【オルタの視点】

<連載対談・リベラルとの対話>

格差社会は戦争への道

対談;藤井 裕久阿部 知子


【阿部知子】(以下、阿部) 藤井裕久先生は今私が所属する民進党の大顧問ですが、実は藤井先生にはかねてから党派を超えて色々とご教示を頂いてきました。私はもと社民党で先生は自民党でした。覚えておいででしょうか、昔、民主党と自由党と共産党と社民党の4党で政策会議というのを毎週木曜日にやっていて、先生はその時自由党から来られており、実務は中塚衆議院議員(当時)で、社民党は私が出て、民主党は色々政調会長が変わられ、岡田さんが来ていた時もあり、政権交代の前に共産党も含めた4野党で色々共通政策を作っていました。

【藤井裕久】(以下、藤井) 僕が覚えているのはあなたが大蔵大臣の部屋に来られたことです。

【阿部】 それは政権交代後です。

【藤井】 その時あなたはまだ社民党でしたね。社民党の方が大蔵大臣室に来られたのは初めてだと言ってみんな喜んでいました。

【阿部】 本当ですか? 陳情でしたから。

【藤井】 陳情じゃない。みんなあの時並んでいた。

【阿部】 余談ですが、政府税調というのを政権交代して初めて経験して、ああこれが「税調」だって、あらゆる税の話を聞いてものすごく勉強になって、議論についていくのに毎日必死でした。
 私は2014年11月に安倍総理が1回目の消費増税延期して、すぐ選挙になった直前に藤井先生に対談していただいて、それを自分が出している『かえる通信』というのに書いた時にも伺ったのですが、先生は「国会の中で戦争を知っている、戦前生まれの者が少なくなって、それがすごく政治を危ういものにしている」と言われていた。

【藤井】 私は、昭和の国会議員はまあまあ真っ当なのが多いが、平成の国会議員はほとんどがダメだと割り切ったんです。ただ例外がありますからなんとも言えないが、あなたも好きだと言ってくれた田中角栄さん、あの人が、「戦争を知っている奴が社会にいる限りは日本は安泰だが、知らない奴が出た時こそ大変だ」とおっしゃるので、「またそういう経験をやらせるんですか」と言ったら、「そうじゃない、昔君らも小学生だったかもしれないが戦争の本当に辛いのを知っているんだから教えてやってくれ」ということでした。
 私はこれを契機に当時の民主党で『近現代歴史調査会』というのを始めて、十何年も続けている。戦争を知っているということは頭の体操で戦争を知っている人とは違うのです。若い人の中には戦争というと動画みたいに考えている者がいるので、私が「君が死ぬんだぞ」と言うとびっくりしている。動画というのは自分が死なずに生き返るのだから、この違いは決定的です。

【阿部】 2014年の11月の時でも国会議員の9割が戦後の生まれだと先生が言われていましたが、その後また選挙があって安倍チルドレンが当選しているので、もっとその比率は高まっています。私も自分が歳になったから言うのではないですが、民進党の中には若くて素晴らしい人も多いいけれど、その一方で、民主党の政権交代の失敗の一つは、もう少しどっしりとした政治を行わなくちゃいけなかったと思っています。
 若くて才はあっても才に溺れて論理だけで政治が成り立っていると思っていて、官僚に対するバッシングやアメリカとの関係、辺野古基地問題などでも、政治には根回しとか人脈とか経験が必要なので、それが残念ながら新しい政党には薄かった。

【藤井】 司馬遼太郎さんが亡くなって20年経った時に文藝春秋から感想を書けと言われて、その時書いたのですが、司馬さんは、「政治は空想家のやる仕事じゃないんだ。いいことがあれば必ず悪いことがある、それをちゃんと正面から捉えなきゃいけない」「知力のある奴は多いけどそれだけじゃダメだ、胆力が大事なんだ」。要するに決断が大事だといわれた。私はその言葉を引用したのですが、今阿部さんが言われたそのことです。

