【書評】

カサブタを剥ぐ痛みを快感に

『日本人の文革認識 歴史的転換をめぐる『翻身』』
福岡愛子/著 新曜社/刊 定価5200円(2014年1月)

岡田 充

 これほど気の重い書評になろうとは思わなかった。中国の文化大革命を程度の差はあれ肯定的に受け止めたことのある者に対し、忘却のカサブタを剥いでその中身の解剖を迫るからである。痛みを伴わないわけはない。封印していた記憶…。評者にとってそれは、大学生時代に中国を訪れ紅衛兵が叫ぶ「造反有理」のスローガンに、全共闘運動に参加していた18歳の己を重ね合わせた姿である。それを解剖することは、高齢者になった現在の自分が、40年以上も前の「異質な自分」に評価を下さねばならない「不快さ」がつきまとう。

●認識の根源的変化

 本書は、当時の日本の大勢に抗して文革の理念に共鳴しながら、後に中国共産党によって「10年の動乱」として否定されたことにも抵抗感を抱いた「戦前」、「戦中」、「戦後」の三世代群像の文革認識の変化を丹念に追った大作である。特に文革の否定という歴史的な認識転換を経て、彼らが直面せざるを得なかった根源的・個人的変化に光を当て、この認識変化に「翻身」(ほんしん)というキーワードをあてた。

 分析対象となる群像は、戦前に「転向」を経験し、戦後は自民党国会議員として日中復交に尽力した宇都宮徳馬。文革中も追放されなかった唯一の外国人特派員として「文革礼賛」の烙印を押された秋岡家栄。マルクス・レーニン主義の原則に依拠して、文革を「中国の新たなコミューン」と位置付け、全共闘運動にも一定の影響を与えた新島淳良ら著名人が名を連ねる。執筆時に故人だった宇都宮、新島については、戦争直後から存命中に発表された月刊誌や週刊誌、新聞記事にあたり、認識変化を詳細にトレースしている。

 著名人だけではない。日中友好運動の中心を担った組織活動家をはじめ、学生訪中団を組織した「斉了会」のメンバー、日中専門旅行社社員、戦犯として中国に抑留され帰国後に日中友好活動を展開する「中帰連」の活動家ら20名近くが仮名で登場する。聞き取りは2003年から足かけ10年にも及んだ、息の長いオーラルヒストリーである。

 著者は英語の同時通訳を経て、2000年に東京大学文学部に学士入学。本書は東京大学大学院の博士論文「日本における文革認識—歴史的認識転換をめぐる『翻身』の意味—」(2012年)を一般向けに書き直した内容である。また2008年に上梓した「文化大革命の記憶と忘却(新曜社刊 大平正芳記念賞受賞)の続編でもある。方法論にかなりの紙幅を割き難解だった前作に比べると、格段に読み易くなった。全共闘運動の意味や戦後日本人の中国像に焦点をあてた作品は既に出版されているが、日本人の文革認識に絞った本はこれが初めてではないか。あの細い体のどこに、こんなに息の長い仕事をさせるパトスが潜んでいるのだろう。

●主体は揺らぎ変わる

 まずキーワードの「翻身」から。「翻身」と聞くと「ちょっと待てよ。それは少し意味が違うのでは…」と首を傾げる向きもあろう。中国語の「翻身」(fanshen)は奴隷状態に置かれた人びとが「生まれ変わる、解放され立ち上がる」という意味で使われるからだ。「中国語の fanshen のイメージが強烈なので、別の訳語を考えて欲しかった」(現代中国政治を専門にする学者)という批判的な受け止め方に対し「中国研究者の間で神聖化されてきた(らしい)『翻身』の世俗化をとブチ上げたわけですが、返り討ちは免れませんね」と答えている。

 誤解を承知の上で、あえてキーワードにした理由について「転向」と異なり「個人誌上の変化をポジティブに意味づける主体的概念」(p16)と位置付け「『変わらぬ正しさ』だけではなく、『いかに変わり得るか』を重視する回路を開きたい」と説明する。前著「文化大革命の記憶と忘却」の中では「認識論上の転換とは、一言で言えば『主体』なるものが確固たる自明の存在とは考えられなくなったという変化である」と書いた。

