【コラム】大原雄の『流儀』

春画・周到〜誰かが何かを企んでいはしないか〜

大原 雄


 2015年9月から12月までの3ヶ月余の会期で開かれた春画展(東京・永青文庫)は、20万人を超える来場者で賑わい、中でも女性の来場者が半数以上であった、という。ヨーロッパではテロ、報復空爆、難民増加など不穏な連鎖の嵐が吹き荒れているというのに、日本は平和惚けか……、などと言って「世はすべてことも無し」などと浮かれてはいられないことが、実は、この春画展の裏側で蠢いているような気がする。「春画・周到」とばかりに、誰かが何かを裏で周到に準備を進めて、企んでいはしないか、という懸念が、今回のコラムのテーマである。

 「わ印」と言われて、日陰の身であった日本の春画。「わ印」とは、わいせつ(猥褻)の隠語、あるいは艶笑とでも言うべき、笑い絵の「わ印」である。猥褻物の春画は、隠すもの、と長い間相場が決まっていた。それでいて、昔は嫁入り道具の必需品でもあった。嫁入り先で、初夜を無事終えれば、後は、箪笥の奥にでも仕舞い込み、娘が生まれて来れば、その子の嫁入り道具として引き継がせる。「わ印」の中には、浮世絵の大家、例えば、葛飾北斎や喜多川歌麿など(著名な浮世絵師たちも、ほとんどが当時から非合法であった春画を描いている)の作品もあり、芸術性の高いものも多い。つまり、浮世絵の裏に春画があり、両者の関係をきちんと考察しないと江戸時代の浮世絵の全貌が判らないということだろうと、思う。

 その春画が、2014年、大英博物館で大規模な展覧会(3ヶ月で8万8000人入場、55パーセントが女性の来場者)が開かれたのをきっかけに、日本でも春画専門の本格的な展覧会が初めて開かれた。もっとも出版界では、四半世紀も前から春画の画集や雑誌などで無修整画が出回っていて、書店の日本美術書のコーナーでは、複製版画はとっくに市民権を得ていた、という感がある。

 東京の目白台にある熊本・細川家の屋敷跡にある永青(えいせい)文庫(1950年第十六代当主・細川護立によって創設された。贅言;護立は、学習院初等科で東條英機と同級生であった)では、細川家に嫁いできたお姫様が持参した極上の結婚入門書(春画)を含む肉筆や版画の春画などを展覧する春画展を2015年9月19日から12月23日まで開催した。春画展では、版画ではなく一枚一枚筆で丁寧に細かな線と色を描き出した肉筆の春画が、40点出品。肉筆画は、いわば高級品で、庶民には手が届かない。江戸の庶民文化とともに隆盛となったのが浮世絵版画。版画の春画は、77点出品。縦が9センチ、横が約13センチの小型版画の「豆判(まめはん)」春画が、16点出品。豆判は安価で、大量に摺られたので、未だに全貌はわからない。版画は複数枚、組もの(10枚組、12枚組など)も多い。春画展では、会期中、前期後期で展示品は一部入れ替えられたが、今回の出品点数は全部で133点。

 最終日まで3日を残すことになった12月21(月)は、予定されていた休館日返上で、臨時開館。この日、9月の開場以来20万人目の来館者を迎えた。来館者は、ウィークディは、高齢者、女性の姿も目立つ。ウィークエンドは、若いカップルや「春画女子」と呼ばれる女性グループなどが押しかけて展覧会場は、押すな押すなの大盛況であった。20万人目もご夫婦での来館だった。会期中の来館者の男女比は、女性が半数以上だった、という。最終日の23日は、入場規制となり、午後のピーク時には、入場するまで70分待ち、入場しても、混雑していてなかなか春画そのものに辿り着けない、という状態だった。

