【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(15)

坪野 和子


◆「国境線の町」ジャイガオンから「国境の町」プンツォリンにて

 まずは前回、尻切れトンボで終わっていたとお気づきの読者さまもいらっしゃるかもしれません。お詫び申し上げます。実は前回の締切り当日、とんでもない強硬採決のおかげで、午後から専門学校の集中講座の授業に出かける途中、帰路、署名で何度も足止めされました。多くのかたが反対であることがわかります。
 …少しブータンと絡めて。数年前、インド・メディアがイメージ動画つきで「中国人民解放軍ブータン領侵入か?」という報道をしました。「か?」となる表現と「※動画はイメージです」と英語で書かれているのに、日本のネトウヨたちが「中国人民解放軍ブータン領侵入」と騒いでいました。しかも「小さな国なのにかわいそう。自衛隊を出して助けなければ」などというコメントがいくつかありました。
 いやいや、そんなとんでもない…自衛隊が来たらブータン軍に迷惑でしょうと思いました。かつてブータン軍は密林で5000人のアッサム・ゲリラを一網打尽にしたことがあるくらい陸地同士の戦いではとても強い軍隊なのです。慣れていない自衛隊なんか来られたら気を遣うし、足手まといです。海外で自衛隊が評価されているのは、災害時のインフラ整備や救出活動なのであって、軍隊としての強さではないということがわかっていないのではないかと思います。また銃を向けることがない隊であるから現地の人々も安心して救助してもらっているのですがね。言いたいことはたくさんありますが、止めておきます。

 さて、今回も読者さまの疑問にお答えいたします。ついでの話も。
 「インドではパンはちぎっては食べないのかな。直接、齧るのかな」ちぎって食べます。しかし、右手だけ使います。右手の指が箸かフォークのように進化?している感じがあります。13回目でも説明いたしましたが、「インド・ネパール・パキスタン・バングラデシュでは、ご飯を食べるのは右手、トイレでお尻を拭くのは左手…だから左手を使わない。宗教のためだと説明されるがイスラムでも左手を使わない」さらに加えますと、手動ウォッシュレットです。つまり左手を使って水をすくい洗うようにして拭きます(これも器用に手に排泄物がつかないように)。

 私はインド文化圏の風習が地球温暖化を少しだけ遅らせていると考えています。インド文化圏の人たち全員がトイレットペーパーを近代化と称して使いはじめたら、森林が一気に減っていくことになるでしょう。ペーパーが日本のように流れて溶けるものであっても、そうでなくても…下水処理や、さらにそうでない場合、国によっては燃やして処理しているところもあるらしいので環境破壊につながっていると思えます。時代の波と海外への出入りもあり、トイレットペーパーがあるオシャレな場所が増えているのですが、庶民はまだまだ手動ウォッシュレットなので私たち地球人すべてが彼らの恩恵を受けているといえるかもしれません(*ただしインド全土ではトイレの数が圧倒的に足りていないため、現首相モディさんが国家の補助金を増やしている最中ではあります)

 また牛を保護している一方で、ノン・ベジタリアンであっても多くのインド人は牛を食べないため、食用として飼育していないので二酸化炭素の排出量を一定に保つことができます。さらにベジタリアンがヒンドゥー教徒の6割を超えているので、食用の畜産が人口に対して少なく、また国土に適度な緑を保つ、など生態系保護や地球温暖化の歯止めともなっていると思えるのです。

 前回までの話し。日本から中国まわり経路からインド・コルカタで映画を見て過ごし、ダージリンでさまざまな人々と交流し、国境の町ジャイガオン、目的地ブータン。前回はお坊さんのお説法を楽しんだ話。前回の話に付け足すならば、日本のワイドショーのくだらなさと比べて「幸せの国」の幸せの時間だった。日本の家庭で一日中、観ても観なくてもテレビがついている家庭は少なくない。日本の主婦や高齢者がこういった番組を観ている間にブータン人をはじめチベット仏教徒たちは心をみつめなおす尊いお話しを聴いているのだ。うらやましいとしかいいようがない。ここからは若干、解説が必要なので、以下は語り口のように「です・ます調」で述べる。

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1. ブータンでのチベット仏教・宗教事情1(プンツォリン続き)
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 チベット仏教は、1989年ダライ・ラマ14世法王猊下がノーベル平和賞を受賞し、それ以降、徐々に日本での認知は高まってきました。以前は、ラマ教と呼ばれ高僧崇拝のおどろおどろしい変わった仏教であると誤解されていたことが少なくありませんでした。チベット仏教は4宗派あります。ダライ・ラマ法王はゲルク派と呼ばれるもっとも大きい宗派の長でもあります。
 ブータンは、4宗派のうちの3宗派の檀家が多く、サキャ派と呼ばれる宗派は家族に転生のラマ(上師)がいるなどの事情を持つ、チベットやネパールから移住してくる前の檀家だったなどで、あまり多くありません。また日本ではカギュ派のうちのドゥクパ・カギュ派が「国教」と勘違いしている人もいます。多くはブータンそのものに詳しいかたの話しを半分知って思い込んでいるメディアの影響だと思います。
 国民の多くは、ドゥクパ・カギュ派の檀家ではありますが…しかしすべてではありません。ブータン王家はニンマ派と呼ばれる宗派の檀家です。自分の家庭の宗派をはずして「国教」を決めるはずがありません。またヒンドゥ教徒も、ボン教と呼ばれる土着の宗教も、さらにごくまれにキリスト教徒やイスラム教徒も存在しています。憲法でも「国教」は明文化されていません。
 ブータンとダライ・ラマ法王と関係がないと考えている日本人も多いようです。私がブータン人たちとお話しするレベルで知り合ったのは、1985年インド・ブッダガヤでダライ・ラマ法王の大きな法要のときで、ブータン人たちはかわいい民族衣装を着て、チベット人たちとともに法王のお説法を楽しんで…ありがたく聴いていました。ブータン人の誰もがダライ・ラマ法王のお説法を一度でいいから直に聴きたいと考えているようです。