 われわれは「自画像」(アイデンティティ)を、揺るぎない存在として描きたがる。しかし実際は、風にそよぐ木の枝のように常に揺らぐ存在である。日本社会では主義・主張の「一貫性」を尊ぶ傾向が強い。特に政治的組織や集団では、一貫性が失われると「変節」「転向」というネガティブなレッテルが貼られ、組織・集団から排除されることすらある。それは「集団として一体性と同質を求める」日本社会の特殊性かもしれない。あるいは「自己とは客観的時空上の文脈依存性と主観的一貫性との交差する存在」(p406)というアイデンティティが持つ普遍的性格によるのだろうか。

 認識論上の翻身は、学習を通じてわれわれが日常的に経験し得るものでもある。しかし、文革のように、中ソ対立や米中和解など、国際共産主義運動の路線闘争を巻き込み、日本の左翼運動や組織の分裂を招くような衝撃力の大きい非日常世界では、翻身はそう簡単なことではない。「新たな事実の認知と認識の修正との累積を経た、長い年月を必要とする」(p404)からである。

●厳しい群像への目

 「聞き書き」の中身に沿いながら、内容の一部を紹介する。歴史的な認識転換に直面した時、これら群像がどのような反応を示したかは興味深い。まず、在籍した北京大学で文革を体験した西園寺一晃が、中国では官僚主義と闘う無私で純粋な中国学生の姿を実感したのに対し、「日本に戻れば権力闘争の一言で語られる腹立たしさ」と語るとき、著者は「見えないところで権力闘争があったことなど知らなかったという一言には、無知さえもが純粋さの証であったかのような響きが伴う」(p214)とコメントした。

 一方、日本共産党の幹部の子弟として中国に留学した「東雲崇史」の場合「中国に対する偶像化、隙間のないほどの理想化」が、林彪事件・「四人組逮捕」・「六四」天安門事件などを経て、中国を対象化できるようになったものの、これらの事件に直面するたびに「自分の顔に張り付いたマスクを剥がすような痛みを伴う」と語っている。その「痛み」とはまさに冒頭の「忘却のカサブタを剥ぐ痛み」と同質のものだ。

 宇都宮徳馬についてはどうか。宇都宮が文革の中に読み取った「反官僚主義」「反アカデミズム」を「青年期の『転向』を契機として獲得した価値評価軸(評者注;反官僚主義の自由主義者)に沿う認識」と分析し、その認識は「中国承認、日中復交への展望を開く道筋に沿ったものだった」(p375)と読み込む。さらに宇都宮の文革認識は「再解釈されなかった」とし「過去の文革認識を公式に改める代わりに、沈黙と忘却によって日・中双方における『文革否定』のマスター・ナラティブ(主流言説=評者注)の傘下に入りながら、認識の正誤や肯定・否定の論理を超えたレベルで自らの信念と独自の立場を強化した」と書く。このように、著者の巧みな分析は随所で光る。

 秋岡への視線は厳しい。「現地体験した明るい中国のあまりにリアルな記憶は拭えないまま『百年経たなければわからない』と、あたかも思考停止状態を選択したかのよう」と書き、「文革後の変化は、中国との草の根交流に自ら関わるという行動のレベルにとどまっている」とし、現地体験の記憶に基づく認知情報が「翻身」の深まりを阻んだと分析するのである。

●圧巻の新島淳良評

 なんと言っても圧巻は新島淳良評であろう。文革を「永続革命」「中国コミューン」と位置付けた新島は、文革を評価する中国派にとって「教祖」的存在ですらあった。マルクス・レーニン主義の原則から毛沢東思想を評価し、中でも「上部構造は下部構造に反作用する」という“主観の能動性”の理論化は、全共闘運動が燃え盛る当時の時代にあって、「造反有理」「自己否定」のスローガンを「我が物」とした学生に大きな影響を与えた。かくいう評者も学生時代、杉並・永福町の自宅に押しかけ、教えを請うた経験がある。

 しかし新島は1970年に出版した『毛沢東最高指示』を契機に、「親中国派」から厳しく指弾され中国研究所を辞めてしまう。さらに国交正常化直後の72年からは、ユートピア生活を実践する山岸会で、五年間を暮らすという劇的な転変を遂げた。その新島の文革認識について著者は「文革自体の正当性を問わない自己目的化が顕著」(p379)と評する。そうであるからこそ文革の「否定的な認知情報が封印しきれなくなっていくにつれ、狂気に近い精神状態に追い込まれた」(p380)と、新島自身の回想を引用した。自己の影響力の大きさを認識すればするほど、狂気は増幅されるに違いない。そして「中国派」との決別によって主体的認識を取り戻そうとしたことが、新島にとっての「翻身」だとみる。

