傷つけ、日本右傾化の道化師となっている。
  この日本は歴史の転換点を右寄りに数歩進んだと判断した方がいい。1980年代に政治評論で「新たなる戦前」という言葉が使われていた。私もときどきそう語り、書いていた。しかしいま反省するのは、時代認識の甘さもさることながら、実感ではなかったことだ。しかし、いまは違う。一線を超えつつあると思うのだ。時代の底流で大きな変動が起きつつある。

 そのあぶくのような現象がザイトク(在特会とその周辺を総称して私はこう呼ぶ)界隈による、人間としてもっとも恥ずべき差別デモである。政治や評論の世界では、いずれ右傾化の風潮は自滅するだろうと「予測」する者たちが眼につく。いつの時代にも現れては消えていく「自動崩壊論」である。

 たとえば日本維新の会が橋下徹共同代表の慰安婦発言をきっかけに支持を激減させたとき、民主党幹部のなかには、「これで支持が戻ってくるだろう」と語る者がいた。何とおめでたいことか。そうでないことは参議院選挙の結果が事実として証明した。旗幟を鮮明にして主体的な闘いをしないかぎり状況は打開できない。ヘイトスピーチ問題でも同じである。もういちど強調しておきたい。「奴ら」の差別行為は放っておけば衰退するものでは決してないのである。

 「殺 せ」「大虐殺をやります」「ホロコーストだ」「毒ノメ 首ツレ チョウセンジン」。「奴ら」はこんな醜悪なプラカードを掲げ、「殺せ 殺せ 朝鮮人」と シュプレヒコールを繰り返す。映像はアジアのみならずアメリカやイギリスなど世界中に広がった。日本が異様なナショナリズムに高揚している証拠としてである。私が日本外国特派員協会に招かれて外国人記者たちにスピーチしたときのことだ。カリフォルニア州立大フラートン校のナンシー・スノー教授があらましこう発言した。「日本は震災で世界から同情される国だった。ところが中学生が大虐殺と叫んだ映像が世界に広がり、日本社会はどうなっているんだと思われる国になってしまった」。しかし「奴ら」に抗するために自然発生的に多くの市民が全国から集まっている。それはスペインをファシストから守り、闘うために自らの判断で駆けつけた作家のアーネスト・ミラー・ヘミングウェイたちの「国際旅団」のようにである。目的はただひとつーー「奴らを通すな!」。
 
 かつてフランスでパリコミューンが崩壊し第3共和政が生まれたとき、差別主義者は街頭で叫んだ。「ユダヤ人を殺せ!フランス人のためのフランスを」ーー。 いま日本で蛮行を繰り返すレイシストによるヘイトスピーチ(差別扇動)と同質の運動は世界史のなかでかつて繰り返されていたのである。やがてその行為がユ ダヤ人大虐殺を実行したナチズムへと育っていったことを忘れてはならない。

 亡命政治学者のハンナ・アーレントは「イェルサレムのアイヒマン」を書くことで 大きな論争を引き起こした。ナチスの突撃隊SSの中佐だったアイヒマンを「悪の凡庸さ」という概念で分析したからである。本当に「凡庸さ」が大虐殺の背景にあったのか。いまではアーレント時代より研究が進んだため、アイヒマンが根っからのユダヤ人差別主義者であった証拠がある。

 しかしアーレントが提出した「悪の凡庸さ」という視点は重要である。日本のレイシストたちには思想もなければ理論もない。あるのは陳腐きわまりない凡庸な悪なのである。ありもしない「在日特権」や「日韓断交」などの主張を掲げるのは、群れなければ何もできない者たちの虚構の「正義」にほかならない。それに対抗するには「言論の自由市場」で闘うということではない。同じ土俵などそもそも存在しない。

