【コラム】酔生夢死

武漢のサクラ

岡田 充


 3月初め、中国湖北省の武漢を訪れ、武漢大学で台湾総統選挙について講演した。大学院生や研究者を相手に、ド下手な中国語で1時間の講義を終えたらヘロヘロになっていた。武漢と言ってもイメージが沸かないかもしれない。古くは李白の詩の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵にゆ(之)くを送る」の黄鶴楼が有名。「ああ、高校で習ったかも」と思い出しませんか。
 近代史では、1911年の辛亥革命を成功させた「武昌蜂起」はいまの武漢。さらに日中戦争で、日本軍が南京を陥落させた1937年末、蒋介石の国民政府はここを臨時首都にした。翌38年11月、30万の日本軍が武漢を落とすまで、蒋介石や共産党の周恩来は大学構内の建物で暮した。蒋介石旧居(2階建て)は修復されたがまだ未公開。周の宿舎は公開されている。「国共合作」中の当時は、キャンパス内の山道を二人仲良く散歩したという。

 武漢大学は巨大の一言に尽きる。キャンパス面積は3.44平方キロと東京千代田区のざっと三倍。何でも大きいもの好きな中国らしい。キャンパスは一つの街で、スーパーやレストランにホテルも完備。山の中腹にある風光明美なホテルに3泊した。4万人の学生は、スクールバスのほか、移動のために電動自転車を使っていた。
 武漢大学はサクラ並木(約千株)でも有名だ。日本軍が大学を占領し軍病院にした当時、日本軍兵士を慰めるため日本から持ち込んだという。当時のサクラはほとんど枯れ、現在の桜は、1972年の国交正常化の際に田中角栄首相がプレゼントしたものだという。3月初めだから梅の花は満開だったが、桜は残念ながらまだつぼみ。東京より早めの3月中旬が満開で、約100万人が花見に訪れるという。一人20元(約170円)の「入校料」をとる。
 サクラをめぐり「植えたのは旧日本軍。侵略戦争のシンボル」「武漢大の桜は中国の恥か」など批判の声がネットにあふれたことがあった。坂道の並木を歩きながら、案内してくれた大学教員は「今のサクラは帝国主義のサクラではなく友好のサクラ、と言って批判をかわしました」と説明してくれた。サクラの花まで政治文脈から評価するのはどうかと思う。ただ武漢でも侵略の傷跡が癒えていないことを思い知らされる。

 この4月から東京(羽田)と武漢の直行便が開設される。従来は上海乗り継ぎで行ったが半日がかり。直行便だと4時間と便利になる。キャンパス内のホテルは環境抜群。でもサービスは「国有企業」並みで料理もいまいち。そこでキャンパス内の民営レストランに繰り出した。そこのカモの丸焼きはお薦め。北京ダックと違い肉も一緒だが、甘い香りを放つカモ肉は試す価値あり。観光案内になってしまった。

 (筆者は共同通信客員論説委員・オルタ編集委員)

(写真)まるで上野公園の花見風景のような武漢大の並木。
  (ブログ「芙蓉峰の如是我聞」から)
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