【戦後70年を考える(4)私にとってのアジア】

私の戦後70年談話

大河原 雅子


 集団的自衛権行使容認の閣議決定から1年となる今夏は、安倍首相がアメリカ議会で成立を約束した“安全保障関連法案”の審議を巡ってこれまでにない危機感の中で、終戦記念日を迎えることなった。皮肉なことに安倍首相の暴走によって覚醒した多くの国民が、戦後70年の平和を問い返し、戦争の教訓を共有・確認する貴重な節目を経験している。戦争体験者から戦争を知らない世代まで、若者、子育て中の若いママ&パパ、高校生までも法案の廃案を求めている。違憲法案と指摘した憲法学者や政治学者をはじめ科学者、歴史学者、文化人など、いわば日本の知性がこぞって反対を表明しているのだ。

 政治的な発言を控えてきた人たちが次々と声を上げる姿、国会周辺の大規模デモと同時に、市民が各々地元で出来る形で反対表明の多様なアクションを起こす姿が今、新しい。実際に声を出さずとも思い思いのプラカードを作り、あるいは、コンビニのネット印刷で入手したプラカードを手に街角に立つ“スタンディング”、子どもも交えて静かに和やかに町内を歩く“お散歩デモ”、勤め帰りの“スーツデモ”、高校生による“制服デモ”、ネットでつながりあい増殖する新しい関係に市民のパワーを感じる。不戦を誓い、自ら行動し声を上げる市民の姿こそ、戦後の民主主義教育の成果なのだと実感する。

 しかし、これだけの強い反対にあってもなおアメリカとの約束を優先させようとする安倍首相の姿からは、逆に不完全な主権国家・日本の姿が浮かび上がってくる。沖縄県民の極めてまっとうな主権論に対して、仮想敵を作って軍事同盟を強化するのでは“(戦争への)いつか来た道”と批判されても仕方ない。なぜなら、私たちには誰もが思い起こすあまりにも無謀な戦争の記憶があるのだから。戦後70年の時を経てやっと語り始めた戦争体験者の重い言葉、身近な場所に残る戦争遺物、開示された密約など、新たな事実が明らかになるにつれ、教えられた戦争とは別の姿が見えてくる。夥しい関連本や研究が発表・出版されていることからも、私たちはまだあの戦争の核心に迫りきっていないのではないか、70年は歴史として整理するにはあまりにも短い時間であり、近すぎる過去なのではないかと思う。

 筆者も昭和28年生まれの“戦争を知らない子どもたち”の一人だが、学校では教えられなかった戦争の実際を知るにつけ、知らなかった自分を恥じる気持ちが湧いてくると同時に“知る責任”と“知らせる責任”の重大さを痛感する。とりわけ参議院議員の6年間には、中国や韓国からの戦時強制連行・強制労働問題、従軍慰安婦問題、遺骨収集や文化財返還問題など、日本政府にとって“不都合な真実”を知らされる機会が多くあり、さらにそれらの問題が未解決であることを実感した。国政復帰の暁にはしっかりと取組みたい課題だ。

 政府・自民党は長年、日本の戦争責任や植民地支配問題は、さまざまな条約で解決済みという。だが、今再び歴史認識が問われ償いを求められている現実には正面から向き合うべきではないのか。民主化やグローバリゼーションの潮流の中で、今や市民一人一人が、人類が二度と経験してはならない“世界戦争の総括”をしようとしているのだから。問われているのは、人権問題としての日本の戦争責任・侵略や植民地支配責任なのだ。大黒柱を失った家族の戦後の窮状を想像することが出来なければ、心からの謝罪はできない。慰安婦にされた、消してしまいたい過去を、誰が好んで人生の終り近くになっても人前に曝すだろうか。生きた証として正義と尊厳の回復を求める魂の叫びがなぜ届かない? 被害者が求めているのは、この70年間の筆舌に尽くせない苦しみや悲しみに対して、大日本帝国から脱皮した新生日本国が潔く過去の過ちを認めて謝罪し、和解への道を作ることなのだ。

 発表された安倍談話で、私が違和感を抱くのは「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そして、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」という部分だ。そこには子どもたちのためにといいながら、謝罪の原因である誤った国策と加害の歴史を切り離し、忘却させる意図が透けて見える。人口の8割が戦後生まれになった今だからこそ、先の大戦を国際的な人権基準で再検証し、記憶することが重要だ。悪夢のような戦争経験は、当事者の体にも心にも深い傷を負わせ、記憶を封印しあるいは消去しようとする。70年を経てやっと語れるようになった体験もあるのだ。大日本帝国が犯した加害の歴史は次世代であっても直視しなくてはならないし、戦勝国アメリカの東京大空襲をはじめとする市民への無差別爆撃や原爆投下責任を問うこともしなくてはならない。未来に向かう総括はまだ終わってはいないのだ。
 “戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築こう!”と、ユネスコ憲章の言葉をあらためて胸に刻む。

 (筆者は前参議院議員)


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