【オルタの視点】

日ロ首脳会談は平和条約締結の条件をどの程度創ったか

望月 喜市


 昨2016年は4つの日ロ首脳会談が行われ日露関係が大きく前進した年であった。5月ソチ、9月ウラジオストク、11月リマ、と続き、12月15-16日の山口県長門市および東京で行われた首脳交渉では、北方四島での日露の共同経済活動に関する協議を開始することで合意した。安倍晋三首相は、故郷の山口県長門市にプーチン氏を招待し、先祖の前で領土問題を一歩でも前進させようと考えていた。一方、プーチン氏は次のように北方4島問題について考えている。

 「(1)北方4島は第二次大戦の結果ソ連(ロシア)のモノになった。(2)56年の「モスクワ宣言」で、日本の要請にこたえ善意の証として歯舞・色丹を日本に引き渡すこととした。ただし2島に米軍が駐留しないよう日米安全保障の適用外とすること。(3)2島引き渡しの条件や時期についてはなにも決められていない。(4)引き渡しを実現するには高度の信頼醸成が達成されることが条件だ。露中関係のレベルが参考になる。(5)信頼醸成には、戦略的関係の強化(双方の外務・軍事担当相の定期協議:2+2関係の復活)、双方の経済・貿易関係の引き上げ、文化・観光・人的交流の発展など多面的国家関係の構築が必要だ」。
 歯舞・色丹の返還は、ロシアにとって国際的義務であると大統領として認めたのはプーチン氏が初めてだ。

 ここで是非留意して欲しいことは、16年9月の「東方経済フォーラム」で安倍晋三首相が提案した経済協力8項目が日ロ経済協力全般を対象としているのに対し、16年12月の山口県長門会談では、北方4島での共同経済活動の実施を決断したことだ。

<注:経済協力8項目は次の通り:
  1 健康寿命の伸長、
  2 快適・清潔で住みやすく、活動しやすい都市作り
  3 中小企業交流・協力の抜本的拡大
  4 エネルギー
  5 ロシアの産業多様化・生産性向上
  6 極東の産業振興・輸出基地化
  7 先端技術協力
  8 人的交流の抜本的拡大
 日本側が提示しているこの経済協力8項目には、民間企業各社のプロジェクト(日揮、飯田グループHD、マツダ等)やハバロフスク国際空港の改修、石炭プロジェクトへの参加、ガスプロムへの融資案件などがある>。

 北方4島での共同経済活動については後述することにして、とりあえずこの8項目の具体的内容を簡単に説明しよう。
 健康寿命の伸長:世耕経産相は、年明けの12日、訪ロ先のモスクワで記者会見し、「日ロ協力の一環として、小児医療や健康づくりの分野について日ロの専門家の協議会を開催する」とのべた。
 中小企業交流・協力の抜本的拡大:16年9月の東方経済フォーラムで、中堅・中小企業分野のためのプラットフォームを創設することで合意。
 極東の産業振興・輸出基地化:2015年の「東方経済フォーラム」で先進社会経済発展区(TOR)やウラジオストク自由港などを新設し、優遇税制や規制緩和などによって、国内外から企業や投資を呼び込むことにした。
 人的交流の抜本的拡大:日ロ関係阻害要因の大きな問題として「交流の不足」がある。観光やビジネスで相互に訪問する人数は圧倒的に少なく、全体のコンマ以下でしかない。日ロ間のコミュニケーションギャップは実に大きい。今回、ビザの簡易化が大きく取り上げられることになった。

 両首脳は山口県長門市と東京で夕食会を含めて約6時間会談し、16日午後、共同記者会見に臨んだ。首相は「北方四島の未来図を描き、その中から解決策を探し出す未来志向の発想が必要だ」と呼びかけたが、プーチン氏は「1945年、ソ連はサハリンだけでなく、南クリル(北方四島)も取り戻した」と述べ、北方四島はもともとロシア領だったとの認識を示した。それと共に、「私たちが経済関係を発展させて、平和条約を後回しにしていると見なすのは正しくない。一番大事なのは平和条約締結だ」とも述べ首相に一定の配慮をみせた。