 為すべきことは議論などではなく、ただただ「奴ら」に抗議=非難するだけである。差別される側は、現場に立ち、抗議することすらせず、机上の議論ばかりする者たちに何の救いも見出していない。私も何度か目撃している。多くの人たちが差別主義者たちに身体を張って抗議をしているとき、そこから少し離れたところで、観察をしている者がいる。そしてその場で周囲の抗議者たちに解説をしているのである。私は強い違和感を感じたものである。

  「どっちもどっち」という意見についても一言触れておきたい。在特会などのレイシストたちが新大久保で差別デモをするようになったころ、彼らは「お散歩」 と称して、コリアンタウンを脅して歩いた。デモのあとに「竹島はどこの領土だ」「日本人ならこんなところで買い物をするな」「出て行け、朝鮮人」などと商店街で怒声を浴びせたのである。泣いている女性の姿も記録されている。なかには「私物検査」と叫び、買い物客のビニール袋を取り上げ、中身を路上にまき散らしたこともある。

 こんな蛮行を阻止しようと結成されたのが「レイシストをしばき隊」だった。「奴ら」に対峙することで警察官たちが警備を強化し、「お散歩」ができなくすることを狙ったのである。関係者によれば、ツイッターで参加者を募ったところ、70人ほどが集まったという。このグループがぎりぎりの実力行使をするために、レイシストは許せないが「しばき隊」も同じようなものというのだ。
 
 私はそうではないと思う。差別主義者と攻撃を受けている人たちを支援しようとする勢力を同列に置くのは間違っているからだ。言葉を変えるならば、加害者と被害者を守る者とを質的に混同してはならない。「しばき隊」のなかに入れ墨をしていることを誇った若者がいる。誤解されると批判することはたやすい。それを見て嫌悪を示した評論家もいる。私にすれば完全な偏見である。私が取材したところ、その人物は自分の弱い性格が悩みの種だった。それをいかに克服するか。その結論が入れ墨だった。
何よりも私が強調したいのは、入れ墨=悪という発想の問題である。「若いころヤンチャしちゃってな。もう消すことができないんだよ」と自嘲気味に語った元ヤクザの話を聞いたこともある。新大久保の現場では右翼に所属する人物から「在特会なんて右翼のニセモノですよ」と何度も声をかけられたことがある。既成右翼でも差別主義者などに反対しているのである。「どっちもどっち」を唱えるものは、私にすれば単なる傍観者である。
 
  いまなぜ日本にレイシストなのか。歴史的視野で見れば、小泉政権に端を発する新自由主義路線による非正規雇用の常態化など、経済的不安定の蔓延が客観的根 拠になっているだろう。たとえばある50代の人物は設計事務所を経営していたが、いくつかの訴訟沙汰を繰り返し、いまではアルバイトで暮らしている。鬱憤晴らしのはけ口として民主党などの「権威」に抗議し、新大久保での差別デモに参加する。

 「奴ら」に思想など何もない。なかには一部上場企業で働く者、大学院を出た者もいる。脅迫などの行為によって大阪で逮捕された者たちは、無職と報道された。それらの人物たちをふくめてレイシストたちは、現状や自己への不満を差別されてもなかなか正面から反抗できない人たちに攻撃を加えているのである。在特会を取材した安田浩一さんの『ネットと愛国』には、さまざまなメンバーの肖像が描かれている。
 
 たとえば桜井誠会長(本名は高田誠)は、福岡の高校を出て上京。警備会社や区役所などで働きながら、在特会を結成していく。いまや唯一の専従だ。生活は小口カンパの集積である。アーレントによれば、ユダヤ人差別の主体は「モッブ」(没落した中産階層)である。安田さんの先駆的な 労作を出発点にしながら、日本に生まれたレイシストたちの社会的基盤を実証的に分析することは、これからの課題である。

