【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(その7) 

坪野 和子


■美しい土地ダージリンで知った「国境線」
(後編の1)〔番外編1〕美味しいモモ

楽しいながらも(本当は)悲しい人々とも出逢った充実した旅!!
国際誤解??風評被害??日本で語られる姿は現地では幻想のようなものだった。

日本から中国まわり経路からインド・コルカタで映画を見て過ごし、そしてダージリン。目的地はブータン。
前回は、地元民と化したネパール人たちとのやりとりで感じた「美味しい」は人の心をつなぐ食べ物関係の話し。今回はその美味しい食べ物について述べさせていただく。
===================================
1.ダージリン 「美味しいもの」に国境はない
===================================
 コルカタ滞在中は食べ物の当たり外れがあったが、ダージリンに着いてからは一度も外れがなかった。チベット・レストラン、バラック小屋の店、屋台、そして世界のチェーン店「ケンタッキーフライドチキン」も含めて。お食事処ガイドは最後に述べさせていただくが、まずは考察と薀蓄から。
 なぜ外れがなかったのか?外れがないのには理由があるはずだ。ひとつ思い当たることがあった。86年、ラサに非正規留学していたころのことだ。外国人が多く滞在するゲストハウスのレストランで、ある西洋人…おそらくはアメリカ人の男性が市場からヤク(牛の仲間の動物・チベット料理のメインディッシュといってよい)を1kgほど買い込んで厨房に持ち込んで「ここで料理を作らせてくれ」と言った。彼はまず、厨房の玉ねぎを炒め、おもろむに肉のたたきを作り始めた。料理人は「…もったいない…肉団子を作るなら豚のほうが脂があるし、ヤクの肉はかみごたえがあるほうが美味しいのに」と思って見ていた。他の料理人は「自分でモモを作るつもりなのか?」と思ったそうだ。で卵と肉と玉ねぎを練り込み、塩コショウして…はい!!町で買ってきたパレ(チベットのパン)にはさんで…そうです!! ハンバーガー完成!! お友達みんなでおいしそうに食べているので、料理人が試しに作ってみた…けっこうイケる、そのガイジンさんにも食べてもらった…「うまい!!さすがシェフ!!」そのゲストハウスでは、その後、毎日ハンバーガーのリクエストが絶えない。裏メニューが本メニューとなった。その後、料理人はラサの良い場所で外国人向けのカフェレストランを出した。もちろん「ヤクミートハンバーガー」は観光客の人気メニューだった(その後の彼の消息は知らない) ただし、このメニュー、珍しいもの好きな人以外、現地の人たちには広まることがなかった。これは外から自分の文化を持ち込んで、そして民間には広まらなかったが共通の文化を持つものたちのためのとして異文化の人間が残していくことになった例のひとつだろうと思う。せっかくだから、このままハンバーガーで食文化の移動について述べよう。ハンバーガーのメインの具材であるハンバーグ。今や日本人の食の一部として当たり前にいろいろな場面で食されている。スーパーのお惣菜コーナーにハンバーグと餃子と揚げ物が並んでいない場合は売り切れ以外の何物でもない。私は1960年生まれだが、子どものころ、ハンバーグはちょっとしたご馳走だった。少し気取ったところに行かないと食べられなかった。ただし今と違って国産牛なので美味しかった。1970年に入ってマクドナルドが銀座にオープンしたとき、はじめてハンバーガーを食べたが、なぜみんな美味しいというのか解らなかった。きっと自分の味覚がヘンなんだろうと思い、無理して美味しいと言ってしまった。今考えると当時メディアなどで美味しいと触れ回らなければ、こんなに普及することはなかったのではないかと。そして、ファミレスがデパートの最上階ではなく、町中にできてきた。ファミレスはハンバーグとお子様ランチを食べる場所だと思っていた。気づくとホカ弁にもコンビニ弁当にも友達の学校弁当にもから揚げと同じくらい誰かが食べているのを目にするようになっていた。ついでにマックことマクドナルドは若者共通のソウルフードのような存在になっている。私の外国人生徒たち(公立高校の日本語教師です)は、「日本のマックってポテトにケチャップつかない」とか「ベトナムのマックのメニューが日本にない」とか母国のマックと比較して違いを教えてくれるのだが、嬉しそうに日本人や日本人として育った在日コリアンの友達と出かけていく。イスラムの戒律を守る生徒(牛でも豚由来の乳化剤が入っている)やインド人のベジタリアンの生徒は行っても食べずに飲み物だけで過ごしていた。ハンバーガーはアメリカの国民食であるが、ハンバーグの起源はドイツのハンブルクの地名。そして元は「タルタルステーキ」というモンゴルのタタール料理であると言われている。モンゴルがヨーロッパに侵略したときに持ち込んだ食べ方だ。ウインナー、フランクフルトな腸詰の肉のたたきもくしはひき肉もまた同時に運ばれた。これらはアメリカにドイツ系移民がもたらし、広めた。同じく「モモ」はモンゴルがチベット、中国、コリアに伝えて広めた。モンゴル語では「ボウズ」という中国語の「包子(パオツ)」と同じ名前である。
===================================
2.ヒマラヤの「美味しいもの」---「モモ」という食べ物に関する薀蓄---
===================================
 チベットの代表的な料理「モモ」は日本の餃子と同じ半月型と中国の小龍包と同じ饅頭型の二つがある。蒸して食べるのが基本だが、残ったものは揚げ物として食べられている。インドやネパールのチベット料理店ではメニューの一部として「フライドモモ」がある。「モモ」という言葉は「饅饅(四川中国語)モモ」である。起源はモンゴルであっても言葉は中国語と共通になっている。そうなると中国起源であろうと思われそうだが、昨今の中国パクリを考えると、他国からパクって自国のものと考えている・考えられてしまっているのだろうと思われる。その「モモ」は最近日本のネパール料理屋のメニューとなっているために、ネパール料理だと思われていることが多い、雑誌等のネパール料理紹介の記事を多く目にする。ネパール領内のチベット系民族と亡命チベット人がネパールの中で広めていったためにネパールのイメージが強くなっていき、そして日本で料理屋が増えたために、ますますネパールのものと思われるようになっている。そしてダージリンでは両方の民族が同居しているため、ネパール風の味、チベット風の味と両方食べられている。また本来チベットにはない「ベジタブルモモ」もある。キャベツとジャガイモが具材として入っている。また韓国の同じもの「マントゥ(中国語饅頭[マンドウ]と同じ)」はキムチ味がある。いろいろな地域に伝わっているうちに土地風になる。