 お説法について、彼らの目線を詳しく申し上げます。ダライ・ラマ法王でなくてもチベット仏教では転生の高僧を大切にしています。今回、プンツォリンで遭遇したお坊さんも転生の高僧でした。ニンマ派で南インドのチベット寺院からいらしたブータン人。
 ブータン人とチベット亡命政府の寺院、チベット本土(中国領)の寺院との関係、またその逆にブータンの寺院のチベット仏教諸国の人々との関係は、政治の国境とは無関係です。ブータン人の転生上師がチベット人の寺院にいらしたり、チベット人やネパール、モンゴル人の転生上師がブータンにいらしたりすることは普通です。
 またブータン最大の宗派ドゥクパ・カギュ派の管長ギャルワン・ドゥクパは、民族的にはチベット人ですが、インド生まれのインド国籍で自坊(本山)もラダックにあります。ですが、もっとも信者が多いのはブータン人です。管長ご自身もブータンには年に何度も訪れ、講話はブータン全国でテレビ中継されています。私たち親子が滞在中も新年特別番組として管長のお説法中継が流れており、ホテルの部屋で拝聴しました。
 転生上師であることによっていいことはたくさんあるのですが、プンツォリンで遭遇したお坊さんとその場にいらしたブータンのみなさんの様子から感じたことをひとつ申し上げます。
 前世がすばらしい方だったので、お年寄りも決してバカにしてはいない、幼い頃から一生懸命宗教の理論と実践の修業をされていた若い坊さん…そういう人から若くても学べることがあるというお坊さんへの接し方が当たり前に心の中に浸透しているのです。ですから、知識や経験ですでに知っていることでも学ぼうという態度があるので、自分が若かったころの情熱も蘇り、自分がかつて得た智慧や年寄りからもらった生活の知恵を今どう活かしているのか、それこそ若造…いや若僧からも得ているのです。

 私たち親子は国境を越えてブータンにきて、まずは彼らと同じ幸福体験をしたのだろうと思います。

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2. チベット仏教・転生上師は尊敬の対象でありアイドルでもある
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 ここでブータンだけではなくチベット仏教全体での転生上師の存在に対する信者たちの目線について述べさせていただきます。転生上師はすべて尊敬の対象ではありますが、人気がある転生上師はイケメンで話しもうまく、その上英語もペラペラです。そういう転生上師はヨーロッパやアメリカにもお説法レクチャーによばれたりもします。話しの内容が深いと台湾や香港、シンガポール、ベトナムなど敬虔な仏教徒たちが転生上師を招聘します。これがまた自坊がブータンにあると訪ねていくよりも、お招きしたほうが安くあがるという事情もあります。

 「中観」(ナーガルジュナ[龍樹*興福寺に兄無着とともに像があります]というインドのお坊さんが哲学的に空を説き、哲学のみではなく生活においても存在のありかた生き方・人との付き合いに役に立つ教えです)の話が得意な転生上師は特に人気があります。ブータンでは六道輪廻の話しが得意な転生上師はお説法に人が集まります。「人気の演目」??といったところでしょうか。

 転生上師は大抵良いお顔だちをされています。イケメンという意味だけではなく、高貴なお顔、癒し系の笑顔が美しいお顔…。代表的なかたとしては、カルマパ17世でしょう。ダライ・ラマ法王に次ぐ宗教指導者ポストにある彼は1985年生まれで若いのですが、話もうまい上に、チベット本土にいらしたころから転生と認定され、さまざまな苦労の上、14歳のときにインドに亡命し、亡命時の危険な脱出、現在インド政府の管理下に置かれているなど、信者が応援したくなる要素も持っています。一度画像をご覧になれば、メガネの下からも感じられる目ヂカラは人気の秘密かもしれません。
 私は彼のお説法を聴くたびに清少納言を思い出します。「説経の講師は顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その説くことの尊さも覚ゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむと覚ゆ」「その事する聖と物語し、車立つることなどをさへぞ見入れ、ことについたるけしきなる」…平安貴族にとってもお坊さんのお説法はテレビより楽しい時間だったのかもしれない。そして、ワイドショーのように同じ内容を繰り返していた講師は飽きられていたのだと。

 次回はもう少し転生上師の話の続きを。私が若い頃研究のため約半年学んだダライ・ラマ法王のご自坊「ナムギェル学堂」で同じ師匠ついて学んでいた可愛い小僧時代の転生上師の思い出。そして旅の駒を進めて高僧との謁見の話しからはじめます。プンツォリンからハ県の街道へ。

 (筆者は高校時間講師)


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