電力自由化は、郵政、道路公団につぐ第三の構造改革だ 〜ユニバーサル・サービスを安易に民営化してはならない〜

濱田 幸生

■電力自由化・作演出経済産業省構造改革派官僚・主演飯田哲也

 脱原発運動には「どうやって脱原発をするか」という政策方法論が欠落していて、その具体性がみえません。

 原発ゼロを掲げる野党の最大公約的戦略は、[FITで再生可能エネルギー拡大→発送電分離・電力自由化→原発ゼロ社会到来]という戦略シナリオです。
 これの原型は、維新の会にも関わっていた飯田哲也氏という新自由主義者の論者が作ったものです。

 彼は原発ゼロの代替エネルギーを再生可能エネルギーと置き、それを普及拡大するためには既存の電力構造を、つまりは電力会社を徹底的に解体する必要があると主張しました。これは「悪の東電許すまじ」という国民の復讐的感情の中で根付きました。

 しかしこれは、かねてから経済産業省の構造改革派官僚が設計図を書いていたものの上に、飯田氏が「脱原発=再生可能エネルギー」という新たな衣を着せて乗っただけのものだったのです。

 電力自由化=発送電分離(アンバンドリング)を言い出したのは経産省「電力システム改革専門委員会」という所です。

 それも昨日や今日ではなく、小泉政権時に竹中改革の一環として急浮上しながら、電力の安定供給の観点から否定されてしまいました。「改革派」官僚たちは地団駄踏んで再起を誓ったことでしょう。それが、福島第1原発事故があった後に、突如「脱原発」の新しい衣をまとって再登場したというわけです。

 この元来、縁もゆかりもない別次元の脱原発と発送電分離を強引に接着したのが、飯田哲也氏だったのです。

 飯田氏は、原発事故の恐怖で脅える国民に、原発があるのは電力会社が原価をいくらでも上乗せできる総括原価方式をもっていて、金がかかる原発が欲しかったんだと説きました。

 そして今まで地域独占にあぐらをかいて甘い汁をさんざん吸ってきたのだから、この電力会社の既得権を電力自由化で奪ってしまえばいいのだと叫びました。そして出てくる結論が、「東電などの電力会社を解体して発送電分離をせねば脱原発はできない」、となります。

 そして当時(いまでもそうですが)東電批判は、彼らの自業自得もあって言いたい放題であり、原発反対=東電解体=電力自由化という論理の飛躍に誰も気づきませんでした。

 というわけで、いつの間にか、「東電は原発事故の元凶だ!東電を潰せ!東電の特権を奪え!電力自由化だ。発送電分離だ!原発ゼロ!」という「民意」が作られてしまったのです。これはまさに経産省「改革」派官僚たちにとって願ってもない展開でした。もはやお蔵入り同然だった発送電分離論が、一挙に国民に脱原発の錦の御旗の下に浸透していったのですから、彼らは随喜の涙にむせいだことでしょう。おそらく資源エネルギー局を除いて、経産省官僚は打ち揃って脱原発派に転向したのではないでしょうか(冗談です)。
 
 まぁ今さら経産省が、「小泉・竹中改革の延長戦をやろう」では、国民は「冗談じゃないや。誰のおかげで失業者が増えて、格差社会になったんだ」と怒りだすでしょうが、「脱原発」が旗印ならいまの日本で反対する人はいませんから。

 原発事故という巨大な災厄をダシにしたショック・ドクトリン的手法で、経産省改革派官僚と飯田氏の利害が一致したわけなのですが、脱原発の旗手と原発推進の司令塔が同じ改革案を出してくるこのうさん臭さは一体なんなのでしょう。
 これではまるで「発送電分離」・原作・経産省、脚色・演出・主演・飯田哲也といったところです。

 このドラマの企画趣旨は、電力自由化がされれば新規発電事業者が増えて、競争が促進され、再生可能エネルギー発電の事業者も増えて、電気料金は安くなり、原子力依存も大幅に減るだろうというバラ色のものです。

 あとでもう少し詳しく見ますが、簡単に検証してみましょう。まず、安価になるということですが、なりません。たしかに北欧では安価になりましたが、大部分の自由化した国では電気料金は高値に貼りついたままです。
 英国などは2009年には、1998年の分離以前の実に2倍にまで電気料金が跳ね上がり、「燃料貧困層」と呼ばれる収入の10%を燃料代にする階層まで登場し、社会問題となったほどです。

