【北から南から】中国・吉林便り(13)

民族詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)

今村 隆一


 20日はメールマガジンオルタ発行日でありますが、84年前、治安維持法下の1933年2月20日、プロレタリア作家・小林多喜二が東京築地署で特高警察により虐殺された日でもあります。「東柱(ドンジュ)」とは詩人の名前、フルネームは尹東柱(ユン・ドンジュ)で朝鮮語読みです。尹東柱は1945年2月16日に福岡刑務所で虐殺されました。
 沖縄の山城博治さんは、名護市辺野古と東村高江の新基地建設・ヘリパッド建設への抗議活動が傷害容疑に当たるとの容疑で昨年10月に逮捕され、名護から那覇の拘置所に移され、今も不当な拘留が続いています。2013年特定秘密保護法、14年武器輸出の解禁、15年戦争法(安保関連法)、16年盗聴法・刑事訴訟法改悪、そして今提出を予定している現代版治安維持法である「共謀罪」(テロ等組織犯罪準備罪)法案。この間の安倍政権は戦争に向かってまっしぐらに突き進んでいると言わざるを得ず、先ず「見せしめ拘留中の山城さんを釈放せよ!」と訴えます。

 吉林便り(12)で、映画『東柱(ドンジュ)』を見たことは報告しました。私は北華大学の冬休みで日本にいた1月末、メールマガジンオルタの加藤代表にお会いする前までは、この2か月で見た数本の映画についてを吉林便りの今号で紹介しようと思っていたのですが、購入したばかりの『尹東柱詩集“空と風と星と詩”』(岩波文庫)を読むと、今号では「東柱(ドンジュ)」を中心にしなきゃ、という思いが強くなりました。
 中国が圧倒的多数の漢民族以外少数の55民族による多民族国家であることは周知のことですが、少数民族の歴史と文化について触れる機会が少ない、まして吉林は漢民族に次いで多い朝鮮族について触れることが少なかったため、小林多喜二や尹東柱をはじめ、時の権力者にとって不都合な者を逮捕拘留し虐殺してきた歴史は今の山城さんの不当拘留の形で再現されている、そんな思いが強くなっているのです。

 私は吉林で漢語学習をしていることから以前に増して漢語表現、用語の使用について、どう表現するのが良いのか迷うことも増えてきました。同時に朝鮮と言うべきか韓国と言うべきかとか、朝鮮半島の存在も、大きな存在としてまた身近に感じるようになりました。
 私の吉林生活で接する人で最も多いのは外語学院日本語学科の中国人学生ですが、漢語の授業では中国人教師と韓国人留学生です。その韓国人留学生は私と話する時、彼らは朝鮮を決まって「北韓(ベイハン)」または「北韓国(ベイハングオ)」と呼びますが、聞き慣れていない今の私にはしっくりきません。従ってこの便りでは、韓国は「大韓民国」、朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」を指すこととします。

 また日本語で表現する場合、人物名や地域名をどう表記するか迷うことがあります。大変便利なことに漢字圏に住んでいる大概の中国人と韓国人と日本人は共通の文字である漢字を共有しいるのですが、漢字の読みが同じなのは少なく、漢字に振り仮名をつける時は迷うことが多いのです。だから私は日本語の文章は、基本的に日本の漢字が使える場合はそれを優先し表記しています。そして振り仮名は、できるだけその土地で使用されて発音、例えば地名の場合、北京(ベイジン)、長春(チャンチュン)、人名では習近平(シィ・ジンピン)毛沢東(マオ・ザードン)、周恩来(ジョウ・エンライ)となります。只わざわざカッコの注釈が必要ない場合は省略します。ちなみに中国ではアメリカの大統領になったトランプは特朗普(タランプ)ですが、何故「Trump」と表記しないのかと、と私はいつも疑問に思っています。中国では韓国と朝鮮と日本の地名と人名は漢字で表記していますが読みは漢語読みで、自国中心から抜け出していないのが実情です。

 日本の新聞が、中国国家主席の習近平のルビをシィジーピン、総理の李克強をリカァチャン、朝鮮労働党委員長の金正恩をキムジョンウンなどとルビを振っているのは良いことだと思うのですが、2月4日のNHKスペシャル「中国とPM2.5」では、李克強はリコクキョウ、他の中国人も日本語読みで解説していました。このような混在は今後少しずつ改善されていくだろうと期待しています。