  いかにしてレイシストによるヘイトスピーチをなくすのか。1995年に人種差別撤廃条約(176か国)に加入した日本は、ヘイトスピーチを規制する国内法の制定が求められている。人種差別撤廃委員会は10年以上前から日本政府に改善を求めてきた。
ところが「現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていない」というのが政府の公式見解である(2013年1月)。虚構である。2009年12月の京都朝鮮初級学校への攻 撃をふくめ、在特会とその周辺が引き起こした事件は、すでに刑事裁判でも有罪判決が出ている。差別「思想」の流布や扇動はいまでも行われているのは、消すことのできない事実である。
 
 人種差別撤廃条約の加盟国の多くは差別禁止法あるいは刑法でヘイトスピーチを規制している。その典型がドイツの「民衆扇動罪」である。麻生太郎副首相がワイマール憲法下でナチズムが勃興したことになぞらえて、一知半解で日本国憲法改正を「ドイツに見習ったらどうか」と語ったことが問題となった。日本に同じような法律があれば、麻生副総理は訴追され、さらには議員辞職に追い込まれただろう。フランス、イタリア、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどなど、諸外国ではヘイトスピーチやヘイトクライムに対して法的な規制がすでに行われている。ところが日本はそうではない。

 5月7日の参院予算委員会で、安倍晋三総理がこの問題に答えている。民主党・鈴木寛議員(当時)は、2020年の東京オリンピック招致についてこう質問した。
「ヘイトスピーチの横行がIOCに通知されているし、海外のメディアでも報道されている。招致の妨げになるのではないか。総理のフェイスブックにも、ヘイトスピーチ的書き込みが増えている」

 安倍総理はあらましこう答弁した。
「日本人は和を重んじ、人を排除する排他的な国や国民ではなかったはず。どんなときにも礼儀正しく、人に対しては寛容の精神、そして謙虚でなければならない。一部の国や民族を排除しようという言動のあることは、極めて残念。たとえ日本の国旗がある国で焼かれようとも、我々はその国の国旗を焼くべきではないし、その国のリーダーの写真を辱めるべきではない。それが私たちの誇り。他国を、あるいは他国の人々を誹謗中傷することによって、我々が優れているという認識をもつのは全く間違っているし、結果として、自分たちを辱めていることになる。私のフェイスブックでも、そういうエスカレーションを止めるべきだとコメントしたい」

 安倍総理はまた、『文藝春秋』2013年8月号で、ジャーナリストの池上彰さんの質問にこう答えている。
池上 ネット上でも問題になっていますが、ここ数年、ヘイトスピーチと呼ばれる在日朝鮮人や韓国、北朝鮮などの周辺諸国を口汚く罵る団体も現れています。そうした勢力の出現については、どうお考えですか。
安倍 私のフェイスブックを見てもらえればわかりますが、ヘイトス ピーチのようなコメントをする人がいても、一方で、そうした書き込みをたしなめる人もいます。必ず、「安倍首相のフェイスブックにそんな意見を書くと、反対派が喜ぶからやめましょう」とか「安倍首相が誤解されないように気をつけよう」などというコメントが届き、そうした人たちを批判しています。
池上 ただネット上だけでなく、なかには新大久保などで実際にデモを繰り広げる団体もいます。こうした行為について、首相として何らかの対策を採ろうと考えていませんか。
安倍 憲法には言論の自由が保障されています。法律で取り締まるのではなく、国民の良心を信じ、自主的にそうした行為がなくなっていくのが理想的だと思います。

 昨日、都内で演説していると、私の乗った車の隣で、左翼的な集団が太鼓やスピーカーを使って、私の演説を妨害しました。選挙期間中なら選挙妨害になるかと思いますが、選挙期間中に入っていないため、延々と続きました。ただ、そうした彼らの姿を聴衆は苦々しく見ていました。主張する意見の中身に関係なく、礼を失した行動に賛同する人々の数は自然と減っていくのではないで しょうか。〕

 池上さんは新大久保のデモについて訊ねているのに、自分の話にばかり置き換えているところが奇妙だが、少なくとも現状についての認識はあることがわかる。ただし一国の最高責任者であるにも関わらず、政治の力で差別を克服しようという意欲は見られない。あくまでも「国民の良識」にゆだねるというのである。本気でヘイトスピーチ問題に立ち向かうつもりはないだろう。在特会などのネット右翼と安倍総理とは共振関係にあるからである。