 春画展では、私も一枚一枚丹念に拝見したが、多くの女性たちも無修整の肉筆画や版画を食い入るように見ていた。絵の前の行列がいつもの絵画展よりなかなか前へ進まなかったが、お互い様なので我慢をしましょう、という感じで混乱はなかった。春画史上、空前のブームなどと浮かれていたら、10月8日号の「週刊文春」では編集部の現場センスでブームの春画に乗り遅れまいとカラーグラビアで春画展の特集をしたところ、お上よりも早く文藝春秋社の社長からおとがめがあった という。なんとも素早い自主規制というか、自粛というか。

● 1)文藝春秋の不可解

 以下、週刊誌などの情報を整理しながら経緯を見てみたい。文藝春秋社によると「編集上の配慮を欠いた点があり、読者の皆様の信頼を裏切ることになった」として、文藝春秋では週刊文春の店頭などでの流通は平常のままにしながら、つまり、雑誌そのものは回収された訳ではないが、担当編集長には「3ヶ月休養」を命じたと発表したのだ。文藝春秋の法務・広報部によると、「処分ではない。警察当局や読者からの指摘ではなく、あくまで社内判断」ということだと、ライバル誌は伝える。ライバル誌は、「『週刊文春』は女性読者も多く、カラーページに局部の描写がそのまま掲載されていることが問題視されたようだ」と、分析記事を載せている。オリジナルな肉筆画や版画を展示した春画展では、半数以上が女性の入場者だというのに、この分析は、如何?

 ところで文藝春秋では、実際にどのような形で「社内判断」が、なされたというのだろうか。雑誌『創』12月号が社長と週刊文春編集部のやりとりを取材している。日本ペンクラブ言論表現委員会に寄せてくれた月刊雑誌『創』の篠田博之編集長によると、次のようだったらしい。以下、篠田編集長の報告(★印)を引用。

この問題が編集部に説明されたのは10月8日(木)の会議だったが、その日の会議には松井社長や役員が突然参加し、編集者らとやりとりが行われた。現場がその時どんな反応をしたのかはこれまで全く知られていなかったが、月刊『創』12月号に「『週刊文春』編集長『休養』編集会議での社長と現場の緊迫応酬」と題して詳細なやりとりが掲載されている。少し紹介しておこう。考えてみれば当然のことだが、社長からの説明に対して、現場からは反発の意見が出て、緊迫した応酬がなされたのだった。

『週刊文春』は家に持って帰れる週刊誌という方針でやって来たのに、今回のグラビアはその信頼関係を傷つけた。そういう趣旨の説明を社長が10分ほどした後、集まっていた編集者や記者との議論になったのだが、最初に発言したのはグラビア班のデスク。そして次に女性デスクが発言した。

《次に手を挙げたのはある女性デスク。ここから部会はより緊張感を増していく。
「私たちデスクも昨日知らされ、大変驚くとともに、いまだ納得できないでいます。その上でお聞きしたいことがあります。今回、読者や作家からクレームなど、春画を問題視する声はあったのでしょうか。あったならば具体的に教えて下さい。それが今回の休養という処分の判断基準になったのかどうかも教えて下さい」
女性デスクの目は血走っていた。自由闊達な出版社とはいえ、社長に物申すのは緊張を強いられるのだろう。最後まで声は震えていた。》

《次に挙手したのは中堅デスクだった。
「これは更迭という意味なのでしょうか」
彼の目にもやはり猜疑心が漲っている。
「違います! あくまで休養です。新谷君には3カ月休んで、また戻ってきてもらいます」
「ほかに理由があるのではないでしょうか」
「他に理由?」
松井は一瞬気色ばんだようにも見えた。
「そんなものありません。春画が『週刊文春』のクレディビリティを毀損したと私が判断した、それがすべてです」
社長の強い口調に座は凍りつくようだった。だが、その重苦しい空気に怯むことなく、次々と部員たちは手を挙げ始めた。》

《「これまで編集権は編集長に帰属するという不文律があったはずです。今回の判断は、経営陣による編集権への介入と取ってよいでしょうか」
ストレートに社長に切り込んだのは中堅社員である。
松井はより一層声を高くして切り返した。
「編集権は編集長にあります。ただ、人事権は経営陣にあります!」》