 では北欧がなぜ成功したのかといえば、スウェーデンやノルウェーが、水力や原子力という基盤電源をしっかりと持っていて、火力発電のような価格変動が激しいエネルギー源が少なかったからです。

 だから、もし、北欧のように電気料金を安くしたいのであれば、ダムをもっと増やすか(無理ですが)、原子力をもっと増やす(もっと無理ですが)しかありません。それどころか、原発の停止により、わが国はエネルギー源のバランスが火力発電に一元的に傾くという異常な状態にあり、先が見えない深刻な電力不足状況です。このような状況では国際原油相場や、それに連動する天然ガス相場の影響をもろにかぶってしまいます。

 そうなった場合、発送電分離がされていたとすると、発電業者サイドが圧倒的に有利な売り手市場となるでしょう。はっきり言って、発電業者側は、高い売電価格を維持しておくためには、電力は「不足気味」であったほうがいいわけで、あえて安くする努力をする必要がなくなるわけです。

 電力価格は、電力自由化となれば、送電業者との相対取引になるわけですから、それが適正であるかを審議する政府のチェック機能もなくなります。これで、どうして電力価格が下がるのか私にはさっぱり分かりません。

 また、再生可能エネルギーが増えるということについては、逆に分離すれば致命的に拡大することは阻害されるでしょう。というのは、再生可能エネルギーは本質的にその日の天候によって左右される性格があるからです。晴れればよく発電し、雨ならばまったくダメ、風が吹けばプロペラは回るが、凪ならば全然ダメという性格は、どのような技術進歩があっても変化しません。

 ですから、再生可能エネルギーには必ず、そのバックアップの従来型の発電所がセットになっていなければなりません。
 再生可能エネルギー発電料が減ればバックアップで発電量を増し、増えれば減らすという損な役割の火力発電所が必ず近所にいるのです。

 これは現在の日本のように発送電が一体で管理されているから高い調整能力をもつのであって、発電と送電が別なら、そんなバカなことをする義理はありません。なにせ別会社ですから。
 今は電力会社に公共事業体として電力需給に厳しい義務が課せられているからやっているのです。

 そもそもそんな不安定な発電所の為に、なんで送電会社が険しい山谷を越えて鉄塔を建て、ヘリで送電線を引かなければならないのでしょうか。送電網さえ握ってさえいれば、そこに自由にかけられる託送料で有象無象のミニ発電会社の首根っこを押えられるからです。送電業者なら、絶対にイヤでしょう。経営的メリットが少ないですから。自分で引けと突っ放し、泣きつく新電源会社との交渉で高い託送料をかけることで折り合うでしょう。

 特に高い売電価格をもつ再生可能エネルギーは容赦なく高い託送料が課せられると思います。だって、バックアップ電源までつけてやらねば一人立ちできないからです。

 よく勘違いされているようなのですが、電力自由化して発送電分離した結果、必ずしも多彩な送電業者が生まれる保証はないのです。送電業は、巨額な設備投資による減価償却圧力や、日常的な保守点検にコストがかさむわりに、利が薄い地味な部門だからです。現在わが国の9電力会社は、どこも動かない原発の維持費と原油高がのしかかって青息吐息です。

 この経営状況の中で安易に電力市場の開放をすると、経営体力がある大規模電力会社がスケールメリットを目指してこの際とばかりに、弱小電力会社の発電シェアを奪いにかかります。これは現実にドイツの電力自由化で起きたことです。一方、送電部門への新規参入も限られたものになるでしょう。東京、大阪などの大都市周辺部以外では、地形が厳しいわりに送電所帯が少ないので、メリットがないからです。

 したがって、大都市周辺は送電−販売の激戦区、地方は買い手がつかない、ということになります。このような非対称を調整するために一県単位での買い取りしかないと私は思いますが、そうなるかは分かりません。たぶん既存の電力会社が、そのまま他社系列の送電網を買い取ることが主流となるのではないでしょうか。技術的にも、人材的にもズフの素人が参入出来ることではないからです。