 首相とプーチン大統領は12月の会談で共同経済活動の交渉開始で合意し、プレス向けに次の声明を発表した。

<プレス向け声明:
 1:安倍晋三日本国総理大臣及びV.V.プーチン・ロシア連邦大統領は,2016年12月15日-16日に長門市及び東京で行われた交渉において,択捉島,国後島,色丹島及び歯舞群島における日本とロシアによる共同経済活動に関する協議を開始することが,平和条約の締結に向けた重要な一歩になり得るということに関して,相互理解に達した。かかる協力は,両国間の関係の全般的な発展,信頼と協力の雰囲気の醸成,関係を質的に新たな水準に引き上げることに資するものである。
 2:安倍晋三日本国総理大臣及びV.V.プーチン・ロシア連邦大統領は,関係省庁に,漁業,海面養殖,観光,医療,環境その他の分野を含み得る,上記1に言及された共同経済活動の条件,形態及び分野の調整の諸問題について協議を開始するよう指示する。
 3:日露双方は,その協議において,経済的に意義のあるプロジェクトの形成に努める。調整された経済活動の分野に応じ,そのための国際約束の締結を含むその実施のための然るべき法的基盤の諸問題が検討される。
 4:日露双方は,この声明及びこの声明に基づき達成される共同経済活動の調整に関するいかなる合意も,また共同経済活動の実施も,平和条約問題に関する日本国及びロシア連邦の立場を害するものではないことに立脚する。
 5:両首脳は,上記の諸島における共同経済活動に関する交渉を進めることに合意し,また,平和条約問題を解決する自らの真摯な決意を表明した。経済分野では大きく前進した。>

 会談後、これを受けて政府は外務省内で制度の検討を始めたほか、想定される共同経済活動の分野が多岐にわたることも踏まえて、総理大臣官邸を中心に関係省庁が連携する態勢を作り、課題の検討を進めることになった。検討作業では、共同経済活動に関連する税の徴収や司法の管轄権の問題、それに特別な制度の適用範囲などが課題になる見通しだ。北方領土問題を含む平和条約交渉も秋葉外務審議官とモルグロフ外務次官による次官級の協議で並行して行う。共同経済活動では、漁業、海面養殖、観光、医療、環境――などの分野を想定している。政府間交渉には外務省のほか、具体的な事業を所管する国土交通、厚生労働、環境、水産などの各省庁が参加する予定だが、最大の焦点となる双方の法的立場を害さない活動のあり方は、外務省が主に担当する。

 安倍首相は12月18日のフジテレビの報道番組で、活動を実施する際の特別な制度について、地域を区切って特別な行政対応を可能とする「特区」をイメージしているとし、「世界でもあまり例のないことをやる。ロシア法にも日本の法律にもよらない、新しいものを作る」と強調した。
 日本政府は、日本企業がロシア法の下で活動すれば、ロシアの実効支配を強めかねないと懸念している。一方、ロシア政府高官は活動について「ロシアの法制度下で行われる」と明言しており、どこまで歩み寄れるかが焦点となる。
 また、首相は同番組で、過去に北方領土にサケの加工工場があったと指摘し、「日本の会社や人々がもう一度工場をつくり、(ロシア人の)島民も一緒に働けば雇用が生まれ、極東にも販売先が広がる」と具体的な構想も披露した。水産加工場の建設は、共同経済活動の案件として協議される見通しだ。
 朝日新聞社の12月20日の世論調査によれば、北方領土問題について、①4島すべてを一括返還させる→18%、②歯舞、色丹の2島を先行して返還させ、残りは引き続き協議する→51%、③2島の返還で決着させる→13%、④返還を求めない→9%、であった。このうち「2島で決着」以外は、実際問題として実現性ないと考えられる。

 北海道は平和条約交渉に他地域より大きな関心を持っている。
 1:元島民の多くが根室を中心に居住しているだけでなく、根室の沖合は北方4島の海域に隣接している。4島の島別漁業生産額は次のとおり:4島全体661.7億円、歯舞群島141.2億円・21%、色丹島30.6億円・5%、国後島188.7億円・28%、択捉島301.2億円・46%。注目してほしいのは、歯舞・色丹の陸地面積は4島の僅か7%であるが、漁獲高は26%になる(道新161208)。
 2:高橋はるみ道知事は、日ロ首脳会談翌16日、サハリン州のコジェミャコ知事と会談、(8項目の協力プランに呼応し)5項目の協力パッケージを提案したほか、両地域と中国・黒龍江省を加えた“トライアングル交流”も打診した。5項目の協力パケージはつぎのとおり:①食の安全・安心、健康長寿、②寒冷地の快適な生活確保、③環境保全、④エネルギーの地産地消、⑤直行航空路の開設、(D161218)。
 3:根室市は17日、市として北方四島周辺海域での操業や、地元企業が島でのインフラ整備に参画できる「特区」案などを要望することとした(D161218)。
 4:北海道総合商事社長・天間幸生氏は「極東地方は人口が減り続け、インフラも整っていないといわれるが、600万人はいる。道内の企業が事業をするのに十分。インフラが未整備であれば、むしろそこにチャンスがある。効率的な物流システムとか、北海道の農業や住宅における寒冷地技術、水産加工技術など、ロシアにとって魅力的な商品やサービスは沢山ある。輸出だけでなく飼料用穀物を栽培しそれを(米国からでなく)日本に輸入するビジネスも考えている。領土問題の有無よりビジネス上のメリットがあれば取引するのが我々の世界だ。」という(D161210)。
 5:10月31日、9月の「東方経済セミナー」後、全国のトップを切って札幌市でロシア関連ビジネスセミナーが開催された。ジェトロの日系企業92社へのアンケートでは82.6%が「市場規模・成長性」を重視してロシアに投資している、と回答。
 6:ジェトロ北海道の15年度の調査によると、ロシアに拠点を置く道内企業は22社で、中国、米国に次いで第3位。ジェトロの梅津哲也・海外地域戦略主幹は、ロシアの実質成長率は今年で下げ止まり、来年2017年は1.9%、18年は2.4%に上昇する。ジェトロが行なった日系企業92社へのアンケートでは、82.6%の企業が「市場規模・成長性」を重視してロシアに投資しているという。進出に伴うリスクについて84.8%の企業が「不安定な為替」、69.6%が「不安定な政治・社会情勢」、62%が「行政手続きの煩雑さ」をリスクと考えている(読売161215)。

