落穂拾記(22)                 羽原 清雅

橋下「慰安婦」「改憲」発言の意味するもの

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 橋下徹日本維新の会共同代表・大阪市長が「慰安婦必要論」「沖縄米軍の風俗
業活用提案」を打ち出した。また、石原慎太郎同代表・衆院議員は「軍と売春は
つきもの、歴史の原理」と援護の発言をした。維新の会は3月策定の綱領の中で、
現行憲法について「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な
共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法」と決めつけて、改憲への意欲を示し
ている。

 「決断の英雄待望」的なムードが流れるなかで台頭したこの新勢力は、どこか
リスキーなイメージをのぞかせていたが、一層その不安を明確にしたようだ。そ
のうえ、この維新の会と、与党公明党を天秤にかけつつ、改憲を狙う安倍晋三首
相自身も、きな臭さが目につき始めている。
 「『侵略』はまだ学術的定義はなく、歴史家に委ねる」として歴史認識につい
ての確認を回避し、靖国神社参拝を正当化する発言を重ねる。

 このような後ろ向きの姿勢で改憲の方向が強められていいのか。民主主義の土
台である民主主義・人権尊重・男女同権に逆らうような姿勢の勢力。そして、憲
法の内容よりも可決しやすい枠組みつくりを急ぐ政権党・・・今後参議院選挙で
勝ち、衆参の国政決定の舞台を牛耳ることになると、日本の将来は危ぶまれかね
ない。

 さらに危険なのは、民主党政権が領土問題で外交の空白状態を生み出し、自民・
公明の現政権がそうした状況に歴史認識の問題を加えて、民間交流を含めたアジ
ア諸国との外交関係をまたも停滞させている。このような行き詰まりの国際関係
の現実をどうするのか。世の中は今、円安株高の経済環境に高い評価を与えてい
るが、そこだけに意識を集中させようとする政権を見る目をもう少し広げた方が
よさそうだ。

 橋下、安倍発言のおかしさは、あらためて言うこともないほど明白だ。だが、
抜群の人気を示した小泉政権の新自由主義的な政治指針が、あとになって非正規
労働の人々を苦しめるなど、いくつもの政権後遺症を残したことを考えると、こ
と<憲法><外交>にとってのマイナスについて、このさいやはり書いておきた
いと思う。

慰安婦制度は必要か

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 国を守る兵士たちの性的エネルギーを発散するためには、また基地周辺や戦場
でのレイプや性的犯罪を防止するためには、その発散装置を作るべきだ。沖縄の
基地での犯罪の発生も、こうした装置がないからだ。そして、他国の軍隊におい
ても、過去を見ると身近な売春システムがあったではないか・・・このように言
いたいのだろう。

 だが、兵士の規律はその低い程度のレベルでいいのか。指揮官はそのような道
義の感覚なのか。国を守るという名目で、対象となるであろう女性の誇りや人格
を蹂躙できるのか。

 人間にはもともと、「正」の部分と「負」の部分が混在しがちだ。腕づくで蹂
躙することがごく普通であった時代もあるが、今の時代は平和であるからそのよ
うな行為が許されないのではなく、ひとりの人間として「負」の部分を抑制管理
する知性が求められ、人間としてのおたがいの尊厳を守ろう、という「正」重視
の時代へと進歩してきているのだ。
 少なくとも、死んで「英霊」「軍神」というのなら、国家は生きている間にそ
の矜持を持つだけの、誇りある兵士を作らなければならない。

 橋下共同代表は、沖縄の風俗業活用を米軍司令官に進言したところ「凍りつい
たように苦笑い」したと明らかにした。国防総省の広報担当も「ばかげている」
と一笑に付した。
 それは民主主義の先駆の国として当然のことだろう。朝鮮戦争時の北九州・小
倉で発生した黒人兵の脱走暴行事件(松本清張「黒地の絵」)や、頻発する沖縄
での米兵の犯罪行為、また米軍内での女性兵士に対するやたらに多いレイプ(今
春ころの朝日新聞)など、まだまだ矛盾を抱えている。