 私は民主党が負けた理由は2つあると思う。まず一つは野党体質が抜けていなかった。具体的にいうと、議論は好きだけど決めるのが与党なのだということがわかっていない。いつまでも議論したがるので、そんなに君たち議論したいなら初日の出までやろうと言ったら誰も来なくなった。そんな程度なんだ。
 もう一つは役人というのは事務能力があるのは事実なので、決めるのは政治家だけど後は役人に任せるという仕組みが大事なのだが、いつまでも野党の時のように役人は敵だという意識から抜けないのがいた。
 僕が財務大臣の時は、役人まで入れて俺たちが決めるけど後のフォローは君ら頼む、決める時の決め方は聞いといてくれ、と言った。
 政治は決めるという決断力、胆力、が必要なので、私はこれをずっと言い続けてきたのです。

【阿部】 歴史の話に入る前に、この参院選挙では、せっかくできた民進党なので、これを伸ばすのは所属する全員の責任ですが、私は国民からら見て「任せて大丈夫。自分たちが本当に皆さんの思いをなんとかして形にしたい。やらせてみてください」という訴えかける力が今の民進党は弱いと思っています。

【藤井】 それが今の話です。つまり世の中の人は3年間を見ていて、あいつらは議論ばかりしていて、決める能力がないじゃないかと思っている。議論ばかりしていた人たちのなかで、僕のところに間違っていましたと言いに来る奴がいるけれど、もう遅いですよ。今度皆さんのご理解が得られて政権が任されるようになったら、今の人は大丈夫だろうけど、また新しいのが出てきて頭の体操ばかりすると同じことになると思うから、阿部さんたちもそういう教育を来たる将来のためにやって下さいよ。与党の政治はものを決めることなんだよと。
 例えば僕が税制調査会の会長をやった時に、議論ばかりしていて増税はけしからんと言う人がいるので、私が「日露戦争が始まった明治37年2月に大増税をしたがその時、けしからんけしからんがあったときに大蔵省の幹部が、そりゃ増税は悪税だ。悪税でもやらなきゃならないことはあるんだぞと言ったらみな黙った」と言うと「そんな昔の話をするんですか」と言うのがいた。日露戦争は昨日なんだぞと、私はその時も言いましたが、要するに今のような歴史観に基づいてこういう先輩がいたことも参考にしなきゃいけない。

【阿部】 藤井先生がさっき日露戦争はついちょっと前なのだといわれましたが、今いる議員たちに歴史を教える、伝えることはとても大事だと思います。先生は私たちに、よく戦争に至った4つの理由を挙げられます。
 1つ目は外交の失敗。2つ目は経済・暮らしの破綻。3つ目は軍部の独走・行政の肥大。4つ目はマスメディアの迎合、この4つですがその辺りをお話し下さい。

【藤井】 よく覚えてくれていますね(笑)。その通りです。あなたが大嫌いな人だろうけれど、岸信介という人がいたでしょ。私は岸信介の時も官邸にいたのです。その時に国防の基本方針を岸内閣が作りましたが、1に外交(国連)。2に国民生活。3に自衛隊。4に日米安保と言っていた。

 その時の官房長官、私の直接の上司は椎名悦三郎さんでした。この人がこの順序こそ大事だと言われた。つまり今あなたが言った1の外交です。トラブルは必ず起きるがトラブルが起きた時にすぐやっちゃえやっちゃえっという人間、これが一番世界の平和に害になるし、自国の平和にも害になるやつだ。
 2に国民生活というのはなにかというと、格差社会ができると、今こうやっているがどうにもならない。じゃあ戦争でもやろう。やろうじゃないか。と、むしろ恵まれない人が戦争をやろうとなるのです。国民生活が安定していない限り戦争の要因が出てくるのは事実です。
 3、4は書いてありませんが、今おっしゃった通りでして、要するに昭和初期に格差社会が出来た時に、政治家の野郎はろくなことをやっていないじゃないか、相変わらず汚職だとかなんとかをやっているということに対して国民は、やっぱり軍人だな、となった。それが間違ったことは事実で、軍人はもっと悪いことをしていた。だけど政治家にろくな野郎がいないとなれば、やっぱり軍人に頼むほうが早いとなった。
 例えば二・二六事件でも五・一五事件でも、背後で操ったのは北一輝などですがみな軍人がやった。軍人たちは今の政治は、こんな格差社会になっているのは政治家の野郎が悪いんだ、それにはやっぱり軍人だということになったのです。政治家はよっぽど心してくださいよ。

