【コラム】海外論潮短評(99)

開発の陰に放置された子どもたち

— 中国で拡大する児童間格差 —

初岡 昌一郎


 ロンドンの『エコノミスト』誌(10月17日号)が、解説欄「ブリーフィング」で中国における親に放置された子どもたちの問題を取り上げている。出稼ぎ労働者の子女が農村に取り残されていることや、都市に出稼ぎに出た親と暮らす子どもの就学困難事例はこれまでしばしば取り上げられてきたが、この解説記事は問題を包括的に分析しているので、要約して紹介する。

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成長のコストを不当に背負わされた人々
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 今年6月、北京市郊外の農村部で13歳の男の子と3人の妹が農薬を飲んで自殺するという、ショッキングな事件が注目を集めた。彼らの母親は蒸発し、父親は出稼ぎに行っているので、彼らだけが取り残されていた。男の子の遺書には「去るべき時、死が長い間の夢」と記されていた。

 その3年前には、5人のストリートチルドレンが一酸化炭素中毒で死亡する事件があった。彼らは道路沿いのゴミ捨て場で暮らしており、暖を取るためにごみを燃やしたのが死を招いた。マッチ売りの少女の童話は中国の小学教科書に取り入れられており、初期資本主義の無慈悲な性質を示す例として教えられている。

 過去10年以上にわたり、約2億7000万人の労働者が都市での仕事を求めて農村を離れた。これは歴史に先例がない大規模な任意的移住である。彼らの多くは子持ちであったが、ほとんどの親は子どもを連れて行けなかった。総工会とユニセフによると、2010年には17歳以下の放置された子どもが6100万人に上っていた。四川省や山西省などでは農村部の半数以上の子どもが親に取り残されていた。実実、子どもと老人だけで構成される農村も少なくない。

 2010年の推計では、6100万人の児童のうち、半分以上が片親と暮らしており、残りは両親と離れていた。2900万人は祖父母に預けられていたが、600万人が親戚や公的施設に預けられていた。子どもだけで放置されていたものが200万人に上った。

 3600万人の子どもが両親もしくは片親に連れられて都市に移住した。しかし、これにも独自の問題があった。公立学校に通学し、医者に保険診療を受けられるものは非常に少数であった。その上に、過重な労働で多忙な親は子どもの面倒をほとんど見られない。こうした子どもたちは、農村に取り残された者たちと同じように放置されている。

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開発の犠牲となった世代
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 その上に、都市部から他の都市に移動した両親または片親に放置された子どもが約900万人いる。2010年現在、合計1億600万人の子どもの生活が親の絶えまない就職・求職活動のために深刻な被害を蒙っていた。比較してみるとアメリカでも同じ問題が劣らず深刻で、こうした子供の数は7300万人に上る。このように放置された子供の比率は、2000年代に入って大幅に増加している。

 片親が他所で働き、もう一人の親と残された子どもの経験は欧米とそれほど異なるものではないだろう。しかし、あるNGOの調査によると、1000万人の残された子ども達は年間に一度も両親と会うことなく、300万人は電話で話したこともなかった。放置児童の約3分の1が、年に1、2回(主として旧正月)に両親と会う。

 放置児童にはあるパターンがみられる。年長者よりも年少者が、男子よりも女子が残される割合が高い。一人っ子政策は農村では都市ほど厳格に実施されてこなかったので、複数の子どもが残されるケースも少なくない。中国の伝統的な家族制は3重の打撃を受けてきた。第一が「一人っ子政策」、第二が男児偏重、第三が大規模な放置児童である。

 ほとんどの放置児童は孤独だ。農村から離れた寄宿制学校に暮らすものも多い。それは、政府が教育水準向上のために多くの村立学校を閉鎖し、集約を図っているのも一因。新しい寄宿制学校では約6割の生徒が放置された子どもである。NGOの調査によると、こうした子供たちは他の仲間よりも内向的であり、いじめを受けやすい。また、不安や気鬱に悩む子も多い。両親の顔を覚えていないものや、親に会いたがらない子どもも少なくない。

 2012年に上海第二軍医大学の行った調査によると、山東省東北部12か村で面接した600人以上の子どもの半分が親と暮らし、他の半分は放置されていた。
 同一の質問票によると、彼らの間での身体的な格差はそれほどでもなかったが、学業成績にはかなりの差がみられ、感性的社交的な面で親から放置された子どもが劣っていた。また、コミュニケーションの点で大きな問題があった。全般的に見て、メンタルな面での発育が遅れている。

