■【コラム】海外論潮短評(97)

排外的反発を越えて存在感を示すドイツとEU---大量シリア難民の行方

初岡 昌一郎


 ロンドン『エコノミスト』9月12日号の解説記事「ブリーフィング」が、
“ドイツへ!ドイツへ”と押し寄せるシリア難民の問題を取り上げている。政治家ではなく、一般のドイツ市民がシリア難民の受け入れを先導しているのは、歴史への反省と人道主義的同情によるものである。しかし、難民問題は単にヨーロッパレベルのものではなく、グローバルな解決が迫られている。日本では人ごとのように報道されているこの問題をよりよく理解するために、同誌の記事から主要ポイントを紹介する。

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ドイツを目指すシリア難民の波
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 ブダペスト駅の溢れかえるプラットホームで「ドイツ!ドイツ!」と叫んでいた難民たちに、ドイツが門戸を開いた。トルコ沿岸で溺死したシリア難民の子供の写真によって沸き上がった同情が、世界中の人々の心と同じように、ドイツ人を動かした。難民キャンプに火をつけたネオナチを恥じた人はさらに多かった。戦後の70年間、ドイツ人はその暗い過去の償いをし続けており、他国人から好感を持って受け入れられるように絶えず願ってきた。

 国民感情の変化したムードをとらえたメルケル首相は、ハンガリアに閉じ込められていた難民がオーストリア経由で入国するのを許可した。9月第1週だけでも2万人以上が入国した。この数は、キャメロン首相が向う5年間に英国へ受け入れると表明した人数に等しい。ミュンヘン、ドルトムントなどの駅頭では、市民が花や玩具、お菓子を手に笑顔で到着した難民を歓迎した。

 ドイツはこれまで既にEU内難民の40%以上に当たる、当然の分担分を上回る受け入れを行っている。2015年8月までに41.5万人が難民申請をしており、年度内には80万人に達するだろう。最近の世論調査によると、もっと難民を受けいれてもよいとするドイツ人は8月以降57%から59%に増えており、96%が戦争や暴力から逃れるすべての人を難民として認定に値するとみている。

 外国ではメルケル首相が難民受け入れを主導しているとみられているが、ドイツ人には彼女が選挙民の意向に従っているだけと映っている。9月17日に、彼女は難民を歓迎した多くの市民に感謝し、その行為が過去から決別して「希望の国となった我が国を誇りうる」ものにしたと称賛した。

 この歓迎は普遍的なものではない。連立3党の中では、社民党はもっとリベラルだが、ババリアだけに存在するキリスト教社会同盟(CDU)は厳しい立場をとっている。同党は、ハンガリアからの難民列車受け入れに関するメルケルの速断を批判した。そして、受け入れ難民数を削減するように要求していた。しかし、9月3日、連立3党は大胆な妥協策に合意した。対策上の財政難に対処するために、連邦政府が総額100億ユーロを追加支出する。同時に、これまでの現金給付に代えて、食料、衣服、住居のためにバウチャーを支給することとした。そして、難民申請の処理期間を数か月から数週間に加速化する。

 申請を拒否された人たちは速やかに送還されるが、これは主としてバルカン諸国からの難民申請者に影響する。今日、彼らは暴力や差別ではなく、貧困から逃れることを目指している。ドイツは、コソボ、アルバニア、モンテネグロを「安全」地域と認定しようとしている。同時に、社会民主党に対する譲歩として、バルカンからの経済移民が労働市場に入る合法的代替ルートを設定することにした。これらの措置は9月中にまとめられ、10月中に国会で承認される。

 ドイツにとって最大の政治課題は、拘束力のある割当制に基づく難民受け入れ配分を加盟国が行うよう、EUルールを改正させることである。このビジョンは、9月9日にEUユンカー委員長が提案したプランと軌を一にしている。国内的にドイツはすでに原型となるプランを持っており、連邦各州の人口と経済力に応じて難民を配分する。これによると、有力なノルトライン・ウエストファーレン州が大半を引き受け、小さなブレーメン州は最小の人数を受け入れる。

 ドイツはそのキャンペーンを展開するうえで、ほとんどの難民がその海岸に上陸するイタリアとギリシャだけではなく、スウェーデン、オーストリアおよびフランスの支持を得ている。しかし、他の諸国、特に東欧諸国の反対に直面している。