《続いて出たのは「処分ではないのならば、3カ月というのはどういう基準なのでしょうか」という質問だった。》

やりとりはまだ続く。ここに全文引用はできないので詳細は『創』の特集記事を読んでいただきたいのだが、NHKの「クローズアップ現代」やらせ問題など、数々の問題を発掘し追及してきた『週刊文春』だから、現場は当然、ジャーナリズムのあり方をめぐってもそれなりの経験と見識を持っている。だからその日の議論が、社長と現場という関係でなかったら、もっと紛糾した可能性もある。★/(引用終わり)

 これを読んでも、文藝春秋の社長の判断の真意が判らない。「週刊文春」(10月8日号)という10月1日発売の週刊誌について、10月8日の編集部でのやりとりがあったということだ。発売から1週間が経過している。すでに、週刊誌は売れるものは売れているだろう。次号が発売される日でもある。そういうタイミングでのやりとりだから、10月8日号の販売への影響は、ほとんどなかったのではないか。

 本当にどこからも圧力などかからずに、純粋にこれまで培ってきた「週刊文春」という雑誌の「信頼性(クレディビリティ)」を春画特集が壊した、と社長の経営センスとして判断したので、こういう措置を取った、ということなのだろうか。それなら、なぜ、「傷ついた」春画満載の雑誌の回収をせずに、有能な編集長に長い休養を命じたのだろうか。これが文藝春秋の不可解。

 先ほどのライバル誌では、自身の週刊誌に「春画展を開催した永青文庫理事長の細川護熙元首相の談話とともに、オールカラー43作品を袋入りの小冊子で掲載してきた」 のに、週刊文春は、なにを萎縮しているのか、と言いたげであった。まあ、書店の日本美術書のコーナーに平積みされている春画本の人気ぶりをみれば、うなづかれることかもしれない。今回の春画展の入場ぶりも、改めて、春画ブームの熱さを印象づけた。

 しかし、この時の文藝春秋の対応の不可解さには、何とも気持ち悪い思いをした人が多かったのではないか。私の周りでも、「気持ち悪い」と訴える人が何人か居た。文藝春秋の社長に何があったのか。誰が何を考えて、こういう事態を引き起こしたのか。浮世絵春画自体は、四半世紀も前から、修正や目隠しなどもされずに、既に書店の店頭に堂々と出荷・販売されている。なぜ、いまさら、春画本の抜粋というか、抄録のような週刊誌での春画特集掲載が問題視されるのか。春画展を開けば、大勢が押し寄せる。永青文庫は、大人気で、ホームページで混雑情報を毎日、何回も流すほどだった。春画展への入場は「18歳未満お断わり」であったけれど、会場で販売している4000円もするカタログは会期前半を待たずに、初版売れ切れで増刷していた。結局、この図録は、会期中に3万部売れたという。

 文藝春秋社長の説明には、何か、伝えられていない真意が隠されているのではないか。
 やはり、誰かの真意は隠されていたようだ。その後、お上からの「指導」があったことが判明する。だが、その「指導」には「週刊文春」は含まれていないという。

● 2)警視庁の不可解

 「週刊ポスト」は、10月30日号に次のような記事を掲載した。

 「一方で、警視庁は春画を『わいせつ図画』だとみなし、本誌を含め春画を掲載した週刊誌数誌を呼び出し、“指導”を行なっている。本誌編集長もこの1年の間に2回、呼び出しを受けた。その際『以前から10数回にわたり本誌は春画を掲載してきたが、このような呼び出しを受けたことはない。警視庁の中で方針の変更があったのか』と問うたが、明確な返答はなかった」。

