【オルタの視点】

終わりゆく帝国と米大統領選挙
——「第二のプラザ合意」TPPがつくる外交敗戦——

進藤 榮一


◆◆ 1.デトロイトにて

 先頃、デトロイトからニューヨークを経て首都ワシントンへ駆け足の旅をした。その先々で、いくつもの衝撃を受けた。そこから帝国の終わりゆく様を見る思いだった。

 最初の衝撃は、私が成田で搭乗したデトロイト行のデルタ航空便でのことだ。乗客の9割以上がアジア系などの非白人だ。ネクタイを締めたビジネスマンではなく、粗末な服装をしたごく普通のアジア人たちだ。この40年近く、何度も往復した太平洋便で見たことのない光景だった。
 もはや米国はアングロサクソンの国でも白人優位の国でもなくなっている。アフロ系やヒスパニック、アジアやイスラム系を含む人種的少数派が今や全米人口の38%を占めるまでになった。2048年に50%を超すと予測される。
 かつて東方へ版図を広げて巨大な「世界帝国」を築き上げたローマ帝国と同じように今、大米帝国もゆっくりと終わりの時を刻み続けているようだ。

 二つ目の衝撃は、最初の訪問地、デトロイトである。かつて「モーターシティ」と呼ばれた世界最大の自動車生産都市の荒廃ぶりだ。ミシガン中央駅は、かつて世界一の高さと偉容を誇り、米国の物流と人口移動の中心を彩り、「工業超大国」アメリカの偉大さを象徴していた。しかしその駅舎は今や廃墟と化し、周辺は立ち入り禁止の柵に囲まれている。
 米国はもはや、世界の工業生産を牽引する工業超大国ではなくなった。
 日本の都市研究者は、ミラノとともに「縮小都市」再生モデルとして、デトロイト・ルネッサンス賛歌を謳う。確かに、都市機能の中枢を担う47階建て二本の壮麗な巨大ビル、「ルネッサンス・タワー」は、「縮小した都市」の復権を彩ってはいる。しかしそこで働く豊かな市民たちは、郊外の「ゲイテッド・シティー(警護付き街区)から通う。日系自動車機械関連企業の多くは、安全な周辺郊外地に工場を移し、旧市街の大半は荒廃したままだ。そして廃墟と化した駅舎や病院や美術館が「都市再生ツアー」の目玉商品と化して、凄惨な醜悪ぶりを晒しものにしている。「ものづくり」で米国の経済基盤をつくり上げた繁栄の日々は、昨日の世界に消えたままだ。

◆◆ 2.資本と首都への反発と反発

 リーマンショックから7年有余、三度にわたる金融量的緩和とゼロ金利が効を奏し、大統領選挙を前に、市場は活況を取戻したと報道される。確かに失業率は5.0%まで改善している。しかしその陰で、若者の非正規雇用が増え、貧富と資産の格差が拡大し、景気回復の実感は広汎な中間層以下の民衆にまで広がっていない。
 米国社会のそんな有様が、二つのキャピタル——資本と首都——に対する、広汎な民衆の反発と反逆を生んでいる。それが今、米国大統領選挙の潮流をつくっている。
 一つは、カネがカネをつくる金融カジノ資本主義への反発である。それがつくり、加速する超格差社会への反発である。
 二つは、連邦議会と大統領府に象徴される首都ワシントン特別区で展開される政治に対する反発と反逆である。それが、選挙資金とそれに群がるロビイストたちにまみれた職業政治集団への反発と、彼らがつくり増殖させた異様なまでの「金権政治化」への反発と重なり合う。