 とはいえ、それが合法的な風俗業による性欲発散を認めさせることにはならな
いことは、きわめて常識である。将来的に「国防軍」とも考えられている自衛隊
員にしても、女性への陵辱装置を歓迎するとは思われないし、それほどの低レベ
ルとは思われたくないにちがいない。「戦場でなら必要」と考えることもあるま
い。

女性に人権はあるか

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 「日本の法律で認められた風俗業を否定することは自由意思でその業を選んだ
女性に対する差別」と、橋下氏は記す。たしかに、カネを求めるそうした女性も
いるだろう。だが、人気のある公的な人物とはいえ、特例を引いて一般女性を説
得できるだろうか。安倍「お仲間」内閣で屈指のタカ派である稲田朋美行革相も
「慰安婦制度は女性の人権に対する侵害だ」という。「慰安婦制度」ではない
「風俗業」の性的発散ならいいよ、というわけではあるまい。

 かつての慰安婦は貧しさゆえ、生きていくことゆえに肉体を売ることがあった。
あるいは、戦前の門司港では騙されて世界の各地に売られていった女性もかなり
の数に上る記録もある。女性に参政権などのない男尊女卑の時代、人間の「負」
が横行した時代のことである。

 しかし、いまは違う。男女同等の権利を持っている。社会の実態はまだ男性優
位ではあるが、法的に権利は保障され、その主張や能力も高まっている。そのよ
うな時代に、ごく少数の売春志望者がいたとしても、このような屈辱的な仕組み
を公認するような言動は非常識に尽きるのではないか。このような橋下的発言が
飛び出すことだけでも、多くの女性の尊厳を傷つけているのだ。

 人権感覚のない人物が要職に選ばれたのは、なぜだろうか。政治不信のなかで
有権者の「決断待望」の選択からだとすれば、高い授業料を払うことになる有権
者はもっと深く学ばなければなるまい。

軍は戦場の性に無関係だったか

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 河野洋平談話(1993年)は官房長官が出した談話だから、菅官房長官が扱い、
首相たるものは発言しない、という論理の安倍首相。官房長官は首相の懐刀で一
心同体のもの。こんな論理ですり抜けようとし、また野党も攻めきれないところ
がおかしい。

 また河野談話が、慰安婦にした女性の強制連行の証拠は見つからないが、慰安
所の設置、管理、慰安婦の移送での軍の関与を認めていることで、安倍首相はそ
の修正を考える。強制連行があろうとなかろうと、軍が関係していたからこそ、
女性たちは戦場の第一線まで送り込まれ、また送り込まれる手段があったのだ。
民間業者が介在したといっても、軍と一体となっており、軍の責任がないなどと
はいえない。

 旧軍人の多くがその関与を認める発言を残し、軍隊経験のある五味川純平は
「人間の条件」、野間宏は「真空地帯」、大西巨人は「神聖喜劇」などの、ドキ
ュメントタッチの作品を世に問うている。「資料証拠がないから強制連行はなか
った」ということで、「軍の関与なし」と強弁しようとすること自体、ムダな悪
あがきで説得力もなく、虚言を弄することが近隣諸国を怒らせるだけだ。

 にわかつくりの慰安所に兵士が軍票を持ってずらりと並び、性の発散に至る。
高齢の石原氏も「軍と売春はつきもの」と問わず語りに認めている通りである。
このようなおぞましい光景は、栄光の軍隊として認めたくないことである。しか
し、現実にあったことは否定できない。南京虐殺は「まぼろし」と言いたい人も
いるが、その死者20万とか30万とかが問題なのではなく、その凄惨な現実は現実
として認めて、前進を図るしか道はないのだろう。戦争とはこうした非人間的な
行為を許容するものなのだ。

「侵略」はなかった? ではなんだったのか

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 安倍首相はこの「侵略」という表現に定義がないので歴史家にゆだねる、と言
って国会答弁をかわす。認めたくない気持ちはわからないではない。しかし、ど
うみても侵略としか言いようがない。八紘一宇の平和的行動とか、自衛自存のや
むを得ない戦いとか、で済むだろうか。首相は満州国の高級幹部の祖父岸信介か
ら、特別の事情を聞きだしているなら、言葉を濁さずに申したらいい。