 結果、ドイツは独占が強化されてしまいました。わが国も電力の自由化により、発電会社は9社体制から4、5社体制に独占強化され、送電部門も同じような独占強化がされてしまう可能性が高いと思います。

 つまり、電力自由化をいまの日本のような電力供給逼迫期で実行するなら、かえって今以上の独占体制となり、託送料も再生可能エネルギーに対して有利になるとは考えにくいのです。原発が止まって史上空前の電力の供給不足に陥っているわが国は、現在、平時ではありません。こんな緊急時に再生可能エネルギーの飛躍的拡大や、発送電分離、果てはスマートグリッドなどを言い出す神経が私には理解できません。

 こういうくだらない国家改造はもっとのどかな時期に議論してくれませんか。こんな非常時に一挙にやりたがるからショック・ドクトリン、火事場泥棒だと言われるのです。結論を言えば、今のような原発が止まって、しかも原油高により電力需給が逼迫している現状において、絶対にやってはならないのが不安定電源である再生可能エネルギーの大幅導入であり、発電事業者が絶対有利な発送電分離なのです。

 しかし、昨年12月7日に経済産業省の「電力システム改革専門委員会」が再開して、電力会社の分社化による発電と送電の分離を推進するとの方針が強く出るようになりました。経産省「改革派」官僚は、脱原発の熱が冷めないうちに発送電分離をしてしまうつもりなのかもしれません。まさにフリードマンの言う「危機のみが真の変化をもたらす」そのままです。何度もいわねばなりませんが、脱原発と再生可能エネルギー拡大とは無関係です。単なるイメージで結合しているだけです。

 ましてや、発送電分離などをやったら再生可能エネルギーにとって打撃ですらあります。

 再生可能エネルギーを菅直人氏が強引にやったFIT(全量固定価格買い取り制度)で拡大したり、発送電分離などをすれば、必ず電気料金は上がり続け、財政負担が増え、電力供給は不安定の一途を辿るでしょう。この時、多くの国民はドイツ人のように、「再生可能エネルギーの拡大のために電気料金が上がって迷惑なことだ。だから初めから脱原発は無理だったんだ」などと考えるようになると思います。

 そして経産省改革派官僚どもは、この「社会実験」に失敗のスタンプを押して、誰に責任をとることもなく次の「構造改革」に取りかかるのでしょう。私たち日本人は「改革」に何度ダマされたら懲りるのでしょうか。社会は「改革」されるごとに悪くなっているというのに。
 

■国民の利益が忘れられた電力自由化

 さてこの電力自由化は、ちょっとTPPに似ているところがあって、「なんでやるの?」という問いに対して明確な回答がありません。電力自由化を審議している電力システム改革専門委員会の伊藤元重(東京大学大学院経済学研究科教授)委員長などはこう述べています。

 「コメを例として考えてみればよい。関西電力という農家が作ったコメを関西電力という流通チャネルを通じて購入するようなものだ。これだけの地域独占と垂直統合が残っている分野は、電力以外にはあまり残っていない。

 それでも世界の電力システムが同様のものであれば、電力独特の技術的な事情があると考えることもできよう。しかし、事実はそうではない。欧州でも米国でも、発送電分離を前面に出した改革が次々に進められてきた。公共的な色彩の強い送配電分野は公共利益に合致するように規制し、発電については自由な競争と参入を促してきたのだ。」
 (「電力システムを創造的に破壊する3ツの理由」http://diamond.jp/articles/-/34615

 伊藤先生、失礼ですがこんな程度のことは、電力自由化を考えている者には初歩的なことで、だからなんだというのです。伊藤委員長は、「垂直統合だから、地域独占だからいかんのだ。世界の趨勢は自由化だ」と言っているだけで、「なぜ今この電力需給が逼迫している日本でやるのだ」という問いにまったく答えていません。

 ただ「外国がやっているから」では、かんじんの電力自由化・発送電分離をした「結果」、どのような利益を国民が享受できるのかがまったくわかりません。先生と同じ構造改革派(新自由主義)の竹中平蔵氏が、「TPPは自由貿易だからやるのだ」というわけの分からないことを言っていたことをイヤでも思い出してしまいました。これではまるで、「わが国はAだ。他の先進諸国はBだ。だからうちもBにするのだ」と言っているにすきません。このような論法を同義反復とか拝外主義とかいいます。