 祖父母によって育てられるのは世界的によくあることで、決して悪いことではない。しかし、急発展で変化の急激な中国では以前の時代よりも問題がある。両親とは違い、祖父母に識字力が欠けていることが多いし、そうでなくともほとんどのものが初等教育を受けているだけ。中国婦女会によると、小さな子供の世話をしている祖母の4分の1は学校に全く行ったことがない。

 放置児童の健康に関する調査は皆無に近い。農村児童の半数が放置児童なので、農村部の健康指標がそれをある程度示唆している。5歳以下の農村の乳幼児の12%が発育遅れであり、都市部の4倍に上る。また、13%が貧血状態にある。

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遠からず破裂しかねない「時限爆弾」
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 中国における母乳保育率は低い。東南アジアでの母乳保育は生後6ヶ月間で約半数、バングラデシュでは3分の2だが、中国では7人に2人。理由の一つは多数の子どもが祖父母に養育されているからだ。生後1000日間を母乳保育する利点が生涯を左右することは国際的な調査研究で明らかにされている。母乳で育てられず、乳幼児時代に十分な栄養が与えられなかった子どもは、その後に学業成績が振るわず、深刻な疾病に冒されやすく、仕事への適応に苦しむことが多い。

 放置児童は性的その他の虐待を受けやすい。8月に北京で2人の放置された子どもが死体で発見された。その一人、15歳の少女は親戚の男2人に頻繁にレイプされていた。彼らは発覚を恐れて彼女と12歳の弟を殺害した。児童虐待は広汎に行われている。中国の子どもの4分の1が何らかの虐待を経験していることを国内外の複数の調査が示している。特に大人に訴えることができにくい、寄宿制学校で発生している。5月には甘粛省で、26人の小学生を虐待したという理由で教師が処刑される事件があった。6月には寧夏自治区において、11人の放置された子どもを含む、12人の女生徒をレイプした罪で教師が終身刑を課された。

 放置された子どもは被害者であるだけではなく、加害者ともなる。今年の初めマカオで売春組織が摘発された。その首謀者は重慶出身の16歳の少年で、放置された女の子たちを配下においていた。中国における少年犯罪は増加の一途をたどっている。2010年の少年犯罪者の3分の2が農村出身で、2000年の半分から急増している。放置されている子どもたちが裁判に付された場合、普通では釈放されるケースでも、面倒を見る人がいないという理由から、矯正・処分施設に収容される率が非常に高い。青少年非行事件では63%が釈放されているが、出稼ぎ労働者の子どもの場合では15%に過ぎない。

 子どもを放置することは、子ども自身と家族にとってだけではなく、社会全体に否定的な影響を与えている。子どもの成長と教育にとって有害であるだけではなく、青少年犯罪を増加させる。それなのに、なぜ家族は子どもを放置する決断を下すのであろうか。南部の珠江デルタ地帯と重慶において1,500人の出稼ぎ労働者を対象としたNGOの調査によると、都市で働きながら子どもの世話をする時間がないと3分の2が答えた。また、半数が子どもを連れてくると金がかかりすぎると回答した。

 子供の面倒を見る祖父母を伴って都市で一緒に暮らすのも選択肢としてありうるが、戸籍制度がこれを不可能にしている。戸籍制度は一種のパスポートのようなもので、戸籍がなければ様々な公共サービスにアクセスできない。農村部に戸籍持つ父母の年金は都市住民よりも低額で、町で暮らすには足りない。農村戸籍の子どもたちは都市で公立学校に入ることや、医療を受けることが困難である。この隙間を埋める私立学校は混み合っており、教育水準が低く、政府当局かからの閉鎖に脅えている。しかも、上級学校への入試は戸籍のある地方で受けざるを得ないので、町に落ち着いて住めない。

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戸籍制度改革と福祉制度確立が必要
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 多くの出稼ぎ労働者は建設現場や輸出産業で一日12時間以上働いている。多くのものは通勤に4時間以上を要するところや、子どもと同居できない寄宿舎に住んでいる。ほとんどの者は子どもの面倒を見る時間がない。