蒸し餃子(小籠包)が海を渡って日本に来たのは、これら諸国よりずっと最近のことだ。肉食の普及と民族の往来の頻度が陸続きとは違う。
私たち母子は、ダージリンではほぼ1日1回モモを食べていた。ブータンではガイドさんの奥様の手料理にモモをいただいた。ブータンはチーズ入りの「チュラモモ」が美味しい。「モモ」はタイでも1回だけ食べた。バンコクのカオサン通りでは、若いネパール人のお兄ちゃんが手押し車に蒸し器を載せて、モモを売っていた。息子と仲良しになった。
チベット人がいる場所で普通に食べていた「モモ」は、政治亡命によって世界に広がり、また政情不安などによって、或いは国外に流出したネパール人によっても世界に広がっていった。モンゴル帝国の料理が各地のものとなった成り立ちは、戦争、亡命、労働者海外流出と様々な要因で世界料理となる。兄弟か従兄弟のようなハンバーガーは、移民、宣伝操作などで広まった。「美味しいもの」は容易く国境を越える。「美味しいもの」はビザもパスポートも外国人登録カードも要らない。それどころか、いつの間にか定住して国籍不明な帰化をしている。ダージリンでは「モモ」は民族を越えてみんなのもの。人間はこうはいかない。羨ましいから全部食べてしまおう!