 伊藤委員長の議論には、「公共的利益」は登場しますが私のような一国民から見ればはなはだ悪い意味で学者的で、「国民の利益」という肝心の部分が欠落しているように見えます。この「国民の利益」という観点がない制度改革論議は、そもそも無意味なんじゃないでしょうか。このような「制度の破壊的創造」がお好きなお二人には、「構造改革」という名のイデオロギーがこびりついているのです。

 イデオロギーとは「(政治的に)固定化された思想、観念で、ひとびとの社会的行動や思考を縛るもの」と定義されています。まさに今や新自由主義や市場原理主義は、合理的思考であるより単なる「イデオロギー」と解釈したほうがいいようです。

 さて、電力自由化をした諸国は数ありますが、果たして消費者、企業といった需要サイドの利益はどうだったのでしょうか。この需要サイドの利益は大きく二つで測定可能です。ひとつは電気料金価格、そして停電率です。

 日本の1996年の電気料金を90とした場合諸外国の電気料金は以下のようになります。
 特に脱原発政策と同時期に電力自由化をやってしまったドイツがほぼ2倍にまで電気料金が値上がりしています。

 ・日本  ・・・ 90
 ・ドイツ ・・・193
 ・英国  ・・・181
 ・スペイン・・・166
 ・米国  ・・・144
 ・イタリア・・・122

 つまり、電力自由化をやった結果、需要者に待ち構えていたのは「競争による電気料金の値下がり」ではなく正反対の料金値上げだったのです。かんじんの電気料金が値上がりしてしまったら、発送電分離する意味がそもそもないのではないでしょうか。

 伊藤先生のように、他国の自由化の結果をろくに総括もしないで、我が国の電力インフラを「創造的破壊」することなど止めてほしいものです。ならば、それを発送電分離を手段として脱原発を図るという諸政党の公約も、真面目に考えて言っているようにはみえません。原発から自由になるという考え自体は正しいのですから、もう少し真面目に考えてほしいものです。発送電ではなく、脱原発と電力自由化の発想を分離したほうがよくはありませんか。
 

■電力関係者が「電力自由化賛成」の皮肉な理由

 調べていてわかったのですが、意外なことに、電力関係者の中には、やや皮肉な口調で「電力自由化やるべし」という人もかなりいます。新自由主義者風にいえば「既得権の巣窟」である電力業界が一枚岩で反対かと思ったら、必ずしもそうではないんですね。しかしその理由は、なんと「再生可能エネルギーにいいお灸になるだろう」とのことだからダーッとなります。この人たちは電力自由化が、太陽光や風力にとって今までのフリーライド(ただ乗り)状態から、一人前の電源になるための関門と考えているのです。

 現実にFIT制度を導入して2年たちましたが、風力にしても、太陽光にしても、土地代が安く、発電効率がいい土地を探すためにいやでも僻地に建設がシフトしています。特に「発電埋蔵量」が多く、地価が安い北海道にはメガソーラーと風力の新規参入が殺到したのですが、既存の高圧線からとんでもなく離れていたり、津軽海峡を渡る送電ケーブルの容量が圧倒的に不足していたりで接続拒否が頻発しています。

 北海道に広大なメガソーラーを作ってしまったSBエナジーの孫正義社長も、北海道電力が買い取り枠を厳しくしたことによりさっそく事業危機を迎えてしまい、「日本の再生可能エネルギーはここでストップしてしまう」と怒り狂っているそうです。しかし、ドイツの例でもわかるように送電線の拡充というのは大変な事業なのです。

 具体的にいえば、大規模な風力発電の展開が可能な地域の北海道北部名寄地区、東北の下北・津軽半島、秋田沿岸、酒田・庄内(山形県)地域などからの送電網や海底ケーブルの新設が必要です。ところが我が国が送電網を作るとなると、平べったいフランスなどとは違い、海を越え、険しい山谷を越えてエンヤコラと送電ケーブルや海底ケーブルを敷かねばなりません。建設費用が巨額化するのは覚悟してください。

 試算として出ている数字としては、生産地の北海道と消費地本州を結ぶ北本連系線などの基幹送電網が1兆1700億円かかるとされています。(北海道電力、東北電力の試算による。異説で10〜15兆というコスト試算もあります)というわけで、いま、この再生エネルギーのための送電線不足が焦点になっているようです。要は、いくら発電してみても送電量オーバーなのですからどうしようもない。「電気作ったのはいいけど、一体誰が運ぶの?」という身も蓋もない話になってしまいました。