【阿部】今すごく大変です。舛添さんはあんなことだし(笑)。

【藤井】4番目の報道。これも大事です。マスコミの人と僕らも付き合っていて、その勉強会にあるマスコミの人を呼んだ。なぜマスコミはあんなに堕落したのか語ってくれと言ったら、『なぜ戦争を止めさすことができなかったのか』という表題に変えてくれと言われたのですが、ちゃんといかにマスコミが堕落したかについて話してくれた。その時に「僕たちは取材をして情報をとらなきゃならない。情報を取る時にどうしても権力に迎合しないと情報が取れない」と率直に反省されていた。
 しかしマスコミの人に理解してもらいたいのは、情報が取れる取れないも大事だけど、マスコミとはなんだと考えて貰いたい。それは政治が悪いことをやったらそれを批判することなのだと。言いにくいけど、今のNHKの会長なんて政府が右と言ったら左と言えるわけがないと言った。それを言うのがマスコミですよ。また戦時中と同じことをやっているのかと腹が立ちます。立派なマスコミの人もいますから、私は全部がNHKの会長みたいな人ではないと思いますが、NHKの会長みたいな人はマスコミの人間として本当に恥ずかしい人だと思います。4つ答えればそういうことになります。

【阿部】戦時中のマスメディアは例えば敵機何機撃墜せりとか、嘘をオーバーに強調して戦争を煽った。実は真珠湾攻撃から半年のミッドウェー海戦あたりからもう負けている。最初の6ヶ月くらいしか勝っていなくて、あとは負けていっているのに勝った勝ったという論調で国民を煽った。そのために軍部はますます前のめりになり、国民も敗戦に転げ落ちていった。

【藤井】 僕は昭和17年の話を今でも覚えている。母親に手を引かれて買い物に行ったら、ものすごい飛行機が一機飛んでいる。日本にもこんな立派な飛行機ができたかと思ったらB26だった。日本軍は17年2月に奇襲でシンガポールを落としたが、その4月に東京のど真ん中をボカッとやられた。東條英機はシンガポールを落としたので、これなら選挙やれば国は一体になれると思って、選挙打ったのが昭和17年の4月です。その時に爆撃されたのです。
 その選挙の時に私の尊敬する二階堂進という人が鹿児島県にいました。彼は10年間アメリカにいたので、あんな大国と戦争をやるというのはバカだ、負けるぞと言った。鹿児島県というのは翼賛壮年団といって結構親東條の人が多くいて「彼はアメリカのスパイだ、アメリカの出先だ」と言われながら殴られたりしても頑張った。こういう人が戦前の政治家にはいた。
 もう一つ言うと、その非推薦の中に今の総理の父方の祖父・安倍寛がいた。どうしてあんな孫ができたのかなと僕は思いますが、やはり昭和17年、すでにシンガポールをやった直後に負けると言った政治家です。僕は本当にそういう政治家が今でも欲しいなと思います。

【阿部】 私の単純な理解だとそういう流れはおそらく戦後の自民党政治の中に、とにかく経済だ、飯食わせなきゃ何が政治だという田中角栄さんの主張のようなものがあったのだと思います。

【藤井】 彼は新潟から出て本当に辛い思いをした。

【阿部】 私、2000年に議員になって、実は田中角栄さんの流れの野中広務先生には本当によくしてもらったのです。藤井先生もそうです。そういう人は「平和派」なんだなあって思っていました。
 それに比べると中曽根さんはもう少し軍事や日米関係を重視した。