 確かに資本主義を国是とする米国にあって、連邦議会に巣食う職業政治家たちは、19世紀末当時からあった。予算分捕りと利権配分をめぐって、カネと利権にまみれたロビイスト集団が暗躍する。その金権政治の実態は、西側先進国の中でも異様なものではあった。
 しかし21世紀情報技術革命の進展する中で、カネがカネを生んで、資本主義が、証券資本主義へと変貌する。千分の一秒単位で巨万の富を稼ぎ出す、アルゴリズム商法が、金融と経済を支配し始めた。ニューヨークのウォール街が肥大化し、ワシントンの政治(連邦政府や大統領府)とウォール街が癒着を強めた。
 規制緩和を政策価値観の中枢に据すえる新自由主義が跋扈した。1990年代以来、規制緩和の謳い文句の下で、政治資金規制が緩和され続けた。政治献金の上限枠が、2010年に大幅に緩和された。そして2015年に一切の規制、撤廃された。
 いわゆるスーパーPAC(特別献金枠)に投ぜられた選挙資金はすでに、2012年選挙時の10倍に達する。今回の大統領選挙に投ぜられる選挙資金総額では、最終的に100億ドル(邦貨で1兆円)を超えると算定される。その総額は、20年前のクリントン再選時の96年大統領選挙の総額6億ドルに比べ2桁台の違いだ。

 「ワイルド・ウエストの時代が再来した」。今、米国の市民運動家やマスコミのはやり言葉だ。
 かつて、アパッチ・インディアンやギャングが槍と拳銃で土地を金塊を求めて暴れ回った西部劇もどきの時代が、21世紀の米国政治世界に再登場したというのである。
 拳銃や毒矢の代わりにカネと利権が飛び交う。首都ワシントンのK番街にオフィスを構える登録ロビイスト数は、この30年間に6千人から6万人に十倍に増えた。議員や議員秘書団と連邦官僚職や大使職などの政府役職が、政治献金とわいろを介在して取引される。原資の多くは、一般庶民の払う税金である。民衆を踏みしだいて跋扈する金権政治の実態だ。
 その醜悪な首都の政治の実態が、首都の政治から縁遠い候補者を浮上させている。

 共和党有力候補、ランド・ポールは眼科医、ベン・カーソンは神経外科医。既存政治を罵倒する富豪トランプには共和党員歴がない。民主党候補サンダースにも民主党員歴がなく、社会主義を標榜する。
 民主、共和の二大政党が民主主義をつくる「デモクラシーの帝国」の理念は、今や神話と化し始めている。それが、「世界の警察官」として20世紀を君臨した大米帝国の終わりと二重写しになって見えてくる。
 米国はもはや、国際秩序を仕切るヘゲモニー(覇権)を手にしていない。元々ヘゲモニーという言葉は、イタリアの思想家グラムシのヘゲモニー論に由来する。その原義は、権力者が民衆を支配するための要件は、単なるカネ(経済力)や武装した力(軍事力)だけではない、むしろ人を納得させる力、イデオロギーを不可欠の要件とする。今流にいえば「ソフトパワー」である。
 そのソフトパワーを、アメリカはもはや喪失しているのではないのか。

 一方では、民主主義のお手本とされた米国の政治は、もはや機能していない。民主主義とは、デモス(民衆)のクラチア(権力)だ。しかしその民衆の手の届かないところで政治が動いている。しかも、他方では、もはや米国は、その民主主義を世界に広めるということもできなくなっている。かつてベトナム戦争に敗北したように、イラク・アフガン戦争でも敗北した。多くの人命を奪い、膨大な予算を投じたにもかかわらず、イラクにも、アフガンにも、デモクラシーを樹立できずにいる、内戦とテロが拡大し広がり続けている。
 それが、TPP交渉5年半の漂流と、いまだ国内合意を手にできない現実に表れている。
 そして米国は、覇権の条件としてのソフトパワー(理念の力)を、中東世界で衰微させている。

 確かに米国は、21世紀情報革命で第3の軍事革命に成功した。巡航ミサイルから無人攻撃機に至る超高度な軍事電子兵器群を開発した。しかし米国が、民主主義を広めるためとして、それら兵器群で途上国の民衆を無差別空爆し、事実上の占領を続けるほど、民衆の反米感情がかき立てられ、「民主主義の帝国」の理念はそがれていく。
 ドローン兵器という「新兵器」が、自爆テロというもう一つの「新兵器」をつくり、「イスラム国」という国境を超えた民族自決集団を生み落し、米国は覇権を失い続けていく。
 「アフガンは帝国の墓場である」。この国際政治史の「法則」が、19世紀大英帝国と20世紀ソ連帝国だけではなく、21世紀の今、大米帝国の終わりをつくり始めている。
 かつて版図を広げたローマ帝国と同じように、米国もまた版図を広げ、多様な人種を内に抱え込んで帝国の終わりの時を迎えている。その終わりの時が、パリ同時テロの惨事と重なり、私たちの「国のかたち」と外交のあり方を問い返している。