 多くの新規参入した再生可能エネルギーの新電力会社は、安い太陽光パネルで電気を作りさえすれば、FIT(固定価格全量買い取り制度)でバカ高く売れると狸の皮算用をしていたのでしょう。

 ですから送電網などは初めは意識になかったか、仮にあっても「電力会社が作ってくれるんじゃないの」ていどで安易な見込みで気楽に参入したはずです。ところが、待っていた現実は電力会社による系統送電網への接続拒否でした。別に電力会社が嫌がらせをしているのではなく、技術的にできないのです。

 「環境省などの試算によると、北海道には太陽光と風力による発電を開発する余力が約2850万キロワットあるとされる。毎冬500万キロワット台の道内ピーク電力を補って余りあるが、海底ケーブルの容量は60万キロワットしかない。発電所をいくら増やしたとしても、この容量を超えて本州の消費地へ送ることはできない。」(毎日新聞 13年4月12日)

 この新規参入業者の要求に沿うとなると、新たに送電網と海底ケーブルを巨額なコストで電力会社が負担して敷設せねばなりませんが、そのコストは結局電力料金の値上げという形で消費者に転化されるはずです。今の接続を義務づけられている電事法にすら、「円滑な供給の確保に支障が生ずる恐れがある時」には接続拒否できる特例条項が設けてあります。

 これが発送電分離して系統送電運営者が別になったら、今の公共事業体的義務から自由になり、しっかりと営利を前提にするので、人も住まない海辺などに多い風力発電所や、耕作放棄地などのメガソーラーなどは今後続々と接続拒否に合うと思われます。

 ですから発送電分離をすれば、再生可能エネルギーの系統接続が進むような能天気なことを飯田氏は盛んに吹聴してきましたが、まったくの空理空論です。送電網は、適切な投資やメンテナンスが維持されていることが前提であり、そのコストを送電業者は託送料金を中心に回収しているのですから、不安定でしかも山間僻地に多い再生可能エネルギーは、送電網の自由化により一挙に冬の時代に突入することでしょう。このように、再生可能エネルギーにとっても電力自由化は危険な選択なのです。
 

■日本でなぜ停電が少ないのか?

 電気における需要者の利益は、電気料金が安いこと、そして停電が少ないことのふたつです。

 この二大条件がよりよくならねば、電力自由化した意味そのものが疑われます。「改革」した結果より悪くなりましたではなんのこっちゃですからね。電力改革先進国の米国など惨憺たるものです。特にカリフォニア州がひどいのですが、年中どこかで大停電をやらかしています。しかし今や細分化された民営化のために、スマートグリッドでも導入して融通をつけるしかないような有り様です。

 スマートグリッドがカッコイイなどと思わないで下さいよ。あれは電力自由化政策の失敗のツケなのですから。

 ITネットとの一体化といわれても、今のよう電力逼迫期にやることではありませんし、ましてや再生可能エネルギー導入のためなら、なんで巨額な投資をしてまでこの不完全なエネルギー源に追加投資をせねばならないのか理解できません。英国も自由化に取り組んだ国ですが、いっそうひどくなって、とうとう電力貧困層という電気代すら払えないで寒さに震える階層が大量に生まれて社会問題になっています。

 ドイツは安定した供給体制がありましたが、今は脱原発と電力自由化の同時進行でガタガタになりかかってしまい、瞬間停電の頻発で工場ラインが打撃を受け、それを嫌った企業の国外脱出が止まりません。フランスは原発太国ですから供給側の設備率は「他国に売るほどある」のですが、途中の送電網に問題があるようであまり芳しくない停電率となりました。韓国はこの統計当時はよかったのですが、原子炉部品の性能証明書を偽造するという前代未聞の恥ずかしい事件が起きたために、全23基の原発のうち7基が停止中で、いまや夏のブラックアウトを心配せねばならない事態になっています。