 今、ドイツ人が最も関心を寄せているのが、すべての難民を定住させる住宅の問題だ。群生したテント村から冬の到来前に永続的な住宅に難民を移さなければならない。その途中では、社会的な緊張が不可避的に高まるだろう。しかし、難民は努力に感謝しており、多くのものは感謝の意を伝える方法を求めている。例えば、シェルターに住んでいる難民家族が新生児にメルケルの名をとって「アンゲラ」と名付けた。

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未知の土地での異邦人 — 欧州の挑戦
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 20世紀前半、人種的憎悪、狂信的なイデオロギー対立、欧州における終わりが見えない争いから逃れた、膨大な数の難民が生み出された。彼らを受け入れるための合意が、1944年にジュネーブでの国際会議で成立した。第2次世界大戦は、荒廃した諸国を彷徨する、何百万人もの難民を残した。ポーランド、チェコスロバキア、ソ連は、ドイツの敗北後、1400万人を送還した。国境の再設定が何百万人のウクライナ人、セルビア人などを住み慣れた家と国から追い出した。

 国連主催のジュネーブ会議がまとめた難民条約案は、締約国がその地で難民の地位を求めるものを審査の対象とし、出身国で迫害される恐怖が立証される難民を受け入れることを義務付けた。当初は亡命の権利が欧州に限られていたが、1967年にこの条約をグローバルに適用することが合意された。難民条約は今や147ヵ国で批准されている。この条約はその後の64年間、人道的危機に対する国際的対応の枠組みとなっている。

 この数年、アフガニスタン、シリア、エリトリアなどからの難民が1940年代にヨーロッパの難民が用いたルートを再び辿っている。彼らは、かつてハンガリア系住民がチトーのパルチザン支配を逃れてセルビア国境の鉄条網を潜り抜けた同じ道を利用している。また、ポーランドからのユダヤ難民がオーストリアを通ってパレスチナ向かった同じルートを、今はシリア難民が逆走している。

 9月初旬以降、難民歓迎の新しいムードがドイツをはじめとする西欧で盛り上がったのに対して、東欧諸国は警戒を強めた。ハンガリアのオルバン首相は難民阻止のために鉄条網と壁を設置し、家畜同様に彼らを扱っている。チェコ共和国における9月の世論調査では、市民の71%が一切の難民受け入れに反対している。スロバキアは、仮に難民を受けざるをえなくなっても、ムスレム教徒は断るという。回教徒に対する悪感情と彼らを受け入れる恐怖の感情は欧州大陸全体に存在しており、右翼的政治家がこれを煽っている。移民は迫害から逃れているのではなく、ヨーロッパの社会的給付を求めているのだと彼らは云う。

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経済移民には厳しい審査
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 EUに入り込もうとする経済移民もないわけではない。セルビア、アルバニア、コソボからの難民申請はほとんど拒否されている。サハラ周辺国から地中海を渡ってマルタやイタリアに来るアフリカ人は、難民申請なしに潜り込もうとする。多くの貧民の住む大陸の近隣に存在する豊かな欧州大陸は将来にわたり移民・難民を吸引し続けるだろう。

 現在、シリア国外に出ている約400万人のシリア難民全員がEUに来たとしても、それが均等に分散すれば、5億人の大陸にとっては人口上の小さな変化に過ぎない。しかし、この15年間、政治家はムスレム・コミュニティの社会的統合失敗に悩まされており、その失敗がフランスの国民戦線やオランダの自由党のような、排外的右翼政党の躍進を招いた。このような国が増えることを多くの人が懸念している。

 ヨーロッパがこれ以上イスラム教徒を受け入れられるかどうかは、その受け入れ方にかかっている。コストと犯罪増加の懸念を緩和させるために、関係国政府は難民申請者の雇用申請を制限し、彼らを隔離した難民センターに居住させている。これは最もコストがかかり、また効果的な方法でもない。難民申請者を政府管理のセンターに収容することは、彼らを疎外するだけではなく、コミュニティに居住させるよりも一人一日当たり100ユーロも高くつく。むしろ、難民申請者を就労させるほうが政府の救援コストを削減し、彼らが現地の言葉を習得するのに役立つ。ただ、移民の雇用上の影響に関するドイツの調査によると、移民の雇用はその補助的な技能によって専門度の高い労働者には有利に作用するが、低賃金層には若干の否定的影響を与える。