 さて映画『東柱(ドンジュ)』は韓国映画で、監督は林超賢(イ・ジュンイク)、2016年2月に韓国で公開された作品です。私が吉林で見る大体の映画は映画館での鑑賞以外は店(行きつけの店は2店だけ)で購入したDVDを家のテレビ画面で見るのが多いのですが、この『東柱(ドンジュ)』は3・4カ月又は半年に一度位しか行かない吉林琿春街(フンチュンジェ)のDVD店で11月に買ったものです。ジャケットの日本の学生服を着た二人の青年が眼に留まり、ハングル文字の中に小さく漢字で「日本占領当時、…尹東柱…」と書かれていたことで、尹東柱に係わる映画だと、更に日本語字幕があることも判ったので9元(日本円で約150円)で購入したのでした。

 この映画は台詞の3分の1位は日本語です。公開された当時は韓国映画のうちで昨年の前売り率1位を占めて興行旋風を巻き起こしたそうです。本作の時代背景は1934年満洲国建国(尹東柱と宋夢奎は当時17歳)頃から1945年(この年の2月16日に尹東柱、3月10日に宋夢奎、共に福岡刑務所で獄死)までの約10年間で、最近では珍しい白黒映画なのが、却ってその時代の暗さと重さを感じさせ歴史の記録性の強い映画ともいえます。

 物語は初めから終わりまで獄中での尋問シーン。その間に尹東柱と宋夢奎の故郷での家族の触れ合い、学校での学習や友人や先生との交流、日本植民地統治下の弾圧等がクロスカッティングで入ります。日本侵略の厳しい環境の中で尹東柱(ユン・ドンジュ)と父の妹の長男つまり従兄弟で同年生れの独立活動家宋夢奎(ソン・モンギュ)は日本官憲の虐待で獄死に至ったことを物語って終演します。

 東柱の従弟だった宋夢奎(ソン・モンギュ18歳)はコントで1935年東亜日報の文芸賞に入選、東住など親族一同のお祝いはほのぼのとしたシーンです。この暗い時代でも映画の中では希望を捨てていない、人らしい生き方と喜びを描いています。宋夢奎のリードで仲間たちと学生雑誌を発行したり、ソウルの梨花女子専門学校の女学生イ・ヨジンに東柱(ドンジュ)の詩を詠んだ後は「寂しくなる」と評されたり、東京帝大卒業のミョン先生との「民族の主権」論議、「日本留学は恥辱では」と悩む東柱(ドンジュ)にチョン・ジヨン先生は「恥を知っていれば、恥ではない。恥を知らない者の方が恥ずかしい人だ」と諭すシーンは印象的でした。

 又、東柱が入学した立教大学の高松孝治先生が東柱が詩を書いているとは知らずに、「君は詩のセンスがあるかも知れない」と詩を書くように勧めたり、東京にいると危険だからと京都への編入を準備をし、英語の翻訳専門の深田久美により同志社大学学生の支援が準備されたり、と東柱は短い期間にも関わらず多くの日本の友人と交流し、支えがあったことも演出されます。

 東柱や夢奎(モンギュ)達の若い生命は日本官憲による冤罪で奪われますが、美しい詩を書く青年の存在をこの映画は、生まれ持った名前を名乗ることもできず、母語を使うことを許されない創氏改名の状況下、懸命に生きる姿を映します。

 私は吉林に来る1年前の2007年の夏に吉林省朝鮮族自治州延吉市にある延辺大学に2週間の短期留学したのですが、その前準備として中国朝鮮族のポータルサイトである日本語「朝鮮族ネット」を読んで、その中で「尹東柱」という名を見たのでした。
 その短期留学時に、中国名では長白山(朝鮮・韓国では「白頭山」と呼んでいる)標高2744mに行ったときの帰路、龍井(ロンジン)市にある尹東柱の生家に立ち寄っています。

 その後2012年8月、日本から西田勝(文芸評論家、平和運動家、日本植民地文化学会代表、元法政大学教授)・平和研究室の呼びかけで西田先生を含む12名の方が、長春にある東北師範大学の呂元明元教授(2015年10月逝去)と教授の元助手だった刘東北師範大学教授の案内で、遼寧省瀋陽からスタートして遼寧省丹東(満洲国時代は安東と呼ばれた)と集安を経て、吉林省龍井市、そして瀋陽に戻るまで、鴨緑江(中国と朝鮮の国境になっている川)に沿う「東辺道調査旅行」をされました。その際私は同行させていただき、尹東柱の生家を再び見学したのでした。その時は初めて訪問した5年前よりはるかに参観にふさわしい駐車場スペースも確保され、ハングルと漢字の説明標識も設置され、行政が5年前より保存強化に取り組み始めたことがわかりました。