 私も参議院法務委員会で三度、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会で一度、この問題について質問に立った。最初は5月9日の法務委員会だ。政府の答弁内容には、この問題についての考え方を窺い知れる点がいくつかあるので、やり取りの一部を紹介する。
有田 「ヘイトスピーチと表現の自由とのかかわりは、どのように理解しているか」
法務省人権擁護局・萩原秀紀局長 「集団に対する言動を規制することに関しては、表現の自由との関係から大変難しい問題があると認識。ただ、こうした行為は差別意識を生じさせることにつながりかねないから、法務省で人権擁護行政を担当している当局としても注視していきたい」
有田 「法務大臣は、表現の自由の範疇で仕方がないと考えているのか」
谷垣禎一法相 「個人として言えば、このような発言は許されるべきものではない。日本は憲法あるいは表現の自由等々では、アメリカの最高裁判決の影響を受けてきた。アメリカの憲法解釈は表現の自由に極めて重い地位を与えて、今日まで来た。日本も、そのアメリカの理論を消化しながら対応してきたという面がある」
 次いで、警察の対応について訊ねた。
有田 「目の前で『殺すぞ』と叫ぶことについて、規制や警告はできないのか」
警察庁長官官房・河邉有二審議官 「一般的に広く、具体的な民族を指して話をするような場合には、なかなか相手に対する特定ができない。そういった状況も含めて、具体的なものをしっかりと見ていかなければならないと考えている」
有田 「認識がものすごく遅れている。新大久保や鶴橋へ行ってみてほしい。何が行われているか。在特会の彼らは『お散歩』と称して、路地を歩き商店に入っていって『おまえら殺すぞ』とコリアンに言っている。警察官がたくさんいてそれを見ているのに、認知されていないのか」
警察庁・河邉審議官 「お散歩という行動が行なわれていることは承知している」
有田 「規制はできないのか」
警察庁・河邉審議官 「集団行進については、自治体の公安条例に基づく 許可等を受けて行われる。この許可申請が出された場合には、条例等の要件を満たしていれば許可しなければならないとされている。許可の判断に際しては、申請された集団行進が公共の安寧を侵害する可能性がどの程度あるかなどで判断している。粗野、乱暴な内容の主張を行うおそれがあるという理由だけでは、不許可とすることができない。東京都の条例なので、東京都の判断。警察としては、許可に際して、違法行為がないように事前にしっかりと指導をしている」
有田 「殺せという殺人教唆に匹敵するようなデモでも、認められたものだから仕方がないという理解か」
警察庁・河邉審議官 「違法な事実があれば、しっかりと対応する。そういう言動が刑罰法令に抵触するものであれば、当然対応する」

 さらに答弁に立った外務省の新美潤・大臣官房参事官には、人種差別撤廃条約について問うた。
有田 「加盟するまで三十年かかった理由は何か」
外務省・新美官房参事官 「政府としては、あらゆる形態の人種差別を撤廃するという趣旨に鑑みて、なるべく早期に締結することが重要と考え、検討を行なっていた。しかし第四条の(a)及び(b)に規定する処罰の義務の規定と、表現の自由と憲法の保障する基本的人権との関係をいかに調整するか、などの困難な問題があったことから、長期にわたる検討を要した」
有田 「いまも留保している理由は何か」
外務省・新美官房参事官 「両条項が定める概念に、さまざまな場面におけるさまざまな態様行為を含め、非常に広いものが含まれる可能性がある。それらのすべてについて、現行の法律の法制を超える刑罰法規をもって規制をすることが必要なのか。その合理性が厳しく要求される、表現の自由との関係。処罰範囲の具体性や明確性が要請される、罪刑法定主義といった憲法の規定との保障。 それらに抵触するおそれがあるのではないかという議論があったことから、留保した」
有田 「日本で差別的な行動がエスカレートしていることは、少なくとも二〇〇九年から明らか。そういう実態を政府は把握しているのか」
外務省・新美官房参事官 「留保を付した当時と比べて、現時点においても大きく状況が変わっているとは認識していない」
有田 「人種差別撤廃条約は、差別行為を「非難し」「積極的な措置をとる」だけでなく、「終了させる」とまで書いている。これまでに政府の出した文書が古い文書だと一刻も早くなるように、願っております」