===================================
3.ダージリン・お食事処ガイド ---食べ物 アラカルト ---
===================================
 ここで、ダージリンのお食事処を紹介する。残念ながら日本ではダージリンについて詳しく書かれたガイドブックもwebサイトもないと言ってよいだろう。広いインドをまとめて紹介されているため、どこで食べても外れがないダージリンでは載せる記事が少なくても問題ないこともあるのだろう。そして、欧米人と違って日本に味が近いチベットレストランやイタ飯屋があるので、それほど詳細なガイドが必要ないと思われる。.3つの英文サイトを紹介する。

☆トリップアドバイザー[日本語自動翻訳]
http://www.tripadvisor.jp/Restaurants-g304557-Darjeeling_West_Bengal.html
できたら英語のほうが良い。
☆ロンリープラネット
http://www.lonelyplanet.com/india/west-bengal/darjeeling/restaurants
こちらは旅のベテランさんは「サバイバルキット」と呼ばれるバックパッカー向けのガイドブックの出版社のサイトである。ダージリンのガイド書籍も出している。
☆Darjileeng.com
http://www.darjeeling-tourism.com/darj_00000d.htm
地元商店会のおすすめどころ。

これらから、抜き取ると、ヨーロッパ風、チベット料理、インド料理、イタリアン、スイーツ、インド料理全般、南インド料理、中華?(日本の中華とは少しイメージが違うが確かに中華といえよう)など。日本料理はないがチベット料理で醤油味(中国醤油インド味)が食べられるのでさほど必要はなさそうだ。
★「クンガ・レストラン」この紀行文のダージリン編で最初に述べさせていただいた」は醤油味のメニューが多いので、インド初心者でもお腹いっぱい美味しく食べられる。『地球の歩き方』でも日本人に人気があるクチコミが掲載されていた。小さい米粒タイプのすいとん「テントゥク」が「タントゥク」と仮名宛てされていた。
★Hasty Tasty インド料理の各州料理店。そしてケーキ。Wifiが繋がる。ネットできるコンピュータもあるが、イマイチ。料理は食べていない。店頭の写真の量が多そう。インド人のファミリー向けなのか?? しかし欧米人にも人気。
★Sonam's Kitchen トリップアドバイザーのサイトほか欧米人に人気。パンケーキや朝食部門では断トツだった。

◆Barの類。西ベンガル州では、というより北インドでは一般的な飲食店は20時を目安に閉店する。それ以降だとBarで欧米人向けとなる。それでも22時くらいに閉店する。不夜城の国に住んでいる人たちにとって健康的としか言いようがない。

◆屋台 これらのガイドから漏れているのは、夕方からわさわさと出てくる屋台の紹介である。メインの広場近くにネパール化したチベット料理がたくさん並ぶ。お酒なしで地元やネパールから来た地元との縁者との会話がたっぷり楽しめる。ネパール系民族であってもネパールに行ったことがない人もいて、ネパールを訪れたことがある人はお互いに拙い英語でも盛り上がる会話となる。

◆ホテルまたはゲストハウス併設のレストラン
インド人はホテルの交渉で食事付き宿泊をしている人が多い。その方が割安なのだそうだ。コルカタで出逢った日本語ペラのインド人もそれをすすめてくださった。

◆世界のチェーン店「ケンタッキーフライドチキン」
ここは外国人向けというより地元や地元の縁者が「おしゃれなお店」という感じのお客さんが多かった。子連れもJKも。ここで食べたチキンは、鶏肉本来の味だ。「日本のチキンは頼りない、チキンそのものが。香港はなんか脂っこい。ここのは鶏肉そのものだね」店を出た時、息子が言った。
「ずっとヘルシーな食事ばかりしていたから、こういうジャンクなものが食べたかったんだ」世界的なチェーン店は、それなりに役割があったのか!

[付記]日本でダージリンのインドカレー「はしるインドカリ~屋!Namaste Darjeeling」
https://www.facebook.com/NamasteDarjeeling.IndianCurry/info?tab=page_info
愛知県・中京地区でダージリンの味。ダージリンの先住民族レプチャ族と日本人のご夫婦が移動料理屋さんとして出没されています。読者のみなさまでこの地域のかたはご記憶のほどを。面識はないのですが、ページに掲載されているお料理の写真その他、どっぷりダージリン世界です。

次回はダージリン後編2・もう少しだけダージリンの話しを続けさせてください。観光案内をいたします。そしてブータンに向かいます。
              (筆者は高校時間教師)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