【藤井】 彼は最後にパラオにいた軍人で兵隊じゃない、軍人で恵まれていた。

【阿部】 その中曽根派だというレッテル張って、なんとなく近づき難かった山崎拓さんを団長にして先日中国に行って正直びっくりしました。

【藤井】 彼はいいでしょ。

【阿部】 私は、山拓さんが中国に対して心の底から信頼を作っていかなければならないということを長い間やってこられたことを知って改めて感心しました。

【藤井】 あの頃の自民党の派閥っていうのは別の党なんです。いくつかの党があったと思っていい。私のおじいちゃん親分みたいのは池田勇人で、岸信介の後ですが、岸信介は満州帝国の話こそしなかったがどちらかというと国防の話をやる。それに対して池田さんはそんなことよりも国民生活だと言って、その後半の大蔵大臣に田中角栄を引張ってきた。この流れなのです。
 田中角栄グループも今言った二階堂進、あと後藤田正晴というのは権力主義者ですが絶対の平和主義者です。戦争で台湾に行って、いかに軍人が悪いかを知った。あの人はその流れなのです。ところがいつの間にかそれが消えてしまった。自民党では日中国交回復をその田中角栄、大平正芳、二階堂進がやったのです。

【阿部】 すごいですね。

【藤井】 その時、青嵐会の人は、あいつら帰ってきたら殺すって言っていた。僕らは秘書官ですから、本気で殺されちゃやばいと思っていた。その青嵐会の系統が安倍晋三です。だから言いにくいけど早く辞めてもらう以外ない。本当は僕らですが、とりあえずは自民党の本流の人になってもらいたい。

【阿部】 民主党は政権交代しましたが、それを経て改めて私が思うのは、このままの二大政党で行くのだろうか。もう少し与党と野党が違う形になるのではないか。自民党の中にも平和を外交として語るリベラルな流れが育ち、民進党の中にもそういうものを育てて、立憲政治の大枠の中で両党が平和や経済を論じるようにならなくてはならないと勝手に考えています。

【藤井】 僕もそう思います。国の壁も政党の壁もなるたけ低くしたほうがいいというのが僕の基本的な考え方です。今のトランプは壁を高くしようとしている。万里の長城を築けなんて逆行です。政党についても、今阿部さんが言われた通りです。政党である以上仕方がないが、なるたけ壁は低くして共通のものを作るといい。アメリカも共和、民主の壁は決して高くなかったが今の人たちが高くした。

【阿部】 グローバル化した経済の中でナショナリスティックになっているからです。

【藤井】 そう、それです。

【阿部】 やはり国境の壁も低くし、交流し、お互いに信頼を築いていくしか戦争を防ぐ仕組みはない。

【藤井】 ないと思う。また古い話をして悪いけど、第一次世界大戦の時にセルビアの青年がオーストリアの皇太子を殺した。これは大問題だが、2国間の問題です。なんでそれが世界戦争になったのか。みんな特別な同盟関係を結んでいたからです。その時に出てきたのがウッドロー・ウィルソンで、彼はこれが悪いのだから同盟なんかあんまり結ぶなと国際連盟というものを作った。今の日本はその逆をやろうとしている。アメリカも面白い国で、自分の国の大統領が発想したのに入らなかった。アメリカも話にならないところもあるが、ウッドロー・ウィルソンの理想主義は正しかった。だから国際連盟から国際連合に通じたのです。これが国境の壁を低くするという発想の一つだと私は思います。

【阿部】 藤井先生もご尽力されていますが、これは今政治をやる者が知っておくべき一般教養で大学でいう基礎知識です。学校教育にも問題があるかわかりませんが基礎知識がない議員が実に多くて『八紘一宇』なんて言う議員さえいます。

【藤井】 まだいるんですって。

【阿部】 そうです。今時です。

【藤井】 だって今の総理大臣は一億総なんとかでしょ。僕らの世代は、あれだけで安倍は嫌いです。『一億一心』とか『出せ一億の底力』とか言って戦争をやってきたのです。一億の底力なんて出ていない。また昔話で悪いけど、昭和20年4月に僕が中学入ったら敵国スポーツの野球をやっていた。世の中では野球をやるときに『だめ』『よし』と言ったというが、僕らはストライク、ボール、セーフ、アウトでやっていた。僕らの歴史の先生が野球部長で、俺の目の黒いうちはどんな戦争になっても野球は続けさせるといっていたし、学校に教練に来た軍人が俺にノックやらせろっという始末だから、『一億の底力』なんていう物じゃない。だから僕らの世代は『一億』って言葉に抵抗がある。