 さて、我が国ですが、主要国の中でもっとも低い停電率を誇っています。なぜでしょうか。

 我が国は、これらの諸国と較べて、自然条件が日本だけが良くて、台風も大水もない、などということはまったくありません。それどころかむしろ自慢ではありませんが、我が国は世界一の災害大国です。南北2千キロ、東西2千キロにおよぶ島々からなる列島であり、その中央部には2千メートル級の脊梁山脈が伸び、平野部は狭く、山岳地域の地質は崩落しやすい風化岩であり、そして河川はそれに沿って急流で海まで下り落ちます。

 積雪地域は国土の60%に達し、いったん豪雪となると、たちまち交通機関が麻痺し、ときには今回の北海道のような大規模停電が引き起こされます。数多くある離島は、時化れば食料不足に陥ります。急病人もヘリで搬送せねばなりません。そしてご丁寧にも、3つプレートが集合している所に国土があるために、世界の0.25%の地表面積しかないにもかかわらず、マグネチュード7以上の大地震の実に20%が我が国で発生しています。

 こんな過酷ともいえる地形の中で、配電網が山間僻地、離島にいたるまでくまなくはりめぐらされているのは驚異ともいえるでしょう。あの東日本大震災の時ですら、激甚災害にあった地方も1カ月で復旧してみせています。下図の各国の停電状況修復までの時間を見ると、我が国では1時間ていどで再開していますが、米国は丸々1日以上かかってしまっています。米国は毎年襲ってくる大型ハリケーンのたびに1カ月以上の大停電が定期的に起きています。公平に見ても、我が国の送電網のほうが遥に優秀だといえます。

 ●最近の基幹送電設備故障による停電(電力改革研究会)
  http://www.alter-magazine.jp/backno/image/116_2-1.jpg

 このような停電率を見ずに、米国でスマートグリッド導入が盛んになれば、その理由を考えずに「米国の素晴らしいスマートグリッド! それ、すぐにマネせねば!」と騒ぐのはバカ丸出しというものです。

 なぜなら、再三述べているように、米国が停電と復旧による社会的損失があまりに大きいからスマートグリッドを導入せねばならないだけです。

 我が国の停電率の低さは、発電側が万が一停電しても早期に復旧させるリカバリー・システムが我が国にはあるからです。仮に送電線ルートが3本あるとして、そのうち1本が故障してダウンしたとします。ちなみに通常送電網はひとつにつき2回線が設定されており、同時に1ルート2回線がダウンしたと想定します。

 日本以外の国では、このような状況になった場合、生存した2ルートに3ルート分の電流が流れ込むために、せっかく生き残った2ルートも同時に過電流によってショートしてしまいます。前にみたイタリアの大停電のケースです。つまり送電ルートのドミノ倒し現象が起きてしまうわけです。これを防ぐために我が国の送電網は「系統安定化リレー」というシステム技術を持っています。

 日本では、このような非常事態が起きた場合、発電所側(G1)の出力を急速に絞ってしまいます。これがすごいのは、この発電の緊急制御を電流の速さである光速で実施してしまうことです。これにより、周波数は一時的に低下しますが、残存2ルートは持ちこたえることが出来ます。もし、一定範囲を越える周波数低下がある場合、ブレーカーを切るようにこの2ルートも閉鎖しますが、停電範囲は最小限に抑えられます。

 送電現場では、夏場の雷雲の発生があって送電ルートが危険だと想定された場合、雷雲の通過地域は発電所側があらかじめ出力を低下させておくのだそうです。そうすれば、実際に落雷で送電線に落雷しても、周波数の定価は最小限でくいとめられるというわけです。では、この発電側と送電側のシステム・リレーが発送電分離した場合、うまく機能するかです。

 今までは同一の電力会社が系統運用者を兼ねていましたから容易でしたが、発送電分離の状況下では、再生可能エネルギーの新電力まで含めて多くの発電側が、多くの送電事業者とともに、瞬時にそれを実施せねばなりません。単線のリレーから、何十何百の発送電会社と、受け手の何十何百の送電業者間のリレーをせねばならないのですから、果たしてうまくいくでしょうか?