 「指導」とは、権力の介入の一つの形態だろうが、文藝春秋の社長判断を明るみに出すとともに、「週刊ポスト」 を始め「週刊現代」など4誌への警視庁の指導など、その後、この一連の動きをまとめるように、朝日新聞が次のような記事を掲載した。以下、★印から★印までは、朝日新聞を含めて新聞記事から引用。

★「春画に関する記事掲載をめぐり、『週刊文春』の新谷学編集長が3カ月間休養することが8日、わかった。朝日新聞の取材に対し、文芸春秋は、週刊文春10月8日号(1日発売)に掲載されたグラビア記事をめぐり、『編集上の配慮を欠いた点があり、休養させる対応を取った』と説明している。

東京都文京区の『永青文庫』で開催中の『春画展』を紹介する記事で、喜多川歌麿や歌川国貞、葛飾北斎の計3作品をカラーで掲載。同社は『読者の皆様の信頼を裏切ることになったと判断した。編集長には3カ月の間休養し、読者の視線に立って週刊文春を見直し、今後の編集に生かしてもらうこととした』とコメントした」。

「人間の性愛を描いた浮世絵『春画』と女性のヌード写真を近いページに掲載したのは、わいせつ図画頒布罪に当たる可能性があるとして、警視庁が週刊誌4誌に『過激な内容を掲載しないよう配慮を求める』と口頭で指導した。警視庁への取材でわかった。

保安課によると、4誌は『週刊ポスト』(小学館)、『週刊現代』(講談社)、『週刊大衆』(双葉社)、『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)。東京都文京区の『永青(えいせい)文庫』で開催されている『春画展』の作品紹介などを、ヌード写真と近いページで掲載していた。こうした内容は、春画の芸術性より、わいせつ性を強調したものになる、と警視庁は判断し、8〜9月に各誌の担当者を呼んで伝えたという。講談社の広報室は『この件については一切コメントできない』としている。

他にも春画を扱った雑誌はあるが、捜査幹部は『歴史・文化的な価値が高いとの評価もあるため、春画そのものや芸術として扱っているものを取り締まるつもりはない』としている」。★/(引用終わり)

 警視庁の対応は、ますます、不可解の度合いを強める。江戸時代の男女の性愛を謳歌した浮世絵春画そのものが猥褻なのではない、という。なぜなら、こういうものは既に世間には出回っている。女性のヘアヌードもそのものも猥褻なのではない。幾つかの週刊誌では、それを売り物にして毎週店頭に出回っている。

 どうやら問題は、「浮世絵『春画』と女性のヌード写真を近いページに掲載した」ことにあるようである。今回の例では、「『豊満』の研究」(週刊ポスト)、「奥田瑛二との濡れ場が話題 不二子『迫真』」(週刊現代)などのヘアヌードが、春画特集と「近いページ」あるいは「同じ号」に掲載したことに問題があるのかもしれない。別の号なら良かったのか。別な号でも毎週連続で特集したら、指導が入るのか、入らないのか。基準が曖昧である。

 先に触れたように「週刊ポスト」では、警視庁の指導を受けた際に、「『警視庁の中で方針の変更があったのか』と問うたが、明確な返答はなかった」と記事に書いている。まして、「週刊文春」は、警視庁の指導を受けた4つの週刊誌には含まれていないのに、「処分」だか、「措置」だか、をしているのである。警察の「指導」もないのに、自主規制というより、自粛というか、萎縮ではないのか。文藝春秋の社長判断は、過剰規制なのではないのか。私の周りで、何人かが「気持ち悪い」と、感じたのは、曖昧なまま、判断は権力の思うまま、という辺りから惹起される不快感だったのではないのか。
 ぷ、ふい! 
 ますます、文藝春秋に対する不可解の度合いを強めざるを得ない。

 権力の恣意的な判断は、権力が介入してくるまで判らない。それが怖くて表現媒体が萎縮し、予め自粛するようになる。文藝春秋の社長判断というのは、そういう動きの萌芽ではないのか。表現とは、まず、権力からの自由が保障されなければ十全たり得ない。自主的発想、表現は憲法に保障された国民の知る権利からの負託に応えるための不可欠の要素である。

