【コラム】槿と桜(27)

流行語から見える韓国

延 恩株


 毎年、日本ではその年に流行した、あるいは新しく生まれた言葉に対して「新語・流行語大賞」という賞が12月1日に発表されます。1984年(昭和59年)から始まったとのことで、すでに30年以上の歴史があるようです。
 このような賞には遊び心があって、しかも日本のその1年の世相がなんとなくわかって、私のような外国人にはとても興味深いものになっています。

 それでは韓国にこうした賞があるのかとなると、残念ながらありません。ただ新語や流行語は当然といえば当然ですが、日本と同じように毎年、生まれてきています。それがマスコミなどで報道されたり、ドラマなどにすぐ反映されますから、広く知られることになります。と言うより、テレビのドラマ、バラエティー、お笑い番組やCMなどで使われている言葉の中から、次第に広がっていくケースも多いように思います。そのほかに流行語を生み出しやすい媒体としてはインターネットがあります。

 日本の「新語・流行語大賞」の候補として選ばれる言葉は、おおむね政治や経済面のほかに芸能、テレビ番組、スポーツといった領域からのものが多いようで、それは韓国でもほぼ同じです。
 ただ、ここ数年、韓国での流行語を見ますと、もちろん例外はあるのでしょうが、社会全体が沈み、あまり明るい世相ではないことを反映したものが多いようです。

 たとえば2010年以降、韓国では三放世代(サムポ世代:삼포세대「三抛世代」)という言葉が登場しました。恋愛、結婚、出産を諦めてしまった若者たちを指すもので、若者世代の生活が不安定で苦しいことがその要因とされていました。
 ところがこれに続いて間もなく、マイホームと人間関係を諦めてしまう「五放世代」(オポ世代:오포세대)、さらに夢と希望まで諦めた「七放世代」(チルポ世代:칠포세대)というように次第にエスカレートしていきました。

 韓国は現在の朴槿恵大統領の父親の朴正煕(パクチョンヒ)第5代大統領によって、1960年代に「漢江の奇跡」と呼ばれた高度経済成長政策や教育改革が実行され、その後は民主化も進められ、めざましい発展を遂げて、30年間ほどで世界の最貧国から先進国へと急激な成長を果たしました。
 でも1997年のアジア通貨危機(IMF危機)以降、韓国経済はそれまでの経済成長が頓挫し、企業倒産数と失業率も大幅に増加、韓国の労働市場は一変してしまいました。
 その結果、非正規雇用者が増え、低収入で生活が不安定な若者たちは、「貯蓄がない」「貯蓄しても不足」「実家が裕福ではない」「就職が遅れた」「低賃金」などの理由で「三放世代」とならざるを得ない状況になってしまったというわけです。
 事態が改善されていないことは、「三放」「五放」「七放」だけでなく、数年前からは自分の将来のありとあらゆることを諦めてしまう「N放世代」(Nポ世代:N포세대)という言葉さえ生まれてしまっていることからも窺えます。

 こうした韓国での雇用状況の悪化を反映して、2014年には「熱情ペイ」(ヨルチョンペイ:열정페이)という言葉が流行しました。主に若者の間から生まれた新語ですが、若者特有の「熱情」と、支払いの意味である「Pay」を組み合わせた言葉です。
 実際、韓国の雇用状況はなかなか厳しく、①非労働力人口が多い。②若年層(15歳~29歳)の失業率が高い、③低賃金労働が多い(百本和弘『ジェトロセンサー』2014年11月号)、という状況に置かれています。また韓国統計庁によると、2015年の雇用率は60.3%で失業率は3.6%(日本は同年、失業率3.4%、雇用率57.6%)ですから、日本とほぼ同じようなレベルと言えます。ところが若年層の雇用率は41.5%で失業率は9.2%(2016年第1 四半期では11.3%と過去最悪)となっていて、韓国の若年層の失業問題が深刻なのがよくわかります。
 こうした就職難の状況の中で、「熱情ペイ」が現れてきたというわけです。つまり「熱情があって仕事をするなら、賃金は二の次」という雇用者側の立場から見た雇用形態で、要するに無給か、低賃金で働かせようとする雇用者側を批判的に言った言葉です。

 ちょっと横道にそれますが、私が勤務している大学に韓国からの留学生がいて、そのうちの数人がコンビニでアルバイトをしています。彼女たちは韓国とは違って、たとえアルバイトでも最低賃金の保証があり(2016年、韓国での最低賃金は約600円)、雇用条件も明確なため、安心して働けるのでしょう、非常に真面目に手を抜かずに働いていたようです。それが店長の目にとまり、今よりも優遇するので辞めないで欲しいと言われた、と嬉しそうに私に報告にきたことがあります。これなどは、母国での「熱情ペイ」のような、ただ働きに近い雇用状況を知っていたからこその反応だったのでしょう。 

 ただ働きに近い低賃金雇用、それが「熱情ペイ」です。それでも韓国の若者がこうした雇用関係でも働こうとするのは、次のステップとして安定した職場を手にする通過点となるだろうと考えているからなのです。日本と違って就職する際には、学歴だけでなく、その他の経歴や得意ジャンルが重視される社会でもあるからなのです。
 でも若者たちのこうした熱情を真剣に受けとめようとする雇用者側はほんの僅かでしかないことがはっきりしてきて、今や次のような、あまりにも自虐的すぎるのでは、と私などは思ってしまう言葉が2015年に急激に流行しました。
 それは「ヘル朝鮮」(헬조선)です。
 「ヘル」とは「Hell」、つまり「地獄」を指します。直訳すれば「地獄の朝鮮」です。
 これほどマイナスイメージが強い言葉で表現しなければならないほど、韓国の状況がひどいとは実感的に思いませんが、韓国人の日常生活にさまざまな不安や不満が生まれていることは理解できます。