 その上、多くの新規参入した新電力は、既存の電力会社のような重厚な技術の蓄積を持ちません。一朝一夕で系統運営技術などは蓄積できないからです。多くの電力会社の技術者たちはそうとうに困難であると考えています。

 ですから、私は発送電分離政策が打ち出されても、送電部門に新規参入は少ないだろうとみています。

 というかはっきり言って、地味で太陽光のようにボロ設けもできない、メンテナンスの塊のような送電部門に新規参入が来るんでしょうか。太陽光発電を送電してくれたら、5倍の送電託送料を20年間固定で出しますなどという信じられないような愚かな制度を国が作れば、あるいは来るかもしれませんが。

 新規参入がない場合は、いままで以上に送電部門の重要性が増して、それを握っている既存電力会社の預託料が安くなることはありえません。いずれにせよ、泣いても笑っても発送電分離すれば、いままでフリーライド(ただ乗り)してきた送電網の管理コストも平等に新電力に課せられることになります。

 発送電分離とは、一見すると再生可能エネルギーの福音のように思われていますが真逆で、実は再生可能エネルギーのただ乗り防止制度なのです。私には能天気に「原発ゼロ!電力自由化!」と叫ぶ脱原発運動は、東電への制裁的感情の虜になって、全体を冷静に見る余裕をなくしているように思えてなりません。「東電解体」と安直に言う人が多いのですが、「電力会社を解体した後」まで考えてからものを言って欲しいものです。

■ユニバーサル・サービスを安易に民営化してはならない

 自由化というのは、ひとことで言えば競争を激化させようという政策のことです。競争した結果、コスト削減が達成され、冗長な設備や人員が削減され、送電網の独占が解体されるので、めでたく電力料金は安くなり、再生可能エネルギーは拡大するという筋書きでした。残念ですが、たぶんそうなりません。いくつかポイントを検証してきましたが、ともかく時期が悪すぎます。

 よりによって自由化を、動いている原発は全52基中2基だけ、おまけに原油やLNGが高騰という極度に供給サイドが逼迫している時にやってどうします。9月に電力3社の値上げが決まりました。今後も追随がでることでしょう。いまでも充分に供給サイドが悪化しているのに、体力の弱りきった電力会社を解体して、更に競争させようというのですから不安定化して当然のことです。

 あ、念のために言いますが、「信用ならない東電」とか、「福島事故おこしやがって」、はたまた「悪の中枢・東電」などというリベンジ的感情で、エネルギー政策を考えないで下さい。

 お気持ちは、「被曝地」茨城の住民の私もわかりますが、東電どころか何も事故を起こしていない全国9電力会社を丸ごと解体した結果どうなるの、と私は問うているのです。自由化や規制緩和という競争激化政策は、インフレ気味で景気が加熱している時にやってピリっとするインフレ冷却政策であって、今のように20年間の超ロングデフレから這い上がりつつある時期にかましたら、またもやデフレ地獄に逆落としです。

 そして落ちた地獄で私たちを待っているのは、半身不随になった電力供給という公共インフラなのです。

 ところで、2000年代に欧米では電力自由化が流行しましたが、米国のように電気料金は下がったものの送電インフラがガタガタになって停電を頻発するなどといったことが生じました。ドイツやイタリアでは、脱原発政策もあって、電気料金が大幅に跳ね上がっています。自由化して安定し続けているのは、国内に大きな水力資源があるスカンジナビア諸国だけです。また、電力自由化による競争を強いられて安値合戦になるために、長期的設備投資が大きく削られて行きました。

 結果、米カリフォルニア州ではもっとも削りやすいコストである電力インフラの整備や安全対策が手抜きになり、ただでさえ発送電分離でバラバラな会社が管理する複雑さもあいまって大規模な停電が頻発しました。このあたりは、高速道路の崩落の構図と酷似しています。

 皮肉にも、欧米でもっとも旧態依然たる原発依存と、自由化によらない従来型の電力供給基盤を持つフランスが、総合評価で世界最高に輝くという結果になってしまいました。このようなことから欧米では既に、電力自由化論は失敗として総括されることのほうが多くなっています。

 国には競争原理を安易に持ち込んでいい部門と、そうでない部門があるのです。これをわきまえないから、新自由主義者(構造改革派)は、改革に名を借りた破壊者にすぎなくなるのです。衣料や家電製品などの消費財を競争するなというのは馬鹿げていますが、ガス、水道、電気、道路、医療、郵便などの公共インフラ(ユニバーサルサービス)に競争原理と市場原理を持ち込むことが正しいとは思えません。これらは国の骨格であり、国民の生活を安定して支える基盤です。これを市場原理で運営することは、リスクが高いのです。