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 7:稚内はロシア船の「母港」になることを指向している。稚内市はサハリンとの交流促進を担当するサハリン課をもち、ユジノサハリンクスに現地事務所を置いている。今年からコルサコフと結ぶ客船が導入され、ロシアを繋ぐ唯一定期航路となった(日経161220)。

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 8:「水産根室」復活、共同経済活動を注視→日ロ首脳会談では四島での共同経済活動に向け協議が始まるが、海でどのような共同経済活動が実現するか現在のところ不明。チェックポイント変更だけでも大きい。12月3日に妥結した日ロ漁業交渉で、イカ釣り漁船のチェックポイントを現状の奥尻沖から約200キロ北に増設することが認められた。海水温上昇で漁場が北上しているのでこれにはメリットがある。北海道水産研究所が紅サケ養殖の試験を釧路市などで始めた。宮城県では70年代から始まった銀サケの養殖が水揚げ額で約60億円の産業に育ったが、道東は始まったばかりだ(N161121)。
 9:居酒屋「炎」ロシア進出→道内飲食大手の伸和ホールデングス(HD札幌)は17年4月、道内の飲食業では初めてウラジオストクに「炭火居酒屋 炎(えん)」を開店する。1店目を軌道に乗せ、2020年にはウラジオストクとハバロフスクに3カ所づつ店を構える予定。本物の日本食と重厚感のある店を創る。ロシアには料理を個別配達する文化があるので、焼き鳥や寿司の出前も始める。(D161227)。
 このように、北海道の対ロ経済活動は活発だが、北海道からロシアへの輸出額はまだまだ少ない。函館税関によると、16年の道の輸出額は4,938億円であったが、ロシア向けは僅か38億円でわずか1.3%。ロシアからの輸入は1,286億円で大幅な「貿易赤字」が続いている。

●まとめ:政府は4島での「共同経済活動」の実施に踏み切った。共同経済活動は漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野を想定している。最大の焦点となる双方の法的立場を害さない活動のあり方は、外務省が主に担当する。ビザ発給の簡素化も必要だ。90日以内の入国の場合は、ビザ免除制度を是非検討してほしい。そうすれば、ロシアからの観光客の比率が全体のコンマ以下という現実を大きく換え、人的交流が急増しよう。これは日ロの信頼醸成を引き上げ平和条約締結を促進するに違いないのだ。さらに、経済制裁の解除をG7の一員としてイニシャチブをとれないか。そうすればプーチン氏の大きな信頼を勝ち取ることは間違いない。折から、レイムダック化したオバマ現大統領でなく、プーチン氏の行政手腕を賞賛するトランプ次期米大統領の就任式が年明けの1月20日に迫っている。トランプ氏は、ロシアへの経済制裁解除の意向を示している。そうすれば、ロシア経済に大きなインパクトを与えるだけでなく、日ロ貿易・経済関係を拡大することは疑いない。国後・択捉はロシアにとって軍事的価値が大きく、日本の返還要求には絶対に応じないであろう。日本政府もそれを前提に4島交渉を組み立てれば、ロシアの法制下で経済共同活動を是認すべきである(歯舞・色丹は日本の法制とする)。そうすれば、明日にでも平和条約は締結されよう。国交正常化が生み出す無限の可能性が眼前に広がるのだ。

 なお、対ロ経済協力をバックアップする政府主導の20事業費40億円が2017年度の予算案に盛り込まれた。主な事業としては、医療:性感染症対策の簡易診断システム2億円、都市整備:インフラ老朽化や渋滞むけの調査7千億円、中小企業:日本の外食産業の対ロ進出のための市場調査3億円、エネルギー:石油精製技術や寒冷地での風力発電の実証実験4.8億円、ロシア産業の生産性向上:来年7月にロシアで開かれる産業総合博覧会でのフォーラム開催費9千億円、極東振興:港湾荷役施設の近代化調査費3千万円、先端技術協力:ロシアの郵便効率化実証実験2億円、人的交流:北大や東北大など、世界の大学間学生相互派遣「世界展開強化事業」の拡大4.3億円。(1月15日脱稿) 連絡先: du7k-mcz@asahi-net.or.jp

 (北海道大学名誉教授)


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