【阿部】 『一億』って言われた途端に個人が消えて砂の粒になった感覚になる。

【藤井】 政党に何にも関係ない僕らの友達も『一億』の掛け声だけでやっぱり安倍かというのです。

【阿部】 私は粒にされてたまるかというか、個人や自由が消されていくことに対してちょっとおかしいんじゃないかというような勢力を集めて戦っていくべきだと思います。

【藤井】 市民連合でね。

【阿部】 選挙で各政党のマニフェストといわれてもそれほど心踊らない。正直いって、子ども手当てをやろうとかコンクリートから人へとか、農家の戸別所得補償、高校の無償化と、マニフェスト並べられて心躍った時期も確かにあったけれど、それは政権を取りに行こうという時のものだった。今だったら国民の総活躍とか、個人は従えよ、緊急事態宣言したらお前の自由はないぞとか。ものすごく国家・国家してきて、個人がなくなっていくことに、それはちょっとという段階です。

【藤井】 あなたは女性だから言いにくいが、出生率を1.8にしようと。

【阿部】 嫌ですね。

【藤井】 戦時中は『産めよ増やせよ国のため』といった。個人の問題なのに国のために増やすんですよ。それだけでも嫌だ。

【阿部】 個人と国が一体化してしまうのはとても恐ろしいことで、国を守るのと国民を守るというのとは違うのです。

【藤井】 僕は戦争中、小学生ですが、『見ていろ今度の戦争で 敵の戦車ぶんどって ニュース映画で見せるから 待っていてくださいお母さん』というダジャレの歌があった。近所の奥さんの所へ戦死の公報がきて、僕は母親と一緒にお見舞いに行ったら、クッと涙を抑えた表情で、一人っ子が国に召されましたと未亡人が言われた。ダジャレみたいな軍歌がある反面、国民は泣いていた。これが今あなたが言った国と個人の幸せの乖離です。

【阿部】 大きな力が自分たちの思うままに、ある時は戦争をしたりしても、その下で国民は潰されていくから、角栄さんが言う庶民が幸せになるための経済が大事ですね。

【藤井】 角さんをあまり褒めなくてもいいですよ(笑)。
 最近は石原慎太郎も褒めていますがありゃダメだ。青嵐会というのは、日中講和をやってきたやつを殺すと言った。僕ら秘書官は本当に殺されるんじゃないかと心配したんです。ところが殺されなかったのは良かったけど、その同じ人物からあんな偉い人はいないと言われたら僕は違和感を持ちます。当時、お前は田中派だというだけで選挙はマイナスだったんです。

【阿部】 書いてありますね。

【藤井】 事実ですからね。事実。お前は田中の弟子か、じゃあいらねえと。それが今になってあんなこと言われるとすごい違和感を感じます。

【阿部】 先生がお書きになっていることでそうだなと思ったのは、田中角栄さんは日本列島改造で、今でいう財政出動されたが、そのあとにはやっぱり赤字が残ります。

【藤井】 そうです。経済そのものがマイナスになったんです。

【阿部】 それをなんとかしなきゃと思ったのは、消費増税を命がけでやることになる大平さんで、それはそれで自分たちの打った政策のあと、先生の言葉で言う「夢のあと始末」ですね。

【藤井】 あんまり夢をやると崩壊が来る。

【阿部】 そうそう。そのあともまた自分たちの決断と責任で支えるのが政治の基本ですよね。

【藤井】 特に大事なのは、大平さんも中曽根さんも竹下さんもやったのは財政の穴埋めです。その後、皆さんの知恵で、これは医療、年金、介護、子育てしか使えないようにした。だから今新聞に書いてあるように、これやめたら医療や年金が落ちるという話ができるのです。前は一般財政の穴埋めだった。ヨーロッパをはじめ世界150カ国以上の国が消費税やっていますが、こんな国はない。目的税というのは世界で唯一です。僕は先輩の知恵だと思う。その知恵があるからこそ、安倍さんがあんなことやると医療、年金、介護、子育てが落ちるんです。
 それを結びつけるのはずるいというが、それを結びつけることで世の中にわかっていただきやすい。財政の穴埋めも大事だけど、消費税はそれだけじゃなくてこれと直結させている。ところが安倍さんはそれさえ、うやむやにしてしまっている。だから経済政策は3党合意とは全然違っているし、非常に言いにくいけれど安倍さんは自民党の中にいたかもしれないが蚊帳の外の人です。3党合意は谷垣さんたちがやった。町村さんもやったが福田派じゃない。みんなが複数政党で協力しなくてはダメだという意識になった時、蚊帳の外にいたのが青嵐会系の今の総理大臣です。これが実態です。

