≪連載≫宗教・民族から見た同時代世界

華人社会で安心をひさぐ童乩信仰

                       荒木 重雄


 前号の小欄で、香港、台湾、東南アジアの華人の宗教は儒教・道教・仏教の三教が習合した「三教複合宗教」で、現世利益を求めての占いや祈願が大きな比重をしめ、その一形態として「童乩(タンキー)」信仰が盛んであることを述べた。今号では前号につづき、アラン・エリオット著『シンガポールのシャーマニズム』(春秋社)の手引きを借りて、その実態を垣間見よう。

 華人社会では、「神は寺廟に現われ、霊媒を通じて意思を伝える」とされる。この霊媒が童乩である。
 童乩の意味は「占いをする若者」だが、老若男女を問わず、神が憑依して神意を伝える者である。あるときなにか徴候を感じたり、その力を意図的に養成する訓練を受けたりして、一人の童乩がうまれる。

 童乩が出現すると、親族・縁者・知人などが支援グループをつくって、場所をみつけ、神像、祭壇、祭具などを用意し、憑依儀礼を始める。
 まずは近隣の人たちが問神(託宣を聞く)にやってくる。よい童乩だと評判が広がると、遠方からも人々がやってくるようになる。問神の謝礼金や寄付金が増えて経済的な基盤が整うと、仮小屋やアパートの一室だった寺廟から新築の立派な寺廟に移り、支援グループを協会組織に改組して、本格的な教団に発展する。
 このような過程で成り立っている大小さまざまな童乩寺廟がシンガポールには200近くあるといわれている。

儀礼の見せ場は自傷行為

 童乩による儀礼は、なんらかの神が童乩に降臨して信者たちに助言を与えたり病気癒しをしたりする一連の行動で構成される。順を追ってみていこう。

 童乩はまず、祭壇、神像、供物台、さまざまな装飾、祭具がそれらしく整えられた寺廟で、儀礼服に着替え、降臨する神の名が記された腹掛けをつけると、赤や金で彩られた豪華な椅子に座る。
 降臨・憑依する神は、なぜか『西遊記』に登場する斉天大聖(孫悟空)が最もポピュラ―である。三太子、趙元帥、関帝など道教系の神が多く、観音も人気が高い。そのときどきで憑く神が異なる童乩もいるが、普通は決まった神が憑く。

 香の煙が立ち込め銅鑼や太鼓が打ち鳴らされるなかで、椅子で瞑想していた童乩は痙攣しはじめ、よろめきながら立ち上がると、頭を左右に揺らし、口から涎を垂らし、半眼であたりを睨め回し、呻き声を立て、よろよろ歩き回り、跳ね回り、憑いた神に期待される象徴的な動作を演じたりする。彼はトランス(催眠状態)に入ったのだ。

 神が憑いて痛みを感じなくなった童乩は、刺球という、金属製の棘が放射状に突き出た球や、刀を、自分の露出した背や胸に打ちつける。
 大きな祭りのときには、多数の刃を植え込んだ台(刀檯)の上で跳ねたり転がったり、刃を横木にした梯子(刀梯)を登ったりの荒技を演じ、さらに、頬や喉に針を貫いたまま、釘を一面に植えた輿(釘轎)に載って、信者を従えた行列を仕立てて祭区を練り歩く。

 神威の加護というが、技術的な修練を積んでいるのであろう、かすり傷やみみず腫れはできても、大量の出血をするようなことはない。たとえ出血しても助手が素早く護符を押しつけるだけで止まる。

 これらの自傷行為は神が降臨した証明であり、神を慰撫するためでもあるが、童乩自身の験力の誇示、宣伝であることもまた確かである。

童乩の役割は信者に安心を与えること

 毎日の儀礼でも、火がついた線香の束を口に含んで消したり、舌を刃物や茶碗の欠片で切って血を出すなどのことは必ずおこなう。

 この舌を傷つけた血は、童乩の儀礼では重要な要素である。
 童乩は、血の滲んだ舌で一枚々々、護符を舐める。こうして童乩の血、すなわち神の血がつくことによって、護符ははじめて除災や病気癒しの効力をもつことになる。
 信者たちが持ち込む衣類や装飾品や、家庭の祭壇で祀る像や宗教画などさまざまな品にも、童乩は、舌を拭った小さな筆で微かな血の染みをつけて、悪霊から守る力を与える。
 血の出方が少なかったり、塗るべきものが多かったりする場合には、コップの水に赤インクを溶かして、その中に舌からの血を滴らせ、その水を小さな筆でつけることもある。

 さてそのあとで、童乩が信者たちの個別の相談にのる「問神」となる。
 番号札をもって順番を待つ信者たちの相談事は、家庭の悩みや事業の先行き、結婚や出産や吉日の選択、訴訟の勝利、死者との交流、悪霊払いなどとさまざまだが、一番多い病気癒しでは、童乩は、ときに病気の原因を捜して地獄まで赴き、またときには、漢方薬の処方箋を書いたり、総合病院での治療を勧めたりもする。
 童乩は自らが神として一人称で語る。古い中国語らしき言葉を使ったり福建語や広東語に北京官話が混ざったりするので、通訳の同席を必要とする場合もある。

 一連の童乩儀礼の中で一番大事なのは、いうまでもなく、この問神である。相談事がなんであれ、童乩には、相談者に安心と自信を与えることがもっとも求められている。それゆえ童乩の人気は、憑依と自傷のパフォーマンスの見事さ以上に、どれだけ相談者に納得と満足がいく答えを与えられるかにかかっているのである。

 こうして最後の相談者が満足して帰るのを見届けて、童乩は、助手たちの手助けを得てトランス状態から覚める。

 童乩信仰は、じつは、太平洋戦争中の日本占領期にかけて衰退の傾向にあった。しかし、戦後、占領中に殺害された多くの華人の霊が怨みから悪霊となって跋扈するので、それを鎮めることが必要となり、それをきっかけにまたこの信仰が盛んになったといわれている。

 (筆者は元桜美林大学教授)
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