 尹東柱は1917年12月に今の吉林省延辺朝鮮族自治州龍井(ロンジン)市で生まれ、龍井、平壌、首爾(ソウル)、東京、京都の学校で学んでいます。1942年に日本に渡り、4月に立教大学に入学、途中夏休みに帰郷していますが、9月に同志社大学に転校、1943年7月大学在学中に、従弟の宋夢奎(京都帝国大学生)は7月10日に、東柱は7月14日に治安維持法違反の嫌疑で京都下鴨警察署に逮捕されます。宋夢奎は獄中で繰り返し注射を打たれていると告げるシーンがあります。東柱は日本敗戦直前の1945年2月16日に福岡刑務所で獄死しています。宋夢奎は3月10日に同じ福岡刑務所で獄死しました。二人とも朝鮮解放(日本敗戦)を直前にして日本の官憲により殺されたのです。

 尹東柱は中国では文学を通しての抗日運動家の英雄の一人として評価されており、中国では尹東柱は少数民族である朝鮮族の中国人です。
 韓国では韓国の学校に在籍した韓民族の韓国人であり、民族を代表する世界的詩人とされています。
 朝鮮では尹東柱は平壌(ピョンヤン)の学校に在籍したこともある朝鮮の英雄として評価されているそうです。
 このように尹東柱という詩人は朝鮮半島と中国大陸でそれぞれの政府と人々が共に讃えています。

 日本では1995年2月16日には、尹東柱没後50年を記念し同志社大学構内に「尹東柱詩碑」が建てられました。また京都の下宿(左京区田中高原町)は、その後京都造形芸術大学の敷地の一部となり、2006年6月京都造形芸術大学内の下宿跡地に「尹東柱留魂之碑」が建てられているそうです。

 今年は尹東柱生誕百年にあたり、この2月16日に韓国YMCAで韓日両国の文化人や在日同胞などが参加し、尹東柱の詩の朗読会が行われます。2月19日には立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋チャペル)で追悼礼拝などの「尹東柱の集い」が、福岡では「尹東柱生誕百年」を記念する碑建造にむけたプロジェクトが発足しているそうです。

 日本へ留学した尹東柱は、朝鮮民族の独立を呼びかけ民族意識の鼓吹(こすい)や民族運動の煽動(せんどう)の罪で日本の官憲に逮捕されました。しかし『尹東柱詩集“空と風と星と詩”』を編訳した在日の詩人である「金時鐘(キムシジョン)」氏は本書の中で、次のように解説しています。
 ・・・たしかに尹東柱の詩作品は、時節や時代の状況からははずれているノンポリの作品です。ですがその時、その場で息づいていた人たちと、それを書いている人との言いようのない悲しみやいとおしさ、やさしさが体温を伴って沁みてくる作品ばかりです。(中略)尹東柱の詩は、時節とは無縁の心情のやさしい詩であったがために、治安維持法に抵触するだけの必然を却ってかかえていた詩でもあったのでした。・・・

 映画では尹東柱に尋問する刑事が作品の出来を決定的に高めています。私はこの刑事役の男優の日本語があまりにも上手いので日本人俳優だと思って見ておりましたが、2017年1月16日の朝日新聞の文化・文芸欄に掲載されていた在日3世の俳優キム・インウ(漢字は不明です)でした。宮城県出身、小学生で母親を亡くした彼は韓国映画『おばあちゃんの家』を見て感動、その後ソウルに語学留学、そして韓国映画にデビューし、これまで20本近い韓国映画に日本人役として出ているとのことです。

 このように韓国映画を盛り上げる日本出身の俳優が最近増えているとのことで、これからは韓国と日本の映画関係者交流が深まり、韓国と日本列島の人々がより親密になることが期待できると思います。

 吉林で売られている中国映画以外のDVDで多いのはアメリカの映画で、ヨーロッパが続きます。韓国映画の他、多くはないがインドやパキスタンのDVDもあります。しかし字幕が漢語ですので、日本語字幕のないDVDの購入を私は避け気味です。日本の映画はアニメ作品が多く、新作は多くはないが時々入手できます。日本映画を見るとき漢語字幕を見ながらの鑑賞は漢語表現の学習が出来、映画鑑賞の楽しみが倍加するので、私にとって日本映画への関心はいつも強いものがあります。

 (中国吉林市・北華大学留学生・日本語教師)


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