【阿部】 消費税が社会保障にリンクして使われることはあり得るとしても、金持ちのケイマン諸島での課税逃れや所得税のフラット化などを是正しないと、税制があまりにも歪んでいる。私はこれを是正しなくては絶対に駄目だと思います。

【藤井】 その通りです。これが格差社会です。

【阿部】 そうです。

【藤井】 ヨーロッパでもゴーンの月給は高すぎるという声があるくらい、格差社会の是正を政府がやらなくてはダメだということを言っている。日本は逆に格差をどんどん大きくして金持ちを優遇している。例えば大企業を中心に3割しか払っていない法人税を減税する。僕のところに来た安倍系の人が、税を払ってないやつから外形標準で税を取るというんです。そんなの潰れていいじゃないですかと、これが今の安倍政治の根幹です。つまり税金も払えないようなやつは潰れていい。払っているやつを減税する。これは格差社会の大拡大です。払えない人は潰れていいというこの発想こそ、安倍さんの強いものにはより強く、弱いものはほったらかせということになっている。それがますます格差を大きくしている。世界でもそれはおかしいということで、今阿部さんが言ったケイマン諸島のことなどが表に出てきている。

【阿部】 だから民進党は、そもそもこの税制がおかしいということをもっとはっきりと主張し、なおかつ消費税は弱者にも厳しいから戻し税にして、所得400万円以下の人には4万円戻しますとか、もっとわかりやすくいったらいいと思う。

【藤井】 それを3党合意でやっている。

【阿部】 言えばいいのに。

【藤井】 軽減税率は公明党のために入れているが大事なことは一律に課すことだ。これがいいとかあれが悪いとか言ったら今でもヨーロッパは喧嘩している。軽減税率はダメなんです。

【阿部】 そういうことをうまく伝える術が下手です。

【藤井】 今の安倍さんは根幹が間違っている。

【阿部】 2014年の11月に対談していただいた時は、いまお話しして頂いた格差拡大こそ戦争への道である、と。戦争への道は、軍部の独走、ウソ報道のマスコミ、あるいは外交の機能不全などもあったが、これを社会として支えたのが格差拡大で、ここを何とかするのが政治の課題だと思います。

【藤井】 その通りです。私が生まれる直前に血盟団事件があって、井上日召という男が大蔵大臣をやった井上準之助を殺した。それから菱沼五郎というのが三井の大番頭の団琢磨を殺した。そこいらから格差社会の問題が始まっていた。二・二六事件もまさにその延長なので、格差社会というのは戦争に直結する。さっき言いましたが、岸信介の時に国防の基本方針の2番目に国民生活が安定しない限り国防にならない。まさに平和はそれで守られるんだということにようやく気がついた。その時にこれが大事だと言ったのは椎名悦三郎です。だいたい国防の基本方針があること自体を今の国会議員は知らない。これがまだ生きていて非常に重要な話なのです。1に外交、2に国民生活、3から4が今の軍事と日米安保。そしてそれは本当に個別的自衛権を発動する時の話で、その発動の前にやることがたくさんあるのだという話を先ほど出しました。

【阿部】 先生が民進党の中で歴史の勉強会をやってくださって、議員も来るけれど、議員以上に外からの人がいっぱいです。先生もお気づきのように、最初始めていただいた頃は議員のためにと思われたのでしょうが、議員は顔を出すけど、5分10分座っていると次の会議とかでいなくなる。

【藤井】 よく知ってらっしゃってありがたい。その通りです。初め議員だけでやったらダメなので、登録制にしたら満員です。つまり今、世の中の方のほうが平和ということを本当に真剣に考えられている。国会議員が考えていないとは言いませんがその傾向はある。何より、国会が忙しいからこんなとこに出られるかという人が多い。つまり歴史を軽く見ていて残念です。民進党だけでなく何党もです。