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難民受け入れ能力あるヨーロッパと世界 — 自信をもって対処を
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 ヨーロッパの民族国家は、30年戦争によるプロテスタント教徒の大量脱出以来、窮迫する難民問題に取り組んできた。だが、アメリカとオーストラリアという移民国家のほうがもっと上手く対処してきた。シリア危機による難民問題の解決にも、これらの諸国を関与させるべきだ。

 アメリカ自体も移民歓迎政策を疑問視した時期がたびたびあった。19世紀末に南欧と東欧から到来した数百万人の移民が、“英語国民”はこうした“汚染”に耐えられないという心配を誘発した。1945年以後、共産主義の影響を持ち込むと懸念された東欧難民の受け入れはかなりの期間拒否された。これらの恐怖は、今日のイスラム教徒のテロリズムに対するものと同じく根拠のないものであった。19世紀末に東欧移民数人がアナーキスト的なテロ活動に参加したし、20世紀にはソ連のためにスパイ行為を働いた者もいた。しかし、大局的にみれば大した問題ではなかった。

 今日の難民はある面では初期の時代と異なっている。多くのものが高等教育を受けており、すでにヨーロッパに居住する家族や友人の物質的支援やネットワークに依拠できる。彼らと携帯電話やフェースブックによって連絡取り、計画や戦略を練ることができる。

 何百万人にも上る難民がトルコ、レバノン、ヨルダンにおいて待機しており、次第に彼らは将来展望を見失いつつある。彼らは難民条約上の権利を承知しており、友人や家族たちの成功と失敗についてソーシャルメディアを通じて知っている。彼らの多くは西に行くことを目指しており、間もなくやってくるだろう。

 ヨーロッパは彼らを受け入れる能力を持っており、現在その受け入れを促進する動きが出ている。今のところ善意の発露にとどまっているが、その好意と良識はニューカマーを安全に、そして生産的かつ受容性を持って受け入れるプログラムに転化させることができる。これが今後の挑戦である。

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■ コメント ■
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 歴史的に移民と難民を受け入れてきた西欧諸国とアメリカが、この問題に相対的に前向きな姿勢をとってきたことは理解できる。それにしても、現在の日本政府がシリア難民を一桁しか受け入れていないことを、歴史的経験の相違と地理的距離からだけでは説明できない。歴史的には、日本が近隣の大陸や半島から多数の移民を受け入れ、それによって古代日本の形成が可能となったことは戦後の歴史研究が疑問の余地なく説き明かしている。中世以前の日本は移民国家であったといっても過言ではない。

 歴史認識が国際理解に直結していることを痛感する。歴史認識と過去の国家の行為に対する評価は、現在の近隣諸国との関係だけではなく、クローバルな課題に対する国民的な立場を規定する。過去を美化することは、現在を見る目を曇らせる。自画自賛的なナショナリズムを謳歌することは、グローバルな連帯と近隣諸国の人々との友好と連帯を阻害する。この観点から見ると、ドイツと日本の落差が際立っている。

 難民救済に対する日本政府の人道主義的観点の不在と難民条約締約国としての責任感欠如は、世界的にみてもあまりにも際立っている。これを黙過する市民の側にも責任の一端はあるだろう。それにしても、緒方貞子元国連難民高等弁務官が朝日新聞上でコメントしていたように、「積極的平和主義」を標榜する安倍内閣が難民問題を無視し続けているのは首尾一貫しないこと夥しい。軍事的コミットメントをアメリカや西欧レベルに引き上げるのには熱心すぎるが、人道的危機や国際条約上の義務についてはできるだけ責任を回避し、欧米の経験から学ぶ姿勢がない。

 今日の各界で隆盛を極めている「ナショナル・インタレスト」論から見ても、難民や移民を現在のように厳しく制約するのが、果たして妥当な立場かどうかをもっと冷静に検討すべき時期を迎えている。現在の少子高齢化や日本社会の活力減退からの脱却には、異なる新しい血と知を導入することがプラスに作用すると思う。軍事的な対立をプレイアップすることをやめ、人道主義の立場から国境を越えて人間の安全保障に取り組むべきだ。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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