 たとえば、発送電分離と簡単に言いますが、検証してきたように儲かるのは発電と小売り部門だけで、その間の肝心の送電部門は、いわば公共道路みたいなものでそれ自体儲かる要素がありません。

 かつての自民党橋本政権が始めた公共事業=悪玉論に悪のりして軽薄なメディアは、「鹿しか通らない道」、「農家しか使わない農道」、「20戸の村に立派な道路」、「政治家が票が欲しくてひいた道」、「土建屋の談合道路」などとあげつらったことがありました。

 しかし、このような利用頻度が少ない道路も、地域で必要があるから存在しているのです。その道がなくなれば生活や生産ができないからあるのであって、それを「効率」という一本の尺度でズバズバ切った結果が、今の地方の衰退です。

 道路という公共インフラは、「儲かるから作る」のではなく、「必要だから作る」のです。ところが自民党構造改革派が始めた「無駄の削減」は、民主党という都市型政党で完成され、当時建設大臣だった前原氏などは、「公共事業を36%も自民党時代から削減した」と得意満面で言う始末です。

 公共道路は儲からないからこそ、国や地方自治体が税金で作っているので、これを「民営化」などしたら、元来儲からないのですからたちどころに米国のように継続的な投資がなくなって、メンテナンスから削られていき 笹子トンネル崩落事故のようにボロボロになっていきます。また、ユニバーサル・サービスである電力は、「地域を問わず普遍的に提供する」ことが大前提なのにもかかわらず、人口が多く、収益性が高く見込まれる都市部、地方では県庁所在地のみに参入希望が集中し、山間地が切り捨てられていくことでしょう。

 もし発送電分離した場合、平地が少ないわが国でこのような送電インフラの維持を継続的に実行できるのでしょうか。

  http://www.alter-magazine.jp/backno/image/116_2-2.jpg

 そもそも送電部門は不人気な部門なので、新規参入は限られたものに終わり、既存電力会社の送電部門がそのまま別会社として残ると思われます。

 新自由主義者は勘違いしているようですが、電力事業は発電−送電−小売りがワンセットになって、そこで利益をプールできるから収益を上げられるのであって、ひとつひとつに分解してしまえば儲かる部門と儲からない部門の差が歴然としています。電力会社は儲かる発電−小売り2部門の利益を、送電部門に注入してバランスをとっていることを忘れてはなりません。

 それが故に、総括原価方式というコストの積み上げ方式が認められているのです。飯田哲也氏が言うように、総括原価方式は単に原発で儲けるためだけにあるのではないのです。あの人はどうも原発からしか電力を見ないから困ります。多少儲かると思われる送電−小売り部門ですら、ユニバーサル・サービスを請け負っているために停電という事態を避けねばならないにも関わらず、見たところ新規に参入した再生可能エネルギー発電事業者にその意識は皆無だと思われます。

 彼らは作ったら作った分だけいい値で売れることに魅力を感じているから参入したのであって、旧来の電力会社にあった電事法の送電「義務」を意識することはないのです。

 私は再生可能エネルギーの新規参入会社が、やれ送電線が引いてないと泣き出し、安いからと買った僻地のメガソーラーにケーブルも敷かないでおいて、電力会社の買い取りが少ない、再エネの未来は閉ざされたなどと不平をこぼす姿をみると、電力のモラル崩壊がもう始まったと情けない気持ちになりました。

 このように、ユニバーサル・サービスを担う気概もなく、ただ濡れ手に粟で参入したような彼らの一部は、諸外国で、「クリーム・スキミング」とか「チェリー・ピッキング」とかいわれて、「いいとこ取り」を図る行為として社会的に糾弾されかねない行為を始めています。幸か不幸か、現在の「電力改革」は、中途半端です。構造改革派や脱原発派が望むような、過激な発送電分離は遅らせるようですが、発電と送電−小売り部門を自由化するために不均等が生じかねません。

 電力自由化が郵政民営化、道路公団に続く、新自由主義による三度目のユニバーサル・サービスの破壊にならないようにせねばなりません。

 (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)
====================================
====================================
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップ>バックナンバー執筆者一覧