● 3)マスコミの不可解

 マスコミも戸惑っている。警視庁の指導を受けた4誌のうち「週刊ポスト」は、こう書く。

 「春画掲載が原因で編集長が『休養』することになった週刊文春は、この4誌には含まれていなかった。
 4誌が問題視されたのは、春画を掲載した同じ号にヌード写真を掲載したことが原因のようだ。一方、ヌードを掲載しなかった文春は『おとがめなし』だった。その判断基準はいかにも分かりにくい。」

 春画はヘアヌードとセットになると「わいせつ性が強調」されたと警視庁は判断するのか。週刊誌の情報に拠ると、こうである。

 ここ数か月では、週刊ポストが8月21・28日号で「日本が誇る『春画の秘宝』」と題して、袋とじの中に43作品を収録した16ページの小冊子をつけた。週刊現代は9月19日号で、「日本初公開!殿様が愛した『春画』」と題し、袋とじで8ページの特集を組んでいる。こうした記事が「指導」の対象になったとみられる。

 社長判断で編集長休養となった「週刊文春」(文藝春秋)も10月8日号で「春画入門 空前のブーム到来!」と題した特集を載せている。これら3誌の特集は、永青文庫で開かれている春画展の内容を紹介しており、永青文庫理事長でもある細川護煕元首相がその意義を強調するコメントを寄せているという点で共通している。だが、警察の判断は分かれた。

 「わ印」と卑下された春画は、無名の絵師や摺師によって、量産されたのであろう。自慰や交接参照のための実用性(性愛の手引き)、ポルノチックな趣味趣向性などに応えるべく筆致は次第に誇張されもしただろう。大衆的な芸能作品の類いのひとつでもあっただろう。性欲は、人間の根源的な生存に向けての本能的な欲望だから、世代、身分、男女の枠を越えて需要は多い。永続性もある。そこに目を付けた版元は、著名な画家にも高級春画を描かせたであろう。大名らは、著名な絵師を呼んで、特注品の豪華な肉筆画を描かせたことだろう。芸能の中から芸術も生まれたことだろう。

 春画は芸術となり、文化となった。文化とは、寛容さが大事だ。春画文化で言えば猥褻も芸術も包み込むような寛容さを持っている。文化となった春画は、明治維新後、具眼の欧米人の鑑定に応え、海外に流出された。日本の江戸時代の大らかな性表現の思想として評価された。春画の取締まりは、芸能、芸術の取締まりに繋がり、文化、思想の取締まりとなり、引いては表現者や表現の享受者の人権の取り締まりへと連鎖して行く。だから、「わ印」の段階から、表現の自由とは何か、という文化的な問題意識を持って目を光らせていなければならない。

 権力の取締まりは、滅多に、いきなりてっぺんを目指しては来ない。まず、曖昧さで、「指導」して来る。参考までに、ということでさりげなく注意を喚起してくる。お上に指導された方は、無視はできない。「自主規制・自粛」という対応に出て、お上の顔色をうかがう。「愛(う)い奴(やつ)じゃ」と、それとなく褒められる。また、同じようなことが起きる。前回通りやったから大丈夫かと思いきや、ダメだと言われて、別の指導を受けることになる。こういうことが繰り返されているうちに、指導を受ける前に率先して自主規制をするようになる。お上の意向以上の対応をする。「愛い奴、愛い奴」ということになり、もう、「萎縮・過剰反応」の段階になる。今回の文藝春秋の社長判断という対応は、どの段階だろうか。

 戦前の日本社会では、今の東京会館(リニューアル再建中)にあった大政翼賛会が、政治、経済、思想、文化、生活まで干渉し、翼賛的で、一元的な価値観を押し付けながら、軍部や司直と一緒に日本社会を壊滅的な敗戦へと引っ張っていった。すべては、今回のように曖昧さから始まっているのではないのか。