 戸籍制度の改革はすでに始まっており。遅々としてはいるが、残されたものと残してゆくもの双方の諸問題を部分的に救済している。しかし、山積する課題は巨大で、児童福祉制度は全国的にほとんど皆無の状態から構築されなければならない。これまで中国政府は子どもの世話は家族の責任とみなしてきたので、児童福祉制度が必要とみなされていなかった。

 2006年まではソーシャル・ワーカーの全国的な資格制度がなかった。政府は遅れを取り返そうと努力しており、「児童福祉司」を訓練するパイロット・プログラムを5省で始めている。ソーシャル・ワーカーはかつての「裸足の医者」に少し似ており、僻地の農村に初歩的な社会福祉を実現するために基礎的な訓練を受けている。一人のソーシャル・ワーカーが200人から1000人の子どもを担当している。2010年に発足した国営医療制度に、2年間で120か村において1万人以上の子どもが登録された。他方、戸籍制度に未登録の子どもの割合は、その間に5%から2%へと減少した。

 政府はパイロット・プログラムを倍増しようとして、新たに3省を追加した。プログラムの適用が25万人に拡大されたとしても、農村における放置児童の0.5%を対象とするに過ぎない。これでは問題の表面を少しなぞるだけである。本格的な解決には戸籍制度の抜本的改革と児童福祉政策の大幅な充実が必要だ。さらに、出稼ぎ労働者が家族と一緒に住むのを可能にするためには、地方における雇用創出が不可欠である。

 放置児童問題の核心は、親の経済的希望が子供の将来に優先していることにある。他国の多数の親と同じように、中国の親たちは現在稼ぐお金で将来の生活を豊かにすることを願い、子どもを育てる喜びを後回しにしている。その一つの結果が都市と所得の驚異的な膨張である。その裏側にあるもう一つの帰結が家族の大崩壊であり、放置された子どもたちはマイナスの負荷を不当にも過大に背負わされている。

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■ コメント ■
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 1980年から2010年の30年間に、貧困ライン(国際的には、1日1人当たり11.4ドル)以下で暮らす人口が世界的に約6億人削減された。これは最近の「国連開発の10年」が目標とした貧困層の半減をはるかに上回った。その世界的目標達成の大部分は中国の寄与によるものであった。しかし、中国の歴史的に目覚ましい急成長は、環境の悪化と所得格差の拡大を伴うものであった。それらは中国社会を揺るがし、国際的にも大きな影響を持つマイナス面を浮き彫りにしている。自らを守るすべを持たない子どもたちが犠牲となっていることは、これまでも伝えられてきたが、ここに紹介した記事を読むと、改めて愕然とせざるを得ない実情とその深刻さを浮き彫りにしている。

 中国は革命以後、義務教育の確立に注力してきたが、まだ完結への道は遠い。評者は数年前の中国滞在中、北京から自動車で約3時間ばかり離れた河北省の片田舎の小学校を訪問したことがあった。施設や備品は、パソコンが大事にカバーで覆われたまま保存されていたことを除けば、終戦直後に私が通学した、岡山県僻地の小学校にも劣っていた。それよりも一番気になったのは、先生たちが中学を出たばかりの若い女性で、教職の訓練を受けているとは思えないことであった。

 聞いたところによると、教科と授業内容は全国的に定められているが、校舎設備や教員の雇用条件は地方に任され、市町村行政当局の責任となっている。これでは当然大きな格差が生まれる。一方では上海の小学校が世界トップクラスの水準にあり、他方、財政力の乏しい農村では低開発国並みの学校が存在するのは不思議でない。しかも、全般的に義務教育に携わる教員の待遇はよくなく、優秀な人材を引き付けるに足りない。経済的社会的政策の優先順位が問われるところだ。

 国連の諸人権条約の中で最も批准率が高く、ほとんどすべての加盟国が批准しているのは「世界子ども人権条約」である。この条約は、子どもの権利を守り、保護を提供するのは加盟国の義務であると同時に、国際社会の責任だとしている。国連は国際協力の重点を人間開発の主柱である教育におくことを提唱してきたが、その中でも初等教育の発展に重点を置いている。ところが、日本などは教育分野の協力をほとんど高等教育に限っており、「国益」が期待できず、即効性のない初等教育を国際協力において軽視というよりも、ほとんど無視してきた。日本も批准している国連子ども条約の趣意から見れば、われわれも中国の状況を対岸の火事のように眺めることはできない。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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