 翻身の具体的な内容については、新島が山岸会での経験を経て79年までに「コミューンと国家は絶対に相容れないという観点が欠けていた」ことを自覚した上で「中国で起きたことはむき出しの権力闘争でしかなかった」との結論を引出したこと。自らも毛沢東の呪縛から解放され「絶対的なものこそ悪であり、善はそのつど手作りされる一時的なものであると、『善の相対性』」という認識に到達した」(p408)と書くのである。「知識人」としての新島の責任について「知識人ならではの『翻身』を通して、新たな意味を生産することで果たすしかない」と結論付けた。ここまで丁寧に論文を読み込み、認識の転変をトレースしてもらえれば、新島も本望だろう。新島論は本書のハイライトである。

●「精神浄化」に誘う図式

 さて、痛みと不快感を伴いつつもカサブタを剥いだ後に来るものは何か。著者は最後に「翻身の有無と程度に関わる要因と経過」という図式を提示、群像の翻身の過程をたどり、いくつかの選択肢を示しながらそれを類型化した。図式化された類型に、自分自身の認識の変化を当てはめてみるのは、自己分析するようなワクワク感を伴う。自分の思考回路が露わになると、ある種の「精神浄化」(カタルシス)が得られることがある。自己分析に成功した時に感じる快感と言ってもよい。文革に関心を抱く多くの読者に、カサブタを剥ぐ快感を味わってほしい。

 読み進むうちにさまざまなことが頭をよぎった。第一は、評者と同じ世代の中に、大国化する中国という新たな歴史的転換の前に立ちすくみ、「魂を揺さぶる革命」と学生運動を展開した自己を同一化させたレベルに立ちとどまり続けている人々が多いことである。尖閣諸島問題の発生以来その傾向は顕著だ。最近会った京都在住の元学生運動家は、日中友好は大事と言いつつも「人民に奉仕せよと毛沢東が提起した文革期の中国は良かったが、大国主義を振りかざす今の中国には賛成できない」と公言した。著者が分析する「文革が提起した問題や理念は良かったが、結果が間違ったという切り分けによってマスター・ナラティブへの同調が可能」(p404)に当たる認識でもある。

 第二は、日本では、近代以降も輸入思想・運動を巡る「正統性」争いが絶えないことである。日本は歴史的に文明の中心ではなく周辺に位置する。言語をはじめ、統治システムから科学技術そして哲学、思想に至るまで、日本は常に導入する側にいた。思想の領域では、“本家”との同一性を獲得する争いが輸入側で起きる。文革がまさにそうだった。マルクス主義、レーニンとスターリン、トロツキーをめぐる左翼陣営の歴史的論争、国際共産主義運動をめぐるソ連派と中国派の争い。否定的側面をすべて「スターリン主義」の烙印で片づける方法も横行した。ただそれは主として少数派内部の争いにすぎない。こうした論争が注目される時代は、想像力が本来持つ力を発揮できた活性化した社会である。

 現在、問題なのは「戦後レジームからの脱却」を唱え、戦前の「強いニッポン」回帰を目指す権力者が、国家主義的言説を平然と振り回すこと。それが主流言説となり、「国是」や「国益」という言葉が横行していることだ。それが主流言説にならぬよう、論争が起きねばならないが、日本の言論空間は40年前と比べると実に平板化している。そのことに危機感を抱かざるを得ない。

 第三に、中国研究の分野でも、著者を含めてすぐれた論考が女性から出てくるようになったことである。筆者が指摘するように「それこそがこの四十年の革命的変化ではないか」(p415)。自他ともに認める上野千鶴子の弟子の面目躍如たるものがある。

 最後に告白しなければならないことがある。第3世代の「斉了会」群像の中に登場する「暉峻慶」とは、何を隠そう評者のことである。気が重く、筆が進まない理由の一つでもあった。筆が進まないと指先で鼻毛を抜くクセがある。この文章を書いている最中、もう抜くべき鼻毛がなくなっていることに気付いた。(敬称略)

 (評者は共同通信客員論説委員)


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