 「曖昧さ」ということ。曖昧さはゾーンが判りにくい。曖昧さは、拡大し易い。これは、編集者なら余計、困ったことになるのではないか、と私は改めて思う。というのは、Aというものは、警察の指導の対象には当たらない。Bというものも、警察の指導の対象には当たらない。AとBとを「近いページに掲載」すると、「わいせつ図画頒布罪に当たる可能性がある」というのである。世間に出回ることが認められていたふたつのものが、ある「近さ」になった、と警察、つまり権力が判断したら、罪になる可能性がある、ということだからだ。こういう曖昧なことを権力が言い出す時がいちばん怖い。一歩譲って、近さを認めようとしても、実際に「近さ」という距離感をどうやって測れば良いのか。週刊誌で言えば、AとBの掲載ページが、何ページ離れていれば、問題ないのか。何ページの近さになると、指導が入るのか。あるいは、権力の「介入」となり、流通停止、発売禁止などになるのか。同じ号にふたつのものを掲載してはいけないのか。別の号に掲載する分には、問題がないのか。別の号でも、続けてはダメなのか。何号か離せば良いのか。

 こういうことがまかり通るようになると、ことは、「わ印」だけで済まなくなるのではないか、という懸念を誰もが持つのではないか。Aという思想だけなら良い、Bという思想だけなら良いが、両方を近づけると、権力が介入してくる、ということになりはしまいか。あるいは、A、B、Cという思想は、それぞれ独立している場合は、問題にならないが、組み合わせ(「距離の近さ」という判断)次第では問題になる、という可能性もないだろうか。AとCなら距離的に問題ないが、AとBなら距離的にありで、お上の指導が入る、というような事態が想定される、ようなことはないのか。

 民主主義の根幹である多元性を前提としない一元的な治安維持のための法(特定秘密保護法、盗聴法、共謀罪など)、思想統制、一党独裁の大政翼賛政治(戦時中の大政翼賛会の末端組織が相互監視の隣り組であったことを忘れまい)が社会全体を覆うようになるのは、70年以上前の戦前の日本社会で実際にあったことだ。窒息するような社会であった。

 これまでのところ、これに対するマスコミの追究は、あくまでも「わ印」問題に限定していて、取材もここまでのようである。歴史が示すように権力に異議を申すような主張や思想は、治安維持や公益維持というようなお題目の下で規制されてきた。ただし、こういう規制は、いきなり思想統制されるわけではない。まず、誰もが顰蹙を感じるだろうと権力が想定する猥褻などを取り締まる形で忍び寄って来る。

 マスメディアで働く記者たち、その取材指揮をするデスク諸兄に、マスコミOBとしてお願いしたい。文藝春秋の不可解と警視庁の不可解を「わ印」問題のみに矮小化することなく、表現、取材、出版の自由という皆さんにとって、存立に関わる根底的(ラジカル)な問題という認識を持って、継続的に取材を続けて、解明して欲しい。忍び寄る気持ちの悪さ、不快感。春画、ヘアヌード、という柔らかいテーマの背後で、誰かが何かを企んでいはしないのか。誰かが別の目的を持って何かを企んでいながら、「わ印」をカナリアに仕立てて、周到に風の具合などを見ていはしないのか。「春画」の取扱いは、「周到」に。たかが「わ印」問題などと、軽く見ないで、春画という屏風の裏に何かが隠されているのかいないのか、神経を研ぎすまして究明してほしい。「春画」の規制がいつの間にか、「表現全般」の規制にすり替えられて来る、というようなことがないようにしなければならない。それが実現するまで、私の「マスコミの不可解」は、解消されない、と思う。

筆者から告知:
 前号の「大原雄の『流儀』」の映画批評で取り上げた映画「不屈の男 アンブロークン」の上演日が確定したと配給会社から連絡があった。映画は、2016年2月6日、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほかで全国順次ロードショー公開される。

 (筆者は、ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事。元NHK社会部記者)


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