【阿部】 自民党の中でも勉強会やって欲しいです。やれば育ってくる若い人が絶対います。この前、山崎先生の超党派の訪中の会では、自民党から6人くらい来られて、短い訪中の間でもすごく感動したり変わられるのです。私たちもそうですから、すべての国会議員は私も含めてまず歴史を勉強したい。

【藤井】 ありがたいことです。

【阿部】 今先生が話されたようなリアルに政治と歴史を関係付けて聞ける機会は貴重なので国会議員だけにしないでと思います。本で読めばいいんでしょうが政治は生き物で、そこに流れる歴史がばらばらに理解されては政治家は育たない。私たちこそ知らなくてはいけないし、ものを読むにも見るにも自分の視点が非常に重要です。

【藤井】 そうです。歴史は先人の経験です。まだ生きている僕らも先人の中に入っているかもしれないけれど、経験です。僕の真上でB29と日本の飛行機が体当たりしました。向こうも落ちました。こっちも死にました。その時、僕ら食い物がないから、B29の落っこった人がビスケットくらいくれるかと思って行ったんです。そしたら手足ばらばらのアメリカ人なのです。そこに女性の片腕もあったという話をしましたね。

【阿部】 爪には赤いマニキュアがあった。

【藤井】 そう。その時から僕は戦争というのは戦勝国も戦敗国もみんな国民が犠牲者だと強く思いました。それで今もずっと来ています。これが残念ながらもう一つの歴史です。

【阿部】 最近、亀井静香さんとご一緒しました。亀井先生も初めはなんとなく近づき難い感じがあったのですが違いました。亀井さんはすごく村山冨市先生を評価されていて、党の違う政治家が一人の人間の、政治家としての芯を高く評価できるというのはすごいなと思いました。

【藤井】 自分の党の基本方針変えるのですから僕も村山さんを偉いと思いますよ。

【阿部】 そうですね。

【藤井】 それが日本のためになるということを決めた村山さんは偉い人です。だから社会党は無くなって社民党になった。

【阿部】 それがもう、今大変なんです。

【藤井】 ここに村山先生の本で『村山富市の証言録』というのがあるでしょ、僕、村山さんが好きだからそこに置いてあります。

【阿部】 あのあと社民党と民主党が別れたのは本当に残念でした。

【藤井】 一緒に行ったほうがよかった。

【阿部】 やれる工夫があればですが、私がいない時代だからなんとも言えませんが、主義主張で細かに分かれても保守系であれば派閥で済んだのにわざわざ政党つくれば、否定し合うようになる。

【藤井】 どうしてもそうなる。

【阿部】 私は長いこと社民党にいましたが、民主党への合流は、考えも近いしあまり大きな抵抗もないのですけど、今度は維新の党の合流で違う考えを聞いてみたときに、ああそうか、じゃあこういう風にしてみようかとか、組み合わせの妙というものを感じたりもしています。

【藤井】 村山さんなんかもそうだと思います。村山さんもいろんな方とお付き合いがあったようですから、それでああいう決断をされたんだと思います。

【阿部】 村山先生のことでいうと、自衛隊は合憲だとおっしゃったときには私はそれでいいと思いましたが、国民の負託に負うという自衛隊法なんですから、じゃあどんな自衛隊を国民が望んでいるのかと、もう一歩突っ込んで国民に返してくれれば、その前までの違憲護憲論争が、もう一歩国民に近づいた違う形になったと思います。

【藤井】 それはおっしゃるとおり理想ですね。

【阿部】 あら、すみません。

【藤井】 第一歩は仕方ない。横路孝弘さんたちがやり出した自衛隊は国連の要員としてやると、あれが今のお答えになっている。あなたは反対か賛成かわかりませんが自国の防衛も大事だが、国際社会の平和のために使うべきだというのが横路さんの発想です。