◆◆ 3.「第二のプラザ合意」TPPの行方

 晩秋のアメリカから中国を旅して、TPPとは何であるのか、再考せざるを得なかった。10月のアトランタでの大筋合意を受けて日本のメディアは、日米基軸論を謳い祝賀ムードでTPP報道を続けた。しかし米国滞在中のテレビや新聞で見るのは、まったく逆の絵だ。民主共和両党の主要大統領候補はすべてTPP批判を繰り出している。
 民主党最有力候補クリントン国務長官はこれまでの立場を覆し、TPPは労働者の職を奪うと批判論に転じた。人気急上昇の「社会主義者」サンダースの批判はもっと厳しい。共和党候補トップの富豪トランプの場合、TPPは米国企業に益せず、中途半端な妥協案だと切り捨てる。共和党院内総務は先頃、TPP議会承認審議は、来年秋の大統領選挙終了以降になるとして再交渉すら示唆した。
 アトランタ合意によれば、加盟12か国中、全加盟国GDP総額の83.5%を占める国々で議会承認が得れば発効することになる。日米を合せて80%で、カナダか豪州が加われば正式発効する。しかしその両国でも批判論が台頭する。
 TPP交渉開始から7年半、日本が参加表明してからでも5年。アトランタ会合でも会期を四度も延長した。出来上がった条約は関連説明文書を含めて6300頁に及ぶ。条約文は英語、スペイン語、ポルトガル語だけ。当事国である日本語の条約文はない。異例のことだ。いったい今なぜTPPなのか。なぜ日本は「TPPに断固反対する」2012年総選挙公約や国会決議に反してまで妥結にのめり込むのか。
     *     *     *     *

 歴史家たちは後年、TPP交渉を「第二のプラザ合意」と呼ぶのではなかろうか。1985年ニューヨーク、プラザ・ホテルで米日独など主要五カ国が合意した国際為替相場の取り極めにちなんで、二つの合意の共通点を理解する歴史像だ。
 第一。日本の過剰なまでの対米譲歩。あの時、1ドル235円を一気に170円台にする協調介入に進んで応じ、2年後には110円台にまで円高が進んだ。今次は、食や金融での全面的対米譲歩だ。
 第二。近隣共産主義国に対する虚構の脅威論。「強い安全保障は強い経済をつくる」という論理で正当化する。かつてはソ連の脅威に対抗する「不沈空母」論。今次は興隆する中国に対処する「中国封じ込め」論。
 第三。地方や中小企業の民益と弱者の切り捨て。かつては急激な円高のために、国内産業の空洞化が進んだ。今次は、関税大幅削減下で進む地域経済衰退の危機。
 ただ、かつては超円高を利用し、バブル破綻と産業空洞化のリスクを冒しながら、アジアへの企業進出を進め、アジアの経済発展を創り上げる果実を手にできた。だが今TPPで見えるのは、米、日の巨大グローバル企業益の拡大であって、中国やアジアとの共生や発展ではない。

 米国訪問から帰国後、すぐに中国に飛んだ。中国の会議で目にしたのは、急速に進む欧米諸国と中国との経済学術交流の進展だ。すでに独首相の訪中は六度に及ぶ。欧州各国はいち早くAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参入、一帯一路シルクロード構想に参画して新ユーラシア世紀の時代を構築し始めている。
 「大筋合意発表の記者会見場に150人のメディア関係者が殺到しましたが、日本人だけなのですよ」。ワシントンでの外務省交渉官の嘆きが孤立する日本外交の現在を象徴する。その現在が、TPPの近未来を暗示する。
 「プラザ合意」が対米マネー敗戦を引き出したように、いま「第二のプラザ合意」が、対米外交敗戦を生み続けている。

 (筆者は筑波大学大学院名誉教授・国際アジア共同体学会会長)


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