■独誌「シュピーゲル」の安倍評          河上 民雄

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 ドイツの有力雑誌「シュピーゲル」(二○○六年九月四日号)は、小泉首相の
後継最有力候補の安倍晋三官房長官について、その思想的背景にふれ、歴史の修
正(第二次大戦の評価は将来の歴史家に任せるべきだ)を志向していると報じ、
注目している(東京新聞、九月四日付、ベルリン、三浦特派員)。

 早速、図書館で同誌をみると、小泉首相の靖国神社参拝のカラー写真を大きく
扱った、見開き二頁の記事で、まず最初に加藤紘一氏の実家と事務所に対する焼
き打ち事件を取り上げ、右翼団体に属する犯人が放火後、伝統的な手法で割腹自
殺を企てたことに関心を示し、さらにそれ以上に驚くべきこととして、事件後、
約二週間もこの事件への憤りも叫び声ひとつなかったことを重視し、この沈黙の
不気味さを伝えている。同誌は小泉首相の五年間でこういう社会が日本にできあ
がったのかと、いぶかっている。

 たしかに、我が国では、自民党総裁選に名乗りをあげた安倍晋三、谷垣禎一、
麻生太郎の三氏に対し、加藤紘一氏の実家と事務所への焼き打ち事件についての
考え方を記者団から問いただす場面は、八月二十八日、同日付朝刊の朝日新聞の
「風考計」で同紙の若宮啓文論説主幹が「放火への沈黙」と題して取り上げるま
で、見ることはなかった。

 ドイツの「シュピーゲル」誌は、安倍氏が小泉首相より一歩踏み出し第二次大
戦の評価をかえようとしていると指摘、その背景に安倍氏の祖父岸信介氏の影響
があるのではないかと、憂慮し、吉田松陰のことまでふれている。岸氏について
は、満州国の経営にかかわり、大戦中、東条内閣で創設された軍需省を事実上と
りしきったことをもって、ドイツのナチスにおける軍需相シュペアーになぞらえ
て紹介している。もちろん、A級戦犯を免れ、短時日のうちに首相になったこと
もふれている。

 安倍氏は、今日までのところ、靖国神社に行くか行かぬかは言明しない、靖国
問題を争点にしようというのは、よこしまな考えだ、植民地支配と侵略を反省し
謝罪した「村山談話」(一九九五年)は踏襲するかしないかは明確にしない、あ
の戦争への評価は将来の歴史家に任せるべきだ、中国、韓国とのギクシャクした
関係は、こちら側から打開の働きかけはしない、お互いに解決につとめるべき問
題だからだ、と、言質をとられることを警戒している風情で一貫している。その
反面、憲法改正、教育基本法の改正は、明確に公約として掲げている。

 アメリカの政治学者、バーバー教授James David Barberは、『大統領の性格』
Presidential Characterという有名な本のなかで、大統領を選ぶ品定めの基準と
もいうべきものを提示している。教授によれば、一般に行われているように、大
統領になる直前のポストでの業績をあれこれ論じても無意味で、その人物が二十
歳前後、つまり成人に達する頃に遭遇した社会的事件にどう対応したか、どう反
応したかを子細に観察することが大切であり、また、父、母との関係、その家庭
的影響を重視すべきである、という。教授は歴代アメリカ大統領の実例に基づき、
次の四つのタイプを抽出している。一見、単純化し過ぎているように思えるが、
実は歴代大統領の業績を分析する上で意外に有効である。すなわち、active-
positive, active-negative, passive-positive, passive-negativeの四タイプ
の性格で、このなかで最も困ったタイプはactive-negative, 行動的だが他人の
意見に耳をかさないタイプ、歴代大統領でいえば、ウィルソン、フーバー、ジョ
ンソンで、国際連盟、一九二九年の大恐慌、ベトナム戦争で、それぞれの性格の
故に挫折したと分析される。
 このたびの総裁選三人男に共通する点は、政治家の家系に生まれたというにど
とまらず、母方の祖父に最も誇りを抱いていることであろう。安倍氏にとっての
岸信介、麻生氏にとっての吉田茂、そして谷垣氏については、あまり話題になら
ぬが、母方の祖父は日支事変にさいし重慶の国民政府からナンバー・ツーの王兆
銘を引き出す工作で活躍した影佐禎昭大佐(のちに中将)である。谷垣氏はその
名に母方の祖父から禎の一字を貰っている。
 三人とも成人した頃にどのような社会的事件に遭遇し、どのようにそれが人生
に影響を与えたかは、全く聞こえてこない。
 ちなみに、雑誌「シュピーゲル」の誌題は、「鏡」という意味であるが、安倍
氏らは世界の鏡にどのように映っているのであろうか。
     (聖学院大学大学院客員教授、東海大学名誉教授、元衆議院議員) 
                    (二○○六年九月十一日記)

註  active-positive  行動的-楽観的

     active-negative  行動的-拒否的
     passive-positive  消極的-楽観的 
     passive-negative  消極的-拒否的           (仮訳)

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