【阿部】 サンダーバード隊というか、戦争のためのものじゃない災害救援隊とかいいと思います。

【藤井】 そうです。

【阿部】 さっきの亀井さんとのお話で一つだけ紹介したいと思うのは、私は亀井先生と「未来の党」で脱原発、原発ゼロを掲げてご一緒したのです。でも亀井先生は元々原発を推進して来た側だとばかり思っていましたので、こうまで言い切っていいのかなと、私のほうが少し優しく遠慮して思っていたんです。ところが亀井先生は広島だからお姉さまが被曝されていて、放射能による健康被害ということに非常に思いが深いのです。最初は原発は海の底に作って竜宮城みたいにしたらどうだと言っていたけど、そんなこといったってやはり事故も起こるだろうし、やめたほうがいいと最後には言われた。
 もう一つ、へえーと思ったのは、沖縄で女性が暴行殺害され遺棄された時、私はこれも控えめに、日米地位協定を変えて不逮捕特権をやめて基地は治外法権じゃないとか、一連の理屈を言ったのですが亀井先生は、基地がある限り起こるんだから、日本に米軍基地はいらないんだと言われた。

【藤井】 僕はテレビでも言いましたが、アメリカが沖縄に基地を置いているのは世界戦略なので、トランプが言う様に日本を守ってやるためだけにあるのではない。世界の平和ということで考えると、アメリカの世界戦略もスローダウンすべきです。それから原爆は全く非人道的で。戦争がなければあんなものもない。ですから私は戦争の悪を徹底的に言いたい。

【阿部】 アメリカは都市空襲、大空襲の果てに多くの非戦闘員を殺傷し、恐怖感を与えて戦意を喪失させようとした。

【藤井】 サイパンが落ちてから僕らの東京もやられた。隣まで焼け、僕は逃げようとしたら親父が消せって言うんです。それで風呂に水があったので洋服のまま水に浸かって消した。その間ぶわーーっと蒸発するんですがそれでも消しました。原爆とはぜんぜん違い大火事のようなものです。その時思ったけど、わたしの母親たちはバケツリレーやっていたけどあんなのまったく意味ない。個人が水に浸かってバーっと水をかけて消したんです。

【阿部】 自分に延焼しないように水をかぶったのですか。

【藤井】 どんどん蒸発する。するとまた水をかぶりに行く。戦争はダメなのです。

【阿部】 その話初めてです。

【藤井】 昭和20年3月10日が東京の下町で、4月が中間地帯、5月は山手です。ちゃんと向こうは計画的にやった。けしからんと思うけれど戦争だから戦争やったやつが悪い。私のは戦地に行ってない経験談です。

【阿部】 戦争に行った人は言わない。

【藤井】 言えないです。殺してもいるから。

【阿部】 被害者でもあり、加害者でもある。

【藤井】 僕の知っている70歳の男がね、親父に戦争の話してくれと言ったらいきなり殴られたという。彼は話したくないのです。僕らは加害していないから話せる。でも、僕らのところじゃないけれど、一人だけ落下傘で降りた人を町の人が叩き殺してそれを僕らの寮のすぐ横で燃やした。人が焦げる匂いは臭くていつまでも残る。

【阿部】 さっき先生がおっしゃった女性の兵士の手が転がって赤いマニキュアがあったとか、水かぶって蒸発するとか、人間が焦げる匂いとか、やっぱり人間の五感に染み込んでいる戦争の記憶というのは、二度とそれを起こさせたくない思いにつながる。

【藤井】 それが安倍を嫌いになった根源です。安倍が嫌いだっていうのは感情論だという人がいますが、今言ったような経験を必ず話しています。経験からどうしてもあいつが好きになれない。彼は自民党じゃないんだ。自民党には平和主義者もいるんだ。あの安倍が違うんだ。なぜなら戦争を知らないからだと思っています。

【阿部】 今日は有難うございました。

<対談者略歴>
 藤井裕久;元大蔵大臣・元自由党幹事長・参議院議員2回・衆議院議員7回・民主党最高顧問
 阿部知子;元社民党政調会長・元未来の党代表・小児科医師・衆議院議員6回

※この原稿は2016年6月9日に行われた対談の記録を対談者の校閲を得て掲載したものですが文責はオルタ編集部にあります。
 なお動画は YouTube の altermagazine で検索できます。


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