 また、東京裁判への不満は自民党内の若手にもくすぶるが、裁判自体の公平性
などの問題はあるにせよ、国際的には日本の独立時に認めており、これを覆すこ
とは至難である。これこそ学問的には甲論乙駁でいいが、少なくとも外国との関
係においては受け入れざるを得ない。

 「侵略」も同じことである。この点にはこだわらない方がいい、と思う。それ
は、「侵略」された相手国やその国民は被害者としての痛みから容易に抜け出せ
ない。祖父母の殺害は、孫からそのあとの世代にも語り継がれ、加害者への怨念
は消えない。100年単位で記憶に残るだろう。中国、韓国などのアジア諸国は被
害者としての立場にあるわけで、加害者である日本への怒りや恨みは容易には消
えない。「小指を踏まれた痛みは踏まれたものにしかわからない」。

 しかも今は、被害国が日本の暴虐を教え続け、若い世代にも怨念を共有させて
いる。この風潮を批判しても止まることはない。もし可能なことがあれば、交流
を重ね、詫びつつ、相手の痛みを感じつつ、時間をかけて理解を育て、信頼を少
しずつとりもどすしかあるまい。

 日本の政権が、被害者の痛みを理解せず、「侵略ではない」「靖国神社は護国
の英霊を祀り、A級戦犯の霊も心はひとつ」「政治家や閣僚としてではなく、個
人としての参拝」などということ自体、被害者の気持ちを逆なでする。なぜ世界
の要人が他国で行われるように靖国神社に行かないか、なぜ戦後は出向いていた
天皇が行かなくなったか。そのようなことを考えること自体、「自虐史観」だと
言われるのだが、これも海外の目からすれば、被害者そっちのけ、ということで
もある。

 つまり、歴史を共有することはむずかしいにしても、加害者と目される日本が、
日本のみに通用する歴史認識などを強調することで、外交関係を閉ざし、伸びつ
つあった民間の交流をも遮断してしまう結果でいいのか。日本としての言い分は
ある。しかし一方に、相手の受け止め方がある。これを読み取るかどうか。信頼
の構築はそう簡単ではない。この数年の日中、日韓関係の冷え込みの背景は、ま
さにこの点に起因する。外交関係は対等平等、とはいえ、それぞれの国情を将来
的に、前向きに捉えて臨まなければ、島国としての日本は不利になるばかりだろ
う。

最近のおかしな反応

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 橋下発言は、同じ改憲政党である自民党内でも、不評である。
 ただ、その反応には問題を孕むものもある。首相にごく近い下村博文文科相は
「タイミングが非常に悪い。この時にあえてこの発言をするプラスの意味がある
のか」という。では、いつならいいのか。発言内容はいいが、時期が問題とでも
言うのか。ここに、自民党の本音の危うさがある。
 谷垣禎一法相は「今の時点で必要性を強調する必要があるかどうか、大変疑問」
とやはり、タイミングが問題との認識だ。

 また、これも首相の「お仲間」の一員である自民党の高市早苗政調会長は、ア
ジア諸国への植民地支配と侵略に反省とお詫びを表明した村山喜市談話(1995年)
について「『侵略』という文言を入れているのはしっくりきていない」と発言し
ている。首相の国会答弁を補足しようとしたものかと思われるが、この人は戦後
50年の国会決議の際、「私は(戦争の)当事者とは言えない世代だから反省など
していない」と嘯いている。

 村山談話は1995年の戦後五〇年に出され、2005年の六〇年には小泉談話が出さ
れたことで、安倍首相は2015年の七〇年談話に意欲的だ。河野談話は修正したい
が、村山談話のほうは10年刻みの恒例に沿って思う方向の文案で手直しが可能、
と考えているのだろう。

 国会の論議でも、自民党の丸山和也参院議員が、尖閣諸島への中国側上陸の事
態には強硬な措置を取るよう主張するなど、まず外交ありき、の姿勢の見られな
い発言が目立つ。 大きな曲がり角にもなりかねない状況が気がかりでならな
い。(5月15日記)

      (筆者は 元朝日新聞政治部長)
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