 この言葉が登場したのは、2012年前後のインターネット上でした。特に若者たちの間で使われ始めましたが、まだそれほどの広がりは見せていませんでした。しかし、これまで述べてきたような状況が、この言葉の広がりに火をつけた格好になり、社会問題を論じた書籍の書名にも使われるほどになっています。
 2015年12月1日の『ハンギョレ新聞』(한겨레신문)は「大韓民国が「ヘル朝鮮」である60の理由」という記事を掲載したほどでした。ちなみに以下のような項目が挙げられていました。
 「出生率、世界最下位圏」「児童の学業ストレス世界最高」「後進国病“結核”、OECD中1位」「医療費増加率、OECD中1位」「会社員の有給消化率、世界25カ国中最下位」「児童福祉支出、OECD中最下位」「老人貧困率、OECD中1位」
 『ハンギョレ新聞』の記事は、しかるべき機関が統計に基づいて公表した誤りのない数字ですから事実です。ただ韓国の最悪、悲惨な数字にだけ目が向けられていますから、ここまで韓国はひどいのかということになってしまうかもしれません。でも「これが韓国のすべて」とは言い切れない、というのが私の実感です。

 一方、若者たちを中心に言われ始めた「ヘル朝鮮」には、彼らの切実な思いや願いが込められてもいるようです。
 「平凡に生きたいという欲求を持ってはいけない国」
 「義務ばかり多く、権利がほとんどない国」
 「痛みが、若者の青春になる国」
 「上下の階級区別が明確な国」
 などは辛辣ですが、韓国という国が抱える問題点を若者たちは鋭く言い当てていると思います。韓国では生まれたときから激しい競争社会に投げ込まれます。小学生の頃から塾へ通い、ひたすら有名大学合格、一流の大企業入社を目指して頑張り続けなければなりません。
 問題は努力しようとする人、頑張ろうとする人なら誰でもが無条件でその機会が与えられる仕組みを国が作っているのか、ということになると思います。報われる社会、頑張り甲斐のある社会の出現を望んでいるからこそ、若者は逆説的に「ヘル朝鮮」を口にするのだと思います。
 私は「ヘル朝鮮」を声高に叫んでいる人びとには、むしろまだ希望があると見ています。そして若者が韓国人として生きていくことに失望しているとも思っていませんし、また是非そうあって欲しいと願っています。

 私がこのように考えるのは、確かに若年層の就職難は顕著ですが、中小企業は労働力不足が深刻化していますし、若者の大企業指向を変えることが急務だとも思っています。また理工系の学生には就職の門戸は比較的大きく開けられていて、「就職やくざ」(チィオプカンペ:취업깡패)などという言葉が若者の間で使われているほどです。
 これは就職が難しいのに、特定の学問領域出身者だけはあっさり就職できることから、まるで傍若無人に行動するやくざのようだ、といった意味合いが込められています。
 もっともこの言葉は理工系の人間だけを指すのではなく、時代によって企業が求める人材が変わるたびに変わってきました。以前は経営、経済系の学生が「就職やくざ」でした。
 つまり現在の「就職やくざ」は電気・電子、化学工学、機械工学とされていますが、これがまたいつ変わるか、わからないということです。

 さて2016年の流行語を見ますと、「ヘル朝鮮」からさらに問題が顕在化し、焦点が絞られてきたように感じられます。
 それは「金の匙」(クムスジョ:금수저)という言葉です。「ヘル朝鮮」ともつながっていて、今年になって一気に広がりました。もともとはイギリスの「Born with a silver spoon in one's mouth」(銀の匙を口にして生まれてきた)ということわざで、親が銀の匙を持つほどであれば、その子は幸せに暮らせるだろうという意味で使われています。
 ところが韓国では、いろいろな匙(「金の匙」「銅の匙」「土の匙」など。貧富の差によって差別化)を持ち出して、人生は金持ちの家庭に生まれたか、貧しい家庭に生まれたかによって決まってしまうという解釈にしたわけです。ですから「金の匙」とは、親が最も経済力があって、恵まれた生活が送れる子どもの階級を指すことになります。もっとも最近では「金」の上にさらに「ダイヤモンド」まで登場しているようですが。

 いずれにしても親の財力で人生が決まり、本人の努力は実らず上位の階層には上がれないという考え方が若者に広がっていくのは、決していい傾向ではないはずです。諦観は上昇志向の芽を摘み取り、努力を放棄させてしまうからです。

 もっとも私が勝手にこのように心配しているだけで、若者たちは案外、ブラックユーモアとして現在の状況を諷刺しているだけなのかもしれません。
 韓国の若者たちは、かつて高校卒で、弁護士の資格を取り、大統領になった人物がいることも知っているはずです。また、ますますグローバル化している韓国ですから、働き場所が韓国だけとは考えない人も増えてきています。
 こう考えると来年は、逆転の発想で、ここ数年とは大きく様変わりした流行語が生まれてくるかもしれませんし、それを期待したいと思います。

 (大妻女子大学准教授)


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