 5月30日の法務委員会には、再び外務省の新美潤・大臣官房参事官が出席。私の再度の質問に対して、こう答えた。
「(人種差別撤廃条約の)規定は、各締約国が具体的な処罰等の立法を規定することまでも義務付けているものではない」
有田 「OECD三十四か国において、特別法である人種差別法、あるいはヘイトスピーチ、ヘイトクライムに対する禁止法あるいは条項のない国はどこか」
外務省・新美官房参事官 「お答えできる材料を持っていないので、関係省庁とも現況を調べてみたい」
 これらの答弁から見えてくるものが、日本政府の認識だ。第一に、どこをどう調べたら「この国には差別がない」という結論になるのか。法務省には人権擁護局があるので、法務省に聞くと、
「条約に関することは、外務省の管轄です」
 という。しかし外務省が調べた結果だといわれても、国内における差別の実態など、外務省は調べていないだろう。むしろ国連の人種差別撤廃委員会のほうが、日本の実情をよほど調べているのである。日本政府は差別の実態に対する認識がきわめて甘く、実態を認識しようという意欲もない。ここまで人権意識に乏しいのだ。

 それは行政を司る政府だけでなく、立法府である国会の議員たちも同じである。6月20日に参議院議員会館で「人種差別撤廃NGOネットワーク」が「激化するヘイトスピーチをどう止めるか」と題する集会が開かれた。それに 先立ち、衆参の全国会議員を対象に、ヘイトスピーチに関するアンケート調査が行われた。実施期間は、5月24日から6月18日までだった。

 ひと月近くあっ たにもかかわらず、717人の国会議員(当時)の中で、回答したのはわずか46人だ。率にすれば、わずか6・1%。政党別に回答者数と回答率をみると、民主党26人(18・2%)、社民党6人(100%)、公明党5人(10%)、自民党3人(0・8%)、以下、みんなの党、生活の党、みどりの風、無所属が 一人ずつで、日本維新の会、共産党、新党改革は回答者ゼロという結果である。驚くべき政治的後進性ではないか。

 このNPOのメンバーは、アンケート用紙を送るだけでなく、参議院議員は全員の事務所に電話もかけて、協力を要請している。それにもかかわらず、この回答率の低さは何とも情けない。差別問題に関する国会議員の意識の低さを、そこに見ることができるだろう。事務所への電話かけを手伝った人に話を聞くと「内容にかかわらず、アンケートには答えません」などと、対応はほとんどおざなりだったようだ。
 
  新大久保で、鶴橋でヘイトスピーチは繰り返し流布され、その様子がネットを通じて拡散することで常時扇動されている。特別法としての人種差別禁止法を制定するか、刑法に新たな規定を加えるか。いずれにしても日本政府は国際的要請に応えなければならない法的義務を負っている。日本は先進国のなかでもヘイトス ピーチ規制が行われていない極めて珍しい国なのである。
 
イタリアの代表的知識人であるウンベルト・エーコは書く。「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性は、いまでもあるのです。 わたしたちの義務は、その正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たなかたちをとって現れてくる原ファシズムを、一つひとつ指弾することです」(『永遠のファシズム』)。原ファシズムの特徴のひとつが「余所者排斥」だとエーコはいう。人種差別である。日本版レイシストたちはまさに「無邪気な装い」で現れた。私たちの闘いはまだはじまったばかりである。
             (筆者は参議院議員)


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